文学部広報誌『文学部だより』の「最近の著作から」欄から文学部教員の著作を紹介します。
戸田山 和久、出口 康夫 編『応用哲学を学ぶ人のために』 |
![]() 2009年に発足した日本応用哲学会のメンバーが総力を挙げて取り組んだ、我が国初の「応用哲学」の入門書。いわゆる応用倫理学の問題領域を越えて、形而上学や現象学も具体的現実に迫る試みである。松田は、過去数年間、人文学研究科倫理創成プロジェクトでも取り組んできた、アスベストによる健康被害、環境リスクに関するアクション・リサーチ型の研究方法とその結果を紹介している。また、この事例を下敷きにして、より一般的に、未知の、あるいはリスクを伴う科学技術の導入あるいは存続の是非をめぐり、その妥当性をめぐる議論の続く、いわゆる「予防原則」の問題と環境リスクに関する「長期的責任」の問題も論じている。(松田毅は「リスクと安全の哲学」の箇所担執筆)(松田 毅) 2011年5月、世界思想社 |
宮下 規久朗 著『フェルメールの光とラ・トゥールの焔-「闇」の西洋絵画史』 |
![]() 西洋絵画の巨匠ラ・トゥールやレンブラント、フェルメールに共通している特徴は、 精神性の高い静謐で幽玄な光と闇の描写にある。それらに描かれた豊かな闇の表現は、『陰影礼賛』を受け入れる感性をもった日本人にとっては、親しみやすく感じられるものである。本書では、レオナルド・ダ・ヴィンチによって確立された革新的な「闇」の表現が、バロックの先駆者カラヴァッジョによる光と闇の劇的に交錯する絵画を経て、いかにしてラ・トゥール、レンブラント、フェルメールらの静謐で精神的な絵画を生み出していったのか、西洋絵画における「闇」の歴史をたどった。すべてカラーの図版によって、これまでになかった斬新な視点から西洋絵画史を理解できる書物となっていると思う。(宮下 規久朗) 2011年4月、小学館 |
坂江 渉 編著『神戸・阪神間の古代史』 |
![]() 本書は、神戸・阪神間の伝承や神話、六国史の記事、考古学遺構などにスポットをあて、この地域の古代史についてテーマ別に書き上げたものである。8名の研究者が、自分の専門分野や興味にもとづく研究成果を、合わせて30本以上の論考として執筆した。それを4つの地域(神戸・芦屋、六甲山・有馬、猪名川流域、武庫川流域)ごとに紹介した。主な論考は、「神戸・阪神間のミナトと海人」「浜辺の美女伝承と神祭り」「ウミガメの上陸・産卵をめぐる文化史」「神戸・阪神間の災害と古代国家」「六甲山中で見つかった銅鐸」「古代の湯治と有馬行幸」「王族の住まう地域、尼崎」「武庫海と西宮」「武庫川と猪名川の女神の争い」「摂津の羽束国」「東神戸・阪神間の古墳論」などである。(坂江 渉) 2011年4月、神戸新聞総合出版センター |
樋口 大祐 著『変貌する清盛-『平家物語』を書きかえる-』 |
![]() 本書は12世紀以降20世紀に至る平清盛像の変遷を、具体的なテクストを通じて、その思想的・文化的背景とともに描きだすことを目指した書物である。平清盛は『平家物語』の中で、その数々の「悪行」「おごり」故に非難された実在の人物である。彼が非難されたのは、彼が新都(福原)の創出を通じて、当時支配的であった権門体制や王法仏法理念に抵触する政治構想を実現しようとしたからであったが、その後19世紀まで続く公武二重政権(朝廷-幕府)体制の中で、清盛の否定的なイメージも拡大・変形されていった。近代以後、清盛に対する再評価や書き換えがはじまるが、それは古典テクストを「逆読み」すること通じて得られたものであった。本書は清盛像の変遷とその背景をなす各時代の言説空間の関係に注目すると共に、福原の後身である海港都市神戸を背景とする近代文学のテクスト群の中に、清盛との系譜を探ろうとするものである。(樋口 大祐) 2011年3月、吉川弘文館 |
板垣 貴志、川内 淳史 編『阪神・淡路大震災像の形成と受容―震災資料の可能性―』 |
