古典ゼミナール
「東アジアにおける『伝統社会の形成』研究会」2008年度開催記録

 

 

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■第1回

  • 開催月日:2008年12月4日13:30~15:00
  • 場所:学生ホール
  • 参加学生:7名

▼第1回レポート

  今回は初回であったため、出席者の顔合わせ、読書会の打ち合わせ等を行った。出席者は国文学・日本史・東洋史と多専修にわたっており、また留学生も積極的に参加されるなど、本ゼミナールにおける多様な分野の知的交流が期待される。しかし参加を希望されながら授業時間と重なるために出席できない方々もいるとのことで、その点は残念に思う。

 次回以降の読書会であるが、テキストは『世界の歴史12 明清と李朝の時代』(岸本美緒・宮嶋博史、中央公論、1998)を使用することになる。進め方としては、一人が一章分を担当し、参考文献等の紹介を含めてレジュメを作り、論点を提示して議論する、という方向で進めることが決まった。進行の速度については実際に始めてみなければ要領がわからないということもあり、未定とした。とりあえず次回は一週間後の12月11日に、第一章「東アジア世界の地殻変動」と「文庫版あとがき」読んでゆくことになった。

 テキストは1998年にハードカバーで出版されたもので、今年9月に文庫化されており、テキストには後者を使用する。「文庫版あとがき」は共著者である岸本美緒・宮嶋博史両氏が別々に書かれたものが並置されており、10年間の変化、両者の距離感等、面白い論点が多く含まれている。次回が待ち遠しいところである。(文責:藪本勝治)

 


 

■第2回

  • 開催月日:2009年12月11日13:30~17:00
  • 場所:A棟4階共同談話室
  • 参加学生:8名
  • 報告者:藪本勝治氏
  • テキスト:『世界の歴史12 明清と李朝の時代』岸本美緒・宮嶋博史、1998、中央公論
  • 担当箇所:第一章「東アジア世界の地殻変動」、文庫版あとがき

▼第2回レポート

 テキストの「文庫版あとがき」宮嶋博史氏執筆部分は、韓国の「族譜」の研究から本書の内容を補足したものである。「族譜」とは同族集団構成員の名簿(日本でいう家系図)であり、現在も盛んに出版が行われているという。植民地支配時代の日本人学者はこれを古代氏族制度の遺制ととらえ、朝鮮民族の後進性を表す証拠とした。しかし宮嶋氏の研究によると、族譜に顕れる同族集団は李朝時代の五百年を通じて形成されたものであり、古代以来の伝統の産物ではないことがわかってきた。そして宮嶋氏は、「現在の韓国社会は、日本と比較するとはるかに平等意識が強い国ではないかと感じさせられることがしばしばある」「こうした平等意識の強さということも、族譜編纂の普及、拡大という現象と深く結びついている」と述べてこの文章を結んでいる。

 今回の報告者や多くの出席者にとって韓国の「平等意識」は自明な事柄ではなく、宮嶋氏の記述は理解しにくいものだったため、読書会の中でこの部分が問題になった。しかし出席者の一人である韓国からの留学生の説明により、疑問はかなり解消した。族譜を持参してくれた彼の説明によると、韓国人の九割近くが族譜を持っているという。族譜には先祖の名とその事績が書かれているが、重要なのはその中に科挙に合格した人物である「両班(ヤンバン)」がいることである。自分は両班の一族である、ということが彼らのアイデンティティにおいて大きな核となっている。国民の九割近くがそのアイデンティティを共有していることが、韓国人の「平等意識」を形成しているのだ、ということである。中流以下の家庭の出身者が大統領になれたり、隣人を出し抜くことをよしとしなかったりする韓国社会の心性は、李朝時代(十五~十七世紀)に両班体制という政治社会形態が成立・成熟した歴史に負うところが大きい。しかしそれはまた、族譜を持たない一割の貧民層に対する公然とした差別の存在と表裏の関係にあるという。

 以上は一例であるが、この読書会に参加することで様々な情報や新鮮な問題意識を得ることができた。中国・朝鮮・日本における系譜意識の比較や、それを形成した歴史と科挙制度・朱子学との関係など、以後も継続的に考えたい問題が山積である。今後も出席者の積極的な参加により、活発な議論と知的交流を深めてゆくことが期待される。(文責:藪本勝治)

 


 

■第3回

  • 開催月日:2009年1月15日 13:00~15:00
  • 場所:B棟255教室
  • 参加学生:10名
  • 報告者:小野奈緒子氏
  • テキスト:『世界の歴史12 明清と李朝の時代』岸本美緒・宮嶋博史、1998、中央公論
  • 担当箇所:第二章「明帝国のひろがり」

▼第3回レポート

 報告者である小野さんの問題提起は、「永楽帝以後、明は民間貿易を禁止し、朝貢貿易を唯一の貿易手段とした。しかし朝貢貿易は明にとって経済的に大きな損失となる。にもかかわらず、永楽帝以後の明はなぜこのような体制を取ったのか。」というものだった。

 これに対して議論の中では、「和冦や北方民族の活動等に対する国防手段だったのではないか」「クーデターにより政権を得た永楽帝は経済的利益をあげることよりも正統性確保を急務としたことが要因ではないか」等の意見が交わされた。

 その過程で、朝貢貿易と裏表の関係にある冊封体制や、その背景にある中華思想について、あるいは永楽帝の時代の思想的背景としての朱子学について、参考になる意見が多く交わされ、大変勉強になった。

