アスベスト被害聞き取り調査—武澤泰氏、武澤一子氏 [2007-03-07]
松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授)
本日はどうもありがとうございます。私たちは文学部の人間ですが、約一年程前からクボタや泉南地域のアスベスト問題に取り組んでおりまして、二回にわたるシンポジウムを契機として関係者にお話を伺っています。その活動の一環として、今回のように患者の方への聞き取りを行っています。全体の趣旨としては、人間的レベルで、アスベストが人生にどのような影響を及ぼすかを調査することを目的としています。最初に眞治さん本人の生い立ちを伺いたいと思います。お生まれになった時からこの団地に住んでおられたのでしょうか。
武澤一子
いえ、中学校一年の時から(1968年)です。その時にこちらに引っ越してきました。それ以前も尼崎市内でした。
武澤泰
(現在は5階建ての建物ですが)当時は1階平屋建てでした。引っ越してくるまでにアスベストに携わった記憶はありません。後で分かったんですが、弟は高校生の時に、少しだけクボタで建材運搬のアルバイトをしていたそうです。クボタが目の前にあるので、アスベストの粉が目に見える形で舞い散っていました。
周辺の道路はアスベストで真っ白でした。アスベストであると知らない人間でも、このあたりを歩くときはハンカチなんかで口を覆っていたくらいです。トラックなんかが走ると、砂煙のようにアスベストが舞い上がってました。
松田
工場の中で遊ばれたことは?
武澤泰
(青石綿が使用されている)土管が置かれている、塀のところの間際まで行って遊んだことはあります。
松田
お兄さんも学校に通われる時は口を覆っていたと仰いましたが、その時に気分が悪いとか感じられたことは?
武澤泰
考えもしなかったですね。普通の工場と同じ感覚です。工場も、換気のために窓を開けていたので、当然周囲に(アスベストが)撒き散らされますね。
松田
同時期に住まれていた方の中で、中皮腫を発症された方というのはご存知ですか?
武澤泰
この病気に関しては、クボタが発表するまで中皮腫なんて聞いたことも無かった。クボタの会見を聞いて、弟と一緒に、「中皮腫ってなんや」と話し合ったのを覚えています。病院にも行ったけれど、多くの病院ではアスベストや中皮腫という名前が出てこなかった。一番最初の病院では、カルテの最後に小さく「中皮腫の疑い有り」と書かれてはいましたが。ある医師は、「肺ガンか中皮腫のいずれかだが、確定をすることは難しい」と言っていました。(入院先の)兵庫医大に行った時には、もう手遅れでした。発表がもっと早くからあれば、皆がもっと知っていたら、医師もすぐに診断が下せたかもしれません。
松田
以前お話を伺った被害者の中には、定期検診の中で中皮腫が発覚したという方もおられたのですが、個人差といいますか、医師の中には分かっていた人もいたのではないでしょうか。
武澤泰
ある程度の知識差はあったと思います。ただ、それをわかっていなければいけないのは、医療の現場以前に、まず国です。国からの情報公開があれば、医師だけでなく、我々のような患者も気づくことが出来たかもしれない。
松田
クボタとアスベスト関連の症状とを関連付けて考える医師はほとんどいなかったのでしょうか。
武澤泰
クボタの発表以前、そういった話は全く出なかった。おそらく、クボタでそういったことがあるということに気づいていた医師はほとんどいないでしょう。
松田
クボタ内部では当然認識していたと思われますが。
武澤泰
もちろんです。中では完全に認識していたはずです。内部での補償は充実していましたが、外部へはありませんでしたから。最終的にはクボタも関連性を認めているわけですが、問題は、その証明が困難なことです。「これはクボタから出たアスベストだ」なんて誰にも言えない。ただ、それを言い訳にはしないで欲しい。
松田
補償の話が出ましたが、クボタとの交渉はどのようなものだったのでしょうか。
武澤泰
交渉は、まずクボタに関連性を認めさせることから始めました。もともとクボタ内部では労災ということで補償がなされていた。交渉の過程はここではなかなかお話しにくいのですが、最終的に(クボタ・幡掛社長の声で)外部への補償が決定しました。
まだ正式な名称は未定ですが(編者注:聞き取り調査当時。現在は設立済み)、被害者の救済金から有志で寄付を募り、来年アスベストセンターを設立する予定です。尼崎を拠点とした、全国の被害者との交流を目指しています。
松田
因果関係についてですが、クボタとはどの程度突っ込んだ議論が行われたのでしょうか。
武澤泰
さきほども話にでましたが、これはなにもクボタだけが悪いということではなくて、証明が不可能なんですね。極端な話で言えば、どこかの家の解体現場で吸ったものかもしれない。
松田
常識的に考えれば明らかだと思われますが。
武澤泰
そうですね。ほぼ明らかだと思います。因果関係の証明に関しては、裁判などでは一番時間がかかります。幡掛社長は因果関係を認めましたが、全国でそこだけしかアスベストを扱っていない、などの特殊な事情でもない限り、因果関係を証明するということは相当難しいですね。また、アスベストはただ飛散するだけではありません。例えば、水路に流れ込んだアスベストが下流まで流れ、そこで溝さらいをしたとしたら、乾いた土からアスベストが飛散する可能性があります。それ以外にも様々な飛散経路が考えられます。
松田
少し話は戻りますが、病気が明らかになる以前、アスベストに関してなにもご存じなかったのでしょうか。
武澤泰
クボタの発表があるまで全く知りませんでした。
松田
(こちらに越してきてから)約40年、眞治さんの場合は、何も知らない状態で突然起こった事件というわけですね。
