三好之長

(1458〜1520)

(主膳正・筑前守・長輝)
 阿波守護細川成之の家臣。永正3年(1506)、将軍足利義澄に召されて入京し、阿波守護家から細川京兆家に養子に入っていた澄元を助ける。しかし、永正4年(1507)、澄元と家督を争う細川澄之に味方する香西元長らが、京兆家当主の政元を殺害。之長と澄元は近江に逃れる。細川高国・同政賢・同尚春らが澄元に味方し、澄之は自害。之長と澄元とともに上洛し、澄元が京兆家の家督を継ぐ。しかし、永正5年(1508)、澄元と高国が対立し、之長と澄元は近江、ついで阿波へ逃れた。高国は周防の大内義興と結んで、足利義尹を将軍に擁立し、高国と大内義興の連合政権が成立する。永正15年(1518)、大内義興が周防に帰国すると、翌永正16年(1519)、之長と澄元は四国勢を催して兵庫に上陸。永正17年(1520)、高国方を破って、之長は上洛を果たした。しかし、近江に逃れた高国は、六角氏らの力を借りて反撃。之長は洛中で捕らえられて切腹した。