―基層・動態・持続可能な発展―

Basic Structure,Dynamics, and Sustainable Development

 

 
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2007年調査報告(フランス)

・フランスの地方政治の体制
 フランス本土で、22の地域圏(region)、96の県(departement)、約36500の市町村(commune)。
 ボルドーは、アキテーヌ地域圏の圏庁所在地、かつジロンド県の県庁所在地。ジロンド県には542のcommune(ちなみに最も多いのはパ=ド=カレ県の894)。

・フランスの面積、人口
 フランスの面積は約55万平方キロで、日本の約1,5倍。INSEEによる、2006年1月1日現在の推定人口は約6340万人で、日本の約半分。アキテーヌ地域圏の人口は約310万人(ちなみに地域圏で見れば、Ile-de-Franceが1150万人、Rhone-Alpesが610万人、Provence Alpes Cote d'Azurが478万人、Nord-Pas-de-Calaisが404万人、Pays de la Loireが343万人、6番目がAquitaineで、以下Bretagneが308万人と続く)。
 ボルドーの人口は、2005年1月1日現在の推定で、約23万人。他に人口の多い都市は、パリ215万人、マルセイユ82万人、リヨン47万人、トゥールーズ44万人、ニース35万人、ナント28万人、ストラスブール27万人、モンペリエ24万人。

・地方分権化政策
 1981年5月にミッテランが大統領に選出された後、地方分権化政策が進められる。
 1982年3月2日に市町村、県、地域圏の権利と自由に関する法律が制定される。内務・地方分権相であったドフェールの名をとってドフェール法とも呼ばれる。この法律以前の県と地域圏は、地方行政を統一する役割を中央政府から委任された地方行政団体にすぎなかった。中央政府は、地方政府である市町村に対しても、法定条件の付けられた事前統制権として後見監督(tutelle)と呼ばれる監督権限を有していた。県には、中央政府より派遣された知事が、後見監督に基づいて市町村自治体における決定の妥当性を審査する任務を担っていた。また地域圏は、1964年に計画経済に基づく国土整備(amenagement du territoire)を調整することを意図して設置された広域行政地域として、中央政府の管轄下におかれていた。1982年の改革法は、後見監督を廃止し、地方行政団体であった県と地域圏を地方自治体へと転換させた。県と地域圏は公選の議会を設置し、県議会議長、地域圏議会議長が各々の議会議員の互選により選出され、執行部を構成することとなった(『はじめて学ぶフランス』55-56頁)。

・アキテーヌの農林水産業
 Conseil regional d’Aquitaineのホームページによれば、全国では労働人口のうちの農業関係従事者の比率は4%であるのに対して、当地域圏では10%を占める。17万5000人の雇用。環境を保全する産業という観点からも、農林水産業は重要。
アキテーヌ地域圏5県の41308平方kmのうち、10分の9は農地および森林。
全国の農業生産の10%を占める。
 ワイン、とうもろこし、養鶏、果物・野菜、牛で、80%にのぼる。10軒のうち6軒の農家はとうもろこしを生産し、生産量は300万トンでヨーロッパでも有数の生産地域。
 農業生産の内訳は、高品質のワインが31,8%、とうもろこしが10,7%、野菜・果物が11,0%、他の農産物が15,6%、牛肉が8,9%、鶏肉および卵が7,3%、牛乳および乳製品が5,8%、他の畜産品が3,9%、サービスが5,0%となっている(2002年のデータ)。
 高品質の産物の生産―83のAOC(Alleliation d’Origine Controlee)[原産地呼称統制](うちワインが76)、54のラベル・ルージュ(うち養禽が33、食肉が14、塩漬けの豚肉加工品が7)、14のIGP(Indication Geographique Protegee)(バイヨンヌのハム、南西部の鴨のフォア・グラ等々)
・アキテーヌの企業
アキテーヌには14万5000の企業があり、フランス全体の5,2%にあたる。
そのうちの93%が、被雇用者10人未満の中小企業(フランス全体では92%)。
・1990年に開通したTGVによって、パリとボルドーとは約3時間で結ばれる。

・アキテーヌ地方圏の年間予算―9億9056万ユーロ(2007年)
・ジロンド県の年間予算―12億8300万ユーロ(2007年)
・ボルドー市の年間予算―3億4169万ユーロ(2006年)
(ちなみに神戸市の予算は、一般会計7491億円、特別会計1兆1218億円で、合計1兆8708億円、1ユーロは約164円)。