![]() 1995年に発生した阪神・淡路大震災の資料・記録を保存しようという動きは、早くから被災地の様々な団体・個人によって始まり、いつしかそれらの資料群は、「震災資料」と呼ばれるようになった。これまで被災地では、記憶の風化が懸念され、大震災の体験や教訓を後世に伝えるために、様々な取り組みが模索されてきたが、大震災から16年を経た今日、すでに神戸市では、市民の36%が被災を体験していないといわれている。本書は、大震災を未来に伝える震災資料の可能性を展望したものである。第1部「震災資料を生み出す 新聞記者」では、これまで震災像の形成の中心を担った新聞記者達の「想い」がいかなるものであったのかを考えた。その上で、第2部「震災資料を読み解く 歴史家」では、今後震災像の形成を担う歴史家が、震災資料に込められた「想い」を読み解きつつ、いかにして「歴史」の阪神・淡路大震災像を構想しうるのか考えた。(板垣 貴志) 2011年1月、岩田書院 |
坂崎 紫瀾 著 林原 純生 校注解説『汗血千里の駒 坂本龍馬君之伝』 |
![]() 本書は明治十六年に高知の「土陽新聞」に連載され好評を博した、最初の坂本龍馬を主人公にした小説を連載当時の挿絵を含めて翻刻し、注を加えて文庫化したもの。作者坂崎紫瀾(1853~1913)は、当時の自由民権運動に参加した高知出身の活動家にして新聞記者で、彼が龍馬と交際した人達からの聞き書きや資料をもとに龍馬の生涯と、その死後の海援隊などについて初めて小説化したのが本書となる。幕末における坂本龍馬の自由人としての活動の精神を引き継ぐものが、同時代の自由党を中心とした自由民権運動であるとし、坂本龍馬の評価と自由民権運動の意義を訴えたもので、本書は連載時から評判となり、繰り返し単行本として出版されて、今に至るまで坂本龍馬像の原点となっている。(林原 純生) 2010年11月、岩波書店 |
バーバラ・ピム 著 芦津 かおり 訳『よくできた女(ひと)』 |
![]() 「二〇世紀のジェイン・オースティン」の呼び声も高い女性作家バーバラ・ピムの代表作である。舞台は食糧配給がつづく第二次世界大戦後のロンドン。三十すぎのパッとしない未婚女性ミルドレッドは、家事も得意で分別もあり、教会活動や人助けに忙しい「よくできた女」。そんな彼女の暮らすフラットの下階に、華やかで自己主張の強い美男美女の夫妻が越してきて、彼女の平穏な生活に波風が立ちはじめる。さしたる大事件も起こらぬ本小説の真骨頂は、そのなみはずれたユーモアと諷刺の感覚にあるといえよう。ごくありふれた日常や平凡な人々のなかにバカバカしさや面白み、悲哀を感知するアンテナの精度と人間理解の深さ、さらに、それらをときにユーモラスにあたたかく、ときにシニカルに突き放して描く筆の冴えにおいて、ピムの右に出る作家はそう多くあるまい。また、婚期を逃しつつある「おひとりさま」ヒロインの不安定な心のゆらぎや複雑な「乙女心」を共有するのもまた、とくに女性読者にとっては楽しい読書体験となるのではなかろうか。(芦津 かおり) 2010年11月、みすず書房 |
宮下 規久朗、井上 隆史 著『三島由紀夫の愛した美術』 |
![]() 本書は、従来ほとんど言及されてこなかった三島由紀夫と美術というテーマに、三島由紀夫研究の権威である井上隆史氏とともに切り込んだ本である。三島由紀夫といえば、国内はもとより海外にも、あまたの読者と研究者を持つ大作家だが、意外にも視覚芸術の面から彼の作品世界へのアプローチを行った書籍は見かけない。没後40年の今年、三島文学の根幹に新たな側面から迫り、三島が紀行文やエッセイで言及した美術作品を、原文と併せてできるかぎり収録し、明快な解説によってその美学を浮き彫りにした。より深く三島を知りたい方には異色の参考書として、三島をまだよく知らない方には異色の入門書として、ぜひとも手にとっていただきたい。(宮下 規久朗) 2010年10月、新潮社 |
宮下 規久朗 著『裏側からみた美術史』 |
