神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査—藤田佳弘氏、真田勝弘氏、丸川寿雄氏 [2007-07-17]

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藤田

3,000円?3,000円だった?俺、5,000円だったような気がする。そして10月1日がくると、東京、名古屋、神戸、北九州かな、各地の游仙会会員に招待状が来て、我々は会費無料でパーティーに参加します。支店長さんから会社の現状を聞いたりしますけれど、まあみんな古い顔に出会えるわけです。帰りにはケーキのお土産まで持たせてくれるんですね。その時にこの二人に出くわしたんです。

「いやあ、しばらくだなぁ」、「おれ労災やろうと思ったけど面倒くさいからやめようかほんとに」そしたら真田君が「何言ってんの。そんなことしないでやんなさいよ!」って発破かけられましてね、そしてこの関西の、中皮腫・アスベスト患者と家族の会の古川さんの電話番号を初めてそのとき教えてもらったんです。それから、「労災を、改めてやろうか、・・・おい証言に立ってくれるか」。そのとき世話になったのが丸川君です。「そのときだれそれが乗ってたよ。頼んでみたら?」ということでわざわざ紹介してくれて。そして電話して、「証言してくれないか」っていうことで快く、二人の証言が得られました。それで、最初の労災申請にこぎつけることができたわけです。古川さんにもずい分、お世話になりました。

それで、労災の申請は2004年の12月にやりまして、そして不承認になりました。これが2005年の7月27日でした。何で不承認かといいますと、療養を要するほどの肺機能障害に至っていないため不承認であるっていうわけですね。で、「船に乗ってて、アスベストを吸ったというのは明確なのに、労働上の、職務上の災害じゃないか」と。

東京とは電話でしかやり取りしてないんですけれど、「制度上のことで、仕方ないんですよ。不服なら審査請求やってください。それでも駄目だったら、まだ再申請っていう方法もあります。そしてそれでも駄目だったら裁判しかありません」と。

それでは再申請しかないなと思いましたけど。それには理由が要るっていうわけですね。それで、2005年の8月に再申請しました。理由はやはり乗船中の作業、業務上アスベストを吸ったのは明確であるということ。それからお医者さんに、半年ごとに経過をみるためにCTの検査が必要であると。中皮腫の疑いもなきにしもあらずです、と言われてること。それから船員労働安全衛生規則っていうのがあります。これは法律です。船員労働安全衛生規則にはじん肺は載ってるけれどアスベストのアの字も載ってないじゃないか。そうなれば、別途考慮すべきであるという三つの理由をつけて、再申請したわけです。それも全く最初とおんなじ理由で不承認になりました。不承認になったのが2005年の11月ですね。おんなじ理由です。で、電話で文句を言いましたけど、「制度上のこと」で終わりました。

そしたら、すぐに前に申し上げた2005年の12月15日に船員健康管理手帳制度っていうのが始まりまして。始まりましたけれど、実際の診断開始は翌年の4月1日からなんです。わたしは2月と8月に健康診断受けてますから。手帳は2006年1月に受領しましたけれど、その年の2月は、手帳は使えなくて、8月から、兵庫医科大学病院へ行って、診てもらうようになって、現在もずっと半年ごとに診ていただいてます。少し長くなりましたけれど、これが自己紹介です。

そして、ここにアスベスト被害に関する全日本海員組合の取組の様子とありますが、私共には全く不明でした。全日海は月刊紙の海員新聞とか『海員』という季刊誌を発行していますが、これはほとんど現役船員向けに配布されるものでして、我々船会社を定年退職した元組合員へはありませんので、組合の活動状況は全く知り得ません。

私は自分のアスベスト労災申請でモタモタしていた頃「もしかしたら、元船乗り達は船のアスベスト問題について何も知らないのでは?」との思いで、2005年6月海技大学校同窓会誌に投稿しました。それを見たらしく全日海広報部2名の方に、10月に真田君と共に取材を受けました。その時に現在アスベスト問題が社会的な話題になっているとき、一般新聞には造船労組とか、港湾労働者関係の組合の動きなどが掲載されているのに、これらに比べて全日海の対応は非常に鈍いとか、全日海の動きは船員社会外では見ることも聞くこともできない等々を話したりしました。

