アスベスト被害聞き取り調査—川本正男氏 [2008-09-18]
松田
それでは次に被害者の会をお作りになった経緯を教えていただきたいのですが。
(花岡館長が資料を探している)
川本
結成するときやから、入院しとったんや。この人とうちの娘が交渉して、私が退院してきたときその会はもうできよったんや。「お父さん、入りなさいよ。」言うから入ったんや。
松田
病気が分かった経緯は?
川本
年に一回、芦屋市の巡回健康診断があんねん。私、だいぶ前からずーっと健康診断は受けよったんや。「川本さん、あんたあと20年は大丈夫」とずっと言われよったんや。まだそのとき、孫こんな小さかったんや。「あのあんたのお孫さんがやな、お嫁にいくまであんた大丈夫や。あと20年ええ」、毎年言われとってんねん。
それが急に「川本さんあんたちょっとおかしいわ。あんたもっぺん検査するわ。」言うて、調べてみたら、肺がちょっとおかしかったらしいわ。あんだけこれまで20年大丈夫って、それがなんで今度あかんねんやと。「いや、ちょっとこの映りが悪いんや。」と。ほんで「うちでは、これ以上調べようないから、紹介状書くから芦屋病院行って来い」って。
松田
その当時は、ご自身は体調不良を感じなかったのですか?
川本
痛くもかゆくもなく何にも。分からへん。言われたとき、そんな病気かいなってぐらいや、自分はな。ほいで芦屋病院行って、検査しましょういうて、胸の横に3箇所穴空けて調べてもろうた。で、その調べた結果をどこかの医大に送りよったんや。
送り先は兵庫医大やと思うんや。ほんでその兵庫医大が「あかん、この人は中皮腫や。芦屋病院に入院させぇ。」と。入院三ヶ月くらいやった。ほんで帰ってしょっちゅう病院通いよった、退院しても。芦屋病院、そこ近いからな。今それでちょっと元気になってきようねんやろ。そのころは帰ってきてもものすごいしんどいねん、一週間が。
松田
薬の副作用ですか?
川本
うん。薬をたくさん打つしな。ほんで一週間はえらい、ほんで二週間目もしんどい。また一週間きたら打つねん。それが二週間、二週間の繰り返しやった、一年くらい。たまらんわもう、家から出て動き歩かれん。そすると、良くなってきよったんやろな、「三週間に一回にしてくれ」って。ほんなら最後の一週間だいぶよくなった。打った週とあくる週はちょっとえらいけど、だいぶ楽。今年から四週間に一回。ほんで今、お宅らと話しとんは、二週間目や。だいぶ楽になってん。これが一週目やったらえらいわ。
藤木
薬を打って一週目は立っているのもつらく、ずっと寝ているような状態なのですか?
川本
しんどいときは、やで。打ったその週はえらいで。もう最近、薬の量も少なくなってるんや。薬を打つのは月曜日って決まっとんねん。だから月、火、水曜日はしんどい。歩いて帰るのに5、60mがえらい。
花岡館長
では、被害者の会ができた経緯ですが、できたのは2005年5月6日です。被害者が本人や家族への謝罪と、亡くなった方も含めて見舞金や謝罪金の充実を求める会合という趣旨で始まりました。誠意ある謝罪を含めた対応を求めるということで。今としてはこういうのといっしょだけど、会の位置づけをちょっと変えています。いろいろとこれは一般新聞と新社会か。川本さんの娘さんは芦屋市の市会議員を今も3期目で頑張っておられます。
松田
そうなんですか。
花岡館長
だから市会に質問して、アスベストの被害のね。芦屋市は阪神間に先駆けてかもしれませんが、この何がなにらや分からん被害者や家族が、行政が縦割りでしょ、今。建物のことだったら建築に行きなさい、病気の診断・検査なら病院とか保健センターへ行きなさい、そして補償だったら監督に行きなさいだとか。分からないから、ある程度一般常識的なことをまとめた冊子を作った。
一番早いんですよ安全センターに患者をつないだほうが。本人に有利な情報をたくさん出してくれるし指導してくれるし、医者も紹介してくれるしね。職歴聞いたって、亡くなった人の職歴なかなか分からないでしょ、家族も。転々としているから、40年も50年前のこと聞かれても。そんなら聞き取りのコツも分かっているしね。
(以下、数分資料を探している様子)
花岡館長
