アスベスト被害聞き取り調査—田尻五郎氏 [2007-06-12]
京大病院での手術
松田
最初に行かれた塚口病院の先生と京大病院の先生が知り合いで、京大病院を紹介されたということですか?
田尻夫人
もう、年齢が年齢ということで、ここで手術することは無理だと言われたんです。それで、セカンドオピニオンとして、どこかかかりたいところがあれば言って下さいと言われたんです。ただ、「どこかと言われても・・・」と言ったら、自分の恩師が京大病院の先生ということで、紹介されたんです。
年齢が年齢なので、手術ということになったら、すぐに手術しますよ、と私たちは聞かされたんです。病気が進んだら、もう手術はできないんです。
田尻
中皮腫というのはね、胸膜や腹膜に出来るそうですね。これの手術は非常に難しいんです。だから手術できる医療機関も限られているわけですよ。
松田
手術の時間は長かったのですか?
田尻夫人
この大きな手術としては、普通やったと思います。
松田
先生の腕がよかったんですね。
田尻夫人
すごい先生だったと思います。手術の翌日には立たせたり、毎日のように酸素ボンベを携帯しての歩行練習だとか、携帯式の心電機器にしたりして寝たきりにならないような治療の連続でした。
本人は寝たフリしても、先生は起こさず、ジーっと起きるまで待っておられるんです。まぁ、本人は根負けですわ。
田尻
手術後、3日目から1週間くらいは酸素ボンベを携帯しての歩く練習でしたよ。とてもしんどかったですよ。
松田
呼吸の問題ですか?
田尻
そうです。最初は、この部屋の端から端まで歩けなかったかもしれません。
田尻夫人
すごい先生でした。
田尻
最初の塚口病院の先生が京大出身で、京大病院の先生を紹介してもらって、本当に幸せなめぐり合わせです。そんな、セカンドオピニオンだなんだと言われても、こちらは権威のあるお医者さんなんて知らんわけですからね。本当によい人に恵まれて感謝しています。
松田
以前、弟さんが中皮腫で亡くなられた方にお話をお聞しました。その方も、最初は、アスベスト原因だと分からなかったのですが、関西の労働安全センターの片岡さんに京大医学部の友人がおられて、弟さんを診ておられたらしいのです。しばらく経って別の病院に移られたんですけれど、死亡診断書を見られたら、これは中皮腫だということが証明されて、労災が認定されたんです。お話を聞いてみると、やっぱりこういうことには、偶然ということがありますね。
田尻夫人
石綿で中皮腫ということがわかったのは、病理検査結果の説明で、病変の写真を示され、「白くなっているのが石綿が石灰化したもの、赤くもりあがっているのがガンだ」と聞きました。それですぐに申請できたんです。この説明がなければもっと遅れていたと思います。石綿で中皮腫いうことはね、レントゲンで撮って、白いのが石綿だと分かるんです。石灰化してるんです、いうことですね。だから、すぐに申請できたんです。分かってなかったらもっと遅れていたと思います。
松田
京大病院では、他にも中皮腫の方はいらっしゃったんですか?
田尻
いや、私以外には一人も聞きませんでした。中皮腫の癌という人は一人もいませんでした。しかし、肺ガンいうのは多いですよ。呼吸器外科で来る患者はほとんどがガンですからね。
松田
中皮腫の肺ガンかどうか、という検査は難しいと聞きます。
田尻夫人
小さい病院だとわからないでしょうが、病理検査すればわかると思います。
田尻
ただ、今では検査の器具がたくさんありますし、大変な進歩ですから、わかると思います。まず検診ですよ。
田尻夫人
今は、体中にガンは一つもないといわれましたよ。ちなみに、70歳以上なので医療費は1割負担で済みましたが、若い人は大変ですよ。認定されるまでは自費で払わないといけませんからね。
松田
患者さんの被害者の会にも参加されておられますか?