・いくつかの歴史
 1137年に、アキテーヌ公の唯一の娘エレオノールが、のちにルイ12世となるフランス皇太子と結婚する。結婚により、広大な領地を「持参」。その後、1152年に離婚したエレオノールは、1152年にアンジュー公ヘンリー2世と再婚し、彼は1154年から1485年まで続くこととなるイギリスのプランタジネット朝を開いてイギリス国王となる。これがのちに、フランスの王位継承問題に絡んで1337年から1453年までなされた百年戦争の一因ともなる。エレオノールとヘンリーのものを合わせた領地は、フランス王のものよりも広かった。1360年のブレティニー条約によってアキテーヌはイギリス領となる。1380年にはイギリスはボルドーとバイヨンヌに追い込まれる。1453年にボルドーは最終的にフランスによって取り戻され、百年戦争は終わりを告げる。このような歴史的経緯もあって、イギリスとの関係の深い地域と考えられる。
 フランス革命期には、商工業ブルジョアの穏健な共和派であるジロンド派が、一時は国民公会の主導権をとるが、ジャコバン派に対立し、1793年に敗退する。当時から商工業の発達した地域であったことの一つの証左。

・2007年度調査報告
・調査期間:2007年7月31日(火)〜8月8日(水)

 フランスでは、行政的な単位として、国−地域圏(region)−県(departement)−市町村(commune)の他に、いくつかの大都市の周りには、県と市町村との間に位置づけられるものとして、中心都市とその周辺の市町村を合わせた都市圏共同体(communaute urbaine)がある。ボルドーにも、ボルドー都市圏共同体(communaute urbaine de Bordeaux、以下CUBと略記)が存在する。このCUBの中心をなすボルドー事務所で8月2日にインタヴューを行った。
 このCUBは、1968年に創設された。27の市町村が集まって形成されている。全体の人口は約70万人で、2500人がCUBで働いている。
 CUBの主要な役割としては、交通、ごみ、環境、経済、都市計画、道路、墓所などがある。ボルドーにも路面電車が新たに導入されているが、この建設、運営の主体はCUBである。公共住宅の建設なども担っている。

 フランスの都市圏共同体には、次のものがある。

  面積(平方km) 市町村数 人口
アランソン
181
19
52555
アラス
171
24
93571
ボルドー
552
27
671875
ブレスト
218
8
221600
シェルブール
63
5
91717
ダンケルク
255
18
211825
ル・クルーゾ=モンソー
390
16
92280
リール
597
85
1091438
リヨン
493
55
1164741
ル・マン
157
9
194138
マルセイユ
605
18
980781
ナンシー
142
20
266000
ナント
523
24
555518
ストラスブール
306
27
451240

[出典:Communaute urbaine de Bordeaux, La CUB, Rapport d’activite 2005, p.9]

