国土交通省神戸港湾事務所・NPO法人「近畿みなとの達人」との連携事業

 国土交通省神戸港湾事務所およびNPO法人「近畿みなとの達人」との連携事業は、2005年5月、神戸大学で開催された日本西洋史学会第55回に遡ります。この時、「神戸歴史舞台―西洋社会との出会い、震災と史料保存、そして未来―」と題する特別企画シンポジウムと関連展示会が催され、当センターや港湾事務所などの関係者が、いくつかの報告を行うと共に、共同して関連資料の展示を行いました。
 それ以来、2006〜07年度には、みなとまちづくり生涯学習講座やシンポジウム開催への協力(講師派遣等)、尼崎・神戸・兵庫・東神戸四港の「みなとまち絵地図」作成への協力等、様々な連携事業を行いました。

『越前町織田の歴史』の編纂事業

 当センターと福井県越前町織田(旧織田町)との間では、2005年度に共同研究の契約が結ばれ、同町内の歴史遺産を保全・活用していく事業のほか、町史編纂をめぐる共同研究が始まりました。2006年度には、この一環として、当センターの奥村弘が、現地で歴史記念講演を行うとともに、町史の編纂作業を開始し、2006年12月には、当センターに関連する研究者等が分担執筆した『越前町織田の歴史』(古代・中世編)が刊行されました。また翌年の2007年度には、当センター研究員が『織田町史 史料編』中巻(1996年)に所収されている史料を用いて、専門論文を『越前町織田文化歴史館館報』に寄稿するなどの協力も行いました。

羽束の回廊歴史フォーラムへの参加

 「住吉大社神代記」の住吉大社解に、川辺郡為奈山の北界として「限北公田並羽束国堺」とみえることから、「羽束国」とは川辺郡六瀬谷から有馬郡高平谷にかけての地域呼称だったと考えられています。この古代の「羽束国」の領域に関連する自治体の文化財担当職員と地区住民代表が、現在の行政の枠を超えて集い、羽束地域の南北及び東西幹線交通軸の復元を通じて歴史的な地域間交流を再発見し、当該地区の遺産を広く知ってもらうことを目的として、歴史地図作成事業を2008年度よりスタートさせました。参加者は、宝塚市萬正寺住職、三田市教育委員会生涯学習課印藤昭一氏、猪名川町ふるさと館末松早苗氏、宝塚市立中央図書館七條美樹氏、能勢町教育委員会生涯教育課重金誠氏です。当センターからは、奥村と松下が参加し、コンテンツ選定やHP作成、地域住民との連携方法について情報提供を行っています。
 2009年度は、「羽束国」の領域内で、『摂津名所図会』に掲載されている史跡を、二万五千分一の地図上に位置情報や史跡解説、写真などを載せ、HPにて公開することを目標とし、完成次第、当センターのサーバーにアップする予定です。

猪名川町公民館との連携事業

 猪名川町中央公民館からの依頼で、2009年度と2013年度にセンターのスタッフを中心とした、地域の歴史に関する生涯学習講座(猪名川町生涯学習カレッジ「リバグレス猪名川」)を行いました。それぞれ1年間、2週間に一度のペースで実施しました。内容は、猪名川町域に関する古代から近代のあゆみについての講義と、多田銀銅山など猪名川町内の歴史遺産の見学および町内の古文書を活用した実習などです。

宝塚山本地区との連携事業

 2008年8月、山本共有財産管理組合より宝塚市立図書館市史資料室を通して、宝塚市山本地区に残る地図その他の史料をまちづくりに活用できないかという話が当センターに持ち込まれ、市史資料室にも協力を依頼して、2010年4月の植木祭りにあわせ地域の「あいあいパーク」で史料の展示をおこないました。

淡山疎水資料の調査

 淡河川山田川疏水(淡山疏水)は、明治24年(1891)に最初の工事が完了した、4市1町(兵庫県神戸市・三木市・明石市・加古川市・稲美町)にわたる大規模な用水路です。貴重な産業遺産として、2007年度より兵庫県教委と関係市町教委の間で淡山疏水検討会が組織され、文化財指定・登録を念頭に、詳細な調査が進められています。同会の要請を受け、当センターは、2008年3〜4月に稲美町教委が行った淡山土地改良区事務所所蔵資料(文書・実物資料等)の2007年度調査に、資料の調査・整理方法についてのアドバイスと、作成された資料カード・目録のチェック作業で協力しました。

「神戸いかなごくぎ煮学認定試験」への協力

 神戸市水産会[神戸市漁業協同組合、兵庫漁業協同組合、財団法人神戸みのりの公社、及び神戸市]は、神戸市名産のイカナゴの釘煮をアピールするために、2009年3月15日「神戸いかなごくぎ煮学認定試験」を実施しました。当センターは、同会からの要請に基づき、受験者配布用テキスト作成および問題作成に協力しました。第1回目となった今回の試験では、受験者が105名、うち合格者は92名という結果でした。設問数は、選択問題が75問、記述が1問でした。なお試験後のアンケートでは、29名の方が問題が難しいと答えられ、また今後中級編があれば受験したいですかという質問に対しては、受験者のほぼ半数の56名が受験したいと回答されています。今後は、こうした声に応え、テキストや設問づくりに工夫を加えてゆきたいと考えています。

神戸元町商店街連合会との連携事業

 2009年10月頃、本学の経済学部の教員の紹介を通して、神戸元町商店街連合会(みなと元町タウン協議会・会長は奈良山喬一氏)から、元町商店街の言われや西国街道と関わりについて記す、歴史モニュメント設立への協力の依頼がありました。
 センターではこれを受け、関係する研究スタッフや教員がモニュメントの文案作りに協力し、このほど「西国街道モニュメント」が完成・公開されました(2009年12月21日)。  モニュメントの設置場所は、「こうべまちづくり会館前」(神戸市中央区元町通4丁目2-14)です。
モニュメントの写真
  モニュメントに記されている文章は以下の通り。

西国街道と元町商店街

 元町商店街が広がる地域には、江戸時代、九州と近畿地方とを結ぶ西国街道が通っており、これはほぼ現在の「元町通り」に当たると考えられます。
 その当時、この道沿いには、神戸村・二ツ茶屋村・走水村という村があり、このうち神戸村・二ツ茶屋村は、18世紀前半の享保期には、兵庫津よりも多くの廻船を保有するなど、北前船をはじめとする全国海運の拠点でもありました。また19世紀半ば頃にできた 「兵庫津細見図」には、 街道沿いに密集する町並みが描かれています。
 慶応3年12月(1868年1月1日)、神戸が開港されました。しかし開港に際して、外国人居留地の建設が間に合わなかったため、居留地周辺の神戸村・二ツ茶屋村・走水村は雑居地となり、明治元年(1868年)11月には、3村は合併して神戸町と名付けられました。その後、明治7年(1874年)5月には、大阪・神戸間の鉄道の開通に合わせて、兵庫県令により、神戸町の西国街道にあった大手町・濱町・札場町・松屋町・中町・西町・城下町・東本町・西本町・八幡町が元町通と改称されました。
 これが現在の元町商店街の名の言われとなります。

協力:神戸大学大学院 人文学研究科地域連携センター