神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査—中村實寛(さねひろ)氏 [2006-09-12]

page 1 2 3 4 5

杉川

ほこりっぽい。単純にほこりっぽいだけなら、まぁ我慢しろとなるし、ほこり自体に害があるという意識もない。

中村

もちろん、そういうのもなかったと思うんですよね。そういう意識があって、朝礼の時に安全大会の時に発言をされるんでしたら、多分僕らも耳に入ってくるわけですね。マスクしとけよとか、タオルぐらいじゃあかんぞという注意だったら、やはり気になるから、記憶に残ってると思うんですけど、それがないから。

松田

例えば、建設関係で化学薬品についてはどうでしたか。そのころはそれほどやかましくなかったのでしょうか。

中村

やはり、塗料関係に関しては、うるさかったですね。それなりに。例えばちょっと狭い部屋での、そういう作業は一人ではするなとか、換気を絶対しなさいよとかいうのは促されてましたけど。事故関係ですね。ですから、その特にアスベストに関するような感じのそういう注意とか、そういうのは全然、全然言うて良いほどなかったですね。それを学校パニック以降もそういうようのがなかったから、つい最近までなかったから、僕は現役で働いておったのが15年の4月15日までですから、それまで聞いてないですが。アスベストに対しての危険意識というのは薄かったと思います。

松田

現場で働く場合の会社との関係がわかりにくいのですが、安全管理責任者が、一つの会社で一人いれなければならないというとき、例えば、三人しかいない会社はどうしたのでしょう。

中村

一応、企業となったら、一人従業員おったら、こう一応会社ですから、従業員一人おったら、社長なりがその役目をせんといかんのですよね。

松田

じゃあ兼ねてたという部分があるんですね。実際に兼ねてた人がいますか。

中村

それは多いですね。まあ僕が働いておったとこは就職した当時、入った当時は営業を含めて、全社員で50人ぐらいおったと思うので。常駐で一応おったんですけどね。そしてとりあえずそこの会社に入って、最初の5年間ぐらいはそういう電器屋さんの仕事、あとスポーツ用品店も同じような感じで、こういう店舗改装工事ですね。そういうのを5年間ぐらいかな、そんでもう毎日ですね。

松田

土日も働いていることが多かったのですか。

中村

そうですね。月に2回休めたらよかったぐらいですね。2週間に1回。その5年ぐらいはそういう形で働いて、それ以降は会社自体がゼネコンとの取引ができる体力がついたから、ゼネコンから仕事をもらって、ゼネコンの下請でやってたんですけどね。そのゼネコンのときが、また多分一番危なかったんじゃないかなあと思うんですけどね。

というのは、建築現場でしたら鉄骨をまず建てるんですよね。下から順番に。そして、それにコンクリートで壁を作っていくと。で、壁ができたら、また鉄骨は順番に上がっていくんですけど、仮枠してコンクリート流すのも順番に上がっていくんですよね。だから各コンクリートの壁は3階分ぐらいまで例えば10階建てでしたら、3階分ぐらいまで、5階建てにしても一緒ですけど、3階ぐらいまで壁ができたら、今度は一階から吹きつけアスベスト屋が鉄骨に吹きつけていくんですよね。アスベストセメントを。

その吹きつけが終わった、例えば、こう建物があって鉄骨がこう出てたら、それを全部吹きつけていくんですよね。スラブも、もし鉄板やったら全部吹きつけていくと。それも広かったら範囲を区切って、こんだけの範囲をまず吹きつけして、そんでここが終わったらこっちへ行きますよという作業をして、そんで彼らがこっちに移ったときに僕らがもうここに乗り込んでいって墨出しと言うて、直角出して壁の仕上がりとか、そういうの作っていかんといかんのですよ。順番に。

そしたらもう彼らが移動したすぐ後やから、吹きつけアスベストも適当に掃除して、次に移動するんで足元はもう極端に言うたら、積もっているのよね。それを僕らは墨壺で、パチーンて印をつけるので、そこにほこりがあったら印つかないから、こうしてきれいに掃いてからやるんです。そしたら、そのほこりがそれこそ埃が舞い上がって、まだ窓も入ってないですから、ガラスが。そやから風が吹いたら抜けるのは抜けるんですけど、でもホウキで掃いたら全部上に舞い上がるんで、そういうものはかなり吸ってたと思うんですよね。

