神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査—中村實寛(さねひろ)氏 [2009-04-27]

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職業とアスベスト

藤木

松田先生から担当を代わりまして、改めて自己紹介させていただきます。私、人文学研究科博士後期課程3回の藤木と申します。私が担当しますパートは、お手元の質問用紙の最初の二項目、「職業とアスベスト」と「病気をどう捉えられたか」です。では早速、勝田さんの質問からお聞きしていきたいと思います。

勝田

はい。私はちょっと畑が違いまして、国文学の研究をしているので文学的な見地から見てしまうんですね。水俣病に関して言えば、石牟礼道子さんの『苦海浄土』という作品があるんですが、これは公害文学とかがあったりするので、そういうところからアプローチをするというような方法で学んできたので、今回思ったのは、私たちがアスベストの問題に取り組んだとき、読者側にまわってしまって、当事者ではないように思わされている部分ていうのがあると思うんですけど。

それの大きな動因としては、そういった解体作業ていうのは普通に知らされる機会があって、しかしそういうものをよく見ていると、壊されるものの中には古いものも結構あって、70年から80年代のものでもよくこわされているんですね。これってアスベストが使われている可能性が結構大きいものも多いんじゃないかなって思うんですけども。(中村さんが)テレビでご覧になって、これ、アスベスト使ってんじゃないかなって思うときはありますか。

中村

あのー、この質問の番組自体(「ビフォーアフター」)を知らなかったんですよ。こういう番組があるっていうのを。ですから、この番組でどういう放映されていたかはわからないんですけども。とにかく今、(勝田さんが)拝見されたっていう解体、改修工事ですね。特にあのー、一戸って言われる建て売りとか、住宅なんかでしたら、まず、40年以上前のものもかなりあると思います。

それで40年以上前のものに関して石綿はあんまり使われていない気がします。もし使われているとしたら、セメントに混ぜて使われていたかなと。はっきりは分かりませんけど、私の憶測で。40年くらい前から、つまり1967、8年くらいから建材として出てきたと思うので、だから、過去40年から手前の建築物に関しては、使われていたと思います。含有率が何パーセントかというのは定かではありませんが、無いとは言い切れないと思います。だから、そういうのを解体するにあたっては、まず飛散防止で、水をかけてほこりがたたないようにして袋に集めていく。それと、あと、既製品に関しては粉砕せずに、ばらして形状はそのまんま、廃棄するというのが、決まっています。

ですからこの番組で、もし例えば、引っ掛けて落としたりしたら、大変なことになりますね。ですから、作業者はもちろんのこと、僕らも昔そうだったんですが、解体作業をするときは窓を全開でやってますんで、作業の区画内だけでなく、近隣にもかなり飛散してると思うんですよ。ですからその、含有率云々もあると思いますが、かなり(広範囲に)飛散して危険な場合もあると思います。

藤木

ありがとうございます。現在、このパートのタイトルは「職業とアスベスト」となっておりますが、次は建築物に関してお伺いしましょう。アスベストは、その全使用量の9割が建築物に使われていると一般的に言われております。ということは、建築解体に携わった建築労働者の方々にアスベストの被害が多く見られるというのも、決して偶然ではない。

また、阪神淡路大震災が発生した時に、建築物の解体に従事した方々や解体現場付近に住んでいた周辺住民が、高濃度のアスベスト粉じんに晒されました。その点については、橋本さんが調べておられます。では橋本さんお願いします。

橋本

阪神淡路大震災の時に、アスベストの空気中の濃度を震災から2ヶ月遅れの3月から測定した結果をもとに調べて、それからアジアでアスベストの消費が盛んなときなので、スリランカでもアスベストの入った建材が推奨されたということなので、日本から発する警告というかたちでやりたいなと考えているところです。

日本には従来、漆喰を用いたアスベストを用いない住宅が多々あったと思うんですけども、そのようなものから鉄筋というものへ移行して、鉄筋コンクリートの建物が建てられることによってアスベストが使われだしたという経緯があると思うんですが、その中で、今あるべき住宅っていうような定言みたいなものがあれば教えていただきたいと思います。また、アスベストは以前として0.1パーセント未満は利用されている状態で、国土交通省が公表している建築素材にも載っているんですが、その点についてもどのようにお考えですか。教えていただきたいと思います。

中村

まず、住宅のあり方ですね。これは質問にありますように、日本古来の住宅、天然素材を使った住宅、これが最良の建築のあり方だと思います。しかし、残念ながら、日本の建築では、防火とか耐火とかいろいろ制限が特にうるさくなってますんで。個人の住宅でも。ですから、それなりの材料を使わざるを得ないかなと。