![]() 本書は、資生堂の『花椿』誌の好評連載中のエッセイ「美術史ノワール」をまとめたもの。そのときどきの興味や常日頃思っていることを綴った美術漫談であり、大学やカルチャースクールでいつも話している内容の一端である。いずれも私の興味を押し出したものであるが、生と死、聖と俗、言葉とイメージ、芸術家と人格、性と食、権力と展示、純粋美術と民衆美術など、美術史の普遍的なテーマにもふれていると思っている。美術史は画家の伝記の連なりではなく、美術作品が人の心や社会にどのように作用したかの軌跡であるからである。「指名手配写真を美術館に飾ったら、それはアート?美術史の教科書には載っていない異色の掌編20話」(オビより) (宮下 規久朗) 2010年10月、日本経済新聞出版社 |
宮下 規久朗 編著『不朽の名画を読み解く』 |
![]() 本書は、西洋の代表的な名画を簡潔に解説し、 基本的な見方を紹介したものである。具体的には、14世紀以降の西洋絵画の父ともいえる巨匠ジョットから、現存するドイツの 画家ゲルハルト・リヒターまで70点を収録した。いずれも西洋美術史を語る上で欠かせない巨匠の屈指の名画ばかりである。「名画の理由」、「主題解説」、「名画を解体」、「画家のプロフィール」などに分けて書き、 部分図も多用して名画を多角的に分析した。解説については、私のもとで研究し、美術館学芸員として美術史学の第一線で活躍している本学卒業生3名と分担執筆し、時代の概説や語句説明、コラムなどを私が執筆して全体を統一した。(宮下 規久朗) 2010年8月、ナツメ社 |
ダニイル・ハルムス著 増本 浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳『ハルムスの世界』 |
![]() ロシア・アヴァンギャルドの作家ダニイル・ハルムスの本邦初訳の短篇集。ハルムスは1905年にペテルブルクに生まれ、スターリンの粛清によって37歳の若さで獄死した。ハルムスの作品は、長いあいだ闇に葬られていたが、ペレストロイカによってようやく公に出版されるようになり、現在のロシアではハルムスは、最も広く読まれている二十世紀の作家のひとりである。ロシア国外でも不条理文学の先駆者として徐々に名前を知られるようになり、特にドイツやフランス、アメリカではカルト的な人気を誇っている。本書には30篇の超短篇からなるハルムスの代表作『出来事(ケース)』と、その他の短篇38篇が収められている。さまざまな新聞や雑誌に書評が出たほか、NHK・BSの「週刊ブックレビュー」でも取り上げられた。ハルムスの作品を理解する手掛かりとなるコラムと、詳細な解説付き。(増本 浩子) 2010年6月、ヴィレッジ・ブックス |
ポール・ヴァレリー 著 松田浩則、中井久夫 訳『コロナ / コロニラ』 |
![]() 「コロナ」は冠を、姉妹編「コロニラ」は小さな冠を意味するが、本書は『若きパルク』や『魅惑』などの詩集で知られ、しばしば地中海的知性の人などと形容されるポール・ヴァレリー(1871-1945)が、その最後の愛人ジャン・ヴォワリエことジャンヌ・ロヴィトン(1903 -1996)に宛てた手紙に添えられた詩を編纂したものである。ここでヴァレリーは、自らの名声を作り上げた象徴派的な詩法を捨てて、『わがファウスト』の秘書ルストのモデルともなった年下の愛人にむかって、tendreな(優しく柔らかい)詩を書き連ねる。それはそのまま自らの可能性の黄昏にあるヴァレリーの白鳥の歌ともなっている。この詩集は2008年にパリで出版されたが、校訂に難があったため、訳者がフランス国立図書館所蔵のマイクロフィルムをもとに校訂しなおした。精神科医・中井久夫氏との共訳。(松田 浩則) 2010年6月、みすず書房 |
百橋 明穂 著『古代壁画の世界』 |
![]() 色鮮やかで躍動的な古墳や寺院の壁画。どのような思想のもとに、誰により描 かれたのか。高松塚古墳、キトラ古墳、法隆寺金堂、上淀廃寺壁画断片などの発見の契機や、図像の意味や制作技法、画師を検証した。実作例と文献資料をもとに、歴史的背景に及ぶ詳細な分析を行って検討を深化させた。さらに美術・文化 財の保護やその歴史的環境を巡る諸問題にも言及。また古代東アジアにおける日本絵画を、歴史の中に位置づける試みを行い、東アジア文化圏における壁画文化の交流を実証する広い視野を提示した。プロローグとして「美術史と考古学」から説き起こし、本論では、第一部として古墳壁画の世界、第二部として寺院を荘厳した絵画、第三部として古代壁画を描いた人々。最終章では東アジアの壁画文化をエピローグとした。(百橋 明穂) 2010年5月、吉川弘文館 |