 この時期の中国は科挙によって登用される官僚等により行政実務が担われていた。この体制は朝鮮も同様である。しかし日本にはそうした官僚制的政治システムは根付かなかったし、他の「中華」圏においても日本の場合と同様であった。つまり、儒学に基づく政治体系が自明とされた中国や朝鮮の方が特殊だったことになる。こうした差異はどのような原因で生じたのか。歴史、民族、気候等様々な方面から考えてゆく必要がある。今後も議論を深めて行きたいと思う。

 


 

■第4回

  • 開催月日:2009年2月12日 13:00~17:00
  • 場所:A棟321教室
  • 参加学生:10名
  • 報告者:金玄氏、萬田可奈子氏
  • テキスト:『世界の歴史12 明清と李朝の時代』岸本美緒・宮嶋博史、1998、中央公論
  • 担当箇所:第三章「両班の世紀―16世紀の朝鮮―」、第四章「後期明帝国の光と影」

▼第4回レポート

 今回の範囲前半では、16世紀における李氏朝鮮の官僚制度が議論の中心的テーマとなった。個人的に関心をそそられたので、そのことをピックアップしたい。

 李氏朝鮮では本格的に科挙制度を導入し、合格者が官僚として行政を担う政治システムが確立した。16世紀はそうした官僚階級である「両班」の成立期にあたる。両班を出した一族は彼を起点に「族譜」という家系図を作り、同族集団の紐帯を共有することになる。出席者である韓国からの留学生が紹介してくれたことだが、一族の始祖として両班を戴く同族意識やそれを可視的に保証する族譜は現在も生きており機能しているという。朝鮮半島においては、16世紀こそが現在に直結する「伝統的社会」の形成開始段階あるらしいことがみえてきた。

 しかし、科挙とはそもそも中国の制度であり、科挙に基づく官僚制とは多民族を統一的に支配する中華帝国の要求に応えるための制度であったのではないか。なぜ朝鮮半島ではこうした官僚制がかくも深く根付いたのか。逆に、日本ではなぜ一度も官僚制が導入されなかったのか。歴史的、社会的、地理的要素等様々な角度から意見が交わされた。簡単に答えの出る問題ではないが、今後も継続して議論を深めることのできるテーマが盛りだくさんで、出席者の一人として有意義な場を持つことができたと思う。

 


 

■第5回

  • 開催月日:2009年3月5日 13:00~17:00
  • 場所:A棟321教室
  • 参加学生:9名
  • 報告者:大東敬典氏、洪波氏
  • テキスト:『世界の歴史12 明清と李朝の時代』岸本美緒・宮嶋博史、1998、中央公論
  • 担当箇所:第五章「華夷変態」、第六章「朝鮮伝統社会の成立」

▼第5回レポート

 今回は春記休暇中の読書会だったにも関わらず、多くの参加者が集まり、活発な議論を交わすことができた。また、新たに韓国からの留学生が一人加わり、朝鮮半島の視点に立った意見を今まで以上に聞くことができるようになったのはひとつの収穫だった。

 今回クローズアップされた問題の中で特に印象深かったのは、十六~十七世紀の東アジアを捉える方法として援用された二つの理論だった。すなわち、ウォーラーステインの「世界システム」論とアンソニー・リードの「商業の時代」論である。十六世紀後半、明をとりまく諸地域でボーダーレスな商品取引が活発化した。それに伴い商業的利害関係に基づく複数の軍事勢力が割拠し、明や朝鮮を脅かすようになる。ヌルハチの率いる女真や朝鮮半島へ攻め込んだ日本の秀吉政権、あるいは東南アジアの海賊である鄭氏などである。そういった新勢力の遠心力によって明は解体し、新勢力の中で他を取り込みながら最後まで生き残ったのが次の清であった。清の中国統一により、東アジアの混乱状態は沈静化する。このように、二つの理論をモデルとすることで十六~十七世紀の東アジア情勢はスマートに整理されるという。各国史の枠を超え、東アジア及び東南アジア世界を一体として捉える方法論は学ぶところが大きかった。今後の読書会の指針となりうるように思う。

 


 

■第6回

  • 開催月日:2009年4月10日13:30~17:30
  • 場所:A棟321教室
  • 参加学生:9名
  • 報告者:洪建豪氏、趙洙賢氏
  • テキスト:『世界の歴史12 明清と李朝の時代』岸本美緒・宮嶋博史、1998、中央公論
  • 担当箇所:第7章「清朝の平和」、第8章「新たな挑戦者たち―李朝末期の朝鮮」

▼第5回レポート

 報告者の一人であった趙さんは国文学を専攻されているだけあり、歴史・社会的な問題を文化的な側面から捉え直す視点から報告された。朝鮮の「庶民芸術」である「パンソリ」の分析から、十八世紀の朝鮮における名目的社会階級と社会構成員の実質的力関係との乖離が諷刺の文学から窺えるという趣旨で、学ぶところが大きかった。

 今回の読書会も例に違わず多様な論点が挙がり、報告内容・討論ともに充実したものとなった。例えば、康煕帝・雍正帝代の清朝における多民族支配の方法、同時代の東アジア情勢とのリンク、朝鮮の古典芸能である仮面劇「タルチュム」等々。いつも時間的・体力的な制限によって半ば強引に議論を打ち切ることになるのが残念に思う。

 現在輪読しているテキストは次回で終了となる。従って次回はこれまでの論点を振り返り、総括的な議論を行いたい。「東アジアにおける伝統的社会の形成」という広いテーマで読書会を行っている以上、論点が拡散してしまうのはやむをえない面もある。しかしある程度まとまりのある認識を共有することができれば、これまで読書会を続けてきた収穫を再確認し、また今後新たなテキストを読んでゆくにあたっての指針を得ることにもなると思う。