それからあとは、天然素材の住宅を建てたら、今、ものすごく高額な建築費になってしまうんです。ですからそういう、住宅に関するオーナーさんの事情が個々に、その、いろいろあると思うんですよ。ですから、そのオーナーさんの意見を最大限に聞いていったら、残念なことですけれど、漆喰とかそういう天然素材は使えなくなるのかな、という気はします。ですから、ほんまに理想なのは、天然素材を活かした漆喰などですね。土にワラを混ぜて下塗りして、仕上げは漆喰、というのが一番理想の建物だと思います。だけど、それをしたら莫大な工事費がかかると思うので、どうしても今のような方法に頼らざるを得ないのかな、という気がしますね。

それと、鉄筋コンクリートや建材なんかもそうですが、0.1パーセントという数字ですね、これをわたしらから言わしてもらうなら、行政の戯言かなと。思うんですよ。石綿全面禁止にするんであれば、何故0にしないんだというのが一患者として、1人の人間として、思うところありますね。ですから、この0.1パーセントっていう数字は、我々が行政に交渉する際、指摘する、(つまり)厚生労働省、国土交通省と交渉する材料に十分なり得る記述だと思います。

藤木

ありがとうございました。アスベストの使用と言う点では、60年代から70年代にかけての高度経済成長という背景を無視することができません。輸入量が急増したのがちょうどこの時期だからです。こうした背景が、例えば次の廣田さんの質問とも強く関係してくると思います。廣田さん、ではお願いします。

廣田

先週、アスベストについて知ったときに、アスベストを使う理由が、危険な部分があるのを知りながらも、安い、熱に強いからとかの理由で使ったというのを知って、安いものを建築材料として使ったら、安く建築が出来るから、それはたぶん70年代でも80年代でも、高度経済成長期を支えたと思うんですけど、もし、使っていなかったとしたら、高度経済成長期はありえたと思いますか。

中村

使ってなかったら、経済の(急速な)発展は無かったと思います。しかし、スピードは遅くても、なんらかの発展はあったと思います。なぜ使ったというのは、さっき(廣田さんが)おっしゃったように、石綿のコストが安いと。それがまた、耐火性とかそういうところで、ニーズがちゃんと合ってきたことがね、そこが一番問題じゃないかなと思いますね。あとはですから、使う分はいくら使ってもいいっていうのは、こう、1950年くらいから石綿とガンの医学的な関係っていうのは学会で発表されているわけですから、そこらをもうちょっと行政は考えて、やって欲しかったというのはありますね。

やはり、さっきおっしゃったみたいに建材などに、約3000種に使われてたといわれてますんで。種類の数から言っても、高度成長期に、冒険はあったと思います。残念ですけども。患者としては複雑な心境ですよね。

藤木

ありがとうございます。今、「職業とアスベスト」というくくりでお話を伺っておりますが、これまでのお話は、ある程度広い視点からのものでした。次の八幡さんの質問は、実際に職業上でアスベストに携わっていた方の視点に関するものです。では、八幡さんお願いします。

八幡

アスベストを使用する際に、量とか成分公開というものがあったと思うんですけど、それが、実際使っている現場との差っていうものがかなりあったんではないかなと思い、この話題をさせていただきます。中村さんの働いていた現場の人たちで、マスクをしていなかったり、きちんとした知識がなかったり、マスクをしていたら作業がしにくいということで、していなかったりとか、ということを伺ったんですけども。そういう建築業者の現場と行政との差が起っていたということが、中村さんのところ以外のところでも起っていたのかということを、知っているかぎりで教えていただきたいです。

中村

まぁ、結論から言えば、石綿に関する安全対策は行われていなかったです。まず、現場では、安全に関することで言えば、墜落、転落、事故、たとえば骨折、指切断とか、そういう目に見える、危険ですね。これの指示はどの現場にもありました。

しかし、アスベストに限らず、塗料関係、塗装関係とかに関しては、僕の知りうる限りでは、危険性を促すっていうか、注意するっていう、現場は僕は行ったことがありません。あと、月初めに安全大会っていうのをゼネコンの場合やるんですよね。その安全大会は、事業所の安全管理責任者などが、いろんな危険性に対する訓示をするんです。しかし私も40年近く現場を歩いてきて、1人もそういう、アスベストの危険性についての訓示をした人はいませんでした。残念ながら。

また、クボタショックの一年前ですが、東京のほうで、全建総連が工務店などの安全管理責任者を対象に安全管理アンケートを行っています。それを見れば、「建材の石綿含有の確認」、これが15パーセント。「除去でオーナーと話合う」、17パーセント。「作業時に撤去などを指示する」、19パーセント。かなり低い数字ですよね。確認させず作業させる。「指示しない」っていう回答が過半数。というデータが出て来ています。

