神戸市灘区との連携事業

ブックレット『水道筋周辺地域のむかし』の発行

平成18年度神戸大学・灘区まちづくりチャレンジ事業助成への応募

 

 平成18年度も昨年同様、神戸大学・灘区まちづくりチャレンジ事業助成への応募―採択を経て、活動が展開しました。
 本年度の同事業助成の募集に関しまして、昨年は募集対象活動に「歴史資源を活かしたまちづくりに取り組む活動」というものがありましたが、本年度はそれがなかったため、募集要項に明記された「地域の活性化に取り組む活動」に該当する活動として「水道筋地域のむかし」と題したテーマ設定を行うこととしました。本活動のねらいとしては、次のような趣旨を活動企画書に記しました。

 灘区を東西に横切る水道筋には、大正期より商店が集まりはじめ、今日では神戸市内でも屈指の規模を誇る商店街を形成している。しかし、これまでのところ商店街の形成過程を含めた水道筋の“前史”については、『新修神戸市史』を含めあまり詳しい叙述はない。本活動では、古文書や新聞・写真といった歴史資料を博捜し、商店街形成以前における水道筋地域の歴史を可能な限り明らかにする。そしてその成果を小冊子のような形にまとめ、地域に住まわれる方々にできるだけ広く配付し、当該地域の歴史文化の豊かさに関心を持っていただくことを目指す。そうすることにより、さらなる地域資料の掘り起こしから活用まで見据えた長期的な視野に立つ事業への足がかりにもなるものと考える。また本活動を機軸に据えて進める事業によって得た成果(歴史コンテンツ)が水道筋地域のまちづくりのための材料となって地域の活性化が図られることをねらいとしている。さらに、本活動の過程では、地域の中でまちづくりのための活動を進めておられる諸グループとの継続的な連携関係を構築してゆきたいと考えている。このことは、先に述べたより長期的な視点から本年度の活動を進めてゆくという点にも密接につながるものと考える。

 概して、水道筋商店街およびその周辺地域の歴史を明らかにして、そこで得た成果(歴史コンテンツ)を地域のまちづくりに活かせないかを提案することを大きな柱に据えたものということができるでしょう。

灘中央地区まちづくり協議会とのコンタクト

 上記「活動のねらい」にも記していましたように、わたしたちは当初から地元でまちづくりの活動を進めているグループとの連携を念頭においていましたが、それが実現したのは、灘中央地区まちづくり協議会とのコンタクトでした。
 同協議会は、阪神淡路大震災より10ヶ月後の1995年11月に設立されています。南北を阪急神戸線とJR神戸線に、東西を都賀川と西郷川にそれぞれ挟まれたエリア(岸地通一丁目、大内通一丁目、同二丁目、大内通一丁目、同二丁目、灘北通一丁目、同二丁目を除く)の世帯が対象となり、水道筋周辺の地域住民と商業者が震災後に一致協力するかたちで「まちづくりは人づくり」を合言葉に、以来11年余り活動を継続されています。同協議会が掲げられている目標は、まち全体では「活力ある商業と心なごむ住環境の共生」、住宅地では「やさしさとあたたかみのある明るいまち」、商業地区では「楽しく便利な活力ある街」ですが、具体的には、春と秋の2回実施される「まちづくりマーケット」や、夏の夜に水道筋商店街のアーケードを利用して行なわれる「アーケード劇場」、そして地域に遺されているむかしの写真などを活用して進められている「なつかしき心のまちかど再発見」運動など活発な活動を展開されています(神戸市灘区地域活動支援センターHPを参照)。
 わたしたちは、灘区役所まちづくり推進課の仲立ちによりまして、同協議会とコンタクトが取ることができ、2006年8月11日に開催された同協議会理事会の場に同席させていただくことができました。この日は、挨拶を兼ねたわたしたちの活動予定の紹介と協力要請だけでしたが、その後2度ほど月に一度の理事会に出席させていただきました。
 具体的に同協議会へお願いした事項としましては、当該地域住民へ資料調査を呼びかけるちらしを配付していただいたことが挙げられます。同協議会との関係は、本年度の活動が終了した後も続けていきたいと考えています。
呼びかけちらしクリックで拡大します。