これが、冊子「アスベスト被害者を救え」というもので、去年6月に作って全国組織が配布した。アスベスト問題は隣保館の今日的な課題ですということで作った。
松田
時系列で書かれているのですね。
花岡館長
はい、Cさん、Dさんと2枚目いくんだけどね。長くなるんで。これ、神戸新聞の記事が載ってて。これもね、患者会さんと。
伊藤
「入ってください」ね。兵庫支部に入ってください。
松田
アスベストで難しいと思うのは、責任が重なっている点です。国が一番大本で管理責任があったと思いますが、実際に使った企業もあるし、個人単位にどこまで及ぶのかという問題があり、どこで責任を問うかが、錯綜しています。ビジネス倫理でも企業か個人かです。企業も人間の集まりなので、あなたが悪いって言うこと、なかなか言いにくい。それをどう整理するかは、学問の分野でも議論のあるところです。
伊藤
いつ知ったかというのも裁判で重要になるでしょうしね。
松田
それも重要です。
花岡館長
昔は水俣、最近はエイズといろいろとね、こういう対応しくじるとね、企業の存亡に関わるでしょ。今回の新法も水俣のときの補償水準などを参考に作ってね。アスベスト扱う企業も一社じゃないしね。規範がないもんね。
松田
そうですね。環境再生保全機構は、実際にアスベスト使ったか、使わないか、とは関係なしに基金を求めているという理解でよいのですか。
伊藤
石綿を使った企業に対して国が出資金みたいな感じで。
松田
使った量とかに比例しているんですかね。
花岡館長
いや、それをすると業界、反対しているんですね。
伊藤
なんかそれ簡単に書いたのありますよね。
松田
すみません、勉強不足で。
伊藤
再生保全機構の冊子が。
松田
ああ、冊子の中にあるんですか。
花岡館長
再生保全機構は以前からあってね、結局、自治体の環境教育とかあんなのにもいろいろ金出してんですよ。だから割とアスベストはあとでくっつけてね。はじめこういうの一年のうちにばーっと決めちゃってからなんで保健所やねということになったんです、受付がね。
伊藤
保健所ってほんっと何もしませんよ。もう私は受けるだけです。後は回しますと。
花岡館長
受付した書類を転送するだけかもしれませんね。
伊藤
相談にいっても、私のほうが知ってるじゃないという本当にそんなので。でも環境再生保全機構の方は教育が行き届いているから、すごく親切に対応されてますね。
松田
環境暴露の場合、誰が責任あるか。労災であれば比較的はっきりするが、環境になったときは国になってしまいます。国のお金が機構を通して出ているわけですね。
花岡館長
国も多少出しているでしょうね。
松田
責任を負うときの割合の問題もアスベストにはあると思います。特定企業ではないとすれば、誰がどれくらいの割合で負担するかという問題です。
伊藤
責任を作っている会社が悪いって言うことで今度は除去作業と化して今度はまたお金も受けして、またそういう団体を作って、作っているところがお金をいただいてというのが。会社の名前も分からないように、石綿という言葉が出ないように変えたりとか。
花岡館長
これをまとめてまた冊子みたいのにしはるんですか。
松田
昨年11月の横浜の会議でお会いしたフランスのジョバンさん。日本学と社会学がご専門ですが、水俣や横浜の鶴見区の公害問題の研究をされた方で、アスベスト問題にも関心持っておられる。日本語がお上手なので環境や公害問題について集中講義していただくことになりました。11月に来られる方と共同研究を行うことになりました。そこで一番の問題は、被害の広がりを地理学者や疫学者も一緒になって調べることです。今のお話を聞いていても、どこに患者さん、被害者がおられるのかということのデータ集めがすごく難しいことが分かります。
花岡館長
それね、市町村が一番つかんでいるんですよ。市町村でも、昔は簡単に聞けたんやけど。疾病別統計があるんですね。死亡診断書でも中皮腫という病名を何年か前から取るようになったけど。
昔は保健所なんかで塵肺の人おりませんかとかね、患者さんの救済とかそういうのが目的だと、今ほどプライバシーを前面に出して情報を隠すということはなかったんですよ。
