2010年度
コロキウムの開催記録

 

「コロキウム」は古典力と対話力を学術的かつ応用的に発展させるために設けられた場のひとつです。
 海外連携大学との共同実施などを通じ、幅広い学問領域の学生間の対話を実現することで、古典力と対話力の学術的展開をはかります。

 

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1st International Conference: Applied Ethics and Applied Philosophy in East Asia

  • ・日時: 2010年7月26日・27日
  • ・場所: 神戸大学理学部Z201・Z202教室
  • ・報告者: プログラムを参照(PDFファイル)
  • ・使用言語: 英語
  • ・主催: 神戸大学大学院人文学研究科

 本コロキウムは、神戸大学と東アジア圏の大学(台湾大学、台連理工大学、浙江大学、成均館大学)とが連携した応用倫理学・応用哲学に関する国際会議として企画・開催された。参加者は各大学の教員・PD・大学院生で、使用言語は英語である。とりわけ大学院生にとってはこうした国際会議において外国語で発表する経験を積むことは今後の研究のためにも大いに有益であると考えられる。また、本国際会議は東アジア間の大学で継続的に行われる見通しであり、その意味においても初回の本学での開催は重要性が高いものと思われる。

■イベント概要

 本コロキウムのプログラムはそれぞれ3ないし4名の発表者からなる6つのセッションに分けられている。進行は、セッションごとにまず発表者が発表を行った後、全員に対しての質疑応答を一括して行うという形式をとった。初日(26日)は、工学倫理、生命倫理、環境倫理に関するセッションが、二日目(27日)は、ジェンダー、様々な応用倫理学の問題、応用倫理学の基礎的問題に関するセッションが組まれた。
 各発表のテーマを概観しておくと、初日の第1セッションでは東アジアにおけるSTS研究、リスク評価の合理性、中国の文化的背景と技術評価の倫理的問題、科学技術倫理の必要性について、第2セッションでは、中国における臨床試験の現状、オートポイエーシスと生命倫理、日本の高校野球の特待生問題についてのスポーツ倫理的考察、遺伝子エンハンスメントに関する考察について、第3セッションでは、熟議民主主義と環境問題、日本における環境倫理を事例にした予防原則に関する考察、アジアにおける自然観についての発表が行われた。二日目の第4セッションでは、ポルノグラフィの法的規制に関する論証の分析、日本における性同一性障害の分析、中国における同性愛に関する倫理的考察について、第5セッションでは、現代社会における格差問題、ユビキタスなどのコンピューター技術がもたらす文化的意義、広島の原爆問題に関する身体論的観点からの倫理的考察について、第6セッションでは、アクションリサーチを方法論として応用倫理学研究に導入することの意義、工学倫理教育の実践、科学技術における経験知としての倫理についての発表が行われた。これからもわかるように、発表主題は多岐に渡っており、現在日本で研究されている応用倫理学の主要な主題をほぼ網羅するものとなっている。ここから、日本の応用倫理学研究の現状が東アジア圏のそれと照らし合わせてみても違和感のないものであること、言い換えると応用倫理学が直面する問題が国際的なレベルで議論されていることが理解できよう。
 各セッションとも活発な議論が行われたが、とりわけ海外参加の大学院生の英語運用能力の高さ、および、どの発表にも矢継ぎ早に質問を浴びせかける積極的な姿勢が印象的であった。
 また、会期中に、本国際会議の企画・開催の中心となったYuann Jeu-Jeng教授(台湾大学)、Wang Qian教授(大連理工大学)、Jong Kwan Lee教授(成均館大学)、松田毅教授(神戸大学)との間で行われた運営委員会にて、今後も大学間の協力体制を維持すること、次回会議(2011年開催予定)は大連理工大学において開催されることが確認された。

 

■参加者レポート

 7月26-27日にかけて行われた1st Applied Ethics and Applied Philosophy in East Asiaにおいて、私はお手伝いとして参加する傍らで、一通りすべての発表を聞かせていただきましたので、ここで感想を述べる機会をいただくことになりました。本研究会は、発表者が広く日本、韓国、中国、台湾の哲学、倫理学を研究する先生方や大学院生で構成されていたこともあって、発表はもちろんすべてが英語で進行し、国内にいながら国際学会の雰囲気を味わうことができるという、緊張感に満ちた刺激的なものでした。また、開催日が2日にまたがる長丁場であったにもかかわらず、終始質問が絶えず、質疑応答の時間は活発で白熱したものであったことも特筆すべきです。発表の内容についても、本研究会のテーマが「応用倫理学」ないし「応用哲学」であったということもあり、発表者おのおのの自国の文化や道徳観が見え隠れする非常に興味深いものでした。これはとくに、活発で白熱した質疑応答の時間もあいまって、参加者が異文化理解に努めるよい機会になったと思います。ただ、個人的な印象としては、まがりなりにも哲学の研究会であることから、哲学の醍醐味ともいえる緻密な概念分析や論理的なストーリー立てといったものを、もっと発表者に求めたかったです。今回の研究会の開催を糧に、意気込みやモチベーションをよりはっきりさせることで、今後の研究会がさらに濃く充実した内容となることを期待しています。坂本真(神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程1年哲学専攻)

 


 

美学とジェンダー―キャロリン・コースマイヤー『美学―ジェンダーの視点から』書評会

コロキウム「美学とジェンダー」ポスター
(クリックで拡大)

