古典ゼミナール
「アリストテレス研究会」2008年度開催記録

 

 

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■第1回

  • 開催月日:2008年11月28日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加学生:4名

▼第1回レポート

 参加者の自己紹介、研究会の趣旨に関する一般的説明、アリストテレス『詩学』の西洋芸術論・文芸論における位置づけと『詩学』全体の構成の概観、主要文献の紹介を行った。また使用するテキスト(The Loeb classical library ; 199 . Aristotle in twenty-three volumes ; 23, Harvard University Press)とコメンタリ(David Lucas, Aristotle : Poetics, Oxford Univ. Press, 1981)、講読の範囲(第一章~第三章、第六章~第九章)、研究会の今後の予定(第二回:12月19日、第三回:1月9日、それ以降原則として隔週)に関する確認を行った。(文責:藤井)

 


 

■第2回

  • 開催月日:2008年12月19日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加者数:6名

▼第2回レポート

 「ポイエーシス」や「テクネー」といった概念のアリストテレスの体系における位置づけと概念的含意に関する確認を行った上で、『詩学』第一章前半部(1447a)を講読した。ギリシア語文法を詳細に確認した上で、エイドスやミーメーシスといった概念のアリストテレスにおける用法と概念的背景を配慮しつつコンテクストに即して訳語に関する共通了解を行った。また『詩学』の議論の対象となる当時のギリシア悲劇の様式やそこで用いられる楽器(アウロス笛、キタラー琴)に関しても学習した。ミーメーシス概念のアリストテレスにおける用法と現代の特に芸術論の文脈における用法を比較し議論を行った。(文責:藤井)

 


 

■第3回

  • 開催月日:2009年1月9日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加者数:6名

▼第3回レポート

 ミーメーシスの様々な媒体(絵画、音楽、ダンス、詩、悲劇)とその差異が議論の中心的テーマとなるアリストテレス『詩学』第一章後半部(1447b)を講読した。ギリシア語文法と表現の細かいニュアンスを確認した上で、『詩学』において言及されている人物に関する一般的知識や議論の前提となっている当時の文化的背景に関し理解を深めた。オーケストラの語源となった当時の舞踏の様式や文書作成における韻律の働きに関しても理解を深めた。デュナミス概念のアリストテレスにおける一般的用法と講読箇所において用いられている意味を比較し議論を行った。(文責:藤井)

 


 

■第4回

  • 開催月日:2009年1月23日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加者数:6名

▼第4回レポート

 ミーメーシスを行う主体が対象に優劣をつけて表現する個々の事例と、その差異が悲劇、喜劇というジャンル分けにも適用されることを議論の中心とするアリストテレス『詩学』第二章(1448a)を講読した。まず、ギリシア語文法を確認しながら読み進め、絵画、舞踏、音楽、散文、韻文の各ジャンルにおける具体例を確認した。いずれのジャンルにおいても、対象を優れて/実際の私たちと同様に/劣って表現するという3通りの差異があることを確認したのち、それらの差異は[1]メディア [2]対象 [3]表現方法という3つのレベルにおいて認められることを学習した。加えて、本章で示された差異が悲劇/喜劇という2ジャンルの区別に帰結することから、優/劣の中間にある「実際の私たちと同様に」表現することにあたるジャンルが示されていない点に注目して議論を行った。また、『詩学』における喜劇論の欠落についても議論を行い、本章で示された優/劣概念との関係を考察した。(文責:真部)

 


 

■第5回

  • 開催月日:2009年2月4日
  • 場所:人文学研究科A棟4階談話室
  • 参加者数:9名
  • 報告者:三浦 洋氏(北海道情報大学)

▼第5回レポート

  アリストテレスを専門としつつ芸術学、とりわけ音楽理論に関しても造詣の深い三浦洋氏(北海道情報大学)に、「アリストテレス『詩学』の魅力と問題」というテーマで講義して頂き、その後参加者全員でディスカッションを行った。講義では、1、『詩学』の美学理論としての歴史的位置づけと、後代への影響、2、いくつかの解釈上の焦点、3、『詩学』とアリストテレスの他の著作(『ニコマコス倫理学』、『政治学』))との関係、4、プラトンの詩人追放論との関係、以上の4点が主な議題となった。ディスカッションでは、ミーメーシス概念の一義的な解釈の可能性、また芸術学として可能性と、特に音楽理論における限界が中心的な争点となった。また三浦氏が提起された「アリストテレスの『詩学』は何のために書かれたのか」という問いに対し、感情論、政治学、倫理学といった諸分野との関係で『詩学』をいかに理解すべきかを、ニーチェのアリストテレス批判を考慮しつつ、検討した。(文責:藤井)

