◇概要
1.ローイエットの歴史と交通
18世紀初期にラオス南部のチャンパーサックの王がスワンナプームに一族を住ませた。以後メコン川東岸からラーオ族が移住。現在の郡庁所在地のカセートウィサーイ、タワットブリー、チャトラパックピマーンなどには、18世紀の後半にはかなりの規模の集落が存在していた。県庁所在地のローイエットも、18世紀に町形成の淵源がみられる。
しかし、ローイエットも含まれる、イサーン(東北タイ)には、強力な王権支配は成立せず。各地が地方世界を形成して、20世紀に至った。19世紀末から20世紀初頭にかけて、バンコクから東北タイの入り口になるコーラート(ナコンラチャシーマ)への鉄道敷設とその延長、1921年の初等教育法の施行などが、中央政権のこの地域への関与となり、1960年代のベトナム戦争と関係する道路網の整備が、東北タイと中央政権とを結び付けていった(赤木攻「村落構造」、北原淳編『タイ農村の構造と変動』、勁草書房、1987年)。
しかし、東北を走る二つの鉄道路線や幹線道路(国道2号線)からローイエットは遠く離れており、地理的にはイサーンの中心に位置していて、古い歴史をもつにもかかわらず、1980年代以後のタイにおける産業化の進展にはほとんど恩恵に預かることなく、一地方都市のまま今に至っている。
なお、1990年代にローイエット近郊に空港が建設され、現在PBエアーのジェット便が週4便就航している(数年前は、週3便)。ツアーバスで7時間前後かかる距離を、1時間に短縮した。開港後まもなくの空港を見学にいったことがあったが、飛行機が飛ばない日や離着陸以外の時間帯は閑散として、まったく人気もないような空港だった。おそらく空港の風景は、十数年後の今も大差はないだろうと思われる。
2.タイの発展とローイエット:地方的世界の変遷
(1)ローイエット県の地域の現状
表1に明らかのように、この県の地域区分は、都市地域人口の少なさと非都市地域(村落)人口の圧倒的な多さである。全国の都市地域人口値の三分の一でしかない。圧倒的に農村が県民の居住地となっている。景観的には、小規模の都市(県庁所在地のローイエット市でも、3万人台半ばを下回る人口でしかない)を農村が取り巻いているのである。
(2)ローイエット県の産業構造
表2から、県内総生産(Gross Provincial Product;GPP)の上位3位をみると、製造業がかろうじて3位(2005年度は教育に抜かれて4位)をしめているが、比率は高いとはいえない。商業が最大の産業となっている。また、依然として第一次産業の比率も高い。そのためか、ローイエット県の位置する東北部はもともと「貧しい」地域との評価がタイでは定着しているが、同県の一人当たりのGPPの額は、東北部の平均値をも下回っている。全国のGDPの一人当たりの数値は、この間の工業化の進展にともなって、順調に増加しているが、それの数分の一でしかない。このような現状が、十年ごとにおこなわれる国勢調査の転出数で、東北部がいつも最大の転出数を示す地方となっている。同県も、最近は毎年人口が減少している。
表3からは、ローイエット県の産業化の状況を、事業所の規模でみたものである。ここからは、規模の大きい工場がほとんどなく、逆に常に八割以上をごく小さな規模の工場や事業所がしめていることが明らかになる。このことは、県内の労働市場がとても小さく、学校を卒業した後、県内で農業以外の職を得ることが、容易ではないことを示している。さきの、国勢調査における東北部の転出者の多さも、このような産業構造と密接に結びついているといえる。
(3)ローイエット県の地方的世界
産業化の展開が、なかなか進展せず、そのため都市の経済的な発展も遅々たる速度でしかないこの県は、逆に見れば、依然として農村が重要な地域となっている。もちろん、最近は農村でも、輸送手段の整備により、首都と同じような品物を買うことができる(たとえば、冷凍食品のアイスクリームなどで)機会が増えている。また、都市的な生活様式も急速に入ってきた。しかし、農業はまだまだ重要な位置を占めており、農民は農繁期には稲作に従事するが、不足する労働力は急速に賃金労働に切り替わっている。機械や化学肥料、農薬の使用も増大する一方である。したがって、農業経営でも営農に際して、現金は不可欠である。生活と生産に現金が不可欠な状況は、農家の借金の増加にも結びついている。農村が広がる景観でも、農村のなかではこれまでとは異なる状況が進展している。さらには、人間関係など、目には見えない都市や農村の中身の変化をいかに把握できるのか。そこに地方の状況を読み取ることで、この県の「地方的世界」を明らかにしていきたい。