宮下 規久朗 著『ウォーホルの芸術 ―20世紀を映した鏡』 |
![]() 20世紀を代表する美術家であるアンディ・ウォーホル(1928‐1987)は、生前における多方面にわたる活躍やメディアへの頻繁な露出から、これまで様々な流言飛語に曇らされ、毀誉褒貶に包まれていた。しかし、1989年にニューヨーク近代美術館で大規模な個展が開催され、1994年にはアメリカにある個人美術館としては最大のアンディ・ウォーホル美術館が開館するなど、その多方面な芸術は正確に評価されつつある。「孤独なトリックスター」の実像とは-。本書は、1996年に日本で開催された大規模なウォーホル回顧展にも関わった美術史家が、ウォーホル芸術の意味と本質に迫り、それを広く美術史の中に位置づける画期的論考である(見返しの文章より)。「著者は美術史家として、作家の深みを本書で改めて問い直した。…読み進めると、画家への興味が次々にわいてくる」(日経新聞の書評より)。 2010年4月、光文社 |
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン 著、羽地 亮 訳『原因と結果:哲学』 |
![]() ウィトゲンシュタインの『原因と結果:哲学』は、ウィトゲンシュタインの因果性についての考えを知るうえでも、また、彼の哲学観を知るうえでも重要な文献の本邦所訳です。今回の邦訳は、詳細な訳注が付与されていて、親切で分かりやすく読めます(もちろんそれでも難解ですが)。ウィトゲンシュタインの哲学に少しでも興味や関心がある方には、これらのテキストは、興味深いと思われます。第一に、「原因と結果」は、『哲学探究』の純粋な先行研究であり、第二に、「哲学」は、中期から後期のかけてのウィトゲンシュタインの哲学観を知るには格好のテキストだからです。彼の因果性についての考え方や、彼の哲学の理想像や意義を把握したい人にはお勧めです。(羽地 亮) 2010年4月、晃洋書房 |
弓場 紀知 編『女たちのシルクロード 美の東西交流史』 |
![]() 百橋 明穂「シルクロードと古代日本 ―女性たちの道」: 大きく二つの分野に分けてシルクロードの女性たちを描写した。まず、第一部、シルクロードを旅する女性たち―冒険と悲劇―では、本当にシルクを運んだ女性―西域コータンへ嫁ぐ勇敢なる女性、シルクロードから来た女性たちー国際都市長安、西域への旅―冒険と悲劇、西域に生きる誇り高き女性たち、そして第二部では、女神たち―遙かなる旅路、シルクロードを行き交う憧れの美女たち―個性あふれる女性像、の六つのテーマに絞って、イギリスのスタインや大谷探検隊などの西域探検隊の収集した遺品や、石窟壁画、唐代陵墓壁画、さらには高松塚古墳壁画、正倉院宝物などに描かれた絵画資料を駆使して、古代シルクロード世界の女性の姿を、またシルクロードの歴史の流れの中に逞しく生きる女性像を具体的に解析した。(百橋明穂) 2010年3月、平凡社 |
田中 康二 著『江戸派の研究』 |
![]() 江戸派とは、賀茂真淵の門弟である加藤千蔭と村田春海を双璧として、寛政初年(1789)に結成された派閥であり、和歌・和文の面ですぐれた作品を残したことにより、文学史に位置づけられている。江戸派は寛政・享和・文化の約二十年の間に、千蔭と春海を中心として活動し、近世後期都市江戸の雅の文化を創り上げた。本書は前著『村田春海の研究』(汲古書院、平成十二年十二月)の続編として執筆した。前著では本居宣長との対比により、江戸派の特色を論じたが、江戸派には宣長以外にも数多くの人々との交流があり、たくさんの書物の往来がある。そういった人的つながりや物的つながりという側面から江戸派をとらえると、これまでとは異なる像が立ち現れる。そのような人の交流と書物の往来の拠点となったという認識から本書を執筆した。第一部は主に江戸派の和歌表現を論じ、第二部は江戸派の出版の問題を扱い、第三部は主に江戸派における学説の継承の問題を扱い、第四部は江戸派を取り巻く同時代の人々を論じた。全四部の構成を通じて、交差点としての江戸派の特質を論じ、国学が有する学問体系とその同時代的特徴を析出することを目指した。(田中 康二) 2010年2月、汲古書院 |
