菱川の「内なる西」のページ

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Internal West

内なる西

| 「内なる西」という言葉 | 二つの連想 | スピリチュアルな西方 |


菱川 英一のエッセー「内なる西」全文。初出は「倫理創成講座 ニューズレター」第2号(2004年3月)。

「内なる西」という言葉 | Index

内なる西」という言葉はよく使う言葉だろうか。

内なる北とか、内なる南なら分かる。内なる東もあるだろう。だが、内なる西とは。あるいは、内なる上とか、内なる下はどうだろう。

この東西南北上下という六方向はアイルランドの霊性の歴史を考えるとき、必ず登場してくる。ここで私が「内なる西」という言葉を用いたのは、「内なる他者」という既にある言葉を、わざと変更あるいは誤解してのことである。

内なる他者」(internal other)という言葉は、特にアイルランドの西部にあるコナマラ地方をさして、マッキャンとオ・リーレが用いた(Anthony McCann and Lillis Ó Laoire, 'Raising One Higher than the Other: The Hierarchy of Tradition in Representations of Gaelic- and English-Language Song in Ireland' -- Global Pop, Local Language, 2003, 所収)。この場合は、「西欧」の西の果てに位置する(つまり、地理的にも、ローマの支配を受けなかったという意味においても、西の果てにある)アイルランド(性)が、植民期の言説における原初的な他者であることが一方にある。他方で、そのアイルランドの中で西部が、特にコナマラが、アイルランド内部の「内なる他者」の地位を占めるという文脈で、マッキャンとオ・リーレは「内なる他者」の語句を使ったのである。つまり、二重の意味でコナマラは「内なる他者」あるいは「他者の中の他者」であるという意味合いで使われた。

それを私は「内なる西」の「内なる西」、あるいは「西の西」の意味に変えてみたのだ。これが何を生むかは分からない。しかし、少なくとも、私にとっては別種の二つの連想あるいは妄想を呼覚ますことになった。


二つの連想 | Index

一つは、「ケルティック・タイガー」という呼称だ。周知の通り、近年の目ざましい経済発展をとげたアイルランドを指すニックネームである。何という偶然か、四神相応において西方に配される白虎を連想させる。アイルランドだからさしずめ緑の虎というところか。私は学生時代を京都で過ごしたが、平安京は空海の策により風水からみて戦略的に配置されているという。京都の地形を想いうかべると、確かに東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武は自然に実感できる。ところで、西とはこの場合、右方なのだ。つまり北のほうから南を見ていることになる。これはアイルランド語における方向感覚と似ている。アイルランド語の suas (南へ)は英語の up に相当する(英語の up が「北へ」を意味するのとはちょうど逆である)。しかし、四地相応とは違う面もある。玄武が後方にあたることとは対照的に、アイルランド語では西が同時に後方を意味する。

いま一つは、米国の現代小説家ポール・オースターの『ムーン・パレス』(Paul Auster, Moon Palace, 1989)だ。この小説においては、主人公はニューヨークから西の果てを目ざす。なぜ東海岸から太平洋岸を目ざすのか、理由は明らかではないが、小説の中では妙に説得力があり、その宿命に読者もいつしか同調してゆく。が、これはアメリカ文学においてはめずらしい設定ではなく、たとえば、ジャック・ケルアックは『路上にて』(Jack Kerouac, On the Road, 1957)において繰返し西部を目ざす主人公を描く。もともと、西部はアメリカのフロンティアであったが、「フロンティア消滅」後の20世紀に入っても西へ向かう人があるのはなぜか。それは「内なる西」と関係があるのか。1960年代のヒッピー文化は西海岸中心だったが、西は彼らにとっての西方浄土のようなものだったのか。


