アスベスト被害聞き取り調査—岡崎剛氏 [2007-09-14]
当時の危険物の積荷について
松田
船がどの港を通って行ったのか、記録としては何か残ってるものなんですか?
岡崎
日本郵船にはあると思いますよ。
松田
永久保存みたいな形で?
岡崎
多分そうだと思います。どこへ寄港するかっていうものですよね。私も船長になってからの分は、残しています。自分で書いてね。それまでの分は残念ながら持ってないですよね。
- 通称:アブログ(アブストラクトログ:航海日誌)
船長が船主宛に提出する書類。船社により書式が違う。 - 公用航海日誌(official log book)
船員法、船舶安全法上の船内常備書類。 - 船用航海日誌(Ship’s log book)
重要証拠書類となるので、2年間船内保存義務あり。
松田
先ほどのオーストラリアのお話は、貴重な証言だと思います。そこまで本当に調べられるかどうか、分かりませんが、オーストラリアが認識していた。1960年?
岡崎
ええ。ちょっと覚えてないですけどね。二等航海士の時に、オリンピックが…。そうかな。
松田
1964年ですか。かなり早い時期ですね。
岡崎
そうですね。
松田
オーストラリアが知っていた。
岡崎
ILO(国際労働機関)のほうの何か規則がね。あっちのほうがレイバー関係のことは詳しいんじゃないですかね。アメリカのそのCFRっていうやつですか。運送貯蔵規則ですね、あれには今でも載ってるのかな。
松田
さっき言われてたの、何でしたっけ、その分厚い本。
岡崎
「危険物船舶運送貯蔵規則」ですね。
松田
出版しているのは?
岡崎
海事協会。協会だと思いますよ。
松田
ILOの時は、日本はそれに同意しませんでした。
岡崎
ああ、そうですか。
松田
1986年ですよね。
岡崎
ああ、やっぱりいろいろ問題あるんですね。
松田
最近なんです。
岡崎
最近ですね。じゃあ、それにも載ってませんね。批准物として扱ってなければ、危険物として扱ってないわけですからね。まぁ船乗ってる頃、その危険物取り扱いでばっかし、苦労しましたんでね、相当見てますよ。危険物かどうかってのはものすごい負担がかかってきましたからね。
松田
例えば、それ以外、どんなものが。
岡崎
もう、数え切れない。ええと、火薬は、ないな、経験。藤田さんなんかは火薬をしょっちゅう積んでた船に乗ってたんですよ、朝鮮戦争の時ですからね。確か火薬はないけれど、アイソトープはありますね。放射性物質の。アイソトープは積んだ経験ありますね。
松田
やっぱり特別な環境で。
岡崎
隔離しましてね。確かコンテナに入ってたと思いますね。コンテナって、普通の、箱のコンテナでなくてね、専門のコンテナに入ってましたね。
松田
特別な箱に?
岡崎
そうですそうです。特別なコンテナで。あれはイギリスからどこかに運んだ記憶があります。イギリスから台湾かなあ。台湾の高雄まで運んだのかあ。ちょっとはっきりしないですけどね。その他化学薬品も相当な種類を運んでますよ。アメリカにも持ってったし、中南米からね、あっちこっち。みんな隔離して、規則に決められたように。いっぱい種類がありますよね。火薬だとか、それから可燃性、引火性、それから有害物。有害物なんてのは、袋もアメリカのCFRだったら、それも数量は制限がなかったけれども、何かちょっとした規則がありましたね。有害物、それから過酸化物、オキシダイジングっていうんですかね、腐食性とね、それからコロシーブ、そんなようないろんな種類を積んだ経験があります。
松田
積み込み方の最終的責任も船になるんですか?
岡崎
そうです。
松田
業者じゃなくて?
岡崎
業者じゃなくて。積み込んで、確認するわけですよね、われわれは。積み終わった後で。そうすると、漏れたりなんかしてるのがたまにありますからね。
松田
その時点で?
岡崎
その時点で。そうすると陸揚げして、返すんです。持っていけませんからね。
松田
それは専門的な、例えば、アイソトープなんかそうでしょうけど、かなり専門的な知識が必要になるんですよね?
岡崎
そうですね。あの時はガイガーカウンターとかあったと思いますけどね。
イギリスから積んだ時ですね。一応取り扱って、漏れた時でも、そのような防護処置ですね、これは危険な場合には海中に投棄してもいいとか、もし航海中に起こった時にどうするかとか、そういう細かいことが全部書いてありましたね。
松田
やっぱり船長さんのその管理責任っていうか、大変ですね。
岡崎
いろんな細かいことまで知ってないといけませんからね。だから危険物がなかったら、ホッとしたですね。まあ原油タンカーなんかも、もちろん危険物ですけどね。あれも専門的にはなかなか大変でしたね。また、雑貨船は何を積むか、わかりませんからね。その時にならないとね。荷物の内容見ないとね。いろいろ苦労ありましたですね。まあそれで、私は幸いでした。他の船で、四エチル鉛で大きな事故起こして、失敗した方もいましたからね。運が悪いと。
藤木
コンテナ船になってからも、その中に何が入ってるかというリストはありますか?
岡崎
リストはあります。もう最近は陸上で、ワープロで打った、立派な書類がね、ちゃんと来てましてね。計算まで全部やってくれます、今は。昔は自分で一等航海士が手計算で船の状態から、安全かどうか、それもね、船でやっとったんですけれどね。今はもうおまかせです。陸上で、コンピューターで計算され、プリントアウトされた書類がはい、できました。この通りです。ここへ積んで、船の状態はこうで、揚地に行ったら、こうなってどうのこうとかで、全部、さっきの荷役関係用各種計算の数字プラスで。しかもこれでも一等航海士が一応監督・責任者ですからね。
こういうのを今はもう陸上で港湾関係者が全部作ってきますね。これは昔のものですが、手書きになってますよね。
藤木
航海ごとに?
岡崎
そうです、一航海ごとにですね。プロが見ればね、これ一目で分かるわけですよ。どこに何積んで、何トン、船の状態、これ見て安定してるかどうか、ってのをね。
松田
これもまた保存しておくのですか?
岡崎
多分、各船それぞれの船で積荷書類を保存しているはずです。まあなくなった船(売船または廃船した船)はないかもしれませんけどね、しかし現実にはほとんどの船がなくなったり、新しい船に変わったりしていますからね、何か残しているはずです。事件があった時、パッと見ないといけなかったからですね。残しているはずです。
松田
赤城丸でもこういうものが、アスベストって書いてるはずですよね。
岡崎
あれば、アスベストって書いてあるはずです。おそらく。あれば、ですね。
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