アスベスト被害聞き取り調査—今井桂子氏 [2009-02-27]
藤木
リスク値の算出方法は、1999年時に使われた計算式と同じなのでしょうか。
永倉
曝露濃度からリスク値を出す計算式というのは変わっていないんですね。今は新たに刷新されていなくて、それはアメリカのEPAとかいくつかの機関が同じような曝露対リスクの計算式というかグラフを出しているんですけれども、それに当てはめて一番リスクの高い数値を読み取ったはずですので、その曝露対リスク値のグラフは当時から今までそのままです。今後刷新されるかどうかはわからないけれども、今のところはそれが唯一のリスク計算式です。
今井
そこからどれだけ漏れたかとか、どっち向きに風が吹いたかとか、という記録はもちろんないので、どのくらいであったかという計算をしました。
永倉
そこの曝露値に関しても委員会の中で揉めたんですけれども、その曝露値からリスク値が自動的に出ているんですけれども、どのくらい曝露したかという評価に関して委員会の中でかなり意見が分かれて、それが延々と2〜3年かかりました。なかなかそこは非常に難しい式とかが出てきて。積分なんかも何十年ぶりかにやってみたり。
松田
委員会の話が出たので、保護者の参加の仕方はどのようなものだったのでしょうか。例えば、委員会の構成員は何人ぐらいだったのでしょうか。
今井
最初の委員会は保護者が委員としては出ていませんでした。傍聴できただけで発言権はないです。ただ名取先生たちに個人的に情報を教えてもらって。
永倉
それで、手を挙げて言うんだけれども、自分で何を言っているかよくわからないと。最初の委員会は11人か12人かの構成で、そこに保護者推薦枠というのを作って、そこに名取さんと僕と古谷さんと3人入ったんですね。専門家の先生が8人か9人いました。
松田
専門家は誰が選んだのですか。
今井
区です。
永倉
今でこそ、いろいろな委員会に出ている先生方ですけれど、当時はいろいろ調べ上げて、来てもらいました。遠山先生だったり、内山先生だったり、今の厚生労働省とか環境省の委員会に出ていらっしゃる先生方です。あと三浦博太郎先生は名取さんが自分のお師匠ということで、連れてきた方で、それなりに委員会の中での駆け引きは多少あったんですけれども。
松田
例えば区が自分たちにとって有利なように選んだ人というわけでもなかったのですか。
永倉
いえ、そういう意識はないと思いますけれども、当時環境での曝露というのは専門家のあいだでも低く評価されていたということもある思うんですけれども、要するに僕ら以外に誰を呼んでも同じような評価の対決にはなったと思います。そういう意味では意図的に集めたという感じはあまりしません。ただ、逆に推薦枠で僕らを入れたというのは画期的だったかもしれませんね。
今井
Aさんがかなり言っていたんですよね。
永倉
そうそう。彼が推薦枠で入れろということで交渉して。
今井
当時は区に対する不信感が凄かったので、任せておいたら自動的に区のいいような値を出す人たちを集めるに違いないと皆が思ってしまっていたので、保護者が推薦する人を入れてくれということを安藤さんが言いました。
松田
それがあるときから保護者も入れるように変わったのですか。
今井
委員会の報告書が出て、そこから先は曝露量とかの計算ではなくて子どもたちの健康対策をするという委員会に変わった瞬間に保護者が入った。
永倉
委員会がひとつ終わって、次の委員会に引き継がれたんですね。最初の委員会というのは健康被害をどう評価するかという委員会で、それが2004年に結論を出して区長に送信を出して、それで区長がその送信を受けて健康対策をしなければならないという結論を出して、それで新たに健康対策の委員会をそこで立ち上げて、委員は引き継がれたんですけれども、その中に保護者が2人ずつ入っていました。
今井
私とMさんが入りました。
永倉
任期が2年で、2年で交替というような条件で、保護者がそこで始めて入ったんです。検討委員会はずっと続いていて、子どもたちの曝露とかいろいろな評価について議論をされたんですけれども、そういった状況に置かれている保護者に対してのメンタルケアが全くなされていなかったんですよね。それをしなきゃいけないということで、次の委員会の中でメンタルケアについて提案をされて、それが当初は月に1回だったかな、土曜日に匿名で相談を受けたい人が私のほうに連絡をして、私のほうで時間を設定して来てもらって、それで委員の中の先生方とメンタルケアの話をするという体勢が始めて後の委員会でとられたという経緯です。