松田

吹きつけ後の作業としては具体的にどんなことされたのですか。

中村

一応、僕らがすぐ仕事いうたら、壁でこう仕上げしようとしたら、ここに下地をこう作っていくんですよね。この壁を取りつけるための。そしたら、この下地のこのラインを正確に真っすぐマーカーしていかんといかんので、そんでそのマーカーするときに、埃があったらつかないから、そんできれいに掃除してやっていくと。そんで一番最初はこのマーカーする仕事なんですよ。そんで、それが終わったら壁の下地をつくっていくと。そんで壁の下地ができたら、仕上げ材を張っていく。例えば、石膏ボードとか。

松田

鉄骨があってセメントがあって、さらに壁と、その段取りですか。

中村

そうです。はい。

松田

壁を作るのも、中村さんの仕事になるんですか。

中村

そうです。それと天井とですね。

杉川

吹き付けたあとだから、作るときにもぽろっと。

中村

そうです。よう落ちとったんが、二階のコンクリートがありますよ。そしたらここに鉄骨がこうありますと。そしたらこれに吹きつけてるんですよ。吹きつけアスベスト、僕らは天井をここに作るために、広い、狭くても広くても一緒ですけど、天井を張りつける、下地というのがいるんです。これをもたせるために鉄骨やから、つっかえ棒がいるから、ここに木材をはめ込んで、こっから吊木いうて、落ちんように引っ張る。そしたらこれを入れるときに、ここに吹きつけて、ある吹きつけアスベストをたたきつけて、こう捲って、ほんでこれが歯がこう出てますからね。H鋼鉄骨で。だから、そしたらこれをギュッとして入れるから、どうしても吹きつけたとこが、ポロポロと落ちるんですよね。これが一番ひどかったですね。

ほんで今度は、これに下地をつくって、天井板を貼る時に下から振動を与えます。そしたらここら辺の溜まってるやつが、やっぱり落ちてきて天井板の裏に積もってるんですよね。そしたら次に今度、この天井を解体するときにめくったら、ここに積もったやつが落ちてくるんです。だから作るときも解体する時も、そういう危険性というのははらんでいるわけですね。

松田

この作業全体の中では、中村さんたちの作業が一番危険なのでしょうか。

中村

そうですね、一番はその吹きつけアスベスト屋になるんですけどね。彼らは専門ですから、それなりの防護してますよね。彼らは危険性を知っていたのかなと思います。一応防毒マスクみたいな感じの、ポチョッと先っちょにフイルターのついた、もう完全装備でやってた。

松田

それも昭和45年ごろから、もうそういう感じでやっていた。

中村

やってましたね。ペンキ屋が有毒ガスが発生するからはめてる。同じようなマスクしてやってましたので。彼らはそんだけの装備してたけど、僕らはそこまで、もちろんそういうのを買う金も惜しいし。

杉川

現場の人がそういう、まあ吹きつける装備とか見てると、自分ら普段浴びているものだし、ある意味、重装備に着ているわけじゃないですか。違和感とかは無かったですか。

中村

僕らは彼らが作業するときは、ビニールシートで囲ってたんですよ。一応。外に逃げんように。そしたらもうその中で作業するから、物すごい埃なんやろうなと言う認識があったから、そういうとこで作業するから、あんだけの重装備で仕事せんといかんのかなというぐらいの認識。だから、危険性というよりもあくまでそれは作業効率上げるために、まあマスクしとったほうが無難だからかなという程度でマスクというのは、そのアスベストを吸わないためという認識はなかった。

だから、彼ら側はそうして囲いの中で、吹きつけしてたから、そこの中やったら物すごいほこり回ってるんかなという認識があって、それであんだけの装備をしてるんだなあというぐらいの認識ですよね。