それでここにある資料や『海員新聞』、『海員』等を送ってくれました。これらの資料によりますと、2004年3月に東京亀戸の名取先生、4月に笠原氏を取材して初めて船員新聞にアスベスト関連の記事が載ったようです。そして組合のアスベスト対応の活動が正式に決定されたのは2004年11月です。

2005年9月には組合本部から各地の支部に対しアスベスト問題に関するアンケート調査を各地の各船会社の船員OB会に連絡して実施するよう指示していますね。しかしこれは各OB会が日常的に組合とコンタクトしていることはないだろうし、実施は非常に困難で実効もあがってないと思います。私も知りませんでした。

次にアスベストについて海外で知ることはなかったか、ということですけれど、外航船は停泊中、日本国内外の港を問わず港湾事情により、着岸して荷役したり、港内に錨泊のまま沖荷役だったりします。そして停泊中の機関部は機器整備作業に忙しく外国の人々と会話することはほとんどありません。ましてアスベストに関心もない時代ですから何もありませんでした。

で、ある郵船OB会で顔見知りの元船長に久しぶりに会いまして、彼の話ですと、若い頃、アフリカ東岸(?)にアスベストを積みに行ったとか、その時の荷役中は船倉内がモウモウと煙っていたとか。荷役労働者は全員マスクをしていたそうです。荷役当直していた彼は「お前、なんでマスクしてないんだよ?」と言われたそうです。

それで、「俺も健康管理手帳申請する」とか言ってました。

松田

アフリカ東海岸、南アフリカですかね。

藤田

ええ、そうです、南です。

松田

輸出元はよく記憶されてないですか。

藤田

ちょっと記憶がないですけれどね。

丸川

カナダからみたいなことだったね。

藤田

カナダですか。

丸川

モントリオールから。あっちからもだいぶ会社は積んできたんですよ。五大湖航路がありましてね。だから機関室にもたくさん使っていますけど、積荷として我々が運んできた…何にも知らずに運んできたんですからね。昔々ですから、私らのころはそんなアスベストなんて何にも考えずにね、自分で手で練って、それで耐火レンガを築いとったんですからね。

で、レンガだけだと火で全部真っ赤に焼けて落ちますから、そのアスベストを袋からバケツにあけて、それで水で練って、耐火レンガをずうっと築いていく。そのレンガをまたきれいにアスベストで、手で囲ってしまうわけです。そうすると真っ赤になってもそのレンガは落ちないわけですよね。

松田

そういう作業というのは、職階でいうと、大体、誰でもやったっていうわけじゃないんですよね。

丸川

いやもう皆順番でやっていました。だから入社して、まあ一番下のほうですよね。それから順番に上がっていくからね。

松田

今思ったときに一番そういう意味で危険だったというか、曝露される可能性の大きかったんじゃないかというところが、やっぱりそういう手作業ですか。

丸川

そうそう。手作業と、それからマットをね、機関部の倉庫に、こんな大きな、マットが巻いてるのがあるんですよ。…パイプやなんか巻いたのが破れたらそれをハサミで摘んで、それを縫うて、またそのパイプにのせて縫い付けるわけですよね。

松田

それが布団というやつですか。

丸川

布団です、布団作るわけですよ。自分らでもう、布団作って持っていってまたかぶせて、縫い付けるわけですよね。そういうのはもうみんな、みんなやってきとる。順番にやってきとるからみな、吸うとるわけです。

松田

それは、船全体で考えた時に、35年間で22年間船で暮らしたっておっしゃってたんですけれども、外国航路みたいな長い期間乗ってる船の場合と、同じ船でも日本の中で動いてる船とあんまり違いはないんでしょうか。