今井
健康手帳というのを作っていただいて、そこに自分の子どもの曝露量を書いてもらうことができるんですね。その値がいくつかというのを認めてもらわないと貰えない。その子どもの曝露量の説明をしてくれる先生がいて。それから相談を聴いてくださるというカウンセラーの方が来て、相談ができるという体勢が次の委員会までにできました。
松田
そういう委員会の構成とか組み立ては当初から決まっていたことですか。それとも最初の委員会ができたときにはもうそれで終わってしまったけれども、いろいろな議論がされる中で保護者を入れるような話になったのか。
永倉
最初の委員会の結論の中で、やっぱり子どもたちがアスベスト曝露したことは間違いないと。それでそれは長期的に健康対策をとらなければいけない、とるべきだという方針を区長に対して出したんです。区長はそれを受けて長期的な健康対策が必要であれば、その健康対策に特化した委員会を長期的にやろうという判断でまた作ったんだと思います。最初からあった話ではないです。
その中に健康対策委員会を作るのであれば、やはり保護者を入れなければ、内山先生が確か途中からリスク・コミュニケーションという言い方をしだしたのだと思いますが、最初の委員会の中で委員会の位置づけという話についてどこかで議論がなされて、リスク・コミュニケーションという考え方が今欧米で一般的にされているという話を内山先生がなさって、これはこういう意味ですよという話があって、僕はそのときに初めてそういう考え方を知ったんですけれども、その委員会そのものをリスク・コミュニケーションの場にしようということがあって、当時はただの傍聴だけだったんだけれども、でもやっぱりお母さん方が必ず参加できる時間帯にやろうということで、午後7時とか遅い時間にやったんですよね。
それで、委員会が引き継がれたときにリスク・コミュニケーションの一環としてやっていこうという話が引き継がれて、その中で保護者もその中に参入させようという話にたぶん繋がったと思います。
今井
最初の委員会が行われている最中に、保護者は何か保障してほしい、子どもたちの健康を区が面倒を見てくれるという制度を作ってほしいということを、要綱とか要望とかというかたちでずっと出し続けていたのが、最初の委員会が終わった後ですぐ。なかなかそれも進まなかったんですけれども、そのまま出したら議会を通らないとかいろいろな話が出てきて、結果的に次の委員会になったときに、その委員会で話をしていただいて出来上がった要綱が今動いている。その要綱で健康対策を区がやっていくという保障がやっとやっとできました。
永倉
最初は保護者の方とかも要綱とか条例とかいろいろランクがあるらしいんだけれども、要綱というレベルだと区にある程度勝手に変えられてしまうと。それだと、将来自分たちの手が届かない段階になったときに、勝手に変えられてしまうと意味がないということで、要綱ではだめだという議論になって、課と言って条例は難しいということで、区と個人が協定を結ぶというかたちに、これもかなり揉めたんですけれども、収まったんですね。だから、今保護者と区はその協定を結んでいるんです。
今井
「そこまでは」と思っている方は要綱で守られているというかたちで、いつでも協定に変えたいんだったら変えられるというふうに区は保障しています。
永倉
その文章を作って、法案を作ってというような作業も結構何ヶ月かかかったんですよね。ワーキング・グループで僕が参加してやりました。
今井
どこまで書いてもらうか、法律的にそんなことが書けるのかということもわからないので、最終的には区の中のことなので、法律の方たちに先陣に立ったという。
松田
この時系列の年表を見ていても保護者による提訴の話が重なっていて、それは同時進行的なものだったのでしょうか。
永倉