『平城宮第一次大極殿の復元に関する研究3 彩色・金具』奈良文化財研究所学報第82冊 |
百橋 明穂「7 史料から見た大極殿小壁の彩色」:平城京遷都1300年の事業として行われている、平城京第一次大極殿の復元に関して、まず、殿内に四神・十二支像を描くとした場合の、シュミレーションを検討するものである。高松塚、キトラ古墳壁画に描かれた四神、および十二支像をもとにその歴史的可能性を検証した。また、奈良時代平城宮は文献からも詳細は不明であり、むしろ平安京大極殿や清涼殿など、平安京内裏に関する文献や、年中行事絵巻などの絵画資料からの実証が求められた。また、十二支像に関しては、中国および朝鮮の作例との相違から、むしろ日本の十二支像は仏教美術との関連性が高いと結論づけた。(百橋 明穂) 2010年2月、独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所 |
宮下 規久朗 著『カラヴァッジョ巡礼』 |
![]() 17世紀初頭のローマで、一世を風靡したバロック絵画の巨匠カラヴァッジョは、今年没後400年を迎え、大規模な展覧会が欧米で開催され、日本では映画も公開されている。斬新な明暗法を駆使した写実的かつ幻視的な作品は常に賛否両論を巻き起こし、さらには生来の激しい気性から殺人を犯し、逃亡生活を余儀なくされる。聖なる画家にして非道な犯罪者。その光と闇に包まれた生涯を辿りつつ、現地に遺された作品を追って旅する。この本には、カラヴァッジョだけでなく同時代の周辺の画家たちや、“カラヴァッジェスキ”と呼ばれる後継者たちの作品も併せて収録。また、絵画の展示されている空間や街の風景を写真で紹介し、美術鑑賞と旅の気分を同時に味わえる贅沢な仕上がりになっている(編集部の案内文より)。 2010年1月、新潮社 |
石黒 広昭・亀田 達也 編 『文化と実践:心の本質的社会性を問う』 |
![]() 「文化と心」の関わりをめぐる複雑な問題は、社会科学全体の共通テーマであると同時に、心理学の領域においても、近年、強い関心を集めています。心理学におけるこの問題へのアプローチには、大きく分けて、①文化心理学、②社会・文化・歴史的(ヴィゴツキアン)アプローチ、③ゲーム論的アプローチの3つがあります。いずれのアプローチも「文化と心の複雑な相互規定関係」を解明することを目指しているものの、アプローチ間の十分なコミュニケーションは、これまでほとんど行われていません。まして、それぞれの枠組みにおける「文化」概念の位置づけや中心性、文化を維持・創出するメカニズムなどのいくつかの鍵となる論点について、互いのアプローチの異同を明らかにしようとする試みは、これまでほとんど存在しませんでした。本書は、3名の心理学者(山岸、石黒、石井)がそれぞれのアプローチを紹介した後、それらに対し別の3名の心理学者(佐伯、北山、亀田)がそれらのアプローチに対して批判的な検討を加えるといった構成になっています。本書は、心の社会性に関する最先端の知見を提供しており、その点を理解する上でも格好のテキストと言えます。(石井敬子) 2010年1月、新曜社 |
宮下 規久朗 著『もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品』 |
