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人文学と神戸大学文学部への誘い

学問と好奇心

教材として読まされる小説には退屈を覚えるばかりだったのに、お兄さんやお姉さんの本棚から取り出した文庫本を、少し背伸びしながら読み進めたら面白くてついつい朝まで読みふけってしまったり、世界史の年代暗記には飽き飽きしていたはずなのに、ふとしたきっかけからフランス革命の歴史を知りたくなった、といった経験は誰にでもあるものだろう。命の大切さを道徳の時間に説かれてもピンと来なかったのに、「世界中で、私はたった独りしかいないかけがえのない者なのだ」ということに、あるとき気付いてしまい、何だか落ち着かない想いを抱き、色々と考えにふけってしまったことのある者も少なくないだろう。

教室では灰色にしか見えなかったことが、生のある瞬間に輝いて見え始める。そのとき人は、何か大事なものと出会っている。身につけておかなければならないとされた知識を頭に入れるのとは違って、何かわからないけれども引き込まれてしまう。その何かを<過剰なもの>と呼び、<過剰なもの>と出会ってその先を知りたくなる気持ちを<好奇心>と呼んでみよう。

大学で学ぶ学問の始まりには、本当は、そのような<過剰なもの>との出会いとそこから生まれた<好奇心>がある。そして、大学というのは、その出会いと<好奇心>とを忘れずに、知ることを組織的に求めていく場である。高校までの教育は、社会の中で生きていけるように人を普通の常識ある大人に育てていく、ということを第一の目的としている。それに対し大学は、もともと、知ることそれ自体を大切にする場であり、学生にもまた知って考えていくことの歓びを伝えることを目的としているのである。

けれども、長い歴史の中で、官僚や技術者といった世間にすぐに役に立つ人材を育てる役目を大学が担ってきたのも事実である。直接的に役に立つことが大事にされるうちに、<好奇心>に基づく「知る」という本当に大切な事柄が、忘れかけられたことがなかったわけではない。文学部というのは、その知ることの大切さをいつも忘れずにいた高貴な場所に他ならない。

人文学への誘い

文学部で学ぶ学問は<人文学>と呼ばれる。人類が創ってきた文化の意味を、その根本に立ち返りながら追求していくのが<人文学>である。人間とは何か、人間はどんな歴史を形成してきたのか、人間は文学作品や芸術作品を通してどのような想像力を働かせてきたのか、文化を根本から支える認知の枠組みや言語はどのようなものか、人間は社会や社会がそこにおいて形成される空間をどのようにして組織化してきたのか、等々の問いが<人文学>の主題である。その出発点には、人間がこんな文化を創り上げてきたという驚きがあり、その文化という不思議な存在に対する<好奇心>がある。

さらに、<人文学>は、実用性をすぐには求めない。別の言葉で言えば、それなりに考えていけばすぐに解決出来るような <問題>に飛びついて、その解決策を提案することで満足することはない。ちょうど、解き方はわかっているのだけれど、複雑なので難しく見える方程式を解くといった退屈な作業には携わらない。なぜなら、そこには生を輝かせるような<過剰さ>も驚きもないから。人間はどうしてこんな文化を創り上げてきたのだろうか、という驚きの前に立ち止まりながら、その驚きから生まれる<好奇心>に身を委ねて、知ることを求めていく。

それでは、<人文学>は、単なる<好奇心>を満足させるだけの暇つぶし、よく言ってせいぜい高尚な趣味といったものだろうか。そうではないだろう。<過剰なもの>と出会って、本当の<好奇心>を抱いた者は、そしてとりわけ、人間の作り出して来た文化の<過剰さ>に打たれ、その意味を探求することに引き込まれた者は、自らもまたその文化の創造に立ち会うことを夢見るものであり、今まで誰も立てたことのなかったような問いを立てることへと向かう者である。解決がすぐに見えそうな問題を解くことは易しい。新たな問いを立てることこそ真に刺激的な営みではないか。

グローバリゼーションやIT革命によって、新しい世紀はさらに大きな変動を迎える、と言われることが多い。しかし、本当の <好奇心>を持つ者は、国際化や情報化といった一見すると華やかな言葉に惑わされてはならない。<過剰なもの>との出会いと<好奇心>を決して手放してはならない。変動の時代において真に問われるべきことは何か、ということを見つめながら、新たな価値の創造に携わることこそ、<人文学>を主題とする文学部に求められているのであり、そういった深い意味において、<人文学>はまさに「世の役に立つ」のである。

徹底した少人数教育

真の<好奇心>を掻き立て、新たな問いと価値とを創造すべく、神戸大学文学部は、2001年から大きく生まれ変わった。開かれた国際港湾都市神戸という恵まれた立地条件のもと、権威や実利に左右されない、自由な立場から<人文学>の粋を究めることをこれまでも進めてきたが、創設以来半世紀の歴史を踏まえて、新しい世紀を迎える2001年度から、<人文学>の伝統的基礎である哲学・文学・史学の古典的学問領域と知識システム、社会文化という先端的学問領域からなる人文学科として再発足した。これまで生み出されてきた古典的な<人文学>と先進的な<人文学>とを接合させることによって、真の<好奇心>をより幅広く組織化し、現代における新たな価値の創造を可能にする実験の場所として新鮮な一歩を踏み出した。

だが、私たち神戸大学文学部には一貫して変わらないものがあり、それは徹底した少人数教育を進めているということである。<過剰なもの>との出会いと真の<好奇心>は、いつも偶然的、個別的に産み出されるものである。だから、徹底した少人数教育によって、可能な限り、個々人の驚きと<好奇心>とを掻き立て、<人文学>の粋を伝授することに努めることを理念としている。1学年学生100人、教員50数人という私たちの空間は、まさにそのような営みにうってつけである、というこのことを、教員の研究の質の高さとともに、誇りと自信をもって言うことができる。

みずみずしい感受性と批判的な思考力

そして、そのような場に参加し、真の<好奇心>をもって新たな価値の創造の現場に立ち会うべく、本学部へ誘われる学生諸君に求められる資質も、自ずから明らかだろう。基本的な学力は勿論のことだが、何よりも<過剰なもの>との出会いに対する備えがあり、生の輝きを見逃さないという資質である。みずみずしい感受性、豊かな想像力、常識に対する批判的精神が、幅広く着実な知識と共に求められる。より具体的に平たい言葉で言うなら、①自分の考えを筋道立てて表現し、他者との議論を展開して、稔りあるものにしていくために必要な、日本語および外国語の表現力と論理的思考力(さらに情報リテラシー)、②自然科学も含めた諸学の基礎的素養を基盤にしながら、通念にとらわれない仕方で問題を考察しようとする批判的態度、③そのような能力や態度を活かしながら、自ら新しい課題を発見し、探求する課題探求の力、以上をもつ者である。

そのような資質をもった諸君が、真の<好奇心>を大きく羽ばたかせ、新たな価値の創造に私たちと共に携わるといった大きな夢を抱きつつ、<人文学>の現場へと来場することを心から期待したい。

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