 この表からは、リヨン、リール、マルセイユの都市圏共同体が大規模であり、ボルドー、さらにナント、ストラスブールがこれに続いていることがわかる。
 ボルドーは、2007年6月28日に、ユネスコの世界遺産に選ばれた。調査時は、街中にもこれを祝うポスター等が多く見られた。昔からの建物や街区も残り、また海や森林などにも近く、生活の場としては豊かなところであるように感じる。ボルドー自体の都市の規模はそれほど大きくはなく、旧市街の地域などは徒歩で回ることができる。ボルドーから大西洋岸のアルカッションまで至る、50km以上の自転車道も森林の中に整備されていて、気軽に自然に親しむことも可能となっている。
 ボルドーの著名な農産物としてワインが挙げられる。フランス全体では、2005年に300万キロリットル、すなわち4億本分の生産がなされたということである。ボルドー地域には、57のA.O.C.[原産地統制名称]があり、これらは大きく六つの地区[Le Medoc, Les Graves, Le Libournais, Les cotes, L’Entre-Deux-Mers, Les Bordeaux]に分けられる。
また、いくつかの格づけ[classement]もなされている。
 まず、1855年のパリ万博に際して、ナポレオン三世は各ワイン産地を代表するワインの格づけをなすことを求めた。ジロンド県については、1705年に創設されていたボルドー商工会議所[Chambre de Commerce et d’Industrie de Bordeaux]にリスト作成が要請された。代表するワインが無秩序にパリに送られることは望ましくないと考えた当商工会議所の責任者たちは、仲買人組合[Syndicat des Courtiers de Commerce]に対して、メドック産の赤ワインおよびソーテルヌ産の甘口白ワインについての格づけを行うことを求めた。メドックについては、一級[Premier Cru]に5つのシャトー、二級[Deuxieme Cru]に14のシャトー、三級[Troisieme Cru]に同じく14のシャトー、 四級[Quatrieme Cru]に10のシャトー、五級[ Cinquieme Cru]に18のシャトーが格づけされ、またソーテルヌの甘口ワインについては、特別一級[ Premier Cru Superieur]に1つのシャトー、一級[ Premier Cru]に11のシャトー、二級[ Deuxieme Cru]に14のシャトーが格づけされた。
グラーヴ産のワインについては、グラーヴワイン生産組合[Syndicat Viticole des Graves]の要請によって、国立原産地名称研究所[Institut National des Appellations d’Origine, INAO]が1953年に行い、1959年にさらに修正、補正をした特定ワイン園[Cru]の格づけがある。ここには、ヒエラルキーなしに、16の特定ワインが格づけされ、「格づけされたワイン[Cru Classe]」の名称を用いることができ、すべてPessac-LeognanのA.O.C.に属している。
 サンテミリヨン産については、1954年、1969年、1979年、1996年と、4回の格づけがなされている。最新の1996年のものでは、特別一級A[Premier Grand Cru Classe A]に2つのシャトー、特別一級B[Premier Grand Cru Classe B]に11のシャトー、特別級[Grand Cru Classe]に55のシャトーが格づけされている。
 さらにメドックのCru Bourgeoisについては、「例外的」[Cru Grand Bourgeois Exceptionnel]、「特別」[Cru Grand Bourgeois]、普通[Cru Bourgeois]の三つのカテゴリーがある[Bordeaux News, Hors serie, juin 2007, pp.7-11]。
 万博、あるいは生産者の側からの要請と、様々な経緯によって格づけがなされてきているのは、付加価値をつける戦略としても興味深い。個別のシャトーだけでなく、地域を巻き込むような形で格づけがなされているのも、注目されるところであろう。ただしボルドーの町の中にいると、ワインは主要な産物としていろいろな形で目につくのではあるが、「シャトー」が「城」や「城館」をも意味するように、ある種の貴族主義的なイメージが感じとられた。ワインをもって農産物や農業を代表させるというのは難しく、全く別のカテゴリーのものとしてとらえた方が適切であろう。「地方的世界」を考える時にもそれは注意すべき重要なところであろう。
 戦後のボルドーの歴史を考える際には、ジャック・シャバン=デルマスの存在は大きいであろう。彼は1947年から1995年までボルドー市長、1974年から79年と1985年から88年までアキテーヌ地方圏長をつとめ、また国政でも多くの閣僚経験の他に、1968年から72年までポンピドー大統領の下で首相、1958年から69年、1978年から81年、1986年から88年まで国民議会議長をつとめるなど、要職を歴任している。彼の後を継いでボルドー市長となったのはアラン・ジュペであり、彼もまた首相の経験がある。このようにボルドーは「大物政治家」がいて、中央の政治とも大きなつながりを持ちえたと考えられる。
 先にイギリスとの関係に触れたが、今回実際に現地に行ってみると、スペインとの関係について印象を受けた。ボルドーはスペイン北西端のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼のルートに位置し、現在でも町の中に巡礼路であることを示す言葉が街路名を示すプレートに併記されていたり、サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖者ヤコブを象徴する帆立貝を象った金物が道路に埋め込まれていたりする。また巡礼が盛んであった時期からずっとある教会なども見出される。さらに、スペインの画家ゴヤの終焉の地がボルドーで、彼の銅像や彼の名を冠したスペイン文化センターなどもある。その意味では、フランス国内のみにとらわれない開かれた雰囲気や文化が存在してきたとも言えるであろう。Bordeauxという名前自体、bord d’eaux(水の縁、沿岸)というところに由来しているとのことで、ジロンド河の上流にあたるガロンヌ河に面する港湾都市として栄えたのである。
 現在はインターネットなどでもある程度、統計資料等が収集できるので、地域圏、県、都市圏共同体、市、それぞれのレベルで情報を得た上で、今回の調査ではいまだ十分に行うことはできなかった行政への聞き取りなどを行っていくところから、今後の研究を進めていきたい。1970年代にシャバン=デルマスによって再開発のなされたメリアデック地区に、行政機関の多くは集まっている。また、ボルドー近辺の農村地域などでの調査なども可能であれば行ってみたいと思っている。

 ボルドーはゴヤの終焉地であり、それを示す像。 スペインとのつながりといった広い地域性を感じさせる。

白鳥 義彦(神戸大学)