![]() 劇的な明暗表現と革新的リアリズムによってバロック絵画の扉を開き、その後の巨匠たちに大きな影響を与えた革命児、カラヴァッジョ(1571‐1610)の鮮烈な魅力を、血と犯罪に彩られた破滅的生涯とともにたどる。傷害や乱闘に明け暮れ、ついには殺人者となり、逃亡の途上で野垂れ死ぬという、美術史上最も俗悪と思われる「呪われた画家」でありながら、その手から生み出された宗教画は、どんな画家の作品にもまして深い聖性を宿し、奇蹟が眼前で起きているかのような感動を呼び起こしてくれる。カラヴァッジョが引き起こした事件をまとめた「トラブル録」や、彼を支えたパトロン、友人たちのエピソードや「人物相関図」など、豊富なコラムでこの特異な画家の人間性と、当時のイタリア美術界の状況等をかいまみることができる(編集部の案内文より)。 2009年12月、東京美術 |
田中 康二 著『和歌文学大系72 琴後集』 |
![]() 家集『琴後集』の著者、村田春海(1746~1811)は近世和歌において加藤千蔭と共に江戸派の双璧と謳われた。豪商の家に生まれ、賀茂真淵の県門に入り、吉原の遊女を身請けして財産を蕩尽し、晩年は詠歌と国学に精進した「琴後翁」の歌文集『琴後集』のうち家集九巻一六八四首に初めて詳注を加えた。『万葉集』『古今集』『新古今集』はもとより、『堀河院百首和歌』『為忠家初度百首』などの古典、さらに師真淵や親友千蔭の詠草からも貪婪なまでに詞藻を探った、歌詠み春海の真面目を明らかにした。なお、平成二十二年(2010)は春海の二百年忌に当たる年である。 (田中康二) 2009年12月、明治書院 |
田中 康二・木越 俊介・天野 聡一 編『雨月物語』 |
![]() 日本近世文学の中で怪談の随一と目される『雨月物語』に注釈と「読みの手引き」を付したもの。『雨月物語』は1776年の刊行で、五巻九話「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」からなる。大学の演習・講読のテクストとして編集したものであるが、厳密な本文校訂と最新の研究成果を盛り込んだ頭注に加えて、豊穣な読みを掘り起こすための「読みの手引き」を添えた。共編者の木越俊介氏は神戸大学および同大学院の出身で現在は山口県立大学准教授、天野聡一氏は神戸大学および同大学院の出身で現在は神戸大学大学院人文学研究科学術推進研究員である。(田中 康二) 2009年12月、三弥井書店 |
酒井 潔・佐々木能章 編『ライプニッツを学ぶ人のために』 |
![]() よく知られた『学ぶ人のために』シリーズに「万能の人」、17世紀を代表する、哲学者ライプニッツに関するガイドブックが付け加わった。本書は哲学思 想編、資料編からなる。我が国を代表するライプニッツ研究者に加え、海外の研究者からの寄稿も含む。4章からなる、哲学思想編では、論理、自然、人間、モナドのトピックが叙述される。資料編は、テクストや基本概念の解説を含む。松田毅は、第1章「論理」の「普遍記号法」を分担執筆した。近年の研究が、ライプニッツのこの卓抜なアイデアをヒルベルト、ゲーデルなど「数学基礎論」の系譜に位置づけるだけでなく、思考を「論理的計算」と見なす「ライプニッツ・プログラム」の観点から解明している点などを論じている。また、いわゆる「記号数」の簡潔な解説も行い、ライプニッツのアイデアの可能性と限界を示した。(松田 毅) 2009年12月、世界思想社 |
C.コースマイヤー 著、長野 順子他 訳『美学 ジェンダーの視点から』 |
![]() 本書は、これまで芸術や美学理論を支えてきた伝統的な概念体系をジェンダーという視点から批判的に解明し、現代における美学と芸術の新たな可能性を探ることをめざしている。「美」や「芸術」をめぐる思考は、心/体、理性/感情、男性的/女性的……という二項対立的な枠組みのなかで行われ、構造化・序列化されてきた。その動きを「芸術家」概念の誕生や「プロ」「アマ」の分離といった芸術実践の諸相に見ていく前半部と、現代アートのラディカルな変容の試みをとくに女性アーティストに焦点を当てて考察する後半部をつなぐ橋渡しとして、「味覚/テイスト」を中心とした五感論がおかれている点がきわめてユニークである。理論分野では看過されてきたジェンダーを鍵概念に「美学」の解体と再生をはかろうとする本書は基本文献としての評価を得て、すでに複数の大学でテキストに用いられている。 (長野 順子) 2009年12月、三元社 |