調査活動

 平成17年度の篠原地区に関する一連の活動におきましては、展示会や図録作成にあたって素材となるべき資料の見通しが、事業開始の時点でかなり整っていましたが、平成18年度は、活動開始時点であまり見通しが立っていませんでした。そのため活動全体におけるそうした資料調査の占める割合はかなり高くなると予想されました。
 水道筋周辺地域の歴史を明らかにする際に必要な歴史資料、とりわけ古文書に関しましてはわたしたちが未確認のものも含めて相当存在することがある程度わかっていましたが、その情報があまりに古くしかもその後の追跡調査がほとんどなされていないものでした。しかし、結果的には、以下に述べるような調査が実現し、利用することができました。

 稗田村文書の調査

 稗田村文書は、旧稗田村に伝わった文書群で、同村において代々村役人(庄屋・年寄、戸長・副戸長、稗田区長など)を勤められた家の歴代当主によって保管せられてきた文書群です。
 当文書群は、すでに大正15年(1926)に発行された『西灘村史』におきまして、稗田村の記述をなす部分に引用されていました。さらに、第二次大戦後に文部省の科研費をうけて進められた近世庶民史料調査会による全国的な古文書調査においても稗田村文書は調査されており、それは『近世庶民史料所在目録』第二輯(日本学術振興会、1954年)に概要が記載されています。しかし、こののちこの文書群はほとんど調査されることはなく半世紀経過しています。
 このたび本文書群の調査が可能となったのは、わたしたちが昨年度に開催した「篠原の昔と今」第T期古写真展示会(於灘区民ホール)に所蔵者の現当主夫妻がご観覧いただいていたことがきっかけでした。わたしたちは、今年度の活動の趣旨をご説明し、調査させていただきたい旨申し出たところ、当初、それらしきものはあるが戦時中の空襲や先の震災で被害を被ったのであまり残っていないとのご返事でしたが、それでも調査をご快諾いただきました。
 調査が実現したのは、2006年10月26日です。『近世庶民史料所在目録』では、「六三冊」の所蔵となっていましたので、震災時の消滅なども予想して、当初は数十点程度の現存かと考えていましたが、実際調査してみると、それをはるかに上回る量の現存が確認されました。そのため一日で調査・整理なども終える予定でいたのが、到底無理であると判断し、後日改めて体制を組んで調査に臨む旨申し述べて、その日は辞去しました。
 その後、11月6日に今度は大学院生も加えて、改めて同家を訪問し、整理作業に入りましたが、やはり一日では終わらず、結局ご当主に大学への拝借をお願いすることにしました。ご当主はわたしたちの勝手な申し出をやはりご快諾いただき、後日改めて借用に訪れることにしました。
 借用は11月14日に行ないました。借用にあたり、あまり長期にわたるより短期間で集中的に整理作業することにしておりましたので、借用期限は2007年1月31日までとしました。結局、この借用期限は守ることができず、ご当主の許可を得て一ヶ月延長させていただいています。
 作業は、もっぱら文学部古文書室でおこないました。整理作業は、3ヵ月のべ18日間にわたって実施し、その後の撮影も、のべ10日かかって完了しました。
 整理の結果、稗田村文書の総点数は、1090点と当初の予想をはるかに上回る点数を確認できました。もっとも古いものは、近世前期の慶安2年(1649)の年記をもつ年貢免状で、寛文期の水論に関する史料も含めて17世紀から18世紀半ばまでの史料が比較的よく残っているのが特徴です。これは、稗田村が丹波国篠山藩の飛地領だった時期とほぼ重なっており、この時期に所蔵者のご先祖が稗田村の村役に就いていたことが想像されます。その後18世紀後期には文書の数が大幅に減り、19世紀に入ってからふたたび増加しています。これは、稗田村が幕府領になってから現所蔵者のご先祖が村運営の中枢から外れ、その後復活(ただし庄屋役はもっぱら別の家筋の人物が就くことが多かった模様です)していることを示唆しているものと思われます。宗門改帳や五人組帳、検地帳といったような村方文書の根幹となるようなものがほとんどみられないのが残念ですが、それでも従来あまり知られなかった近世稗田村の実情をうかがうのに貴重な情報を提供してくれるすばらしい文書群でしょう。本活動では、文書群中の村絵地図や、水論・山論に関する史料を利用させていただきましたが、もちろんほかにも利用が期待できるでしょう。本活動終了後も引き続いて当文書群の分析を進めたいと考えています。

