アスベスト被害聞き取り調査—中村實寛(さねひろ)氏 [2006-09-12]
松田
ところで、労働でも危険性が高いと危険手当のようなものがあると聞きます。こういう作業に関して会社としては何か認識があって、特別に給料がちょっと増えたとか、何かあったんでしょうか。
中村
いいえ、全く何にもないです。危険手当がつく職業言うたら、鳶(とび)さんで、高所作業の従事者、あとはペンキ屋さん、煙突なんかの高所の、高所作業関係ですね。それと、ビルの窓拭き屋、ブランコであったりゴンドラで拭いていく。ああいう人ら、ペンキ屋さんでタンクの中の塗装。それぐらい違いますか。
松田
今でもないですか。
中村
ないですね。はい。
松田
アスベスト災害に関しては、今でもアスベストを使っているビルを解体するというような、非常に危険なことはもうあったわけでしょうしね。それがわかった時点で危険だから、給料たくさん出すとかはないのでしょうか。
中村
それはないでしょうね。はい。それはないと思いますよ。
松田
危険性の意識は足りないというわけですね。アスベストが危険であるとかという意識、アスベストが危険であるということについての説明もなかった。
中村
そうですね。
松田
見返りみたいなものも、なかったということですね。
中村
何か一昨年の8月ぐらいですかね、東京で建築関係の組合が、調査してるんですよね。アンケート調査。そしたら現場で働いている人で、アスベストが危険であるので、確認する答えた人は17%ぐらいなんですよね。ほんで、その小さくても企業ですよね。建築関係のまあ工務店とか、そういうところの社長とか、その安全管理責任者が答えたのは、危ないから注意して扱うようにしなさいよと。自分とこの従業員に説明したのは、19%なんですよ。
それを考えたら、クボタショック、クボタ事件の前、そんだけの認識しかないんですよね。まず安全管理責任者などが危険性の認識を持って当たり前なんですよね。
杉川
知識としては、既に使っているものだから、取り扱い注意をしておけば。
中村
うん。そやから、もっと政府が言っているのは、管理して使ったら大丈夫だと。何をどう管理するのと言うような、ところまでは言ってないんですよね。政府の通達は。これも、日本石綿協会からの、全くの受け売りなんですよね。政府の発言というのは。
杉川
管理すればいい。逆に問題起こしたのは、ちゃんと管理してないからだというふうにされる。
中村
そうそうそう。おまえらが管理してないから、そういう被害者が出とるん違うかっていう、責任転嫁なんですよね。
杉川
でも、その管理基準のようなもの、例えば、石綿扱うんだったら、最低限これだけの空気清浄機を置いてや、従業員にはこれだけの装備をさせろというのはないんですね。
中村
ないんですね。
杉川
それで、管理しろと。
中村
うん。そんで今できたんは、その解体のときの一応基準は出来ていますよってね。
杉川
でも、所持や購入に関してはまだないんですね。
中村
ないですね。
杉川
まだ当時輸入はわずかで。
中村
できません。
杉川
輸入業者に関しての取り扱いのための、例えば、そのマニュアルみたいなものは、ガイドラインはできてないのですかね。
中村
何もできてないですね。
杉川
とりあえず管理(しなさい、とだけ)。
中村
だから日本石綿協会は、92年に旧社会党が議員立法で提出した、石綿対策規制法案をもみ消したときの文言を受け売りで発言してるだけなんですね。繰り返し。管理して使ったら、危険性はないという発言を。
松田
そのあたりは何か、調査が必要ですね。実例として例えば、中皮腫の方だとか、アスベストの肺ガンであるとか。それはどういう形で曝露したか調査して、データを示し、分析することが必要なんでしょうね。その場合、調査にはかなりの幅があるかもしれませんが。
中村
そうですね。ただ、それは僕ら民間団体では、障害が大き過ぎて、まず厚労省が調査できると思うんですが。
松田
一週間ぐらい前でしたか。国が三つの地区の調査をするという発表がありました。
中村
はいはい。尼崎と泉南と鳥栖(とす)。
松田
あれは製造業ですね、尼崎はクボタで、泉南は石綿紡績でしょうけども、鳥栖は私よく知らないんですけども。
中村
