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 ―基層・動態・持続可能な発展―

Basic structure,Dynamics, and Sustainable Development

 

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2007年調査報告(ミャンマー)

◇モーン州とモウラミャイン

 モーン州(Mon State)はミャンマーの東南部に位置し、州都はモウラミャイン(モールメン)である。州の面積は12,155平方q、州全体の人口は約246万人、モウラミャインの人口は約30万人。ヤンゴン、マンダレーに次ぐミャンマー第3の都市であり、約75%がモーン系と推計される13)。他には、ビルマ族、チン族、カチン族、カレン族、シャン族等が居住する。
 モーン州およびモウラミャインはその地名が示すように、下ビルマの先住民族でもあるモーン族の世界である。しかし、モウラミャインという都市自体は、近代になって英国によって作られた都市である。モウラミャインの歴史は1824年、第一次英緬戦争(First Anglo-Burmese War)にさかのぼる。英国との闘いに敗北したビルマは、1826年ヤンダボ条約を結び、以後、現モーン州を含む下ビルマは英国の植民地下におかれる。
 英国植民地期を通じて、チーク輸出の主要港であるモウラミャインは英国人のコロニーとして存在し、第二次英緬戦争(Second Anglo-Burmese War) により、英国がペグー(現・バゴー)を占領する1852年までは英領ビルマの都として存在していた。
独立後、特に社会主義時代、モウラミャイン港は、シンガポール、マレーシア、タイとの交易ビジネスで栄えた。現在でも、その町並みは、ミャンマーの古都というより、英国の港町といった風情が漂う。植民地時代に移住してきたインド系住民も多く、海岸に沿って広がる広い道路沿いには、キリスト教の教会や、ムスリムのモスクなども見られる。
 モーン州の主要産業は、農業、特に米作である。米作地面積は18000平方q前後と推計される。他に、製紙、砂糖、タイヤ製造業、小学校用石版製造等のハンディクラフトが存在する。さらに、天然ガスプロジェクト(Yadana Gas project)も有名である。近年は、「ゴールデンロック」のあるチャイティーヨーを呼び物とするなど、観光にも力を入れている。
 しかし、現在、モーン州農業で最も注目されるのは、ゴム栽培であろう。ゴムは、米、豆類、野菜、綿花、サトウキビと並び、作付面積が急増した作物であり、生ゴムは、米・メイズ・豆等と並ぶ主要輸出用農産物である。特に近年のゴムの国際価格高騰(品質にもよるが、価格は大体1ポンド=1ドル)を受け、ゴム栽培面積は急速に拡大している。
 バゴーを過ぎ、モーン州南部へ向かう幹線道路沿いは至る所ゴム農園で覆われ、モウラミャインよりさらに南部の都市タンピュザヤでは、「ゴム長者」の立派な家が建ち並んでいた。その経営方式は個人経営や農園プランテーション方式がほとんどであるという。採取後の樹液に薬液を入れて作るシートゴムの売り上げは、地主と労働者で折半される。このゴム景気が地域の農家やゴム農園労働者に及ぼす利益は多大であると考えられる。
 近年、経済的停滞やインフレの影響もあり、ミャンマーから海外への出稼ぎが増えている。ミャンマーの農村部世帯の2?3割は農業労働者世帯であり、全人口の約910万人に相当すると推計されている。さらに、前述の農業の発展は、農業労働者にも雇用機会を提供する反面、土地所有農民と農業労働者間の所得格差拡大をもたらし、さらに資産保有状況や子弟の教育における格差をも引き起こしているという。これらの農村に滞留する低所得層の一部が、収入を求めて、タイへの不法越境・出稼ぎを目指すと考えられる。現在、ミャンマー人の主な出稼ぎ先はタイ、マレーシア、シンガポールであるが、タイとの国境に近いモーン州のモーン族農民に限ると、タイへの出稼ぎが圧倒的であると考えられる。モウラミャインの住民へのインタビューでも、「特にモーン族はタイへの出稼ぎを好み、一家で出稼ぎに行ってそのまま住み着き帰ってこない場合も多い。」と言う。モーン族がタイを目指す理由は、おそらく、タイにもモーン族が多数居住している上、ヤンゴンに出るよりもタイに向かう方が距離的に近く、以前からのモーン族の出稼ぎ者のネットワークが確立されているからと考えられる。
 以上のように、ゴム景気とタイへの出稼ぎ者からの送金により、モウラミャイン周辺の経済は活気があり、住民の生活は、よりヤンゴンに近いバゴーやタートンの住民よりも豊かに思われる。また、モーン州における農業の発展は、土地無し農業労働者にも賃仕事の機会を提供していると言えよう。ゆえにモーン州からタイへの多数の出稼ぎ者の存在は、農民達の生存のための決断が、単純に生活苦というプッシュ要因、タイでの高賃金というプル要因だけでは説明しきれないことを示している。しかし、急激なインフレは、タイへの出稼ぎによる収入とミャンマー国内での賃金間の格差を減少させ、相対的に魅力のないものにさせているという見方もある。ゴム価格の不安定性とタイ経済の先行き不透明性が地域の経済に多大なる影響を及ぼす可能性があり、長期的にこの好況が続くのかどうかについては疑問が残るが、モーン州農民の生活は明らかに変化のただ中にあると言えよう。

参考資料、文献
藤田幸一編、2005a、『ミャンマー移行経済の変容』アジア経済研究所。
日本国外務省ホームページ「各国・地域情勢:ミャンマー」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/data.html)。
西澤信善、2000、『ミャンマーの経済改革と開放政策?軍政10年の総括?』勁草書房。
ウィキペディア英語版「モーン州」(http://en.wikipedia.org/wiki/Mon_State

 


モウラミャインの町並み

 

橋本(関) 泰子(四国学院大学)