文学部広報誌『文学部だより』の「最近の著作から」欄から文学部教員の著作を紹介します。
宮下 規久朗 著『もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品』 |
![]() 劇的な明暗表現と革新的リアリズムによってバロック絵画の扉を開き、その後の巨匠たちに大きな影響を与えた革命児、カラヴァッジョ(1571‐1610)の鮮烈な魅力を、血と犯罪に彩られた破滅的生涯とともにたどる。傷害や乱闘に明け暮れ、ついには殺人者となり、逃亡の途上で野垂れ死ぬという、美術史上最も俗悪と思われる「呪われた画家」でありながら、その手から生み出された宗教画は、どんな画家の作品にもまして深い聖性を宿し、奇蹟が眼前で起きているかのような感動を呼び起こしてくれる。カラヴァッジョが引き起こした事件をまとめた「トラブル録」や、彼を支えたパトロン、友人たちのエピソードや「人物相関図」など、豊富なコラムでこの特異な画家の人間性と、当時のイタリア美術界の状況等をかいまみることができる(編集部の案内文より)。 2009年12月、東京美術 |
田中 康二 著『和歌文学大系72 琴後集』 |
![]() 家集『琴後集』の著者、村田春海(1746~1811)は近世和歌において加藤千蔭と共に江戸派の双璧と謳われた。豪商の家に生まれ、賀茂真淵の県門に入り、吉原の遊女を身請けして財産を蕩尽し、晩年は詠歌と国学に精進した「琴後翁」の歌文集『琴後集』のうち家集九巻一六八四首に初めて詳注を加えた。『万葉集』『古今集』『新古今集』はもとより、『堀河院百首和歌』『為忠家初度百首』などの古典、さらに師真淵や親友千蔭の詠草からも貪婪なまでに詞藻を探った、歌詠み春海の真面目を明らかにした。なお、平成二十二年(2010)は春海の二百年忌に当たる年である。 (田中康二) 2009年12月、明治書院 |
田中 康二・木越 俊介・天野 聡一 編『雨月物語』 |
![]() 日本近世文学の中で怪談の随一と目される『雨月物語』に注釈と「読みの手引き」を付したもの。『雨月物語』は1776年の刊行で、五巻九話「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」からなる。大学の演習・講読のテクストとして編集したものであるが、厳密な本文校訂と最新の研究成果を盛り込んだ頭注に加えて、豊穣な読みを掘り起こすための「読みの手引き」を添えた。共編者の木越俊介氏は神戸大学および同大学院の出身で現在は山口県立大学准教授、天野聡一氏は神戸大学および同大学院の出身で現在は神戸大学大学院人文学研究科学術推進研究員である。(田中 康二) 2009年12月、三弥井書店 |
酒井 潔・佐々木能章 編『ライプニッツを学ぶ人のために』 |
![]() よく知られた『学ぶ人のために』シリーズに「万能の人」、17世紀を代表する、哲学者ライプニッツに関するガイドブックが付け加わった。本書は哲学思 想編、資料編からなる。我が国を代表するライプニッツ研究者に加え、海外の研究者からの寄稿も含む。4章からなる、哲学思想編では、論理、自然、人間、モナドのトピックが叙述される。資料編は、テクストや基本概念の解説を含む。松田毅は、第1章「論理」の「普遍記号法」を分担執筆した。近年の研究が、ライプニッツのこの卓抜なアイデアをヒルベルト、ゲーデルなど「数学基礎論」の系譜に位置づけるだけでなく、思考を「論理的計算」と見なす「ライプニッツ・プログラム」の観点から解明している点などを論じている。また、いわゆる「記号数」の簡潔な解説も行い、ライプニッツのアイデアの可能性と限界を示した。(松田 毅) 2009年12月、世界思想社 |
C.コースマイヤー 著、長野 順子他 訳『美学 ジェンダーの視点から』 |
![]() 本書は、これまで芸術や美学理論を支えてきた伝統的な概念体系をジェンダーという視点から批判的に解明し、現代における美学と芸術の新たな可能性を探ることをめざしている。「美」や「芸術」をめぐる思考は、心/体、理性/感情、男性的/女性的……という二項対立的な枠組みのなかで行われ、構造化・序列化されてきた。その動きを「芸術家」概念の誕生や「プロ」「アマ」の分離といった芸術実践の諸相に見ていく前半部と、現代アートのラディカルな変容の試みをとくに女性アーティストに焦点を当てて考察する後半部をつなぐ橋渡しとして、「味覚/テイスト」を中心とした五感論がおかれている点がきわめてユニークである。理論分野では看過されてきたジェンダーを鍵概念に「美学」の解体と再生をはかろうとする本書は基本文献としての評価を得て、すでに複数の大学でテキストに用いられている。 (長野 順子) 2009年12月、三元社 |
中畑 寛之 著『世紀末の白い爆弾―ステファヌ・マラルメの書物と演劇,そして行動』 |
