2008年度
コロキウムの開催記録

 

「コロキウム」は古典力と対話力を学術的かつ応用的に発展させるために設けられた場のひとつです。
 海外連携大学との共同実施などを通じ、幅広い学問領域の学生間の対話を実現することで、古典力と対話力の学術的展開をはかります。

 

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応用倫理学の課題(第26回倫理創成研究会)

  • 日程:2009年3月11日(土) 13:00~
  • 場所:神戸大学文学部 A棟1階学生ホール
  • 発表者:Bernhard Irrgang氏(ドレスデン工科大学教授)

 科学技術の哲学を専門とするベルンハルト・イルガング教授に、今日の科学技術をめぐる諸問題について、科学技術の哲学の観点からご講演いただく。

■レポート

 執筆者(藤木)は、イルガング教授の講演原稿の訳者の一人として、またコメンテーターの一人としても本研究会に参加した。研究会の開催に深く関わった者の視点から、幾分かの私見をまじえ、研究会の様子を簡単にまとめたい。
 まず最初に、イルガング教授による講演について。内容そのものは、それほど哲学の予備知識を必要とされるものではなく、平易なものであった(論旨が極めて明快であったこともその一助となっている)。しかし、文章の平易さは内容の薄さと同義ではない。科学技術の発展と近代化がもたらす技術移転の問題は、無視できないほどに大きくなっている。「技術移転の対象となる国や社会の文化的背景や伝統を意識しながら、新たな近代化の形式を生み出すことこそが、われわれの課題なのである」とするイルガング教授の主張は、応用倫理学の分野における最も大きな課題のうちのひとつを的確に指摘していると言えるだろう。
 次に、コメンテーターによる質問セクションについて。コメンテーターは計6名。いずれも本校の哲学専修に所属する大学院生である。各々が事前に用意した三つの質問を英語で問いかけ、それに対しイルガング教授がその場で回答する、という形式をとった。その全てをここで記すことはとてもできないが、イルガング教授の懇切丁寧な回答と相まって、講演内容の補足説明としての役割を十二分に果たしていた。講演内容の理解を促進させるという意味では、この試みは成功であったように思われる。
 これらの質問セクションの内容を受け、最後のディスカッションの時間では、会場からも途切れることなく質問が飛びだし、そのまま活発な議論へとなだれ込んだ。その盛況ぶりたるや、当初の終了予定時間を大きく越えてもまだ質問の声が途切れないほどであった。(文責:藤木篤)

 


 

島嶼と異文化接触

  • 日程:2009年3月9日(土) 13:00~
  • 場所:神戸大学滝川記念学術交流会館 2階大会議室
  • 発表者:
    • Rosa CAROLI氏(ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学外国語学部准教授)
    • 包 偉民氏(浙江大学歴史系主任教授)
    • 高山 博氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
  • コメンテーター:
    • 西 敦子氏(法政大学沖縄文化研究所国内研究員)
    • 松村満庸氏(神戸大学大学院人文学研究科)
    • 大東敬典氏(神戸大学大学院人文学研究科)

 清朝と日本の影響を受けながら独自の文化を発展させた近世琉球王国とラテン・ビザンツ・アラブ文化が融合した中世シチリアを比較することで、他文化の境界に位置する島に見る、複数文化の共存・融合・対立の諸相について考えます。