丸川

ああ、それは違わないです。

藤田

30年くらい前だったね…。

藤田

さきほどタービン船だけじゃなくてディーゼル船もだって言いましたけれど、ディーゼル機関そのものにはアスベストはそれほど使われておりません。シリンダは水を循環させて冷却しますから。

昔のディーゼル船の燃料油はすべてディーゼルオイルです。燃料油の規格は粘度によってA、B、C油に分けられます。A油が最低粘度のディーゼル油です。ところが運航費を下げるために、より安価な重油B油からC油へと移行していきました。各ディーゼルエンジンメーカーはエンジンに最良の燃焼状態を得られるよう、燃料噴射弁に最適の燃料油粘度を要求していますし、また必要です。ですから燃料油が低質化するに従って、燃料油の加熱温度がどんどん上昇します。こうなってくると、燃料油噴射管にアスベストを巻く必要が出てきました。後代に造られるエンジンは改良されて噴射管は二重管になって、その必要がなくなりましたが、私の経験では油温を98℃まで上げた船がありました。

ディーゼル船の主機および発電機の排気管はそれぞれ煙突につながれます。これらの排気管の外周すべてにアスベストが使用されています。1955年に船を大型化した交流の第一船が竣工しました。それまで、船の電気は直流を使用していました。船を大型にし、スピードアップしますと、主機も当然大馬力化し、過給機が設けられます。そして発電機も4台になりました。

航海中、主機のエキゾーストガスは大径、長尺の排気集合管へ、そして過給機から排気ガスボイラーに導入され、航海中に必要な蒸気を作ります。その後のガスは煙突から船外へ排出されます。停泊中はドンキーボイラーに切り替えて重油を炊き、蒸気を作ります。先ほど言いましたように、煙突までのこれらの排気管はアスベストを使って断熱し、薄い鉄板で覆われています。

そしてエンジン、船体の振動、当然排気管も振動しますからメタルカバーの隙間からアスベストの粉末がもれてきますね。

当直中とか作業中には、スカイライキが開いてます。エンジンルームの天窓ですね。そこから日が射す。そうすると…キラキラ光るんですよ。船ってのは常に振動してます。波に叩かれます。そうすると、アスベストの粉がパラパラ落ちてくるわけですね。それで作業やって、「今日はえらい体がかゆいなぁ」なんてことしょっちゅうありました。あれこれ思い出すとタービン船もディーゼル船もアスベストに曝露されてる度合いは同じかな、とも思ったりします。

松田

その大きさの問題はあまり関係ないんでしょうか。大きな船と小さな船、例えば外国のほうへ行くような大きな船と、極端に言えば漁船みたいな船を考えた時に、度合いに違いがあるのかという…。

藤田

漁船のことはあんまり知りません。漁船も大小様々ですし、ちょっとエンジンが違いますから。こんな小さい、例えば一番簡単なのは船外機ってありますね。

松田

先ほどまでのお話というのは、大きな、ある程度の規模の船以上のお話ということですね。

藤田

はい、そうですね。

丸川

だから自動車のピストンいうたらこんなですよ。

松田

詳しくはわからないですけど…。

丸川

まあ自動車のピストンはこれぐらいの大きさですよね。自動車の場合ね。それで我々の乗っとるのはね、ピストンだけで直径1mあるんですよ。ピストンの大きさが。

松田

大きいですね。

丸川

シリンダー内をピストンが給気(空気)を圧縮して燃料を噴射して爆発させ、高温の排気が出ます。その排気管もアスベストの布団とかアスベストクロスでパイプを巻いて機関室が熱くならない様にしています。

航海中はその排気をボイラーの中に通して蒸気を作っています。廃熱を利用しないとね。

松田

はい。手作業で実際、触って直されたっていうのは作業しなきゃいけない船と、作業してない船もあるんですか。

丸川

いやいやそれはもう、どの船でも。

松田

小さい船でも。

丸川

まあ小さな船は振動が違いますからね。大きいほうに乗るとやっぱり爆発の周りで振動が大きくなりますからね。小さい船だったら瀬戸内海とか、そんなとこ走るんだったら波なんかはね、全然ほとんどないですよ。