![]() 19世紀末フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメ。「難解な」と形容されることの多いこの詩人の文学的営為を論じたものが本書である。ただし、彼の名を知る読者がおそらくは期待するはずの詩篇を扱ったものではない。「批評詩」と呼ばれるテクスト、とりわけ詩人の晩年に書かれたフランス第三共和制の〈危機〉に関わる幾つかのテクストを、できる限り実証的に、それらが書かれるに至った出来事の現場において読み直すことを本書は試みている。至高の〈書物〉を孤独に試みる言葉の錬金術師マラルメ。その彼が19世紀末のパリを騒然とさせた爆弾テロの閃光のなかで選んだ文学的〈行動〉の意味、その戦略とは? ますます混迷し、文学の余地などもはや残されてはいないような21世紀の現在時においても、ステファヌ・マラルメというひとりの詩人が孤独に示し続けたエクリチュール実践、その姿勢の持つ有効性は些かも失われてはいないと信じる。彼が遺していったテクストを読むことを通して、我々もまた詩人の夢想にともに参与し、その言葉を理解しようと試み続ける必要があるだろう。(中畑 寛之) 2009年11月、水声社 |
竹中 克行・大城 直樹・梶田 真・山村 亜希 編『人文地理学』 |
![]() よく「地理学は間口の広い学問」だと言われますが,それは「逆に奥行きはどうなの?」という疑問と一体になっているように思います。本書は,「生活と社会の地理」(人口地理学,都市地理学),「生産と流通の地理」(農業地理学,工業地理学,流通・商業地理学),「想像と表象の地理」(政治地理学,観光地理学,文化地理学),「過去に問いかける地理」(歴史地理学),「地理学の応用」(地理情報システム,公共政策,環境問題)の5部から構成され,各章それぞれ,中堅・若手からなる執筆者たちがそれぞれの専門分野の新知見をふんだんに盛り込んだものになっています。例えば,現代都市の分断状況を,新たな階級格差の拡大と都市再開発の関係から,あるいは社会的弱者の公共空間からの排除を都市空間の「釜ケ崎化」ないしは「ディズニフィケーション」として抉り出してみたり,環境問題を市民・住民運動を通して分析するなど,最新の地理学入門書として,読む人をして「これも地理なの?」「意外に面白いね!」と思わせしめる仕上がりになっていると自負しています。 (大城 直樹) 2009年10月、ミネルヴァ書房 |
樋口 大祐 著『「乱世」のエクリチュール―転形期の人と文化―』 |
![]() 本書は日本列島の歴史上、「乱世」(=転形期)と見なしうる三つの時代(1156~1221年、14世紀の南北朝動乱期、16世紀の大交易時代)に関わる歴史叙述テクストを扱い、鎌倉幕府以後、断続しつつ700年近く維持され続けた公武(朝廷・幕府)二重政権下の公定文化とは異なる、オルタナティヴな世界認識への可能性を掘り起こそうとするものである。これら三つの時代の「転形期」的状況は、その後に来る三つの「平和」(源頼朝による平和、足利義満による平和、豊臣・徳川による平和)によって終息するが、その後に書かれたテクストには、「転形期」のさまざまな記憶が痕跡(=エクリチュール)として留められている。そこからは言説資源の 支配者とサバルタンとのせめぎあい、「平和」以前の記憶と「平和」以後の現在のせめぎあい等、いくつものせめぎあいを読み取ることができる。本書ではそれらのせめぎあいを可視化し、転形期が孕み持っていた多元性・異種混淆性の一端を明らかにすることを目指す。 (樋口 大祐) 2009年9月、森話社 |
田中 康二 著『本居宣長の大東亜戦争』 |
![]() 本居宣長(1731~1801)が近代日本思想史に残した足跡は必ずしも完全無欠の功績ばかりではない。なかには負の遺産もある。アジア太平洋戦争の時には特にひどかった。宣長の自讃歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」は「愛国百人一首」の一首に撰ばれ、武士道精神を象徴する歌として解された。神風特別攻撃隊の名称(敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊)もこの歌からとられた。戦死を美化する散華の精神である。宣長は「日本精神」の権化とされ、大東亜共栄圏統一の理論的根拠とされた。しかしながら、それらは近代日本が構築した宣長の虚像というほかはない。宣長は誤読・曲解され、拡大解釈されて、戦争讃美の具として機能したのである。それは時代錯誤以外の何ものでもなかった。本書は宣長の言説が時局に利用され曲解されるシステム、宣長の実像が歪められて受容されるメカニズムを検証し、近代日本思想史において果たした宣長の役割を解明することを目標とした。なお、「大東亜戦争」の呼称は、同時代的観点に立って対象を見るという立場を表明したものであって、「大東亜戦争」を聖戦として全面的に擁護することを意図したものではない。(田中 康二) 2009年8月、ぺりかん社 |
松下 正和・河野 未央 編『水損史料を救う―風水害からの歴史資料保全』 |