■レポート

 コロキウム「島嶼と異文化接触」では、文化や国家の境界地域にある島嶼を取り上げ、そこにみられる異文化の対立・共生・融合の諸相、また周囲の覇権文化・覇権国との関係を考察することにした。
 海域世界、および海を超えた人・モノ・情報の移動やネットワークが注目を浴びるようになって久しい。その中で、島嶼も単なる「辺境」から、歴史の中心舞台の役割が与えられるようになり、たとえば琉球や東南アジアの研究が活況を見ている。一方、西洋史では、クレタやキオスといった我が国ではかつては見向きもされなかったような地中海の島々の研究が独立論文として成り立つようになってきた。さて、こうした島嶼は交易ネットワークの上にあり、その結果として複数の宗教・言語・政治的背景などを持つ人々が集まることになる。また同時に、当然のことながら、複数の文化や国家と関係を持っていた。こうして異文化が接触するとき、そこには交流や共生が生じ、しばしば港町の研究などではこのような異文化共存の楽観的側面が語られることが多いように思われる。しかし本コロキウムは単なる交流の結節点や異文化交流の場として島嶼を捕らえるわけではない。異文化が接触するとき、そこにはほぼ不可避的に力関係が生じ、権力を握っている側の都合によって、他者性が強調されたり、共生・同化の側面が強調されたりする。また島嶼部に住む同じ集団の人々の中でも、外部勢力に対してどのようなスタンスをとるか、自己のアイデンティティのよりどころをどこに求めるか、ということには差異があろう。本コロキウムでは、島嶼をめぐる特定の権力関係と、その中で構築されるアイデンティティにも関心が向けられる。
 各報告内容を当日配布された予稿集から抜粋紹介する。
・ローザ・カローリ氏
 本講演では、いわゆる「江戸上り」(琉球王国から江戸に送られた使節団)を分析した。使節団はたいてい100名以上のメンバーからなり、あらかじめ定められた慣習に従って苦労して江戸に到着した。長い道中では、多くの日本人が好奇心をもって、異国情緒にあふれた行列をながめた。行列は王の役人、学者、楽師、商人からなり、カラフルな色合いの変わった服を着て、奇妙な楽器を演奏していた。彼らの中には、日本語を話すことができる者もいたが、式典では、彼ら独自の言葉を使用し専用の通訳に頼らねばならなかった。要するに、これら使節団が外国からやってきたことが浮き彫りになるように全てが準備されていたのであり、そうすることで幕府の威信を高めようとしたのである。このように日本の江戸時代は、外国を支配下においたことを示すために、琉球文化を利用した。明治時代に入ると、琉球に対する日本政府の国益は変化し、それにともなって戦略も変更された。つまり、外国としての琉球という考えは捨てられ、「琉球文化は日本の補足的な文化である」というイメージに変更されたのである。これは琉球を日本国家に組み入れる、つまり琉球人が日本国属民であると明文化するためであった。じっさい明治政府は、1879年に設置された沖縄県に「同化」すなわち「日本化」政策を実施・推進していく。しかしながら、これこそ逆説的に琉球文化が日本と異なるところが多いことをはっきり示すことになった。
・包偉民氏
 本報告は、「島嶼と異文化」の方向から、中国と外国の文化交流における舟山群島の地位と影響を検討し、あわせてこの地域の文化的特徴についてまとめた。舟山群島は、中国東南沿海に位置する国内で四番目の大島であり、中国東南沿海の航路の要衝を占め、中国交流史において重要な地位にあった。そこで、本報告では近年来、学界でよく議論されている「東アジア地中海」の視野から、舟山群島の歴史的地位を考察すべきと考える。それゆえ、以下のことを指摘した。「異文化との接触」の方向から見たとき、舟山群島は二つの側面から積極的に考察されるべきである。その第一点は、島嶼として「海外に単独で懸ける」この側面を強調するのではなく、千年余にわたって舟山群島は主に中外文化交流の「結節点」として歴史舞台で活躍し、大陸に隷属する一地域あったことである。その第二点は、中国沿海地域で舟山群島の文化特徴は、それが唯一の例ではないことである。長期にわたって大陸文化の強度の輻射、そして持続的な大規模な人口移動などによって、中国沿海地域の地区の各島嶼は、大陸文化と比較すれば、みな共通性が特性より強いことである。
・高山博氏
 ノルマン・シチリア王国は、これまで長い間、異文化共存の地として注目され、中世ヨーロッパ・キリスト教社会の宗教的寛容の典型例として引き合いに出されてきた。シチリア王国の「寛容」を論じたものの多くは、ノルマン支配下の「少数派集団」として、アラブ人、ギリシア人、ユダヤ人、とりわけ、アラブ人に焦点を当てている。確かに、ノルマン王たちが、ムスリムに対して好意的態度をもち、彼らを信頼していたことを示す史料は少なくない。都市のムスリムは信仰の自由だけでなく、一種の自治をも享受していた。しかしながら、イブン・ジュバイルは、他方で、シチリア島のイスラーム教徒たちが、キリスト教徒の支配の下で、少数派としての屈辱と隷属状態を耐え忍び、過酷な生活を強いられていたことをも明らかにしている。ノルマン・シチリア王国におけるムスリムのこのような状態は、「寛容」という言葉で王国の性格付けをすることの難しさを示している。ここでは、他の少数派集団と比べて圧倒的に情報量の多い、このアラブ人「少数派集団」に焦点を当て、政治的環境の変化に応じて、ノルマン人君主とアラブ人との関係がどのように変化したかを検討した。そして、ノルマン人君主たちの態度や政策に対して「寛容」という言葉を用いるのが適切かどうかを確認した。
 また、今回コメンテーターとして参加した松村光庸氏の所感を以下に紹介する。
「海は人々を隔てると同時に、結びつける役割を果たすとも言われる。今後もこうした近代国民国家の枠組みを越えた境界領域に関する研究、さらには異文化交流に関わる研究の一段の発展を願ってやまない。ともすれば一国史的な視野に拘泥することの多い歴史教育にとっても、このような観点は大変重要なことと思う。この点は、長年、高校教育に携わってきた私自身の経験からも、より一層痛感するところである。」(文責:田中剛)

