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 ―基層・動態・持続可能な発展―

Basic structure,Dynamics, and Sustainable Development

 

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2008年調査報告(ミャンマー)

1. 地方行政から見るモウラミャインの位置づけとその変化


ミャンマー地図
(引用元:http://en.wikipedia.org/wiki/Burma)


 モウラミャインは、現在、モーン州の州都と位置づけられているが、モーン州および、その州都としてのモウラミャイン、という位置づけが固定化されたのは、実は1970年代以降のことである。
 まず現行の行政組織であるが、ミャンマーの行政組織は14の行政区域 (administrative subdivisions)からなり、その内訳は7つの州 states (pyine) と7つの管区 divisions (yin)である。州および管区の下位単位は県〔districts (kayaing)〕,であり、さらに町(towns)区域(wards)および村(villages)からなるタウンシップ (townships)が続く。(地図参照)

 ミャンマーの現在の行政区分は、英国植民地期の影響を強く残しており、その基礎は、英国植民地時代に設定された行政区分に基づいている。
 昨年の調査報告で述べたように、モウラミャインは、第一次英緬戦争(First Anglo-Burmese War)以後、つまり、英国植民地期の初期に英国の植民地行政の下、発達してきた都市である。
 1900年、ビルマは英領インドの一州(province)になり、以下の二つの地域(subdivisions)に分けられる:
  (1) 下ビルマ(Lower Burma), 主都はラングーン(Rangoon)
  →4つのdivisions(Arakan, Irrawaddy, Pegu, Tenasserim)からなる。
  (2) 上ビルマ(Upper Burma), 主都はマンダレー (Mandalay)
  →6つのdivisions (Meiktila, Minbu, Sagaing, N. Federated Shan States and S. Federated Shan States) からなる。

 現在、モーン州およびタニンダーリ管区に属する地域は、当時は、下ビルマ(Lower Burma)のテナサリム管区(Tenasserim Division)の一部であった。この時代の、テナサリム管区の主都がモールメン(現・モウラミャイン)である。
 テナサリム管区は6つの県(Districts)からなり、名称は以下の通りである。それそれの県には行政本部(headquarters) が置かれていた。
 (1) タウングー(Toungoo)県 - 行政本部 タウングー
 (2) サルウィーン(Salween)県 - 行政本部 パプン(Papun)
 (3) タートン(Thaton)県 - 行政本部 タートン
 (4) アムハースト(Amherst)県 - 行政本部 モールメン(注1)
 (5) タボイ(Tavoy)県 - 行政本部 タボイ
 (6) メルギ(Mergui)県 - 行政本部 メルギ
 独立後、カレン州(Karen State)がテナサリム管区のアムハースト、タートン、タウングー県から分かれて新設される。1974年、モーン州は テナサリム管区から分離させられ、以後、モーン州の州都は、モールメン、テナサリム管区の州都は タヴォイとなる。
 このことからも理解されるように、モールメン(モウラミャイン)は、歴史的に、広大なテナサリム管区の主都であり、同時にアムハースト県の行政本部が置かれるという、言わば地域の中心的な行政都市であった。ミャンマーの地方行政制度史、という側面から考えると、モウラミャインという都市は、「モーン族の住む地域の州都」という現在のイメージだけではなく、植民地行政において重要な機能を担ってきた都市としての側面からも見ていく必要があろう。

注1) 植民地期初期、英国は、1826年、アムハースト県の行政本部を、モールメンより50キロメートルほど南にあるアムハースト市(Amherst town)に置いた。しかし、1年後、行政本部はモールメンに移転。アムハーストという名称は、当時のインドの総督(governor-general)の名前にちなんでつけられた。現在の地名はチャイカミーであり、小さな海水浴場になっている。

2. ダウェー

 現在のモーン州は、1974年、テナサリム管区のうちモウラミャイン周辺とペグー(Pegu)管区の一部を併せて分離し、新たに作られた州であるが、歴史的な地方制度の変遷から考えると、モーン州とテナサリム管区の関係は深い。
 現在、タニンダーリとよばれるこの管区は、前述のモーン州やカレン州の分離・新設により、以前より面積は小さくなっているものの、ミャンマーの最南端となる半島部を広く覆っている(面積43,328 km2、人口は約130万人)。管区の中心的都市はダウェー(旧名・タボイ)である(地図参照)。

写真1:ダウェーのバイクタクシー

 現在、ダウェー市の人口は、2004年時で約14万人と推計されているが、実際に歩いてみると、市域は10万都市のそれとしては狭いという印象を受ける。高層建築は少なく、木造の古い二階建てが多くを占める。主な交通手段は、自転車、バイク、もしくはバイクの後輪部分を改造し、向かい合わせのベンチ付き荷台をとりつけたタイプのバイクタクシーである(写真1参照)。ダウェー大学など高等教育機関は4カ所存在するが、大卒者の失業率は高く、タイへの出稼ぎ者が多いと言う。管区の中心とは言っても、都市の規模、経済・インフラ等々、あらゆる点から見て、モウラミャインとは比べものにならない小ささである。しかし、これは反面、モウラミャインが歴史的に、単なる州都ではなかったことを示しているとも言えよう。
 ダウェーは、古代にはモーン文化圏であったと考えられ、また歴史的にスコータイ、アユタヤ時代のタイと関係が深く、同時代にはタイの王国の勢力範囲にあったと言われる。現在、ミャンマーでは、ダウェーはダウェー方言を話すビルマ族系の住民が住む地とみなされているが、植民地期の記録には、住民の多くはモーン族であると記されており、その他にビルマ族、シャン族、そして少なくない数のシャム人(タイ人)が住んでいたという。実際に訪れてみると、ダウェーの寺院やパゴダに伝わる伝承は、先住民族としてのモーン族の存在をうかがわせるものもあり、モーン文化圏の一部を形成していると考えても違和感がない。
 また、ダウェーでも、ゴムプランテーションが盛んであり、ミャンマー南東部農業のゴム栽培への急激な傾斜がうかがわれる。

3. モウラミャイン周辺のゴム産業

 今回の訪問時(9月)、ゴム価格の上昇は続いており、昨年末に比べてもキロあたり200-300チャットほどあがっていた。そのため、雨期にもかかわらず、シートゴムを干している風景があちこちで見られ、多少汚れたゴムでも通常の3分の2程度の価格で売れるということであった。こうしたゴム栽培ブームは、モーン州を中心に前述したタニンダーリ管区、バゴー管区でも見られ、また、定年退職後の公務員の投資ビジネスの対象にもなっているようである。
 しかし、拡大するゴムプランテーションも、出稼ぎ労働者の流出の抑止要因にはなっておらず、むしろ国内の物価の上昇と高い失業率は、海外出稼ぎ傾向へのドライブ要因として働き、同地域経済におけるタイ依存は今後も続きそうである。

参考資料、文献
J.George Scott, 1999(1921), Burma: A Handbook of Practical Information, Orchid Press, Bangkok.
ウィキペディア英語版「モーン州」(http://en.wikipedia.org/wiki/Mon_State
ウィキペディア英語版「タニンダーリ管区」(http://en.wikipedia.org/wiki/Tanintharyi_Division
ウィキペディア英語版「ダウェー」(http://en.wikipedia.org/wiki/Dawei
ウィキペディア英語版「ビルマ」(http://en.wikipedia.org/wiki/Burma

橋本(関) 泰子(四国学院大学)