松田

例えばその、それこそフェリーボートみたいなのだとか、あんな船だとそれほどのことはないってわけですか。

丸川

いや、それでもやっぱりフェリーとかあれぐらいになるとやっぱり巻いていますからね、全部。おんなじように巻いていますから、アスベストは飛んでいくんですよね。船の場合はね、陸上で労働しとる人は、家帰れるでしょう。海の場合はもう出港したが最後、家なんか帰れません。だからもうずうっと船にいますからね。だから、部屋ん中だってそのなんか飛んで、いつも舞っとるわけですよね。

松田

確か、船長まで二人そういう方がおられると…。

藤田

そうです。船長になるまでの全航海士、それから甲板部員というのはですね。停泊して荷役しますと荷役当直に立つんですね。荷役が順調に行なわれているかどうか、間違いないか、煙草吸ったりする者がいたら注意したりとか、いろんな仕事がありますけれど、やはり時間、時間に決められて荷役当直に立つわけですね。ですから先ほど言いましたように、アスベストなどの荷役があると、当然、影響は受けてると思いますね。

松田

職階のことはよくわからないのですが、年とともに、経験とともに上がっていくという風に考えてよろしいですか。航海士、あるいは機関部、甲板とかでも、最初は一番下のところから始めて、だからみんながそういう風に危険にさらされていたと考えてよろしいですか。

丸川

そうですね。みんながさらされていますよね。その後、上へあがっても我々エンジンの場合は必ずエンジンルームに降りてきて、回りますから、だから、皆、平等ですよ。皆、平等です。

加藤憲治 (神戸大学大学院人文学研究科准教授)

私、神戸商船大学で教えてたこともあったんで、教え子というか学生さんが郵船に就職できたとかっていう話を聞いたりして、良かったね、といったやりとりをした、そういうのが経験としてございます。

今、お話を伺ったところ、1950年と言おうか朝鮮戦争と言いますか、その近辺からの船っていうのはアスベストをはじめとした、いろいろな危険な状態にさらされてたと仰ってましたね。タービン船とディーゼル船もまあ若干の違いがあるとしてもそういう状態だったということでしたが、そういった状況は今はもうほとんど改善されていると考えていいんですか。

藤田

それがですね、私、今の船全然知らないんです。会社を定年退職してから外航船を訪船したことがありません。アスベストは使用禁止にされているはずなんですが、まだ先ほどのパイプのジョイントの間に入っているシートパッキンは、アスベスト製品ですけど、それはまだ残ってるんじゃないかなぁ。

加藤

ではやはり、普通の人よりは危険性の高い職場ということになるんですかね。ドック(造船所)で働いている方たちっていうのはアスベストに曝露する確率っていうのはあるんでしょうか。

丸川

それはかかります。その人がその船を作るんだから。造るときに必ずアスベスト使って船を造るから。造船所の人が造ったのをまたわれわれが運行するんですから。

加藤

だから知らずに被曝してしまうという…。

丸川

それはもちろん。

藤田

ですから、全日海よりかですね、造船労組のほうが対応策は進んでると思いますよ。

加藤

だから必ずマスクするようにっていうのは、例えば、だいぶ徹底されていると…。

藤田

昔、ドックに入っても工員さんのマスク姿ってのは見た覚えがありませんけど。ドックへ入ると、必ず機器の開放・復旧がありますから。そうするとアスベストの粉じんに曝露されることが多くなってくるわけですね。で、そのドックでも乗組員は機関室の中で仕事しています。エンジニアはドックハンドでやっている検査、工事あるいは整備工事に立ち会いながら、仕事するわけですね。ですから常にドックを経験すればするほど、アスベストを吸入する量っていいますかねえ、被曝量は増えると思いますね。

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