―基層・動態・持続可能な発展―

Basic structure,Dynamics, and Sustainable Development

 

 
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2007年度調査報告(ラオス)

初年度の調査について

 ベトナムの国土の70%以上を占める山地は、少数民族の伝統的な居住地域であった。北ラオス、西南中国と地理的に連続する西北地方にはタイ語系、カダイ系、モン・クメール語系、チベット・ビルマ語系をはじめとする20以上の民族が居住し、高度別に民族が住み分けていることが、20世紀までにすでに知られてきた。報告者が調査してきたソンラー省ソンラーの場合を例に取ろう。

 本年度は、ラオス国内の概況把握と調査地の絞り込みに力点をおいた。9月に実施した調査では、ラオス北部から南部にかけて移動し、いくつかの都市および農村の現状を見て回った。立ち寄った都市は、ルアンナムター、ボーテン、ムアンサイ、ルアンパバーン、ビエンチャン、サワンナケート、パークセーである。都市間の移動手段は農村部が観察できる陸路とし、農村住民が日常的に利用する小型バスもしくはピックアップトラックでの移動に限定した。踏査期間は、一週間ほどである。以下では北部の例を中心に報告を行う。(なお、中部では、観光、会社、首都近辺の生活について、南部ではタイやベトナムとの関係、交通事情に関する情報を得たが、外国の影響力、集落生活や地域関係の変容など共通する点も数多かった。)

 北部では、森林管理の現況、中国との関係、集落生活、交通事情、市場等について、聞き取りを行った。近年、ラオス北部では、ゴム植林が急速に拡大している【写真10】。ルアンナムターの例では、地元住民と植林契約を交わしているのは、ほとんど中国人であった。中国の影響は、植林ばかりではなく、あらゆる生産現場や生活の領域に及んでいる。北部集落のむらの売店には、中国製の品々が並び、集落のなかに中国人の姿を見かけることも珍しくない【写真11】。また少なからぬ農民が中国との契約栽培(たとえば、すいかやとうがらしなど)も結んでいる。大半の中国人は、国境沿いのボーテンを経由してラオスに入国する。町では中国語が飛び交い、元が流通するなど、一見、中国と見間違うほどである。だが、ラオスの人もまたこの国境を、日常的に超え往復を繰り返している【写真12】。


【写真10】ゴム園
(中国人と契約により全山、植林された。)

【写真11】国境を越える人びと
(北部集落に立ち寄る雲南の人びと)

【写真12】ボーテン国境
(中国行きピクアップに乗り込むラオス人)

 

 

 

 

 


 国境沿いから、ムアンサイまでは、ピックアップで、4時間程度である【写真13】。主要都市を結ぶ国道は、ところどころ悪路が続くとはいえ、舗装されている。幹線沿いには、集落移住政策によって、山から下りてきた少数民族の人びとが、通行人相手に希少な物品(タケノコやトウモロコシ、野菜、果物、竹細工あるいはリスや竹ネズミなどの小動物や家畜などの肉等々)を売っている【写真14】。ピックアップが普通バスより1〜2時間も延着するのは、こうした場所で何度も止まり、乗客や運転手が買い物をするためである。住民たちは、どの集落にどのような産物があるかを熟知しているのだ。
車内には、ラオ族の人もいれば、ラオ・トゥン、ラオ・スーンの人たちもいる。彼らは、時折談笑しながら、町のこと、集落のこと、安い物品のことなど情報交換をしている。かつては、お互いが、狭い車内で顔をつきあわせ、町と村を頻繁に行き交うことは、そうなかったはずである。舗装道と車の登場、あるいは幹線沿いへの集落移転によって、従来の集落同士の関係や地域関係は、急速に変化しつつあるのだろう【写真15】。


【写真13】ピックアップトラック
(周辺集落と郡の中心、ムアンサイを結ぶ)

【写真14】幹線沿いで行われる売買
(人びとは、ピックアップを降りると、品定めを始めた)

【写真15】幹線沿いの集落
(山岳部の集落は、移住か定住かの選択を迫られている。)

 

 

 

 

 

 

 目的地は、たいてい郡の中心部や県都(ここではムアンサイ)である。食料や服、雑貨、農業機具や肥料、機械部品など、思い思いの品を市場(タラート)で買い込んでいく。来訪者は、基本的に買い手であるが、売り手になる場合もある。小さな市場では、周辺地域や山間部から遠路はるばるやってくる人も多いのだ【写真16】。
ムアンサイは、ルアンパバーン、ビエンチャン、その他の都市への窓口でもある【写真17】。ピックアップに同乗したあるラオス人は、ビエンチャンに向かう娘をムアンサイまで見送りにきていた。一年分の米、お金、生活必需品を手渡し、娘は大きなバスに乗り込んでいった【写真18】。


【写真16】ウドムサイの市場
(売り手は自分の村で収穫したものを陳列している。)

【写真17】バスターミナル
(ビエンチャン行き小型バスへの荷積み)

【写真18】娘を見送る親子
(親子はビエンチャンに向かう娘をムアンサイまで見送った。)

 

 

 

 

 

 

◇今後の調査について
 政府統計によれば、ウドムサイ県の人口は26万8千人、7つの郡と592の村から構成される。モノの流入とヒトの移動が日々繰り返されるこの町は、経済開放とグローバリゼーションの最前線にありながら、古くからの交易地として栄え、周辺地域をまとめるムアンとしての顔ももっている。県内に居住する少数民族は、人口の半分を超えるため、エスニックな地域性を考えるヒントも与えてくれることだろう。
来年度以降の調査では、北部のムアンサイを中心的な調査地に据える予定である。当面は、市内の市場で、観察や聞き取りを行い、地方的世界に関する情報を収集する。先述したとおり、小さな市場では周辺集落や山岳集落から多くの人びとが集まり、売り手となっている。都市の内部に農村の世界が溢れる市場は、ムアンサイの地方性を知る一つの手がかりとなろう。

 ただし、ムアンサイが形づくる世界を知るためには、町内部の情報のみならず、周辺地域の情報も不可欠である。そこで、ムアンサイと関係が深い近隣集落や山間集落、あるいは周辺都市も調査の射程に入れておく必要があろう。特に、周辺集落からみてムアンサイがどのように意識され、経験されているのかを考えることは、重要な事項である。また、可能であれば、ムアンサイの独自性を確認するため、中部か南部の地方関係についても、適宜、情報を蓄積していきたい。


福田 恵(大谷大学文学部・助教)