 


 

モダニティーの多元性:東アジアの視点から

  • 日程:2009年3月8日(土)
  • 場所:神戸大学文学部 A棟1階学生ホール
  • 発表者:
    • 徐 興慶氏(台湾大学 日本語文学系教授・日本語文学研究所所長)
    • 劉 昶氏(華東師範大学 歴史系教授)
  • コメンテーター:
    • 洪 波氏(神戸大学大学院人学研究科博士前期課程1年 東洋史専攻)
    • 李 升氏(神戸大学大学院人学研究科博士後期課程1年 社会学専攻)

 東アジアが19世紀以後、欧米から導入したモダニティー(近代性)の知的資源は、東アジアがそれまで形成してきた社会システムや思想体系を大きく変容させると同時に、欧米が経験しなかったような新しいタイプのモダニティーを生み出すことにもなった。本フォーラムは、東アジアの視点からそうしたモダニティーの新しい可能性を探るものである。

■レポート

 開会にあたって、緒形康人文学研究科教授(東洋史)より趣旨説明がなされた。
 「モダニティの多元性」というテーマ設定の理論的関心には、まず「モダニティ」というのが、1950年代以降、ながく議論され続けている問題であるということがある。その端緒のひとつは、『啓蒙の弁証法』に代表されるフランクフルト学派の議論であり、すなわち近代(道具的理性)を突き進むと野蛮に転化するという問題提起である。そののちハバーマスの「モデルネ」概念、フーコーの「近代の複数性」の提起などがつづいた。90年代以降は、カルチュラルスタディーズによる文化研究、ポストコロニアリズムによる植民地問題の再考が見られはじめ、その意味でも「近代性」というのは世界レベルでのアクチュアリティをもつテーマであり続けている。
 こうした背景のもと、本コロキアムの「東アジアの視点から」というアプローチは、近代化の点においてアジア地域は西洋に対して受け身の立場であったという従来の認識を考え直す試みである。アジア特有の近代化プロセスがあったこと、またアジアのなかでも複数の近代化プロセスがあったことが指摘されなければならない。歴史学においても、東アジアの国々が相互に影響しあいながら、近代化を遂げていったことを指摘する研究が数多くある。くわえてこうしたアジアにおける相互影響は、文法構造、文体、ボキャブラリーといった点にも見ることができ、これはアジアの近代化というのが歴史学や社会学にとどまらず、文学や言語学などの領域にも関係するテーマであることを示している。この点で、学域横断的な議論をするテーマとして、「東アジアのモダニティ」というのはたいへんふさわしいものであると思う。本日のコロキアムを契機として、「モダニティ」問題を通して人文学研究科全体による学域横断的な議論を続けていきたい。
 第一部は招待講演としてお二人の先生にご講演いただいた。以下、その要約である。
 はじめに徐興慶先生(台湾大学日本語文学系教授・日本語文学研究所所長)より、「近代性をめぐる東アジア知識人の認識」と題してご講演いただいた。講演の内容は、東アジア(中国、韓国、日本)の知識人の近代性認識をあとづけながら、東西文化の相違性とその相互理解について検討するものであった。東アジア社会の近代性を考えるうえでは、思想および文化面における東アジア知識人の越境、また書籍翻訳の重要性を考慮しなければならず、それらをふまえつつ中国、韓国、日本の近代性に対するそれぞれの時代状況をみていくことで、西洋がアジア社会にもたらした衝突と東アジア知識人が感じた挫折というものが明らかになる。文化間の相違性というものを理解することが、融合と共生の可能性と方法を考える出発点となる、という指摘がなされた。