鳥栖はエタニットパイプとかいう所。水道管ですね。石綿水道管の工場があったんですよ。
松田
それも製造業関係のアスベスト使用で、中村さんのケースとは違いますね。
中村
違いますよね。はい。
松田
こういうケースはかなりたくさん埋もれてるということでしょうか。
中村
埋もれてるかもわかりませんね。そう考えた方がいいでしょう。
松田
しかし、掘り起こそうとすると、先ほど言われたように、大きな組織力が必要となりますね。
中村
やはり実際の被害者が考えているのは、さっき言ったみたいに、多分監督署が資料を保管しているだろうということです。それの所轄は厚労省ですから、厚労省が監督署宛に一斉に資料を出せ、と言うて、集めたら、全部出てくるんですけどね。あと埋もれてるのは、我々がいろんなこう活動していく中で、拾い上げていくしかないですね。政府は何もしないから。逃げ腰やから。我々がマスコミを利用して、いろんな問題提起していくしかないですね。
松田
そのあたりは、今の中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の活動との関係でお聞きしたいと思います。ただ問題がかなり拡がっていることはたしかで、県レベルで、例えば、兵庫県という形で状況を調査する必要があるわけですね。被害者の会にはかなりたくさんの方が参加されていますね。
中村
そうです。ですから、まあ僕らのこの中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会というのも2004年、平成16年かな2月7日に発足して、発足した当時は被害者と家族は10人ぐらいだったんですけど、日本全国で。去年のクボタショック前は百五十何人だったんですよ。正確な数字ははっきり今あれなんですけど。
それで今年の6月15日現在で385人に増えてますので、やはりクボタショックはかなり大きなその被害者というんですか、それを掘り起こしたなと。現在、会員増で385人になってますから、まだ今でも毎日、毎日増えてるみたいで、正確な数字は事務局の方も把握できにくいんですけどね。ですから、そういう我々の活動を新聞とかテレビで知って、東京の事務局の方に電話かけてくる、被害者、それと家族の人が多いみたいですね。
杉川
被害者の会の方が300人でも、それも氷山の一角。
中村
そうですよね。ですから去年おととしか、2004年度で死亡者だけで、中皮腫の死亡者だけで985人ですかね。ですから、それを考えたら、全然少ないです。
杉川
中皮腫というのがあって、自分もその病気に罹っても自身は知らないというか、自分は関係ないだろうというのが…。
中村
多いと思うんですよね。それぞれの人がもう自覚症状が出たときには、もう完全な手遅れなんですよね。ほとんど自覚症状がないですから。
松田
中皮腫の場合は、ほとんどがアスベストが原因であることはほぼ間違いないのですね。
中村
そうですね。一応80%は職業性曝露と言われているんですね。ほんで役所の役人も勘違いするんですけど、80%がアスベストという認識を持った役人もおるんですよ。80%は職業性曝露ですよと。あとの20%は例えば、環境曝露、家族曝露、それとか、どこで吸ったかわかんない人が、あとの20%ですよというものが、世間、全世界の一応の認識なんですけどね。
松田
アスベスト以外はあり得ないわけですね。100%アスベストですか。
中村
99%って、学者は言うてますね。
杉川
たまには1%。まれに何かあったみたいな。
中村
何かがあるんでしょうね。世界保健機構かなんかのヘルシンキ・クライテリアとか言うので公表された数字が職業性曝露80%と言うことです。
松田
やはり労働現場で働いているよう人たちにも詳しい情報を提供することを徹底したいですよね。
中村
残念なことに、それがないんですよ。
松田
テレビでは問題が言われるかもしれないけど、各関連の会のホームページを見るとか。
中村
まずないですね。まず末端の職人というのは、まずパソコン触らんでしょ。そして、ましてやパソコンあったとしても、インターネットは、やってない。ですから情報を見る所がないんですよね。ほんでましてや、建築現場の職人というのは新聞でも、スポーツ新聞買う人が多いんですよね。ですから、一般紙買ったら、たまに載ってるんですけど、ほとんどがもうスポーツ新聞でしょ。