なお、添付した写真(ローイエット市の象徴ともいえるプランチャイ湖の風景)でも明らかなように、都市的生活の内容は、都市住民の生活の質を上げるようなものに変化してきた。ペットとして洋種の犬の飼育が急増しているのも、その一つといえそうだ。しかも、愛玩用の犬の飼育は、都市のみならず村でも増えている。生活様式についても、村も都市に見られるような住宅が建設され始め、電化されて電化製品の使用や燃料にガスを用いるので1階での生活が普通になり、、簡易水道も普及するなど、かつてあったような都市と村との地域差はかなり埋まっている。したがって、都市的な生活様式は、村でも可能になりつつある。そこに特有の地方性があるのかどうか。今後確認したい。
表1 都市地域の比率
年次 |
都市地域 |
非都市地域 |
1999 |
2.9% |
97.2% |
2000 |
2.7% |
97.3% |
2001 |
11.5% |
88.5% |
2005 |
11.7% |
88.3% |
資料)National Statistical Office, 各次年度のStatistical Yearbook Thailand.
注:現在タイ全体では都市地域の人口は3割をしめている。
表2 県内総生産(GPP)の構成比率(ローイエット県)
|
1985 |
1990 |
1995 |
2000 |
2005 |
農林漁業 |
28.70% |
27.70% |
19.10% |
19.00% |
19.00% |
製造業 |
5.70% |
4.20% |
4.80% |
10.20% |
9.70% |
卸・小売り |
23.90% |
25.50% |
25.80% |
27.0%* |
26.3%* |
GPP per capita |
7,427B |
11,519B |
19,487B |
21,143B |
28,461B |
東北部 |
8,352B |
13,187B |
24,088B |
24,222B |
33,903B |
全国 |
19,627B |
39,069B |
70,474B |
79098B |
109,696B |
資料)THAILAND IN FIGURES(Alpha Research Co.,Ltd.);1985年(1992-1993年版)、1990年(1995-1996年版)、1995年(2003-2004年版)、2000年(2005-2006年版)、2005年(2007−2008年版)。?
* なお、2000年と2005年の卸・小売には車修理も加えてある。
表3 事業所規模
|
1992 |
1993 |
1999 |
2000 |
2002 |
2003 |
1-9人 |
1,411 |
1,478 |
3,403 |
2,710 |
2,769 |
2,908 |
10-19 |
110 |
131 |
270 |
295 |
301 |
341 |
20-49 |
77 |
94 |
188 |
129 |
140 |
183 |
50-99 |
15 |
22 |
109 |
41 |
42 |
34 |
100-299 |
9 |
12 |
94 |
41 |
20 |
23 |
300-499 |
|
|
4 |
2 |
|
|
500-999 |
|
|
1 |
1 |
3 |
2 |
1000- |
|
|
|
1 |
2 |
2 |
事業所数 |
1,622 |
1,737 |
4,069 |
3,220 |
3,277 |
3,493 |
雇用者数 |
10,407 |
12,396 |
47,277 |
29,319 |
27,972 |
29,398 |
資料)THAILAND IN FIGURES;1992,1993年(1995-1996年版)、1999、
2001、2002年(2003-2004年版)、2003年(2004-2005年版)。

ローイエット県プランチャイ湖
竹内 隆夫(立命館大学国際関係学部・教授)
|