そうです。あれは前の委員会で業を煮やしてしまった保護者が2世帯3人で提訴したんです。それで、裁判自体は被害者がまだ出ていないアスベスト被害ということでかなり難しいだろうという予測があったんだけれども、健康委員会での詳細なシミュレーション結果とかがかなり裁判所に対して効果を発揮したと思うんですけれども、和解なんだけれども、区の非を認めて、区の損害賠償も認めて、将来の健康対策も指示するような和解策で。だからかなり勝利的な和解だということだと思います。それがまた区のほうに影響を与えた。区が負けてしまったということで、これは司法でもそういう判断が下されたということで、区のほうもそれから協定案という話に繋がりました。
今井
区の担当者が誰かというのもかなり大きいと思います。今の方はとっても理解を示してくださったのですが、中には何を言っても罵倒されて、聞いてくださらない方もいらっしゃるので、録音しようかと思ったぐらいです。
松田
本の中には弁護士さんが出て来られるのですが、この方は裁判の弁護を担当されたのか、それとも何か他にもされたのでしょうか。
今井
相談はずっとしていました。
松田
裁判での弁護は別の方ですか。
永倉
いえ、両方されています。今でも先生はアスベスト関係の裁判をいろいろされていますから、お話を聴くと面白いと思います。
今井
要綱とか協定の法案のチェックもしていただいたので、専門家から見れば何を書いてもらうと安心かというようなことも伺ったりしました。
松田
特にアスベストを吸った人がまだ病気になっていなくても、吸わせた人が責任を持たなければならないということはなかなかないことだと思うのですが。
永倉
それはたぶん画期的な判断だと思います。判決ではないんですけれども。
今井
要綱の中にも、まだ被害者がいないんですけれども、発症したら区が責任を持つというようなことを書いてもらいました。
松田
そうすると判例になりますよね。
永倉
判例というかたちでは残らないでしょうけれども、司法の判断という意味ではたぶん応用が利くと思いますね。ただ和解ですから、全く違う判断を下す裁判官もいるでしょうし、だからそこはまだ固まったとまでは言えないと思います。
藤木
本を見せていただいた限りでは、平成11年度の1月19日から年表が始まっていますが、そこから2008年までのあいだで、だいたい3年の期間が開いています。これは区側が、すでに終わったものとしてその後の対策を放棄した、というわけではないのですか。
永倉
そうではないです。検討委員会の中に議論を収斂したというか、保護者としてもその検討委員会での議論をかなり重視して、そこで何が決まるかということでずっとやっていました。
藤木
先ほど保護者の方が業を煮やして提訴をされたという話を伺ったので、それでこの3年という時間の開き具合いから、保護者が「何も進展していないから」ということで提訴をされたのかと思ったのです。
永倉
実際はそういうふうに思っていた人もいたと思う。
今井
委員会はやっていたんですけれども、結論は出ないので。
永倉
かなり長引いていましたから、これはもう任せてはいられないという雰囲気はあったと思います。
今井
ちょうど3年間かかって検討委員会の報告書ができたのですが、それが待ちきれずに提訴したというかたちです。
永倉
一部の人が提訴したということに関していろいろな保護者のあいだでの議論が起こったんですよ。それほど大事で揉めるというわけではないんだけれどもいろいろな判断があって、ただ結果的にはそこで勝利的な和解ができたということが区にとってはかなりショックだったので、それ以降の対策についてはもう観念したという感じがあったと思います。だからずっと保護者は心理的に大変だったんですよ。
今井
提訴をした方たちに賠償金みたいなかたちでお金を払ったのですけれども、じゃあ他の子たちはどうするのという感じになって、結果的に健康手帳を発効した年に申請をした人全員に見舞金というかたちで10万円が支払われました。
永倉
結果的には公平というかたちになったんだけれども、当初はやはりどうなのかという議論をかなりしました。
松田
実際のリスク相談や健康相談、メンタル面では臨床心理士の方が担当されているのだと思いますが、そこでは実際にどういうやり取りがあるのでしょうか。
永倉
相談の具体的な内容に関しては僕はわからないのですが、メンタルなところでは前田先生という方にお願いしました。あとリスク値をどうするかということに関しては内山先生と安達先生に。
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