スピリチュアルな西方 | Index

アイルランドにおける西部を「内なる他者」、あるいは私の用語で「内なる西」と見なすというとき、それは19世紀末からのゲール語復興運動における意味合い、すなわち西部は「スピリチュアル」な地域であるという意味を含む。西にアイルランド語話者が集まることになったのはもちろん、イングランドによる植民地支配のなかで、アイルランド語話者は英語話者の住まないような、土地の貧しい西へ追いやられていったという歴史的背景があるけれども、西方へということは、もっと古くからケルトの伝説ではアーサー王たちが死後運ばれていった西方楽土のアヴァロンの島もある。西の海の先になにかあるという感覚は20世紀のアイルランド語詩の中にも現れ、たとえば、現代最高のアイルランド語詩人であるヌーァラ・ニ・ゴーナルの「妖精の舟」では、この世のものとは思えぬ幽霊船が目に見える女たちと、見えない女たちとが登場する。見える女たちには乗組員の服の色まで分かる。このようなものを見てしまった者には、長老からロザリオの祈りを唱えるよう忠告がある。西の海の先といえば、アイルランドから見ればそれは北米である。遥かに遠いけれども。この詩で含意されているのは、しかし、そのアメリカに革命(=独立)をもたらした、革命期のフランスの舟の幻影であると私は解釈している。

西を霊的な方角と見るのは、キリスト教化以後のアイルランドにおいては、やや異教的ではないかと思われる。ヨーロッパでは死後むかうべき方角はエルサレムの方角、即ち東であった(墓に埋めるとき、死者は復活の日、起き上がって東を向くように、頭を西に足を東にして埋葬される)。

一方、アイルランドの霊性史をひもとくと、方角に関してはきわめて豊穣な伝承がある。そこには簡単に「内なる西」などという言葉では片づけられない世界が広がる。アイルランドの霊性史は三層に分けて、巨石時代、ケルト時代、キリスト教時代を考えるのがよいが、現代に至るまでこの三者が混在した流れを形作っているといわれている。特に後ろの二つの混在のしかたはアイルランド特有といってもよい性格をしめす。それが如実に表れる一例が neart と呼ばれるものである。現代アイルランド語ではこれは「力」を表す語だが、ケルトからキリスト教に至る霊性の文脈では「神の創造的エネルギー」をさす。そのエネルギーの発現のしかたが全方位的であることを表すのに、しばしば東西南北上下の六方向がもちいられたのである。その六方向が祈りの定型句として用いられる際には、前方が東であった。つまり、たとえば、「私の前におられるキリスト」と祈るとき、それは東を向いていたと言われている。その場合は後方は西であった。以下、「私の右(=南)におられるキリスト」、「私の後ろ(=西)におられるキリスト」、「私の左(=北)におられるキリスト」、「私の上におられるキリスト」、「私の下におられるキリスト」と続く。こうして、その人を全方向から取囲む神に対して、保護を祈り求める。この伝承の祈りは順序の違う祈りかたもあるが、一般に「聖パトリキウスの胸当て」と呼ばれている。

このような祈りにおける方角と、「内なる西」が示す霊的な方角とはいったいどのような折合いがつくのであろうか。それを具体的にしめすことは今ただちにはできないけれど、後方すなわち西が、場合によって、必ずしも否定的な意味合いのみを有するのではないことは指摘しておきたい。ヘブライ的な感覚においては、後方というのは、すなわち未来である。対して、前方は過去である。イザヤ書の46章10節は、新共同訳聖書で「わたしは初めから既に、先のことを告げ まだ成らないことを、既に昔から約束していた」と訳されるが、この「先のこと」は「まだ成らないこと」と同義である。ところが、その「先のこと」のヘブライ語「アハリート」は後方、背後を意味する。こうした旧約の言語感覚というのは、日本語でも理解不能ではない。「あとのこと」と言うとき、それは未来のことを指し示す。「後日」も同様である。しかし、「さきのこと」はどうか。これは過去に起きたことも、将来に起きることも、どちらも意味しうる。「先日」といえば過去のことにしかならないけれど。ヘブライ語における空間と時間の対応のようには、日本語ではすっきり行かないようである。


(禁無断転載 © 2004 Eiichi Hishikawa)


Last updated: 5 April 2004
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