ですから他の現場でも、私が行ってない他の現場でも、状況はあまり変わらないと思います。私もゼネコン大手から、中堅クラス、小さいゼネコン、いろんなとこで仕事してきましたけど、どこのゼネコンでも、そういう安全対策に対して、話が無かったいうことは、よその現場でも無かったんだろうと思います。ただ、鉄骨にふきつけしている、ふきつけ業者、彼らはもちろん、ブルーシートで作業範囲を囲って、雨カッパなどを着て、その中で完全防備でやってましたね。あとその他の他職種も僕らとほとんどおんなじ状況だったと思います。

藤木

ありがとうございます。次に、「病気をどう捉えたか」というパートに移らせてもらいます。先ほどの八幡さんの質問で、実際、アスベストを使っておられた現場の方の意見としてのお話を伺いました。それと併せて、アスベスト被害にあわれた被害者の方の視点に注視しながら、問題を少し掘り下げていきたいと思います。では三宅さん、お願いします。

病気をどう捉えたか

三宅

被害者の方の視点から、安全対策を怠った業者、対応が遅れた行政などに対して、怒り、憤りの気持ちはどこに、どのように向けられましたか。

中村

まず、僕は一つの会社に約30年間、次の会社が3年、発症したときの会社が5年、働いてきたんですよ。三つの会社を。おんなじ建築関係なんですけども。ほんで発症したときは、やはり、さっき言ったみたいに現場での安全のための指示が無かった。そういうゼネコン、それと、自分が勤務していた会社、安全管理責任者というものがありながら、危険性を知らせなかった、告知義務違反だという、怒りの矛先は自分の会社とゼネコンに向けていました。

手術して、石綿とは、あるいは中皮腫とは、というのを知りたくなって、インターネットでいろんなことを調べたんですよ。そしたら、行き着いた先は、行政の不作為、もうこの一つしかないなと。という僕なりの結論です。それから先はもう、行政と関連企業に怒りをぶつけていきました。もちろん現在もそうですけど。これからもずっと、運動していくにあたっては、それが原点になっていくんじゃないかな、と思っています。

藤木

国の不作為に対して、ということなのですが、後ほど「法と国」というパートがありますので、それに関してはそこでより詳しくお話していただきましょう。では次、李さんの、労災の認定まで、という質問をお願いします。

労災の認定までに一番苦労したことについてお聞きしたいんですが、先ほど聞かせてもらった話を整理させていただくと、病気の発症がわかったときに、国や行政に怒りを感じられると思うのですが、その発症してしまうまでの事前対策が、先ほどまでお話いただいていた安全管理などの問題だとすると、発症してしまったあとの事後対策のようなものとして、労災の認定などの問題があると思うんですね。なかなか下りなかったりだとか。そのようなことをお聞きしたいです。

中村

まず、労災の申請で苦労したというのは、大きくはないんです。ただ、僕の場合は、細胞検査して、そして一時退院したとき、中皮腫の疑いっていう仮の病名がついてまして。インターネットで中皮腫って検索したら、どこのホームページにいっても中皮腫=石綿って書いてあって。これは労災になるんかなと、手術したあと思ったんですよ。

しかし労災を申請するのは、被災者本人なんですよね。会社も誰もやってくれない。本人が申請をして認定を受けるシステムになってますので、まず、僕らみたいな、何の知識もない人間が労働基準監督署にいって、申請をしても、下手したら門前払いされてしまうんじゃないかな、というのもありましたし。逆にインターネットで今度は、支援してくれる組織を捜して、行き着いたところは関西労働者安全センター。

そこで支援していただいて、平成16年の1月の27日に申請して、7月29日に認定されました。申請から認定までの時間っていうのは、まぁ、平均に入るんじゃないかな。僕の場合は。長い人は1年半とか2年とか待たされる可能性が多いんで。あとはやはり国や政府に不満というものを感じたのは、政府の不作為がなかったら、現在のこういう息苦しいとか、行動を制限されることもなく100パーセントの収入を得ながら働けたんじゃないかな、という点です。実際発症したのは54歳で、確定診断が下りたときが55歳になったばかりでしたから、実際まだまだ今でも、もう6年なりましたけど、元気であれば現役で嘱託でも働けるとこですので。そこで、なんでおれの人生を狂わしたんだ、っていうのは、政府に対する怒りって言いますか、不満って言いますかそういうのはありますね。

