『美学芸術学論集』ARCHIVES
『美学芸術学論集』に収められているすべての論文はデジタルアーカイブ(神戸大学学術成果リポジトリ)からダウンロードすることができます。
第10号
□論文 |
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長野順子 |
セルフ・ポートレートと演劇性 -クロード・カーンと前衛劇の交差- |
増田展大 |
原形質のメディア考古学 −エミール・コール『楽しい細菌』をめぐって |
王飛 |
歴史的叙述としての映画と女性の身体 −『ラスト、コーション』におけるチャイナドレス 表象の分析を手がかりにー |
特集:折り重なるメディア |
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北野圭介 |
小林秀雄におけるメディア理解について |
番場俊 |
顔の装置としての小説の生成 |
仲本雄太 |
「からだ」と声 −竹内敏晴『呼びかけのレッスン』についての考察 |
大崎智史 |
重なり合う会話 −『ナッシュビル』における音声編集− |
□報告 |
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金坂拓 | 『ジョン・ダウランドの世界』 |
湯浅恵理子 |
アルス・エレクトロニカレポート −機械と生物の狭間で「記憶」がもたらすもの |
第9号
□論文 |
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前川修 | カルト・ド・ヴィジット論 -ヴァナキュラー写真の可能性1- |
特集:身体と同一性 |
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橋本一経 |
イメージの権利 −19世紀フランスにおける写真の著作権・肖像権ー |
秋吉康晴 |
録音された声の身体 −人間と機械のあいだから聞こえる声ー |
佐藤守弘 |
遺影と擬写真 −アイコンとインデックスの錯綜ー |
□論文紹介 |
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金坂拓 | ジャン・ル・ロン・ダランベール 『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』 |
第8号
□論文 |
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前川修 | メディア(論)の憑依 -ポスト・メディウム的状況における写真- |
特集:テレビゲームの感性的論理 |
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太田純貴 | ヴィデオアートとLSD |
吉田寛 | ビデオゲームにとって「リアル な空間」とは何か? |
河田学 | (コンピュータ・)ゲームの存在論 |
□論文紹介 |
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金坂拓 | F・アンカースミット「ピュグマリオン :劇場と表象におけるルソーとディドロ」 |
小野恵理子 | G・リーズ=マッファイ 「生産-消費-媒介パラダイム」 |
第7号
□論文 |
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前川修 | メディア(論)の憑依 -ポスト・メディウム的状況における写真- |
特集:テレビゲームの感性的論理 |
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太田純貴 | ヴィデオアートとLSD |
吉田寛 | ビデオゲームにとって「リアル な空間」とは何か? |
河田学 | (コンピュータ・)ゲームの存在論 |
□論文紹介 |
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金坂拓 | F・アンカースミット「ピュグマリオン :劇場と表象におけるルソーとディドロ」 |
小野恵理子 | G・リーズ=マッファイ 「生産-消費-媒介パラダイム」 |
第6号
□論文 |
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長野順子 | おぞましさの美学の帰趨 ―「吐き気」の芸術的表象について- |
富田大介 | P・ヴァレリーにおける運動的陶酔のメカニズム -「私」を脱して自走するダンスの考察に向けて: 「魂と舞踊」「ダンスについて」「ダンスの哲学」読解- |
南出みゆき | アカデミー・ジュリアンから 伝播されたフランス美術教育-ローランスに 師事した中村不折の場合を例に- |
□論文紹介 |
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吉中智里 | ミリアム・ハンセン「ベンヤミンと映画:非・一方通行路」 |
□研究会報告 |
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特集:コンテンポラリー・ダンス 「場との交流」 | |
第5号
□論文 |
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前川修 | 歪んだ鏡としての写真、フリップブックとしての写真史 -ベンヤミン『写真小史』再考- |
増田展大 | 「目撃」の「瞬間」-19世紀末フランスの挿絵/ 写真についての考察- |
□研究ノート |
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大村憲右 | 現代ハリウッド映画『デジャヴ』論序説 -(メタ)映画・監視・スクリーン- |
□論文紹介 |
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真部佳織 | G・バッチェン「明るい部屋 -もう一つの写真史」 |
第4号
□論文 |
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長野順子 | 「透かし絵」という魔法の鏡 -F.シンケルの劇場改革への道- |
松谷容作 | アトラクション、物語、タイム・マシン -初期映画におけるイメージ経験についての試論- |
平田思 | 1940年のアメリカのFMPS組織化の再評価 |
秋吉康晴 | 音響装置論 -19世紀末のフォノグラフの声- |
□研究ノート |
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中西ひとみ | リヒャルト・ワーグナー『さまよえるオランダ人』再考 -十八世紀後半から十九世紀前半における Opéraとの関連を中心に- |
植松篤 | 現代美術としての具体 -戦後日本の文脈における位置について- |
□論文紹介 |
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大村憲右 | マレイ・スミス「ハリウッド史に関する哲学的諸命題」 |
小坂井雅世 | ローラン・ウエスカ「イメージ、それは常にダンスなのか」 |
第3号
□論文 |
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前川修 | ヴァナキュラー写真論の可能性 |
唄邦弘 | ジョルジュ・バタイユにおける形態の弁証法 -雑誌『ドキュマン』における「人間の姿」- |
□研究ノート |
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松谷容作 | ジル・ドゥルーズ『シネマ』と映画研究史 -『シネマ』が映画研究にあたえるものについての研究ノート- |
鈴木恒平 | トーマス・シュトゥルートの都市写真 -「ベッヒャー派」という物語- |
□論文紹介 |
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増田展大 | ベンジャミン・H.D.ブクロー「アレゴリー的手法: 現代アートにおけるアプロプリエーションとモンタージュ」 |
第2号
□論文 |
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長野順子 | モーツァルト≪魔笛≫における異界 -<夜の女王>を中心に- |
伊藤政志 | 趣味判断における構想力の自由と倫理 -カントによる構想力の規定に依拠して- |
平田思 | メルロ=ポンティ『眼と精神』をコギト論によって読み解く -絵画の歴史性と超歴史性- |
□研究ノート |
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中西ひとみ | パウル・ベッカー 「さまよえるオランダ人」 |
□展覧会批評 |
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植松篤 | 「美術館の遠足 9/10」 |
今岡竜弥 | 「ドイツ写真の現在 -かわりゆく現実とむかいあうために-」 |
□論文紹介 |
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秋吉康晴 | マリリン・アイヴィー「物語は回帰する -不気味なトポグラフィー-」 |
景山聡行 | リック・アルトマン「映画における四つと半分の誤謬」 |
創刊号
□論文 |
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前川修 | 写真集を読む -トルボット『自然の鉛筆』論- |
中西ひとみ | リヒャルト・ワーグナー『さまよえるオランダ人』 のオペラ形式 を巡る問題-シェーナを中心として- |
伊藤政志 | 趣味の背理-ハチスンとヒュームによる美的感情の位置づけ- |
富田大介 | 岩下徹 即興舞踊試論 -H・ベルクソン『物質と記憶』の読解を通して- |
□書評 |
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松谷容作 | パスカル・ボニゼール『盲目の視野-映画についての試論』 |