苦瓜恵三郎年譜

1887年 10月 10月27日、藤井利太郎、のぶの三男として、岡山県勝北郡植月村に生まれる。出生届の関係から戸籍上は1888年3月5日生まれ。
1892年 4月 岡山県勝北郡植月尋常小学校に仮入学。
1896年 3月 植月尋常小学校を卒業。
  4月 岡山県勝南郡勝南高等小学校に入学。
1900年 3月 勝南高等小学校を卒業。
  4月 勝田郡勝間田村の私立作東義塾に入学。
1901年 3月 作東義塾閉鎖のため退学。
  4月 岡山県勝田郡英田郡組合立農林学校(乙種)に入学。
1904年 3月 農林学校を卒業。農業に従事。
  6月 甲種農林学校卒業程度による学力試験に合格。
1905年 9月 岡山県英田郡大原高等小学校代用教員となる。
1907年 10月 農業科小学校専科正教員の免許を取得。
1908年 3月 大原高等小学校代用教員を辞職。
  4月 兵庫県姫路師範学校本科第一部に入学。
1909年 12月 臨時通信事務員(姫路郵便局勤務)(〜1910年1月)
1912年 3月 兵庫県姫路師範学校卒業。小学校本科正教員免許状受領。
  4月 東京高等師範学校本科博物学部に入学。
1915年 3月 東京高等師範学校中途退学。兵庫県飾磨郡飾磨尋常高等小学校訓導。
1916年 1月 兵庫県姫路市の苦瓜こうと結婚。
  4月 休職し東京高等師範学校に再入学。
  12月 長女純子誕生。
1917年 3月 東京高等師範学校本科博物学部卒業。修身科、教育科、博物科、農業科の師範学校、中学校、高等女学校教員免許状を受領。
  4月 兵庫県姫路師範学校訓導兼教諭(附属小学校主席訓導)の任命。
1918年 3月 兵庫県姫路師範学校教諭兼訓導(教育学心理学担当)に任命。
1919年 1月 次女恒子誕生。
1920年 4月 3月に休職し東京高等師範学校専攻科に入学。
1922年 3月 東京高等師範学校専攻科修身教育学部の課程卒業(文学士)。
  4月 東京府女子師範学校教諭、同附属小学校主事。
  6月 東京府女子師範学校教諭(高等官待遇)となる。
1923年 3月 東京府立第二高等女学校教諭を兼任。
  6月 高等学校教員修身科の免許受領。
1924年 7月 長女純子を自動車事故で亡くす。
1926年 2月 兵庫県視学(判任官)となる。兵庫県内務部学務課に勤務。
  3月 兵庫県第一神戸高等女学校講師。
1927年 3月 公立高等女学校教授兼教諭(高等官待遇)。
  7月 長男純一誕生。
1932年 3月 兵庫県姫路師範学校長。
1936年 3月 石川県師範学校長。
1937年 1月 三女和江誕生。
1938年 4月 山口県師範学校長。
1941年 6月 兵庫県立第一神戸高等女学校長。兵庫県立諏訪山高等女学校長を兼任。
1942年 1月 兵庫県立神戸臨時教員養成所長を兼任。
1944年 2月 兵庫県立女子商業学校長事務取扱を兼任。
1946年 6月 兵庫県立女子商業学校長事務取扱を免ぜられる。
1947年 2月 兵庫県教職員適格審査委員長により不適格者と判定。
  7月 中央教職員不適格審査委員長より不適格判定を受ける。
1951年 10月 教員不適格指定解除書を受領。教職員適格確認書を受領。三田学園高等・中学校長となる。
1958年 3月 三田学園辞任。
1959年 6月 学校法人甲南文理学園甲南予備校長となる。
1960年 4月 岡山県津山市作陽短期大学教授。
1971年 3月 死去。