中畑 寛之 著『世紀末の白い爆弾―ステファヌ・マラルメの書物と演劇,そして行動』 |
![]() 19世紀末フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメ。「難解な」と形容されることの多いこの詩人の文学的営為を論じたものが本書である。ただし、彼の名を知る読者がおそらくは期待するはずの詩篇を扱ったものではない。「批評詩」と呼ばれるテクスト、とりわけ詩人の晩年に書かれたフランス第三共和制の〈危機〉に関わる幾つかのテクストを、できる限り実証的に、それらが書かれるに至った出来事の現場において読み直すことを本書は試みている。至高の〈書物〉を孤独に試みる言葉の錬金術師マラルメ。その彼が19世紀末のパリを騒然とさせた爆弾テロの閃光のなかで選んだ文学的〈行動〉の意味、その戦略とは? ますます混迷し、文学の余地などもはや残されてはいないような21世紀の現在時においても、ステファヌ・マラルメというひとりの詩人が孤独に示し続けたエクリチュール実践、その姿勢の持つ有効性は些かも失われてはいないと信じる。彼が遺していったテクストを読むことを通して、我々もまた詩人の夢想にともに参与し、その言葉を理解しようと試み続ける必要があるだろう。(中畑 寛之) 2009年11月、水声社 |
竹中 克行・大城 直樹・梶田 真・山村 亜希 編『人文地理学』 |
![]() よく「地理学は間口の広い学問」だと言われますが,それは「逆に奥行きはどうなの?」という疑問と一体になっているように思います。本書は,「生活と社会の地理」(人口地理学,都市地理学),「生産と流通の地理」(農業地理学,工業地理学,流通・商業地理学),「想像と表象の地理」(政治地理学,観光地理学,文化地理学),「過去に問いかける地理」(歴史地理学),「地理学の応用」(地理情報システム,公共政策,環境問題)の5部から構成され,各章それぞれ,中堅・若手からなる執筆者たちがそれぞれの専門分野の新知見をふんだんに盛り込んだものになっています。例えば,現代都市の分断状況を,新たな階級格差の拡大と都市再開発の関係から,あるいは社会的弱者の公共空間からの排除を都市空間の「釜ケ崎化」ないしは「ディズニフィケーション」として抉り出してみたり,環境問題を市民・住民運動を通して分析するなど,最新の地理学入門書として,読む人をして「これも地理なの?」「意外に面白いね!」と思わせしめる仕上がりになっていると自負しています。 (大城 直樹) 2009年10月、ミネルヴァ書房 |
樋口 大祐 著『「乱世」のエクリチュール―転形期の人と文化―』 |
![]() 本書は日本列島の歴史上、「乱世」(=転形期)と見なしうる三つの時代(1156~1221年、14世紀の南北朝動乱期、16世紀の大交易時代)に関わる歴史叙述テクストを扱い、鎌倉幕府以後、断続しつつ700年近く維持され続けた公武(朝廷・幕府)二重政権下の公定文化とは異なる、オルタナティヴな世界認識への可能性を掘り起こそうとするものである。これら三つの時代の「転形期」的状況は、その後に来る三つの「平和」(源頼朝による平和、足利義満による平和、豊臣・徳川による平和)によって終息するが、その後に書かれたテクストには、「転形期」のさまざまな記憶が痕跡(=エクリチュール)として留められている。そこからは言説資源の 支配者とサバルタンとのせめぎあい、「平和」以前の記憶と「平和」以後の現在のせめぎあい等、いくつものせめぎあいを読み取ることができる。本書ではそれらのせめぎあいを可視化し、転形期が孕み持っていた多元性・異種混淆性の一端を明らかにすることを目指す。 (樋口 大祐) 2009年9月、森話社 |
田中 康二 著『本居宣長の大東亜戦争』 |