![]() 2004年台風23号は、多くの人的・住宅被害とともに、歴史資料(以下、史料)に対しても多くの水損被害をあたえました。本書は、人文学研究科内に事務局を置く歴史資料ネットワーク (代表: 奥村弘教授) が被災地の文化財担当部局や地域史研究団体・住民と協力しておこなった、水損史料の保全・救出活動記録です。風水害で水損した紙史料は、カビの繁殖や細菌による腐敗がすぐに始まります。そのため、水損史料はゴミ出しや家屋・蔵の解体を契機として、地震による被災史料よりも早く廃棄されてしまう可能性が高くなります。早期の被災地入りは復興の妨げになるが、遅れると史料の腐敗や廃棄が進行するというジレンマの中、私たちは、同ネットワークの一員として、 兵庫県・京都府内の被災地8市10町を訪問し、地元の協力を得ながら、段ボール換算で40箱をこえる地域の歩みを示す貴重な史料を救出しました。1995年1月の阪神・淡路大震災後の被災史料保全活動を契機として設立され、地震時の史料救出を主におこなってきた同ネットワークにとって、 2004年に続発した風水害への対応は初めての経験でした。それだけに、試行錯誤を繰り返しつつ水損史料の保全方法を現場で開拓していくことになりました。水損史料の保全活動をより一層展開させるために、みなさまからの忌憚のないご批判、ご意見を賜れば幸いです。(松下正和・河野未央) 2009年5月、岩田書院 |
Richard E. Nisbett & Dov Cohen 著、 石井 敬子・結城 雅樹 編訳 『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理 (Culture of honor: The psychology of violence in the South)』 |
![]() 本書のメッセージは、アメリカ南部において暴力性が特徴的な理由は、気温や貧困、奴隷制度ではなく、「名誉の文化」にあるというものです。アメリカ開拓当初、南部にはそもそも牧畜を生業とした人々が入植し、しかもその自然環境は牧畜を行うのに適していたものの、人々は家畜を始めとする財を防衛するにはどうしたらいいかという問題に直面しました。政府権力が弱いため、頼りになるのは自分だけです。そのような環境のもとで自衛していくには、自分の弱さを露呈するのは致命的であり、むしろ侮辱されたらそれに対してやり返して自分の強さを示さなければなりません。そしてそういった暴力性がその環境において有効な行動となれば、同様の行動をとる人々の数は多くなり、侮辱されてもそれには応じないという行動をとるメリットはなくなってしまいます。興味深いのは、現在の南部の経済形態はもはや牧畜ではないにもかかわらず、同様の行動形態が維持されている点です。この点から、「やられたらやりかえせ」という行動原理を支えていた経済形態が消えてもなおそれが維持されているというのは、その行動原理が「この場面で人はこう行動するだろう」という期待になり、それが法制度や家庭のしつけ等の公的な表象や日常のpracticeに反映されていることを読み取ることができます。(石井敬子) 2009年4月、北大路書房 |
『日本古代王権の支配論理』 古市晃(単著) |
![]() 国家存続のための基本的要素として、国家支配の正統性を説明するための論理が必要であることはいう までもないでしょう。本書は、日本の飛鳥時代における支配論理(君臣統合の論理)について検討を加えたも のです。飛鳥時代における君臣統合の論理については、これまで独自の検討がなされることはほとんどあり ませんでした。しかしこの時代には、仏誕会や孟蘭盆会などの仏教儀礼が国家儀礼の中心を占め、仏事を媒 介として君主への奉仕を誓約する思想が中国から受容されていました。また君臣統合の中枢となる施設とし て、王宮だけでなく寺院も重要な位置を占めたことが確認できます。こうした諸事例から、本書では、飛鳥時代は、仏教を中心とする君臣統合の論理が国家支配の論理として基調を占めていた、独自の段階であること を主張しています。仏教の持つ平等性が支配論理の基軸に組み入れられたことは、天武持統朝に実現する、 天皇の現人神化の直接の前提として大きな意味を持っていると考えているのですが、この点をめぐっては今 後も検討を続けていきたいと考えています。 2009年2月塙書房 8,500円 |
「荘園絵図が語る古代・中世』 藤田裕嗣(単著) |
![]() 書名に挙げられている「荘園絵図」とは、領域を描いた古代・中世の古地図類に対する一般的呼称である。 「古代・中世」にまたがって荘園絵図が残っている数少ない事例として、旧蔵を含め、大和国西大寺所蔵の絵 図、十数点を取り上げた。西大寺は、かつては条坊制が施されていた平城京内に位置し、十四世紀に入ると、 北に隣接していた秋篠寺と周辺の土地に対する支配をめぐって争っており、それに関して残された荘園絵図 3点などを含め、一貫して、西大寺とその周辺を描いている。本書は、西大寺とその周辺の歴史的性格に関 する紹介から始め、これらの荘園絵図に盛り込まれた歴史像を検討した。さらに、歴史地理学の立場を重視 して、荘園絵図を地図として解読することを試みた。その際は、歴史地理学の概説とともに、当時の人々に よる地域の捉え方を探ることに力点を置いた。現存している遺構の現場は、阪神三宮駅まで乗り入れた近 鉄電車に乗って終点奈良駅の二駅手前に広がっている。そのガイドも兼ねており、読者諸兄には本書を持 参した歴史散歩をお勧めしたい。 2009年1月、山川出版社 800円 |