■第6回

  • 開催月日:2009年2月10日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加者数:6名

▼第6回レポート

 今回は『詩学』の第三節をギリシア語で読み、文法事項を確認しながら翻訳し、参加者で議論することによって意味内容を理解することに努めた。第三章では模倣の媒体・対象・様式の三つの違いのうち、様式について問題にされている。ギリシア語を訳しながら、前回までに進んだ一、二章で述べられていた媒体と対象について復習した。そして、様式を報告の仕方によって三分類するアリストテレスの分析を、実際の劇に照らし合わせて確認した。アリストテレスは、その分類の一つである、行為を行為するままに模倣することが劇であるとする。続いて紹介されているギリシアの歴史について確認した後、劇(ドラマ)の語源についてのドーリア人の主張に対して、アリストテレスが示している根拠を我々で検討した。(文責:八幡)

 


 

■第7回

  • 開催月日:2009年2月20日
  • 場所:人文学研究科A棟4階談話室
  • 参加者数:6名

▼第7回レポート

 『詩学』第四章を英訳で講読した。ここでは詩作の原因として、「模倣は子供の頃から人間に備わった自然な本能である」ことと、「すべてのものが模倣の対象を楽しむことは本性的である」ことという二つの原因が挙げられる。第一の原因に関し、アリストテレスはこれを人間と動物の相違点として理解し、「模倣を通して人間は最初の理解を展開する」と述べているが、模倣が人間に特有であるといわれることの内実を議論した。第二の原因に関しては、アリストテレスは「現実の光景はつらいものを正確に描いた絵を楽しむ」ということを例に説明するが、この例において、悲劇における模倣特有の楽しみが問題になっているのか、すなわち現実がつらいものであるがゆえにその模倣が楽しいのか、それとも模倣の対象を楽しみこと一般が問題になっているのか議論を行った。(文責:藤井)

 


 

■特別講演

  • 開催月日:2009年2月20日
  • 場所:人文学研究科A棟1階室
  • 参加者数:15名程度
  • 報告者:河谷 淳 氏(駒澤大学准教授)

▼特別講演レポート

 アリストテレス哲学を専門に、特に様相概念に着目するというアプローチで研究されている河谷淳氏(駒澤大学准教授)に「アリストテレス哲学としての『詩学』」というテーマで講演していただき、その後参加者全体でディスカッションを行った。講義では、1、「たいていの場合」あるいは「ありそうなこと」というアリストテレス哲学特有の様相概念の位置づけ、2、制作、物語という特別な領域で問題になる様相概念と自然学的様概念の類似性、3、悲劇におけるパラドクシカルかつ因果的という、それ自体パラドクシカルな裏切り、逸脱の規定へ注目、4、悲劇におけるカタルシスの構造とその倫理学的射程、以上の四点が主な議題となった。ディスカッションでは、フィクションの次元における様相概念そのものの規定、また悲劇におけるカタルシスの構造と驚きの感情の誘発の問題、悲劇の登場人物に対する観客の共感のメカニズム、悲劇の原因としての偶然性、これらを如何に理解すべきかが争点となった。(文責:藤井)

 


 

■第8回

  • 開催月日:2009年3月6日
  • 場所:人文学研究科A棟4階茶谷研究室
  • 参加者数:6名

▼第8回レポート

 プラトンを専門に研究されている大阪電気通信大学の坂本先生に来ていただいて、第6章の初めから途中まで(1450a12行目)を、ギリシア語の文法を丁寧に確認することを中心に、内容に関する議論も交えながら講読した。第6章では、悲劇の定義及び悲劇の構成要素について述べられている。アリストテレスによる悲劇の定義、即ち、大きさを持ち、完成されている、気高い行為のミーメーシスであるということについて、具体的にどういうことであるのかを議論した。また、悲劇の構成要素は視覚、作曲、語法である、ということやミーメーシスの元となる行為をする人々の持つ性格や思想を通じて、行為はある性質を持つ、といった内容に関して検討を行った。(文責:後藤)