 神戸市立博物館所蔵文書の調査

 神戸市立博物館は、当初より神戸市域の文献資料を収集されていますが、そのかなりの部分が未整理の状態にある模様です。そんな中に、摂津国菟原郡鍛冶屋村に関する文書があることが、毎年同館が発行している年報(『(昭和60年度)神戸市立博物館年報』3)の収蔵資料リストに挙がっていました。すなわち、購入資料の「古文書」の中に「摂津国菟原郡鍛冶屋村関係文書」(27点)および「摂津国菟原郡五毛村鍛冶屋村等文書」(25点)とあるのがそれです。これらに平成6年度年報に購入記載のある「摂津国菟原郡上野村朝倉家文書」(一括)を加え、調査を行なうこととしました。
 未整理資料の利用閲覧は、同館の特別許可をうける必要がありましたが、同館のご配慮により11月29日付で特別利用許可書の交付を受けました。これを承けてわたしたちは12月8日に同館への調査を実施しました。この日の調査は、まず鍛冶屋村に関する2件の文書群の整理を行ない、さらに朝倉家文書の整理にも着手しました(ただし朝倉家文書については近代部分のみ整理できませんでした)。さらに整理済み分の仮撮影も行ないました。
 整理の結果、鍛冶屋村関係の2件の文書群は、もともと一体のものであることが推測されました。恐らく鍛冶屋村の庄屋を勤めたこともある植田家旧蔵の文書群ではないかと思われますが、詳細は今後の研究をまつ必要があるでしょう。鍛冶屋村の文書は、同館の2件以外にも兵庫県立歴史博物館所蔵の「鍛冶屋村文書」、神戸市文書館所蔵の「鍛冶屋村文書」、芦屋市立美術博物館所蔵の「鍛冶屋村文書」、および神戸大学文学部古文書室所蔵「鍛冶屋村田中家旧蔵文書」があります。芦美所蔵のものは、100点近くあるといわれており(同館学芸員による)、その内容が期待されましたが、同館では未整理資料の外部利用が認められていないため結局利用できませんでした。同館にはできるかぎり早い整理が望まれます。
 いずれにしても、これら分散している鍛冶屋村の文書をまとめて調査し、さらに部分的に利用することができましたのは大きな成果です。本活動では主に水論や山論の叙述に活用しました。

 神戸市文書館所蔵文書の調査

 神戸市文書館も、寄託・借用を含めて多くの地方史料を所蔵・保管されていますが、わたしたちは今回このうち前述の鍛冶屋村文書と上野村坂本家文書の撮影を行ないました。スケジュールの都合で、正式な調査撮影としては12月15日の1回しか実施できませんでした。
 なお坂本家文書は、今回の活動では山論の叙述に利用しています。

 神戸法務局調査

 これはメンバーが直接出向いて調査したわけではありませんが、水道筋商店街の協同組合や株式会社の登記簿を確認するために11月6日計画されました。結果的には、灘区役所まちづくり推進課のご配慮によって間接的な調査にとどまりました。

 フィールドワーク

フィールドワークの様子 本活動では、単身によるものを除いては3度にわたってメンバーによる現地調査を実施しました。1回目は、8月29日に実施した上野地区および水道筋商店街の巡検です。上野地区では、同地区内の摩耶山への登山ルートや石造遺物などを確認し、その後水道筋まで戻って商店街および市場を実見しました。2回目の調査は、10月24日に実施した篠原・五毛・上野地区への巡検です。この日は大学を出発して、篠原地区から五毛地区、上野地区と廻り摩耶ケーブル駅に至っています。やはり摩耶山登山の遺跡の確認が主目的でした。3回目は2月13日に実施した摩耶山への調査です。摩耶山上まで車で向かい、天狗岩―摩耶奥の院跡―天上寺旧境内―(新)天上寺とめぐり、さらに摩耶山麓の「摩耶菩提地」を廻りました。
 調査活動の主なところはだいたい以上ですが、メンバーが単独で実施したものなどは除いています。以上のような調査を経て、事項に述べる冊子制作に臨む事となりました。