武澤さん、お兄さんが出て、眞治さんの思い出のこと、また眞治さんの絵を描かれた様子などを語っていらっしゃる、NHK大阪のドキュメンタリー番組を拝見して思いました。アスベストの社会的問題も当然あるとは思うのですが、家族を亡くした者の、怒りというよりもむしろ、(アスベスト被害により実現出来なかった)被害者の夢や家族の悲しみを中心に紹介されており、それが視聴者の心情に訴えかける部分が大きい、と私自身は感じました。そういった点についてお話を伺いたいと思います。
武澤泰
僕と弟は性格的に正反対なんですが、仲が良かったんです。弟はすごく真面目でですね。母を助けるために、結婚もせず、(鰻屋の)修行に励んでいました。後にわかったことなんですが、仲間がすごく多い。今回に限った話ではないのですが、人のために何かをする、ということが苦にならない人間でした。弟のことは未だに悔しさが残ります。弟も同じ気持ちだと思います。弟の夢も、まさにこれから、という時でしたから。
今回、我々家族が被害者として挙げられていますが、他の家族の方も、内容は違えど同じ苦しみを味わっています。我々の場合、クボタが相手だから、救済金ももらえていますが、泉南地域では事業者が倒産してしまって賠償請求さえ出来ないところがあります。地域ごとの差は仕方がないことなのかもしれませんが、そうなれば国を相手取るしかない。結局は、今までほったらかしにしていたツケでしょうね。そういったことも含め、これから訴えていきたいと思います。
松田
私は今年50歳ですが、武澤さんの絵に同世代的な懐かしさを感じました。アスベスト報道を通じて、企業責任からアスベスト問題に入るよりも、こういった方面から、身近なものとして問題に興味を持ってもらうというやり方もあると思います。私はそういったやり方も重要なのではないか、と考えているのですが。
武澤泰
われわれは、いわば問題を一番奥から知っていった人間だと思います。身の回りに被害を受けてから、アスベストのことを知りましたから。(被害者以外に)口で訴えても、なかなか分かってもらえない部分も多々あります。だから、一番身近にあった絵の具を使って、絵を描いています。実際は上の方からやっていかなければいけないのですが、国は見ようともしませんね。
松田
私たちは文学部の人間なので、表現としての絵や音楽は、いわば専門分野です。水俣病での石牟礼道子さんのように、そういった面からアプローチして、記録として残していくというのはすごく大事なことだと思います。歴史的に「こういったことを繰り返してはいけない」といったことをどこで感じるかといえば、他人が感じた痛みや苦しみにどれだけ共感できるか、にかかっていると思います。その共感を引き起こすための表現手段として、そういった面からのアプローチも必要だと思います。
藤木篤(神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程)
団地全体の被害はどの程度のものだったのでしょうか。より具体的に言いますと、他の住民でアスベストの被害にあわれた方をご存知でしょうか。
武澤泰
このあたりの団地は、五棟の内二棟が県、他三棟が市の管轄です。県の管轄の方は、もともとこのあたりに住まれていた方で、私たちが引っ越してくる以前から住まれていた方達です。住民の多くは外へ出ていっているのですが、今後もっとアスベスト被害に関する話は出てくるのではないでしょうか。もともとこのあたりに住んでいて、既に亡くなられた方の中でも、(そうだと判明していないだけで)アスベストが原因で亡くなられている方もいるでしょう。皆が全て検査するのが一番早いのですが、なかなかそうもいきません。ある医師は「この団地に住んでいて、健康上何の影響も無いということはありえない。今後もどんどん出てくるだろう」と言っていました。
松田
(疫学的調査のように)組織的に調査することは難しいのでしょうか。
武澤泰
行政がその気になって動けば可能だと思います。ただ、調査のために当時の住民票を調べようにも、全て廃棄されており、もう手に入らない。学校の卒業証書など、わずかな手がかりを追いかけていけば調査することは出来るのですが、それには莫大な費用と時間がかかります。その問題は、個人で解消することは難しい。
松田
今だと、個人情報の壁もありますね。
武澤泰
それも調査を難しくしている一因です。
松田
環境省の中に、アスベスト被害者のための窓口はあるのでしょうか。
武澤泰
議員の中には、真剣に取り組んでいる人間もいますが、やはりまだ壁はあります。
松田
昨年十一月に、アスベスト被害との比較のために、薬害エイズの問題に関する話を聞いたのですが、薬の問題に関しては、厚生労働省内部に被害者の代表者が直接意見を言う場があるそうです。そうなれば、実際の当事者や被害者の声が行政に反映される可能性が高まると思います。アスベストの方でもそれが出来れば、かなり違ってくるのではないでしょうか。
薬害エイズの場合は、被害者に議員が含まれていたようで、おそらくそういった見えない力が働いているとは思いますが、病院や厚生省は比較的短期に非を認めました。今回も国民的事件という意味で、被害者側から強力に働きかければ、(そういった場の実現は)不可能ではないと思います。世界的傾向としては、当事者と被害者が実際に中に入って話を進めていく流れがあるように感じます。
お兄さん自身も、健康に関する不安はおありだと思いますが、その点に関してはいかがでしょうか。
武澤泰
正直な話、アスベストを吸っている期間は、弟より私の方が長いんです。弟は高校を出てすぐに家を出て行きましたから。母が昔、結核で片肺を失っているのですが、その影響で小児結核を患ったことがあります。半年前に近くの病院へ行った時に、肺に影が映りました。医師は「小児結核の名残だ」と言っていたのですが、以前はそのような影はありませんでしたし、不安が残ります。
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