田尻
いや、私は手術してまだ間がないので、参加していませんが、協力はしますと言っています。まだ、会員でも何でもないです。でも、話があれば、協力致しますよ。
松田
ご家族の方が亡くなられた方もいらっしゃいます。中皮腫の患者は統計的にも大阪、兵庫が多く、やはり建設作業、解体工事の労働者などにたくさんいらっしゃるようです。
田尻
石綿が多い作業場でも、防護服も何にもなくて、やっているんだから、それはすごいですよ。それでも、石綿が原因だと分からずに命を落とす人が多いでしょうね。
松田
これから問題が出てくる可能性がありますね。
田尻
私は詳しい事情は分からないですが、いろんな課題が提起されるでしょうね。
松田
戦前から石綿を手で持って作業することがあったらしいです。耐熱のために石綿を使い、軍需産業でも使われていたそうです。国も石綿の危険性には気づいていたようです。それがクボタの問題で、全国で大きく騒がれたので、泉南でも運動が始まりました。ただ、泉南にはクボタの工場のようなものはありませんから、国しか訴えるところこがなかったようです。国家賠償を待っているわけです。
田尻
国も責任があるんですよ。消防服にしても昔は石綿が使われていたんです。防火関係はほとんど石綿でした。みんな曝露していると思います。国も隠していたんではないでしょうか。
田尻夫人
外国ではもう早くに石綿の対策があったでしょう。
松田
例えば、日本やアメリカで被害があるように、中国やタイでも被害が出てくるでしょう。ただ、経済発展のために石綿を使うことをやめられないのです。1960年の段階ですでに医学の学会で石綿の危険性の報告がありますが、それでも、クボタは石綿を輸入していました。
田尻
何で青石綿が大量に入ってたかというと、使いやすい原材料ということでしょう。
田尻夫人
潜伏期間が長いのも怖いですね。
松田
すぐ出ないと分からないですよね。科学技術には良い面もあれば悪い面もあります。アスベスト問題は一つの教訓を与えてくれます。
田尻
神戸の造船会社でも多いんじゃないかな。
田尻夫人
生きているから、原因を聞けるけれども、亡くなってしまったら聞けませんからね。でも、亡くなる方が多いですから、中々分からないですよね。
松田
そういうことも考えると、色々な手続きにどれくらい時間がかかるのか、を知ることも大事なのですね。
田尻夫人
古い証明書を探すのは大変でした。問い合わせたところに、過去のデータそのものが無いと言われる場合もありましたよ。社会保険事務所に頼み込んだりしましたよ。数ヶ月かかって、書類が出てきたんです。私も必死でした。
田尻
昔のおぼろげな記憶は何の役にもたちませんからね。
信田尚久(神戸大学大学院文化学研究科博士課程)
一つお伺いしたいのですが、アスベストで中皮腫になったということは、塚口病院ですでに分かったんですか?
田尻
塚口病院の呼吸器科で、悪性胸膜中皮腫と診断されました。中皮腫は石綿でなるものですからね。
信田
これは白石綿によるものなのか、青石綿によるものなのか、それが分かれば、どこでアスベストに曝露したのか分かると思うんです。医師の方から、白石綿によるものか、青石綿によるものか、調べようというような話は出なかったんですか?
田尻
そこまでの話は出なかったんです。病院では、何と言う病気か分かればいいわけですからね。病気が分かれば治療法が分かるわけで、青石綿でも白石綿でも治療法は変わらないので、病院からそこまでの検査をしようという話は出なかったんです。
松田
今、青石綿による中皮腫か、白石綿による中皮腫か調べることのできる機械があるそうです。ただ、その機械が少ないらしいです。
田尻
他にも聞きたいことがあれば、メモに書いて送ってもらってもいいよ。お答えできる範囲で、お答えしますよ。
松田
どうも長時間ありがとうございました。
△上に戻る | 教育研究活動の一覧へ戻る