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第9回神戸大学芸術学研究会
「Still/ Motion」

2014.12.23up

    time

     

     

  • 日時・場所

  • 時間:2015年1月31日(土)13時~18時(聴講無料・来聴自由)
  • 場所:神戸大学 文学部B棟1階 132号教室(視聴覚室)【会場案内
  • 主催:神戸大学芸術学研究会、日本記号学会

    主旨

    イメージを、「静止」と「運動」という側面から考えてみよう。いま やこの二つの概念は、より広く解釈されるようになっている。それは映画やアニメーションといったイメージの研究の多くが取り上げてきた、メカニズムやメ ディウムの問題だけではなく、イメージの循環といった問題にも関わってくるものなのである。本研究会では「静止/運動」という概念から出発し、イメージの あり方を多角的に議論する。

    プログラム

  • 第一部「ぎこちなさの表象」
    13:00- 第一部開会
    13:05- 報告1 中村紀彦氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
    13:35- 報告2 湯浅恵理子氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
    14:05- 質疑応答
    司会:唄邦弘氏
  • 第二部「イメージというヴィークル」
    14:45- 第二部開会
  • 14:50- 報告3 増田展大氏(日本学術振興会/早稲田大学)
    15:30- 報告4 松谷容作氏(神戸大学)
    16:10- 休憩(10分)
    16:20- アレクサンダー・ザルテン氏(ハーバード大学)
    17:00- コメント 渡邉大輔氏(日本大学)
    17:15- 全体討議
    司会:前川修氏(神戸大学)
    (18:00終了予定)

    発表要旨

      中村紀彦「遮られるコンティニュイティ—アピチャッポン・ウィーラセタクンの諸作品における視点と物語をめぐって—」

     タイの映像作家アピチャッポン・ ウィーラセタクンの映画作品は、タイの土着的な歴史や彼自身の記憶が織り込まれた物語との連関について、多くの言及が為されてきた。 しかし、そうした従来の議論は、映画作品の前半と後半とのあいだに物語の連続性が遮断されるといった、彼の諸作品における特徴を指摘するに留まり、その遮 断によって生まれる画面そのもののあらゆる現象については十分に言及されてこなかったように思える。 
     本発表は、つながりを遮られてぎこちなさを作動させる諸映像を、とりわけ映像メディアを横断的に活動する彼の諸作品から解きほぐす試みである。その際、 物語の側面からだけではなく、映画における視点の問題を新たに導入し、アピチャッポンの映像実践を多角的に捉え直す論考の一端としたい。

      湯浅恵理子「人形アニメーションのリアリティを考える—ブラザーズ・クエイ『ストリート・オブ・クロコダイル』における運動表象」

     アニメーションに関する研究は現在急速に注目を集めており、映像の「運動」を考えるための一つの大きな契機ともなっている。そうした中でも周縁にとどまる人形アニメーションは、多くの研究の対象となってきたセルアニメーションとはまた異なる運動様式を見せる。
     ブラザーズ・クエイによる『ストリート・オブ・クロコダイル』は、その独特な空間構成や撮影方法によって、数ある人形アニメーション作品の中でも独自の 「リアリティ」を構築していると考えられる。本発表は、彼らの作品を分析することで、その「リアリティ」とは一体なんであるのか、それが人形アニメーショ ンというジャンルの中でどのような位置づけをされうるのかを考察する。

      増田展大「マンガとヴィークル」

     マンガというメディアをヴィークルとして考えてみたい。そこで注目すべきが「速度」という観点である。
     こういってみると、描かれた乗り物や身体についてまわる軌跡が思い出されるかもしれない。あるいは、そのイメージやコマのあいだで、わたしたち自身が視 線を動かす速度を考えることもできる。そもそも、それらを載せたページや書物という媒体そのものを、ヴィークルとして理解することも可能であるだろう。
     これら物質的な層に速度という観点から切り込むことで、マンガというメディアが引き起こす静止と運動、またはイメージと文字との緊張関係をあきらかにす ることができるのではないか。作家論や表現論として知られる議論にくわえ、コマ論や知覚論など、現在ではさまざまなアプローチが提出されている。本発表は 上記のような仮説からこれらの議論を検証し、マンガをヴィークルとして考察する試みのひとつを提示する。

           松谷容作「微小重力空間におけるヴィークルとしての身体」

      ここ数年の間に、宇宙を対象とする優れた映画が立て続けに公開されている。たとえば、アルフォンソ・キュアロン監督作品『ゼロ・グラビティ』(2013) やクリストファー・ノーラン監督作品『インターステラー』(2014)などは、その代表的なものであろう。こうした作品で描き出される宇宙環境は、宇宙に 関連する様々なデータや研究、そして宇宙飛行士との対話などに基づき実現している。よって、作品は、たんに映画観客を楽しませるだけでなく、これまで蓄積 されてきたデータに基づく宇宙と人との関係についてのシミュレーションなのである。そのとき、身体は、宇宙の様々なデータを地球上にもたらすと同時にデー タそのものとなり、さらに宇宙環境での有機体の様相を視覚化するヴィークルとなる。
     本発表では、こうした静止と運動の区分が曖昧な宇宙空間におけるヴィークルとしての身体を考察する。


          アレクサンダー・ザルテン「イメージ・トラフィックとゾンビ・ヴィークル」

     1960年代末に「風景論」が松田政男、足立正生などによって映画 について考える為の大切な道具になった。1970年代に入ると松田政男が別の空間的モデルとして鉄道網を使い政治運動とメディアの新しい形を考えた。 2000年代には東浩紀、濱野智史などがテーマ・パーク、アーキテクチャーなどを使いメディア社会を論じることになる。
     この発表はそういった空間的モデルから少し離れ、時間とリズムに焦点を当て、ポール・ヴィリリオの(オーディオ・ビジュアル )ヴィークル概念を現在のメディア状況に合わせてみる。ゾンビ・ヴィークルとして再考されるこの概念では、同人・自主文化、メディアと支配、そしてイメー ジ・トラフィックという問題にアプローチする試みである。

    問 い合わせ先;芸術学研究室 大崎智史
    dogdayafternoon22(at)gmail.com (@に変えてください)