第8回神戸大学芸術学研究会
「折り重なるメディア」
2013.12.29up
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日時・場所
主旨
メディアという言葉は身近なものとして浸透してはいるが、そこには幾層ものレヴェルが折り込まれ、捉えがたく漂っている。ある時は映画や写真と して、ある時は文学や言葉として、ある時は身体や声として、メディアは姿をあらわす。本研究会は「折り重なるメディア」と題し、第一部は「映画と声」、第 二部は「日本近代文学と視覚装置」というテーマのもと、様々なレヴェルの「メディア」が交叉し、重なりあう地点について、4つの研究報告を通じて議論す る。
プログラム
14:00- 開会
14:10- 報告1 仲本雄太氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
14:40- 報告2 大崎智史氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
15:10- 質疑応答
15:30- 休憩(10分)
15:40- 報告3 番場俊氏(新潟大学人文学部准教授)
16:20- 報告4 北野圭介氏(立命館大学映像学部教授)
17:00- 全体討論
18:00- 終了予定
発表要旨
仲本雄太「竹内敏晴のレッスンと身体・声・言葉」
自身の聴覚障害や失声の経験をもと
に、身体・声・言葉のあり方を捉え直す竹内敏晴の様々なレッスンは、教育や臨床の場で言及や実践が多くなされている。しかしながら、こうした竹内の試み
が、1950年代から70年代にかけての彼の演劇演出家としての活動にも多くを拠っていること、そして、この当時演劇における身体や言葉に対する捉え直し
が竹内に限らず行われていたことはあまり触れられてこなかった。本発表では、60・70年代の他の演劇における試み、特に安部公房スタジオの試みに言及す
ることで、竹内の実践を再考察しようと思う。
大崎智史「重なり合う会話ーー『ナッシュビル』におけるサウンド・トラック」
番場俊「顔の装置としての小説」
亀
井秀雄によれば、「明治以前の小説では、登場人物の顔が描かれることはほとんどなかった。[…]坪内逍遙の『当世書生気質』や二葉亭四迷の『浮雲』など、
いわゆる近代文学を創始した作品によって初めて顔への関心が始まったのである」(『身体・この不思議なるものの文学』)。自意識の特権的な身体部位として
の「顔」に対する関心は、さまざまなメディアが交差するなかで「小説」が生成していく過程と密接に絡み合っている。今回の報告では、坪内逍遙、二葉亭四
迷、夏目漱石といった作家のよく知られたテクストをとりあげて、日本近代小説が人間の顔に対する欲望を生みだし、変容させていった過程の一端に触れてみた
い。
北野圭介「小林秀雄とミディウムの問い」
小 林秀雄の仕事はこれまで、文学を中心に、ときに哲学ときに思想と響き合いながらさまざまに論じられてきたが、映画や写真について少なくない批評文を残して いるにもかかわらず、表現媒体の問いをめぐる考察は散発的なものにとどまっている。本発表は、現代メディア理論の助けも借りながら、小林における媒体の理 解の一端を照らし出す試みを企む。そうすることで、近代日本の思惟において、表現媒体をめぐる問いの密度を計る作業のひとつとしたい。
問
い合わせ先;芸術学研究室 大崎智史
dogdayafternoon22(at)gmail.com (@に変えてください)