杉川
テレビなどでも、アスベスト関係のニュースもやっぱりどっかの被害者団体が訴えた訴訟に関してだけで、アスベストの問題自体についてもやることは今無い。
中村
たまにしかないですからね。特集みたいなことでやってくれるのも。
杉川
そういう場合も、危機意識とかのアスベストを曝露するかもしれない、という危機意識というのを当事者になっている方でも職業曝露してるだろう人にも思わせる場合に、その本人に届くまでが一番難しい。
中村
そうですね。まずほとんどの人が自分は大丈夫だろう、というぐらいの認識しか持ってないと思うから、ですから、それをなくするために、一人でも救えたらなあと思って、最初、僕は職業と名前を実名で報道してください言うて、最初、毎日新聞が報道してくれたんですよ。新聞で。
そのときに一応実名で流してくださいと。何でって記者も聞くから、いや僕も建築関係で長年やっていたから、大阪へ来てもう30年やっているし、何万人という人間、知ってるから、職種は違っても、で名前出してもらったら、彼らがもし中皮腫とか、アスベスト関連の病気になったときに、ああ、あの時の中村はこんな病気やったなーと。で、労災になるんかとか言うような、どういうんですかね、伝わったらいいなあと思って、実名で流してもらってるんですよ。僕は16年の1月から新聞のスクラップ始めたんですけど、ですからこんなにいろんな所に出ているから、これで僕を取り上げてくれたんです。
名前とか出したら、昔の同僚とか、仲間がもし見てくれたら、そんなに病気になったときに、一人でも増えるかなぁ思って、自分でもしあれやったら電話かけてきてくれるかなぁと。
杉川
今その、中皮腫になられた方の年々、中皮腫かなと、検査に行かれる方の場合で、本人が自分で、ああもしかしたら中皮腫になったのではと思って行く人と、逆に家族の人がもしかしたらといって、その気付くというのは、どっちの方が多いんでしょうか。
中村
どうなんでしょうね。たしかに、みんなに言われて行ってると思うんです。そうやって行く方が多いんじゃないですかね。本人自身もやっぱり認識が甘いと思うから。
松田
健康診断も中村さんの場合は、何らその自覚症状というか。
中村
なかったですね。後で考えてみたら、ちょっと咳が出とったかなぁ言うぐらい。ちょっと軽い風邪かなあと言うぐらいですね。健康診断、この年受けたのが2月14日ですから、平成15年の。ですから冬やったし、ちょっと風邪気味かなぁというぐらいの認識しかなかったんですよね。これの半年前までは8階建ての新築の現場やってて、8階まで階段上がって、一日5、6回は上がってたんですよね。ですから、呼吸の乱れも何もなかったし。
松田
症状が急に出て来るわけですか。
中村
そうですね。僕の場合は、右の肺、肺の下の方が鋭角に尖っているらしいんですが、平成14年度のときに、10円玉重ねたぐらい、ちょっと丸くなってたわけですよ。で、先生はまあこれぐらいやったら、まあ様子みようか、1年間、言うて。で、平成15年度に写したレントゲンでお碗かぶしたぐらいに大きくなってて、一日でも早く精密検査受けなさいと言われたんです。僕の場合はただこんだけなんです。そんでいろんな人に聞いたら、もう肺がほとんどまだらやとか、真っ白だったという人が多いんですよ。そういう人らは何にも外科的処置できてないんですよね。手術も何にもできない。ただ抗ガン剤治療受けてるだけで。
杉川
年に一回は検査受けておられたんですね。そういった風に、中村さんみたいに中皮腫の名前が出て来る方は全国各地でどれくらいあるんでしょうか。
中村
多分、そのレントゲンの読影の先生が知っているか、どれだけ認識あるか、その病気に対して、あるいはその肺に対してどんだけの知識を持って見れるとかによると思うんですよね。
杉川
何か、何ともないやろというか。なって欲しいやろうとか。
中村
そうですね。まあそういう建築の仕事してたら、ほこり吸い込んどるかな言うぐらいの認識の医者だったら、見逃す可能性がある。
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