神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査—中村實寛(さねひろ)氏 [2006-09-12]

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松田

労災の話はまた後でしていただくとしまして、話を戻します。万博のころに大阪に出てこられて、それで最初は5年間ぐらい、何年間ですか。

中村

5、6年間です。

松田

その間はどんなお仕事の内容だったでしょうか。

中村

ほとんど店舗屋ですからね。はい。

松田

その後、ゼネコンの下に入られた。会社の規模は50人くらいですか。

中村

そうですね。でもゼネコンの下に入るころはもう逆に100人くらいになっていました。最終的には250人ぐらいだったからそれぐらいは。

松田

会報には現場監督になられたように書かれていましたが、現場そのものの仕事をされてて変わったわけですね。監督として現場の作業からちょっと離れたのですね。

中村

そうですね。全体を、まあ監督になるまでは大工としての仕事を重点的にやってましたけど、監督になってからは、今度はもう一から十まで、仕上がりまでですね。お客さんに引き渡すまでやってたので。

松田

現場のやり方あるいは現場そのものは昭和45、6年とか、昭和50年ぐらいから、ごく最近まであまり大きな変化はなかったのでしょうか。

中村

そうですね、大きな変化というのはないですね。ただ道具なんかが便利のいい道具ができて、合理的になったなぁというぐらいですね。あと、そういう改善というのもされてないし、ただゼネコンの場合でしたら、一週間に一回は現場の清掃日というのがあるんですよね。それでまあおおかたのごみとか、そういうのをその現場に行ってる職人から、監督から皆で表に出しましょうという、そしたらまあある程度現場がきれいになるんで、埃も立ちにくいしというシステム取ってるところ多いんですけど。

松田

学校パニックのときに、それこそ一度、大問題になったのですが、現場でも意識をある程度、持ったんじゃないかと思うんですけれども。

中村

持ってもあまり変わらなかった。その時だけでしたね。一ヶ月とか、二ヶ月ぐらいですね。ちょっと注意せんとあかんぞっていう程度でした。

杉川

そう思っても、その会社とか、そういう安全管理担当の人も、まぁやっぱりまだ何も。

中村

うん、まだそう強くは。

杉川

何かちょっとアスベストは気をつけとけよみたいなことは。

中村

そこまでも特別、ですからほこりがやっぱり気になるからいうぐらいですね。アスベストと言うよりもほこりも一緒に紛れ込んどるからという意識で。

松田

そういうことがつい最近までは続き、建築現場などでアスベストが舞い上がっているような状態があったのですね。

中村

はい。

松田

若い、例えば、労働者の人たちはどうでしょう。

中村

そうですね。ですから僕自身もその無知やったんですけど、やはりアスベストがこんだけ危険なもんというのは、つい最近まで知らなかったんで。

松田

日本の労働環境を考えると、外国人、アジアの方も結構おられましたか。

中村

多いですね。現場の片づけとか、まあ土方のほうのああいう人が多かったですね。そういう人も曝露している可能性がありますね。

松田

そういう人の場合は、特に調査は追いにくいですね。

中村

追っかけにくいでしょう。多分そういう人らは正式にビザをとって入って来ていても、多分そういう病気になったら企業から追い出されると思うし、特に建築関係は事故でも労災隠しあったんで、ましてやこういう病気とかいったら、多分追い出されてると思うんですよね。ですから、もうどんだけの被害者がおったかは追跡できないですよね。

松田

そういう外国人が現場で働き出したのはさかのぼったらどれぐらい前からになりますか。

中村

いつぐらいかな。50年、昭和50年。50年か52、3年ぐらいから多分、あんまり多くは見てないんですけど、ぽつんぽつんとは見るようになったのが、それぐらい違いますかね。だからもし、曝露して発症するんだったらもう被害者があってもおかしくないんですよね。そんなには多くはなかったんですけどね。一つの現場で二、三人とか。

杉川

若干前後しますが、安全管理に関して、安全管理の人が勧告するというお話でしたよね。それ以外に、現場の方は、何かそういう安全管理の勉強の会というものはあったんですか。

中村

一応はあったんですけども、現場で働いている人間はどうしても仕事優先ですから、そういう講習会みたいなのは、例えばゼネコンの営業所というか支所とか、本社とかの会議室で開かれるから、ある程度、そこまで出ていかんといかん。だから、ほとんどの会社ができてないと思うんですよ。現場を抜けるわけにいかんというので。

杉川

感覚の違いかもしれないのですが、さっきの労災隠しなどで、その当人とかのその企業がその労災だということは、そのどれだけのマイナスイメージになったかという感覚が分からないのですが。

中村

まずですね、一つの現場で、一つの現場じゃなくて、例えばある程度の区域の中で監督署のある区域ですね、一つの区域があるんです。その範囲内で同じ企業が3回くらい、例えば労災事故を起こしたら、立入検査がある。そんで立入検査があったら、もちろん厳重注意で怒られるし、ひどい時には作業中止もあったみたいです。

だから、どうしてもそういう労災を少なくしようと。例えば、そうですね、阪神間で大阪北地区、阪神地区、神戸地区と分けてその一つの区域の中の、ここで人身事故があった。それでこっちの現場でもありましたと言うなら、一応注意で、口頭で何か注意があるみたいですね。2、3件事故が続いたら、それも多分期間があると思うんですけどね。半年とか、1年のうちにとか、僕もそこまでは詳しく知らないんですけど、3件事故が発生したら、そういう立入検査して、怒られると。

