―基層・動態・持続可能な発展―

Basic structure,Dynamics, and Sustainable Development

 

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2007年度調査報告(ベトナム)

◇概要

 ベトナムの国土の70%以上を占める山地は、少数民族の伝統的な居住地域であった。北ラオス、西南中国と地理的に連続する西北地方にはタイ語系、カダイ系、モン・クメール語系、チベット・ビルマ語系をはじめとする20以上の民族が居住し、高度別に民族が住み分けていることが、20世紀までにすでに知られてきた。報告者が調査してきたソンラー省ソンラーの場合を例に取ろう。
 盆地の中央部に形成された市街に居住している人口の70%以上が、現在では多数民族キン(ベト)族である。彼らは、フランスが西北地方から撤退した1954年以降の紅河デルタからの移住者であり、主に商人や公務員とその家族である。現在でも盆地の主な耕作者はターイ(なかでも黒タイ)であり、カダイ系のラハー、モン・クメール語系のカーンやコムーなど、ターイにサーと総称される人々が天水田や焼き畑を拓いている。さらに山頂近くの高地ではモンが森を開いて焼き畑をつくっている。盆地/山腹/高地という地勢に応じた三層構造の民族すみ分けと、盆地に人口が集中し、次に高地民が多いという人口分布が特徴である。
 1990年頃から市場経済化の影響を受けて、ターイ村落の暮らしは大きく変化しつつある。商業と移動の自由化の実現、道路などインフラストラクチャーの整備、物資流通と情報の量的増大といったことを背景に、村人の日常生活における現金の必要もとみに増してきたからである。近郊の都市で建設労働者として働く村人の姿も、2000年頃からはもはや見慣れた光景といっていい。報告者は、急速な都市化が進むベトナム西北部における「地方的世界」の実態を、ターイ村落民の視点から考察することを目的としている。
前近代のタイ系民族は、東南アジア各地の盆地を中心にムアン(ムオン、ムン)という独自の政治体系を築いてきた。ベトナムのターイも植民地期(ソンラーでは1953年)までムアンの政治組織を通して、用水を管理し、中心部の市場を統制し、交易を保護し、異民族を含む領民を支配していた。各ムアンには、共同体儀礼を執行するさまざまな儀礼空間があり、その意味でムアンは宗教儀礼や世界観と密接に絡まった象徴的な政治空間でもあった。ソンラー省に遍在したソンラー、マイソン、トゥアンチャウをはじめとする各ムアンいずれも例外ではない。1954年以降の社会主義化を経て、ムアンは政治的にも宗教的にも機能を失ったが、地理的空間、儀礼祭祀、伝統的な娯楽などにその記憶はとどめられている。報告者は、新しい地方的世界が生成されていく中で、かつてのムアンに対するターイの人々の集合的記憶がどのように残り、あるいは忘却されていくのかに注目している。
 2007年から、都市化の中で、かつてのムアンの儀礼空間に対する観念、および経済ネットワークと社会関係がどのように変化し、またそうした中で民族や地方の文化をめぐってどのような取り組みが行われているか、考察を始めている。東南アジア最大のソンダーダム建設との関連で、西北地方全域で道路建設が進んでいるが、9月にはソンラーを中心に国道を移動し、植民地期以前の伝統的な交易路と現在の交通路との重なり合いを調査した。またソンラー市内で、役所勤めをして暮らすターイの家族における食生活、祖先祭祀に関するインタビューを行った。

ソンラー市街の眺望

樫永 真佐夫(国立民族学博物館民族社会学部・准教授)