 つづいて劉昶先生(華東師範大学歴史系教授)より「中国近代化の複数性をめぐる歴史アプローチ」と題してご講演いただいた。中国の近代化に複数性への歴史的アプローチに関して、とくに二つの時期(宋時代、明清時代)をとりあげ、アジアと欧米の近代化における共通点および相違点について考察がなされた。中国近代化研究においては、主に明清時代が大きな転換点であったとする認識が一般的であるが、宋代における大きな変化も看過できない。つまり中国が工業化する以前の宋代における人口増加や農業経済の発展の度合いの高さが示す重要性である。70年代以降には、カリフォルニア学派を中心に、農業のなかでもとくに木綿生産の革新性、すなわち分業労働の浸透や流通ネットワークの発展、労働者の生産欲求の高まりに着目する研究も出てきている。明清時代以降に関しては、科挙を合格した地方エリートの増加をもって市民社会の形成したことが指摘されている。これに対して、西洋諸国では18世紀以降の生態環境に植民地の開拓で対応し、またブルジョア層を保護することによって工業化を図っていった側面がある。解放以後の中国の発展に関しては、その特徴として地方分権の推進、土地財産の公共性の維持などが挙げられるが、こうした点にも近代の複数性を指摘することができる。
 第一部の講演をふまえて、後半の第二部ではコメンテーターをまじえて討論をおこなった。フロアからも質問用紙をつうじて多くのコメントが提出された。以下、第二部でのコメントと討論での発言内容をまとめたものを記す。
 コメンテーターは人文学研究科の二人の大学院生がつとめた。まず洪波(人学研究科博士前期課程)から、とくに徐先生に対してコメントと質問がなされた。翻訳の問題については、とりわけ重要なのは概念規定で、そこに共通の認識基礎(科学的な方法論等の共通性)が必要だと思うが、それでも規範や倫理というものの真偽判断については大きな困難がともなうものだと思う。また、いくつかのアジア近代化研究では、どの時代を主な分析対象としているのか曖昧になっているものがあるように思う。
 これに対して、徐先生よりリプライをいただいた。翻訳における真偽判断の問題はたしかに難しい。日本の幕末期における海外文献の翻訳の状況をみると、翻訳というのは主に自国の利益(学問的発展)のために行われることが多いが、それにくわえて、とくに当時(18世紀)の知識人たちが翻訳作業を通じた諸外国との情報交流・協同を見据えていたという点も重要ではないかとの指摘がなされた。
 つぎに李升(人学研究科博士後期課程)から質問とコメントがなされた。まずモダニティに対する見方について、西洋とアジアとのあいだでも相違点があり、またアジアのなかでも違いがある。知識社会学の観点からみると、そうした認識の相違はイデオロギーの問題とも関係する。こうした違いをどのように克服するのか。また、おなじく社会学的観点から考えると、経済的要素から近代化を分析する方法があるのと同様に、社会階層・集団・文化から社会変動を分析する方法もある。これについてはどのようにお考えだろうか。またグローバリゼーションのなかでの中国の近代化についてご意見をうかがいたい。
 これに対して、徐先生より、政治的問題が戦後ずっと議論されているが、アジアの融合にむけて重要なのは、相手の立場にたって考えることができるかという点に尽きるとのご意見をいただいた。
 劉先生からは、従来のウェーバー流の中国近代化研究に対して、余英時をはじめとする新儒家に注目した研究も出ており、かならずしも中国の文化的要素(儒教)が近代化を妨げたのではないという理解もあるとの指摘がなされた。社会階層という点に関しては、中国の場合には、共産党のよるいささか強引な富の再分配政策があったわけだが、それによって工業化が推し進められた、つまり階級文化・階級闘争というものが政策的に経済的イデオロギーに転化されたというのも事実であるとの応答があった。
 会の最後に、緒形教授より、「モダニティというのは継続的に議論されるべきテーマであり、本日も多くの論点が提出された。それらを今後の課題として、来年度以降もこうした場を数多く設定したい」とのまとめがあった。(文責:田村周一[学術推進研究員])

 


 