『水道筋周辺地域のむかし』の制作

 平成18年度の神戸大学・灘区まちづくりチャレンジ事業助成の成果物をどのような形にするかということは、当初漠然としたイメージしかありませんでしたが、活動を進めていくうちに、ブックレットのような小冊子を制作することに方向が決まりました。
 ただ、灘中央地区まちづくり協議会の理事会に始めて出席したさい、同協議会の理事の方から、同協議会が地区内の小学児童への働きかけを意識した活動を行なっていることを紹介され、わたしたちにもそれを期待したい旨述べられたことを承け、当初は小学校高学年の児童にも理解できるような読み物を制作することを企図しました。しかし結局のところわたしたち自身が水道筋周辺地域の歴史を理解していないのに、小学児童にもわかりやすい叙述をなすことが極めて困難だろうという判断をし、結局可能な限り平明な文章でもって、地域の大人向けの冊子を制作することに方針転換しました。
 冊子の構成をどうするかも当初から難航していましたが、結局、メンバーがそれぞれ叙述可能なテーマを見つけ、その線での調査と叙述をなすことにしました。当初のテーマと担当者は以下の通りです。

  1. 新聞記事その他からわかる水道筋商店街の成立史(人見)
  2. 地図や絵図・写真にみる水道筋地域の変遷(坂江)
  3. 江戸時代の水道筋周辺地域を探る〜江戸時代のライフライン(山)(添田)
  4. 江戸時代の水道筋周辺地域を探る〜江戸時代のライフライン(川)(木村)

このほかに、地域との交流のなかで見出されたテーマがあれば取り上げるという体制を組みました。実際、冊子の執筆にかかると変化した部分もありますが、基本的には一つのテーマを一人が担当するというスタイルをとることにしました。調査自体が不充分な状況下でそれぞれの担当者はテーマに取り組み、執筆に当たりました。
 冊子のタイトルは『水道筋周辺地域のむかし』とし、近代の西灘村域に相当する地域を「水道筋周辺地域」と措定しました。構成は以下の通りです。

第一章六甲山と摩耶山のいま昔『水道筋周辺地域のむかし』表紙
第二章山のめぐみにささえられたくらし
  ―水道筋周辺地域の山利用―
第三章人と水とのかかわり
  ―水道筋周辺地域の水利事情―
第四章水道筋かいわいの商店街と市場

 冊子の制作・印刷は昨年の『篠原の昔と今 古文書と古写真』図録同様、有限会社シースペース(神戸市中央区元町通3-5-2-4F)に依頼しました。本文部分74ページで発行部数は2000部です。本冊子は、3月20日に発行しました。入手方法などはこちら。

 今回制作した冊子『水道筋周辺地域のむかし』は、灘中央地区まちづくり協議会とともに平成17年度開催の篠原展示会観覧者にも配付したいと考えています。できるだけ多くの方にご覧いただきたいと考えていますが、配布・広報能力や部数に限界があります。灘区役所まちづくり推進課の協力も仰ぎ可能な限り多くの方々に配付したいと考えています。本冊子の発行が水道筋商店街および周辺地域の活性化にダイレクトにとはいわないまでも、間接的にでも繋がれば幸いです。
 平成18年度の活動は概していえば地道な調査と執筆に終始し、17年度に実施した展示会のような見た目にも「派手」な活動は行なっていません。しかしながら、今年度の活動を今後の活動の一つの契機として位置づければ、それなりの意味も持ってくるように思われます。地域連携ということが、単年度で完結するようなものではなく、可能な限り長期にわたり取り組んでゆくことが理想であることは明白です。今年度につちかった方法や視角、そして新たに構築した人的・組織的ネットワークを今後の活動に積極的に活かしてゆきたいと思います。

(木村修二)

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