科研報告

第1章 線形テクストと非線形テクストとの関係

本章は線形テクスト(linear text)と非線形テクスト(nonlinear text, hypertext)とが、インターネットが一般的となった現在のメディア状況において、どのような関係を構築しつつあるのかについて、考察を試みる。1 この問題について筆者が現時点で到達している結論はつぎの通りである。

まず、インターネットは非線形テクストの詩作(composition)テクノロジーを数年間という短い間に普及せしめた。2 そして、その技術が可能にした産物(product)が一般に普及するのには、時間はほとんどかからなかった。つまり、そのテクノロジーの成果は瞬時に世界に届いたのである。それを享受するのにいっさいの予備的専門知識等は必要ない。インターネットのもたらしたものは、かくして、新しい詩作テクノロジーの急速な普及と、その享受の即時性という、加速度的な変化である。

つぎに、新しいテクノロジーによるにもかかわらず、そのテクストの本質的拠り所は「連鎖」にある。「一方の端にふれたら、他の端がゆらいだ」とチェーホフの「学生」が感じた、あの連鎖である。「非線形」とは一見矛盾するかに見えるこの連鎖は、伝統的な概念で捉えられる(線形的)連鎖と、その本質は同じくするものの、そのモードが違う。つまり、つながり方が違うのである。新しい連鎖は「見えざるもの」と確かにつながる、その点が従来の連鎖と違う。つながる相手はいまは目に見えないが、望めば直ちにつながる。従来の連鎖においては、連鎖を成り立たせるものとして物理的連続性、すなわち時空の連続が必要であった。新しい連鎖においては時空の連続は必要なく、ただ同じ電脳空間(cyber-space)という仮想的空間にあることだけが必要条件である。その空間にいるときには、見えざるものと確かにつながっているという「連鎖の感覚」が存在する。

さいごに、この新しい連鎖の形は、新しい詩の構造をもたらす。確かにつながってはいるものの、相手の姿が見えない結合形態は、詩の基本的構成原理である並行法に微妙なゆらぎを与える。詩の並行構造が distich によって成るとすれば、stich A とペアをなす stich B の存在は不可欠である。ところが、この新しい連鎖様式では、stich B の存在はほぼ確実であるものの、目に見えない。さらに、潜在的可能性として、その stich B はべつの stich C につながっているかもしれない。まれな場合には、stich Bが失われていることもある。かくして、2点を焦点とする楕円構造的世界観をもっていた並行法の世界像がゆらぎ始める。3

このような新しい連鎖様式の萌芽はすでに14世紀のダンテにあったが、20世紀に入って、「モダニスト」パウンドやエリオットが明確に意識し始め、ついに21世紀を迎えようとするときになって、インターネット・テクノロジーに加速された結果、それと意識されないほど日常的な様式となっている。4

しかし、現下の状態で最大の問題点は、それが仮想空間に支えられて成立しているということである。<序>にいう「活字メディアという概念自体がすでにインターネットをも含む電子化された『サイバー・メディア』に内包される」事態である。その構造は実はあるヴェクトルを隠し持っている。「作者の個性を消去する方向」である。

これに対抗して、「メディアの支配」を転覆しようとするアーティストは、一体どのような戦略を立てうるだろうか。「言語詩人」の試みや「インターネット外の詩人のネットワーク」、「モダニズム文学の自己言及性が孕むテクスト内外への照応」については他の章で扱われるであろうから、ここではそれ以外の戦略について触れる。

どのような空間に支えられるのであれ、「連鎖」そのものが存在するのは疑いようがないと確信する詩人は、仕掛けを作品内に埋め込む。それはパウンドの言葉を借りればある種の「裂け目」(crannies)である。 5 ほとんど目につかないほどの継ぎ目のほころび、しかし見る者が見ればしかと確認できるテクスト間のつなぎ目の乱れ。言葉には現れないそこに、詩人個人が刻印される。「連鎖」そのものは成立しているのであるが、なぜこれとこれがつながっているかの真の理由は「秘義」または「秘技」として存在する。テクストとして顕在化していないのであるから、ここはメディアに支配されることがない。

(菱川英一)


1 線形テクストと非線形テクストについては、様々な理論的解釈がある。ここでは Carlson のモデルに従い、「ペーパー・テクスト」(フラット・テクスト)のような1次元の結合形態をもつものを線形と、また、「フラット・テクスト」を断片へと解体(deconstruct)し立体的に網の目のように連結したものを非線形と考えておく。(Patricia Carlson, "Hypertext," in Edward Barrett, ed., Text, ConText, and HyperText, MIT P, 1988) cf. Ray McAleese, Hypertext: Theory into Practice, Blackwell Scientific Publications, 1989; 菱川英一,「Hypertext と人間の思考」(AX Quarterly Report 第6号, 1990). [Back to Text]

2 ハイパーテクストを具現化した HTML (Hypertext Markup Language)言語の習得が比較的容易であることが一因である。この言語を解釈しうる Web browser は1993年に登場した(Mosaic)。 [Back to Text]

3 地上における「楕円の発見者」は詩人ヴィヨンだと花田はいう。(花田清輝「楕円幻想」, 1943) [Back to Text]

4 ダンテ〜パウンド〜エリオットと連なる伝統認識の系譜は拙論「エリオットの伝統論とパウンド」(「文学」第57巻第4号, 1989)参照。 [Back to Text]

5 "We find these [magna pars mei of Horace and some living print of the artist] not so much in the words--which anyone may read--but in the subtle joints of the craft, in the crannies perceptible only to the craftsman." (Ezra Pound, The Spirit of Romance, 1910, p. 88). [Back to Text]


参考文献

Edward Barrett, ed., Text, ConText, and HyperText, MIT P, 1988

Richard Bear, "Text, Reader, Reading," http://darkwing.uoregon.edu/~rbear/text.html, since 12 September 1997

Vannevar Bush, "As We May Think," Atlantic Monthly September 1945

菱川英一,「Hypertext と人間の思考」,AX Quarterly Report 第6号, 1990

Ray McAleese, Hypertext: Theory into Practice, Blackwell Scientific Publications, 1989

奥出直人,「ハイパーメディアライブラリとライティング2」,「現代思想」1989年11月号

Darrell R. Raymond & Frank Wm. Tompa, "Hypertext and the Oxford English Dictionary," Communications of the ACM July 1988


Copyright (C) 1999 Eiichi Hishikawa

For a full account of this Kaken project go to Professor Koga's page [in Japanese].

Back to 20c poetry page

Last updated: 15 February 2000

Quid prodest hoc ad aeternitatem
Professor Eiichi Hishikawa
Faculty of Letters, Kobe University