延徳3年(1491)2月 |
細川政元、関白九条政基の子・澄之を養子に迎える。 |
明応2年(1493)4月 |
政元、将軍足利義材を追放し、足利義遐を擁立する(明応の政変)。 |
文亀3年(1503)5月 |
政元、阿波守護家の細川義春の子・澄元を養子に迎える。 |
永正元年(1504)9月 |
薬師寺元一、澄元を擁立して挙兵するが、敗死。 |
永正3年(1506)2月 |
澄元、三好之長の支援を受けて入京。 |
永正4年(1507)6月 |
香西元長らが澄之を擁して、政元を暗殺。澄元を近江に逐う。 |
8月 |
細川高国らが澄之を滅ぼす。澄元は上洛して、細川京兆家の家督を継ぐ。 |
永正5年(1508)4月 |
高国が澄元と将軍足利義澄を近江に逐い、大内義興に擁された足利義尹が上洛する。 |
永正8年(1511)7月 |
澄元が細川政賢に呼応して攻め上るが、政賢が船岡山の合戦で敗死し、阿波に戻る。 |
永正15年(1518)8月 |
大内義興、周防に帰国する。 |
永正16年(1519)11月 |
澄元と之長が兵庫に上陸する。 |
永正17年(1520)2月 |
澄元方が高国方を破り、三好之長が上洛する。 |
5月 |
高国の反撃により、三好之長が自害する。 |
6月 |
澄元、阿波で病没する。 |
大永元年(1521)3月 |
将軍足利義稙、高国の専横を嫌って京都を脱出する。 |
7月 |
高国が、足利義澄の子・義晴を将軍に擁立する。 |
大永7年(1528)2月 |
細川晴元が義稙の猶子・義維を擁して挙兵。高国は近江に逃れる。 |
享禄3年(1530)6月 |
高国が、浦上村宗と結んで挙兵する。 |
享禄4年(1531)6月 |
高国方、三好元長らに敗れ、高国は大物で自害する(大物崩れ)。 |
享禄5年(1532)6月 |
晴元と元長が不和となり、晴元と結んだ一向一揆が元長を滅ぼす。 |
天文10年(1541)8月 |
木沢長政らが晴元に対し反乱を起こす。 |
天文11年(1542)3月 |
太平寺の戦いで、木沢長政が討死する。 |
天文12年(1543)7月 |
高国の甥・細川氏綱が和泉で挙兵。晴元と抗争を続ける。 |
天文17年(1548)8月 |
三好長慶が氏綱と結んで、晴元・三好政長に対し挙兵する。 |
天文18年(1549)6月 |
長慶、江口の戦いで政長を敗死させる。晴元と将軍足利義輝は近江に逃れる。 |
天文19年(1550)4月 |
『細川両家記』の前半部分が書かれる。 |
天文21年(1552)1月 |
長慶、義輝と和睦する。 |
天文22年(1553)8月 |
義輝は長慶と再び対立し、近江へ逃れる。 |
永禄元年(1558)11月 |
長慶、義輝と講和する。 |
永禄7年(1564)7月 |
長慶が没し、三好義継が跡を継ぐ。 |
永禄8年(1565)5月 |
松永久秀と三好三人衆が、将軍義輝を殺害し、足利義栄の擁立を図る。 |
11月 |
久秀と三好三人衆が対立し、合戦する。 |
永禄11年(1568)2月 |
足利義栄が将軍に就任する。 |
9月 |
織田信長が、足利義昭を擁して入京する。久秀は信長に降り、三好三人衆は阿波に逃れる。 |
永禄12年(1569)1月 |
三好三人衆が将軍義昭を襲撃するが、撃退される。 |
元亀元年(1570)7月 |
三好三人衆が摂津中島城を占拠する。 |
元亀4年(1573)3月 |
『細川両家記』の後半部分が書かれる。 |
天正元年(1573)7月 |
織田信長が将軍義昭を追放する。 |