  • ・日時: 2010年5月19日(水) 17時~
  • ・場所: 神戸大学人文学研究科A棟4階合同談話室
  • ・司会: 沖野真理香(学術推進研究員)
  • ・研究報告:
    • 八幡さくら(哲学専修・D1)
    • 「シェリングの芸術哲学に潜むジェンダー」
  • ・コメント:
    • ティヤナ・プレスコニッチ(国文学専修・D1)
  • ・ディスカッション:
    • 本書の訳者代表である長野順子氏(神戸大学教授・芸術学)をゲストに迎え、参加者同士のディスカッションを図る。

■研究員のレポート

 本コロキウムは、感性をめぐる思想研究会とジェンダー論研究会の共催であった。
  まず、芸術哲学を専門に研究する八幡さくら氏(哲学D1)から、「シェリングの芸術哲学に潜むジェンダー」と題した、本書の書評に基づく研究報告があった。学問の中で芸術を最高の地位に置く芸術哲学の代表者がF. W. J. シェリング (1775-1854) である。八幡氏はM. Titzmannによるシェリング芸術哲学の構造的分析を頼りに、特に彫刻と絵画に注目して、芸術における男性的なもの・女性的なものの分類を試みた。そして、彫刻が男性的特徴を多く孕んでいるのに対して、絵画の孕んでいるものは女性的であるとした。コースマイヤー『美学―ジェンダーの視点から』は、芸術におけるジェンダーの二元論的な枠組や男性的な芸術観を否定しており、それまで芸術において下位に置かれていた女性アーティストの積極的な活動を促している。八幡氏は、伝統的な理論を下敷きにした、現代アートや女性アーティストの理論(表現)が、近代哲学・美学が現代的な問題を解決する手段・方法に繋がっているという重要な指摘を強調した。まとめとして、シェリングの芸術哲学では、彫刻と絵画において男性的特徴と女性的特徴が混在しており、シェリングの崇高概念にとって女性的なものが欠かせないということを指摘した。
 次に、ティヤナ・プレスコニッチ氏(国文学D1)から、本書と八幡氏の研究報告に対するコメントがあった。その中でプレスコニッチ氏は、原爆文学研究の立場から、同じ被爆者であっても、女性作家の作品は感情的すぎるとして非難されがちだったように、男性作家と女性作家の評価が大きく異なる例を挙げ、ジェンダーと美学の観点から日本文学を問い直す必要性について述べた。
 ディスカッションでは、本書の訳者代表である、長野順子氏(神戸大学教授・芸術学)をゲストに議論が行われた。長野氏は八幡氏の研究報告に対して、そもそもTitzmannの提示する二項対立にジェンダー的な視点があると言えるのか、崇高概念の細分化の必要性、シェリング哲学に哲学の原理を壊す力はあるものの、それを「女性的」とみてよいのか、などの指摘・助言を与えた。またその他に、シェリングの芸術哲学における音楽の位置付けや、欧米における本書の扱われ方、芸術と道徳との関係性などの点について、すべての参加者が意見を交わした。
 今回のコロキウムには、感性をめぐる思想研究会とジェンダー論研究会のそれぞれの古典ゼミナールに参加している院生以外からも参加者があり、全員で16名の参加者に恵まれた。その点で、本コロキウムの学際性はより豊かなものとなったと言える。(文責:院プロ学術推進研究員 沖野真理香)

 

■参加院生の感想

 今回の研究会においてはさまざまな研究分野の視点からアプローチをすることができたと感じました。
 まずプラスに評価すべき点としては、やはり学域横断のイベントならではの視点が持ち込めたように思うところです。特に私のような芸術学・美学を扱っているものとしては、文学からの視点は新鮮で、原爆文学に関しての意見などはとくに興味深かったです。このようなイベントを院プロで開催する相互利益は大きいと実感しました。
 一方で、改善すべき点だと感じるところもありました。まず、全体の構成についてですが、発表の後、休憩に入る前にまず発表に対する質疑を設けたほうが良かったのではないか、という意見です。というのも今回、質疑において発表に関する文脈と、直接『美学』の内容に切り込んでいく文脈が混在していたと思いますが、時に焦点が曖昧になり、議論の流れが途切れてしまう危険性があったと感じました。まず発表の内容に対する議論を済ませた後で、本全体の内容に関する質疑に入ったほうが明確になると感じました。そうすることで、本そのものの内容に関する議論の中でも、発表で出たトピックを織り交ぜることが自然に出来るようになると思います。
 今回はさまざまな分野の方々がいらっしゃいました。そのことにより視野が広がったことは確かです。しかし、質疑の際、質問者と少数のメンバーだけの議論に終始して、その内輪で納得して終わってしまう危険性もあると感じました。やはりメンバーによって興味の重心が違うので、まずさまざまな観点をみなが共有する必要があります。そのためにも、今回発表は二人だけ、一人は口頭感想でしたが、もっと多くの分野が発表するなど人数を増やしたほうがいいと感じました。また、もっと個々人の発表時間もとっていいのではないかと思いました。
 また、資料供給をもっと充実させればいいとも感じます。今回はせっかくプロジェクターが機能していたので、本の中で図版のなかった作品の画像を映したり、女性アーティストの作品の具体例を提示したりすればもっと興味が膨らんだかと思います。また、文学の視点から発表する際にも文章の一部でも資料配布していただければさらにわかりやすかったと思います。
 今回のようなイベントを今後も開催することで視野がもっと広がると思いますので、これからもさまざまなイベントを開催していただければと思います。(芸術学M1 金坂拓)