保健所の結核判定会のときに塵肺の人のレントゲンフィルムとか出てくるんやけど、判定医は癌とか、結核とかばかり関心があり、一番汚れた肺の陰影飛ばしちゃうんですね。飛ばしちゃうというか補償に結びつくということとか、そういう人たち関係ないですからね。だから保健所の人に言うたりしてたんですけどね。重症の肺気腫とかね、肺がんやら結核やら、そういう病気の人のことを。以前保険証の交換を窓口でしていたんです。2年に1回とか。そのときにそんな胸の病気を持つ人には直接窓口で職歴を聞いてたんですよ。
松田
そういう過去のデータはどこかではお持ちですか。死亡個票を使おうとしてもなかなかできないという話になります。
花岡館長
できないですよ。
松田
結局、データそのものを集めようとするところで躓いてしまうという議論になっていまして。
花岡館長
大きな市は自分の死で保健所を持っているから。死亡診断の死亡の病名のとこだけが保健所へ回ってくるようになってんちゃいます。市の方は死亡診断書受け付けたら、10日か二週間以内に法務局のほうにまわしちゃうんだよね。
伊藤
一ヶ月。
花岡館長
病名、いわゆる死亡別統計とか言うのを国が作るからね、保健所にデータ集める。リサーチとかね。呼吸系疾患がとかいってそんな大きいジャンルね。その中に塵肺とか入ってるんですよ、項目がね。今、中皮腫も入りだしたんだけどね。昔は中皮腫なんかその他の閉塞性肺疾患とかに含まれていたのでは。
伊藤
ほとんど肺がんとかね。95年からですかね。
花岡館長
今でも、現場の市町村の保健婦さんとかね、そういう人たちは地域で、胸の病気ある人がね、どこにいるか知っている。
京都府の日吉町なんかで、昔マンガンの鉱山がいっぱいあって、塵肺以外にマンガン中毒の人がたくさんおるんゆうのは地元の保健婦さんなんかが掘り起こしたりして。また、九州、大分のほうやったら、出稼ぎ労働者、豊後土工いうて、映画にもなったけどね、だいたい親方、まあ、ゼネコンが入ってきて、トンネル堀りの専門集団がおるんですよ。映画俳優忘れたけど。その人の出身地から仕事あるから出てこーい言うてね、その人ら、ダムやらトンネル堀りを転々としていくんですね。
その出稼ぎトンネル堀り集団、大分県のほうにあるんですけどね。そこは昔の女工哀史と同じで病気になれば田舎に帰ってくるんですよ。療養のために。そこの市町村には職業病で労災認定受けた人ばっかり集まってきて。そういう出稼ぎ集団が富山にもあり、大分県にもあるとか。
そのへんの保健所の人とかよう知ってんですよ。保健婦さんとか。最終的に住んでるとこの市町村の現場の人が一番知ってるんですよ。
松田
看護学者とこの期間話す機会があり、今の話がちょうど出ました。保健師の中にはプロフェッショナルの意識を持って、地域診断をしている人が少ない、というようなことを言われていました。
花岡館長
いわゆる診断マニュアルがなかったから、医師会がクボタの事故以降、近くの地方医師会でにわかにアスベスト、中皮腫の勉強会開いたりしてるくらいで、大学教育の中でも、アスベストなんかすっと流すくらいしか教えてなかったと思いますよ。
伊藤
医師会の会合の、今年の1月ですか、こういう患者さんが増えているから、そういう職業もそういう名で診察するようにと。今は症状、レントゲンに写っとらんくても、職歴を聞いて、もしかしたらっていうことで・・・
松田
尼崎でも保健師さんは見てたわけですよね。時間を追って。それがどうだったのかという問題があるのではないでしょうか。
花岡館長
ありますよ。あの辺ではね、現役の先生も中皮腫は、これは尼崎病やいうてたんですって。
伊藤
公害病とか言うて。
松田
時間的にもうそろそろという感じはあるのですが。今日聞き足りなかったところがありますので、またお伺いできたら。
川本
土日の会議に来れるんやったら、あそこに来てくれたらまた会えますよ。
藤木
今日聞ききれなかったところも土曜日にお聞きすると思います。よろしくお願いします。
川本
よろしいよ。分からんとこあったらまた聞いて。
藤木
ありがとうございます。
伊藤
またいつでも来てください。
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