それと、僕ではないんですけど、うちの会員さんで、若年時に暴露されて、例えば17、18歳でアルバイトで一年間とか半年現場に行って暴露されて、それ以降は石綿とは全然関係ない職業でやってきて、40代で発症した、そういう方には小さいお子さんもいらっしゃいますよね、もちろん。40代で発症したら発症時の収入を補償するよう行政と交渉して来ました。まあ、そういういろんな、自分僕らだけじゃなくていろんな患者さんたちのことをトータルして今後考えていかなあかんな、って思うし、なるべくみんなが救済されることをやっていきたいと思います。

藤木

ありがとうございます。先ほどお答えいただいた質問と若干重なる点がありますが、橋本さん、次の質問をお願いします。

橋本

はい、あのー特に日本のアスベスト対策の反応の遅さというものを感じているのですが、例えばイギリスなどでは1960年代にアスベストの被害があるっていうのが分かって、70年には使用禁止が出るんですが、日本は依然としてそれを知りながら使い続けた。70年には、使用量を反対により一層伸ばしている状態で。やっと1990年くらいから減らしだして、最近なってやっとこの労災の規準を、平成18年に、石綿を使っていたり解体していたりしていた人以外の、デスクワークなどをしていた人にも広げたという状態を聞きました。

認定基準が平成18年にやっと広まったということと、4月1日から施行された建築基準に関する対策が最近やっと強くなったというかんじで。なぜこんなに日本は対策が遅いのかということと、聞いた話によると、小池環境大臣(当時)がアスベスト被害に遇っている住民の声を聞き、国会で発言すると言われたが、結局国会では提言すらなかったと言いますが、このような議会(代表者)と相思の食い違いといった事が組織や会を運営されていく中で遭遇された事はありますか?

中村

まず、対策が遅れた理由、これは、たぶん国会議員と石綿企業の癒着。極端に言ったら癒着、これがあったんちゃうかなと思います。石綿協会の「管理使用」対策の範例にしろ、これを鵜呑みにして使い続けた、そしてそれをなぜ今までほってたのかなぁと考えたら、やっぱり癒着だったのかなと思いますね。72年には世界保健機構とかが、発がん物質であるということを発表してでも、そういう外国の資料や文献も持っていながら、放置しておったいうのはもう、石綿業界、石綿関連企業と当時の与党の議員との癒着しかなかった。僕はそう思いますね。あと業界からの献金云々、そういうのも、彼らにしては魅力だったんじゃないかな、と思います。

それとさっきの、そういう(対策)が遅れて来ているということは、閣僚が官僚よりもかなり弱い。逆に言ったら、官僚主体の日本の政治、じゃないかなと、感じてます。小池大臣が「崖から飛び降りる」って、尼崎で僕らと面会したときに言ってたことも、次の環境委員会では、僕も傍聴しとったんやけど、「そんなこと言ってませんよ」と。そんで、僕らが傍聴してるところに終わってから来て、テレビのカメラが回ってる間はにこやかに話しておったけど、テレビが止まったとたんに、「そんなこと言ってませんよ」って、ぷいって感じで出て行きよった。そうした感じでしたから、やはり閣僚ってそんなもんか、って思いましたけどね。

藤木

ありがとうございます。ではこのパートの最後の質問です。八幡さんお願いします。

八幡

発病までの長い期間いろいろあったと思うんですが、今振り返ってみて、その長い年月をどのように受け止めてらっしゃいますか。

中村

一番最初に、中皮腫=アスベストを吸った、イコール、アスベストっていうのは、僕はネットで知ったんですよ。医者からも教えてもらえずに。ですから、なんで?っていうのが一番最初の疑問です。

それで、あと、いろんな医者とか研究者が発表してる、中皮腫の潜伏期間、これは正直、長いなと。びっくりしてます。いつ吸った石綿が病気の原因なのか、わからないところも、正直言って悔しいところがありますね。早い人は発症まで10年、遅い人は60年、ぼくはいつ吸い込んだのが発症したのか逆に知りたいくらいなんですね。たとえば、肺を切って細胞内の石綿の状態をみてもいついつって年代書いてるわけでもないですし。何も書いてないのが事実ですから。ですからまぁ、正直長いなって思ったのはそんなとこですね。

ですから、中皮腫とか、発症して労災の対象になるっていうのを知らない人も、たくさんいらっしゃる。それは若年時に吸ったのを40年も50年もあとで発症したら、昔のことは忘れているっていうのもあるんじゃないかなっていう、意見もかなり出てきていますね。ですからそういう人らの掘り起こしももちろんやっていかんといけんなって思っています。とりあえず潜伏期間の長さにびっくりしています。

藤木

ありがとうございます。次のパートに移りたいと思います。八幡さん、よろしくおねがいします。

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