・ベトナムにおける「民族」
民族(dan toc)というベトナム語には2つの用法があることがよく知られている。1つは「ベトナム民族は1つ」という用法にみられるように、国民やネーションに近い意味で用いられる場合である。2つめは、エスニック集団(ethnic group)と英訳される意味で用いられる場合である[cf.岡田1998:183]。ベトナム民主共和国(1945-1975)ベトナム社会主義共和国(1976-)が過去4回(1946、1959、1980、1992)発布した憲法のうち1959年憲法以来3つの憲法に2つめの意味で民族の語が用いられている(1)。ベトナムにおいて、民族は、公民(cong dan)を分類する明確な法的概念として採用されてきたのである。
その理由は、諸民族の平等を標榜する共産党(かつては労働党)がベトナム民主共和国成立以来、政策各級政権機構や生産単位の指導部の民族構成、就学機会の平等、独自の民族文化発展の権利などの実現を目指してきたからである。したがって、その基礎となる民族識別を中国に倣って1950年代にはじめ、1972年頃までには「1,言語的特徴、2,生活・文化的特徴、3,民族アイデンティティ」の3指標で民族を定義することを決め、1979年に54民族が公定された。
(1)ベトナム共産党(労働党)主導の2政府が発布した憲法については、以下を参照。
CONG HOA XA HOI CHU NGHIA VIET NAM (bien soan) 2002 Hien phap Viet Nam (nam 1946, 1959, 1980, 1992 va Nghiquyet ve viec sua doi, bo sung mot so dieu cua Hien phap 1992). Ha Noi: Nha xuat ban Chinh tri quoc gia.
・ソンラーにおける民族
ラオス、中国雲南省と国境を接し山がちなベトナム西北地方は、ベトナム民主共和国以前からベト・ムオン語系、タイー・ターイ語系、モン・ザオ(苗瑤)語系、チベット・ビルマ語系、モン・クメール語系などに属するムオン、ターイ、モン、ザオをはじめとする20以上の多民族が混交する地域であった。とくにフランスが撤退した1954年以降は、デルタ地域からベトナムの多数民族キン族が各地に入植し、人口構成にも変化が見られる。たとえばソンラー省の場合、もっとも人口1,007,700人の54%を占めるのが盆地民のターイであり、次にキン族が多く(18%)、モンの12%、ムオンのムオン8.4%を大きく上回っている。ソンラー市街に絞ると、人口約19000人(2)の70パーセントをキン族が占めている(3)。
ソンラー省における民族分布は、高度ごとに住み分けている傾向がある。盆地部にターイ、中腹にカダイ語系やモン・クメール語系の民族やザオ、高地にモンが居住し、地勢に応じた生業を営みつつそれぞれ生計を維持している。
(2)統計年、典拠不明。(http://www.tageo.com/index-e-vm-cities-VN-step-1.htmによる)
(3)出典:ソンラー省ウェブサイト、ベトナム国家統計局
・民族衣装の現状
盆地に形成された市場は、紅河デルタ、中国その他の外国からの物資のみならず、地域の諸民族が集まり、接触し合う重要な交流点である。この地域において、衣装はそれぞれの民族帰属を視覚的に表現する代表的な物質文化であり、さまざまな民族の人々が市場に着ていることが民族衣装だけからでもわかる。しかし、ある民族独自の衣装は、民族間の物質的、技術的交流がないゆえに形成されているのではない。伝統的といわれる衣装も、外部社会からの影響を受けつつ不断に変化し、新しく作り出されている。また、洋装化が進む市街では、都市社会のコンテクストにあった衣装形態も生まれている。モンとターイを例に、ソンラーの市街や村で人々がどのような衣装を身につけているのか、写真を用いて示したい。
学校から村へ帰宅途中のモンの小学生。赤や黄色の糸で刺繍を施した伝統的なスカートをはいているが、テレビのキャラクターの絵などが描かれたビニルの中国製リュックサックを背負っている。
モンの小学生の男たちが、村の近くを連れ添って歩いている。4人とも裾が広くなった伝統的なズボンをはいているが、腕に刺繍が入った伝統的な上着を着ている右から2人目の少年も含め、市販のTシャツを着ている。足は裸足である。
モンの女性が刺繍をしている。伝統的な図柄の刺繍を施しているが、頭衣は、黒タイ(ターイ)のピョウという頭巾に独自の赤い房をつけてモン風の頭衣に装飾し直し、モン風の巻き方をしている。緑の上着は、中国製プリント布を裁断して作られている。足下に置いてある袋も、中国製のプリント布からできている。横に立っている女の子は、洋装で、このこの恰好だけからではモンなのかどうかはっきりしない。
小学校の休み時間に集まってきた黒タイの村の子どもたち。町に近いこの村の子どもたちは、皆洋装化している。
黒タイ(ターイ)の村落での食事の風景。村でも男性と子どもはほとんど洋装である。右奥にいる70歳をこえる女性は、蝶型の金属ボタンが付いた上着に、黒スカートという伝統衣装を身につけている。他の女性は、黒スカートと簪で黒タイらしさを出している。
正面の女性は、これからソンラー市に向かう黒タイ女性で、民族衣装で清掃している。特に女性については、スーツ以外に民族衣装を着飾ることも、ソンラーでは正装として認められている。女性のヘルメットが頭にしっかり被さっていないのは、タンカウという既婚女性独特の結い方によって頭のてっぺんが高くなっているためである。2007年12月25日以来、バイク走行でのヘルメット着用が義務化され、ソンラーでは既婚黒タイ女性のちょっと高い位置でのヘルメット着用が目立つようになった。
市場に野菜を売りに来た黒タイの女性たち。右手の肉屋にいる人たちは洋装である。ピョウをかぶって、タケノコや野菜を売りに来る黒タイの女性たちがいる。左端の男性は、ソンラー市街に住む黒タイ出身の人民委員会幹部だが、日常生活ではすべて洋装であり、伝統的な衣装はもっていないと言う。
ソンラーの交差点に、近隣の村落から来た黒タイの女性たちが果物や野菜を売りに来ている。少数民族のもってくる野菜や果物はふつう有機栽培であり、しかも少数民族は商売でボッタくらないというというイメージができあがっているため、この民族衣装は商業上有効かもしれない。右端の買い物客は衣装と身のこなしから判断してキン族である。
市場で黒タイの織物を見ていると、キン族の店の女性が同行した大泉さん(一橋大学大学院生)に、ピョウ(頭衣)、トン・キット(鞄)、スカート、シャツなど、伝統的な黒タイの衣装を試着させ、売りつけようとした。いわゆるイメージ通りの黒タイの衣装である。
引用文献
岡田建志 1998 「20世紀初頭のベトナムにおける<民族>概念」『東洋文化』78:184-197
樫永 真佐夫(国立民族学博物館民族社会学部・准教授)
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