そしたらもう何か、よそのゼネコンでも、そんなところでそういうのがと噂になるらしいから、ですからもうそこで企業イメージがダウンしてくるんですよね。

杉川

今の自分たちの感覚からすると企業イメージというのは、「公の、パブリックな」、というイメージなんですけど、その際の企業イメージというのは、本当に仲間うちのものなんですね。

中村

それもあるし、これ自体は、そういう監督署からの立ち入りというのは、労働基準監署に、全部提示されているから、一般の目にもつくんですね。

杉川

そういう建築関係の場合でも、労災でもそのやっぱり就業中の不慮の事故も労災が出ますよね。例えば、何か偶然おったら建材が落ちてきてというのもありますよね。

中村

それは落とした、例えば、加害者というのは、やっぱりおりますやん。それとか、例えば、足場の上に、その建材を置いとって、それが風か何かであおられて落ちたとか。それからその一応加害者がありますやん。そしたらどうしてもそれで労災、一応そういう不慮の事故みたいなんは加害者も追及されるし。

松田

単にイメージだけではなくて、実害もあるわけで、さらにあんまり多いと仕事が来なくなるということもあり得るわけですね。

中村

あります、あります。ですから、例えば、墜落事故ありますやん。それで何か骨折したみたいで動けんとかやったら、墜落した本人の会社の車を持って来いと、そんでその車に乗せて病院まで行けというのがあるみたいです。救急車を呼ぶんじゃなくて。

例えば、現場で何か事故を起こします。そしたら、みんなでその門の外まで運ぶと。これが一応、建築関係でもそうですね。墜落しましたよ。けがしとるみたい。そしたら、すぐもう墜落した人の上司に 現場におりますからね。連絡して、「ケガしたぞ、車持って来い。それで車持ってこさせて、これに乗せて病院に連れて行け」っていうのが、僕らも現実に見てます から。

松田

それは正社員に対してもそんな感じだったんですか。

中村

ですね。

松田

なるほど。一回の労災で、全てで駄目になるという意識が強いわけですね。

中村

そうなんです。ですからもう事故が2件続いたら、もうピリピリしとんですね。1回でももうなんか。監督署が来そうな感じになり、もう一番最初に事故を起こしたところは、また事故を起こしたら、そのゼネコンの本社から怒られたり、睨まれるし、その所長が首、また昇級試験受けても上がっていけないんですよね。何年間かは。

下手したら所長やったら、大きいとこになったら部長クラス、小さいとこで課長ですから、もう課長ぐらいやったら、すぐもう飛ばされるんですよね。飛ばされて係長ぐらいに格下げされて。ですからもうみんながピリピリしとる。自分とこの責任を免れようとしてですね。

松田

すると単純に法律で、例えば、3回労災が起こると、注意や勧告を受ける。

中村

ですけど、やっぱりその企業イメージと自分のその地位ですね。地位を失いたくないために、そういうことをやったのかなぁと思うんですね。僕らには、もう想像もつかんのやけど。今もそれに近いものがあるのと違いますか。

松田

安全は非常に大事ですが、事故が起こったとき、安全性を守ってなかったいうとこで隠す。そういう構造が今もあるわけですか。

中村

うん。これは多分、ずっと直らんと思いますよ。

杉川

どんなことでもそうですけど、事故をゼロにするのはできないのでしょう。それをわかってないというほうが不自然過ぎる。

中村

だから小さいケガとかだったら、素直に監督署に届けるんです。もし墜落事故とか、死亡事故やったら絶対届けんといかんでしょう、骨折ぐらいやったらという認識で動いてるわけですね。

松田

多分、そのあたり何か組合のことも関係しそうですね。

中村

してくるかもわかりませんけど。

松田

労働者の人権の問題ですね。

中村

そうです。

松田

建設の場合、その辺がどうなのか。

中村

どうしてもゼネコンから押さえつけられると思うんですよね。「仕事をおまえんとこにやらせとるのやから」ってぐらい。我慢しろというのが現実だと思うんですよね。

杉川

社員のほうにも、条件がそろえばその労災認定受けられる権利なわけじゃないですか。それをなんか使っちゃだめという。

中村

ですから、社員はちょっと、僕は経験ないから、見てないから知らんのですけどね。多分、それに近いようなのはあると思うんですけどね。

松田

話は変わりますが、結婚は、何年ぐらいにされたんですか。

中村

うちとこは、72年か。1972年。昭和47年。

松田

アスベストの問題で作業着のことをよく言いますね。そのまま着て帰られて(家族がアスベストに曝露する例があると)。洗濯された奥様もやはり不安がありますか。

中村

僕もやはり心配です。

松田

職場と家の間はきれいに分けられていたのでしょうか。

中村

やはりもう、そのまま着て帰るときが多かったですね。現場ではたいてから、はたくぐらいですよね。パタパタとはたいて持って帰って、洗濯してたから。やはり心配というか、不安はありますね。

松田

奥様としてはアスベストのことをどんなふうに考えておられますか。

中村夫人

あたし今、言われたように、はじめの頃は作業着を洗濯してたので、一度、検査受けた方いいかな。

松田

自分自身の不安もありますか。

中村夫人

はい、あります。今までにね、一生懸命働いてきて、なんでこういう病気になったか言う事をね。今もう働けないし。本人自身は一応、離職してるから。私も、私自身もいつも見てて、何かかわいそうでね。みんな一生懸命働いてるのに。本人は寝ていても、横になっていても私は眠れないんですね。本人は気づいてないと思いますけど、やっぱしこう呼吸が。

松田

やっぱり苦しい。

中村

僕が寝てる時でも、呼吸が乱れてるみたいですね。聞いたら。

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