資料収集・研究交流会

  • 日程:2009年3月3日(火)~2009年3月10日(火)
    • 3月4日 オリエンテーション、本学社会系図書館「神戸開港文書閲覧」
    • 3月5日~8日 資料収集
    • 3月9日 資料収集総括会(9:30より文学部学生ホールにて)

 中国中山大学・中国海洋大学・韓国愛用大学・韓国木浦大学・台湾大学の各大学から、海港都市もしくは国際交流・異文化接触といったテーマで研究をしている若手研究者を神戸大学に招聘し、各自の研究テーマに沿って「神戸開港文書」から資料を収集するとともに、研究者間の交流を行います。

■レポート

 「資料収集・研究交流会」は、海港都市研究に関心をもつ海外の若手研究者を対象として、日本で海港都市に関連する資料を収集する作業を支援し、これを本学の大学院生が補助することで、次世代の研究者による海港都市研究の進展とお互いの研究交流を深めることを目的として開催する交流会である。これまで過去3回海港都市研究センターが主催して行ってきたが、今年度は大学院教育改革支援プログラム「古典力と対話力を核とする人文学教育」と共催で開催した。
 平成21(2009)年3月3日-10日、海港都市研究センターの海外連携大学である中国中山大学・中国海洋大学・韓国海洋大学・木浦大学・台湾大学から、若手研究者(大学院生を含む)5名を神戸大学に招聘し、神戸を中心とする海港都市関係の資料の調査・収集を行ってもらった。それぞれに本学の大学院生5名が同行し、公共機関の利用や資料の閲覧・複写などの補助にあたった。
 3月9日には、総括報告会を開催し、調査した資料の内容について報告してもらい、補助の大学院生や教員も加わり意見交換を行った。補助の大学院生の通訳を交えながら、収集した資料の性格や研究の問題点、さらには、今後の研究の方向性などについて活発な議論が行われた。
 資料収集・研究交流会は、海外から招聘した方々にとっては、専門領域にかかわって日本に所蔵されている資料を調査・収集でき、同時に日本の研究者と交流できる貴重な機会となる。また、補助としてついた大学院生にとっても、海外の、また自分の専門領域とはことなる分野の研究者と交流することで、より国際的・学際的な視点から自分の研究を見つめ直すよい機会である。さらに人文学研究科にとっても、国内に所蔵されている海港都市関係資料を海外の視点から見直し、それらの資料情報を収集できるというメリットがある。よって、来年度も引き続き、大学院教育改革支援プログラム「古典力と対話力を核とする人文学教育」と共催で開催する予定である。(文責:添田仁)

 


 

長谷川理論のレガシー

  • 開催日:2008年12月20日(土)
  • 場所:神戸大学文学C棟3階大会議室
  • 報告者:
    • 王向華氏(香港大学教授)
    • 藤井勝氏(神戸大学教授)
    • 油井清光氏(神戸大学教授)

 

■レポート

 2008年12月20日に、神戸大学大学院人文学研究科「古典力と対話力と核とする人文学教育」(大学院教育改革支援プログラム)の一環で、香港大学の王向華教授を迎え、コロキウム「長谷川理論のレガシー」が開催された。本コロキウムの目的は、神戸大学文学部教授であった故長谷川善計の「家・同族」理論、「近代化」理論が、現在日本だけではなく世界でどのように評価・継承されているのか、また同理論が現代社会の研究にどのように応用されているのかを検討することにあった。講演者は王向華教授、藤井勝教授(神戸大学大学院人文学研究科)そして油井清光教授(神戸大学大学院人文学研究科)の三名で、まず、基調講演として王教授が「中国家族システム理解にあたっての長谷川善計『家』理論の重要性」と題した講演を行い、長谷川理論における日本の家族構造分析との比較において、中国における同概念の独自の構造分析を提示した。次に本大学院の藤井教授、そして油井教授が、それぞれ「長谷川『家・同族』理論とアジア」、「日本近代化論とグローバル化論:長谷川理論の射程」と題した講演を行い、藤井教授は現在フィールドワークを行っている、タイの農村地域における「家・同族」の構造を、長谷川理論をもとに分析し、油井教授は、長谷川理論における「日本近代化論」に言及しつつ、グローバル時代における日本の位置づけを明確にした。当日は学部生をはじめ家族研究・文化研究の専門家が多く集まり、それぞれの報告の後には有意義な質疑応答が行われた。(文責:速水奈名子[学術推進研究員])