杉川

自分たちの、その現場大工さんとも窓から出せばいいやというので。でもそう考えると、その時、溜まったアスベストとかというのは、全部外へ出してたわけですかね。

中村

ほとんど飛び散ってましたね。

杉川

例えば小さいビルでしたら、すぐに建つでしょうけど、高層ビルとかの場合は、もしかすると多分…。

中村

周囲だけじゃなくて、それこそ尼崎の疫学調査みたいに、例えば、4キロとか、飛んでた可能性はありますよね。

松田

アスベストを吹きつけるという作業そのものに関連する技術的なことですが、吹きつけられたアスベストは非常に剥がれやすいものなのですか。

中村

一応は、きっちりついてるんですけども、こういう作業するためには逆に邪魔になるから…。

松田

もう一回、剥がすんですか。

中村

うん。それを剥がしたらいかんのですけどね。耐火のために吹きつけてあるんやから。

松田

それをしないと、作業はできない。

中村

そうです。僕らの作業はできないから。

杉川

でまあ、それを互いに知ってるから、ほっといている。

中村

でも、何にもしなくても多分データ、多分石綿協会は取ってると思うんですけど、何年かしたら、でっかいデータ欲しいから、多分石綿協会とか、吹き付け業者とかはデータ取ってると思うんですけどね。その劣化した吹きつけアスベストが一番危険ですよというのが、一応アスベストセンターのホームページにも書いてあるし。

松田

吹き付け業者は、そのあたりは実際に知らなかったのでしょうか。

中村

多分、それぐらいのデータは持っていると思うんですけどね。

松田

ちょっと話は変わりますが、アスベストに関連する他の作業はいかがでしょう。例えば、建材や織物を作るとかです。そっちのほうの危険性もあるし、お話しの作業での危険性もあるわけですよね。

中村

はい。泉南の場合でしたら、そのアスベストを糸に織り込んでたんですよね。ですから、女工さんはそのアスベストを袋から取り出して、その機織り機の機械ですか、糸を紡ぐ機械のとこにまぜとったんですよ。それも素手で。それこそマスクもなしで、そのアスベスト、石綿の原材料を使ってたんですから。

松田

それは工業製品の一次加工品のようなものですか。

中村

防炎のカーテンなどです。いろんな所に使われてましたよね。それと溶接作業をするときに、火花養生で。そういうのは紡績工場でつくってたから。

松田

いろんなタイプの作業でアスベストを吸い込む可能性があるのですね。

中村

そうですね。ですから泉南地方の被害者というのは、そういう女工さんとか、例えば。その紡績工場の班長さんみたいなんは、男が多かったんでしょ。ですから、そういう人らが犠牲になってると思うんですよね。それとひどいのは、その工場から排気ダクトで外に出してた、と。

そしたら、その隣の田んぼをつくっていた人が、石綿肺で亡くなったとかいう人がおりますからね。泉南の方で。

ですから、そういう設備関係ができてないとこで扱われとったら、どうしても建築現場もそうですけど、泉南とか、そういうとこの紡績工場のとこも一緒ですよね。逆に建築現場よりもひどいかもわかりませんね。逃がすとこがないから。

松田

ちょっと話がそれてしまいまいしたが、吹きつけ作業の方の場合はどうでしょう。中皮腫の方はかなりおられるんですか。

中村

多分おると思うんですけどね。それを把握できるのは監督署しかないんですよね。

監督署でしたら、労災の申請したら、職業は何やというのがあって、それは厚労省が握れるはずなんです。実態調査したら。全部それを本省に上げろ、言うて、号令かけたら上がってくるはずなんですけどね。監督署はもうすべて、一応労災申請したら全部、握ってるデータですからね。職業からその働いてた年数から全部職歴全部、監督署は知ってるはずですから。

松田

それは、どんなに下請になったとしても、その期間を把握されてるということがあるのですか。

中村

労災申請してからです。逆に、しなかったらわかんないわけですね。病院も最近は個人情報保護法で何にも表に出さないし、もちろん監督署も我が行っても教えてくれないでしょうし。ですから、まあ労災を多分、中皮腫だったら病院の先生も労災申請しなさいと、最近は教えてくれると思うんですよね。でも、ここ最近ですよね。

松田

ここ1年とかですね。

中村

うん。僕自身も正直いうて、先生からは聞いてないから。でも、そういう専門でやってた人らは、ある程度知識はあったのかもわかんないですけどね。仕事でなったんやというのを。そしたら労災申請してると思うんですよね。

松田

申請したこと自体が他に伝わりにくいってわけですかね。

中村

そうですね。監督署もそれは発表してないから。一応もう企業が去年の7月から順次、情報開示しただけであって、それを役所がお前とこは間違ってるぞ。こんだけおるん違うかとか、こういうのをやっていないんで実数はわかんないんですよね。

1 2 3 4 5

上に戻る | 教育研究活動の一覧へ戻る