![]() 本居宣長(1731~1801)が近代日本思想史に残した足跡は必ずしも完全無欠の功績ばかりではない。なかには負の遺産もある。アジア太平洋戦争の時には特にひどかった。宣長の自讃歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」は「愛国百人一首」の一首に撰ばれ、武士道精神を象徴する歌として解された。神風特別攻撃隊の名称(敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊)もこの歌からとられた。戦死を美化する散華の精神である。宣長は「日本精神」の権化とされ、大東亜共栄圏統一の理論的根拠とされた。しかしながら、それらは近代日本が構築した宣長の虚像というほかはない。宣長は誤読・曲解され、拡大解釈されて、戦争讃美の具として機能したのである。それは時代錯誤以外の何ものでもなかった。本書は宣長の言説が時局に利用され曲解されるシステム、宣長の実像が歪められて受容されるメカニズムを検証し、近代日本思想史において果たした宣長の役割を解明することを目標とした。なお、「大東亜戦争」の呼称は、同時代的観点に立って対象を見るという立場を表明したものであって、「大東亜戦争」を聖戦として全面的に擁護することを意図したものではない。(田中 康二) 2009年8月、ぺりかん社 |
松下 正和・河野 未央 編『水損史料を救う―風水害からの歴史資料保全』 |
![]() 2004年台風23号は、多くの人的・住宅被害とともに、歴史資料(以下、史料)に対しても多くの水損被害をあたえました。本書は、人文学研究科内に事務局を置く歴史資料ネットワーク (代表: 奥村弘教授) が被災地の文化財担当部局や地域史研究団体・住民と協力しておこなった、水損史料の保全・救出活動記録です。風水害で水損した紙史料は、カビの繁殖や細菌による腐敗がすぐに始まります。そのため、水損史料はゴミ出しや家屋・蔵の解体を契機として、地震による被災史料よりも早く廃棄されてしまう可能性が高くなります。早期の被災地入りは復興の妨げになるが、遅れると史料の腐敗や廃棄が進行するというジレンマの中、私たちは、同ネットワークの一員として、 兵庫県・京都府内の被災地8市10町を訪問し、地元の協力を得ながら、段ボール換算で40箱をこえる地域の歩みを示す貴重な史料を救出しました。1995年1月の阪神・淡路大震災後の被災史料保全活動を契機として設立され、地震時の史料救出を主におこなってきた同ネットワークにとって、 2004年に続発した風水害への対応は初めての経験でした。それだけに、試行錯誤を繰り返しつつ水損史料の保全方法を現場で開拓していくことになりました。水損史料の保全活動をより一層展開させるために、みなさまからの忌憚のないご批判、ご意見を賜れば幸いです。(松下正和・河野未央) 2009年5月、岩田書院 |
Richard E. Nisbett & Dov Cohen 著、 石井 敬子・結城 雅樹 編訳 『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理 (Culture of honor: The psychology of violence in the South)』 |
![]() 本書のメッセージは、アメリカ南部において暴力性が特徴的な理由は、気温や貧困、奴隷制度ではなく、「名誉の文化」にあるというものです。アメリカ開拓当初、南部にはそもそも牧畜を生業とした人々が入植し、しかもその自然環境は牧畜を行うのに適していたものの、人々は家畜を始めとする財を防衛するにはどうしたらいいかという問題に直面しました。政府権力が弱いため、頼りになるのは自分だけです。そのような環境のもとで自衛していくには、自分の弱さを露呈するのは致命的であり、むしろ侮辱されたらそれに対してやり返して自分の強さを示さなければなりません。そしてそういった暴力性がその環境において有効な行動となれば、同様の行動をとる人々の数は多くなり、侮辱されてもそれには応じないという行動をとるメリットはなくなってしまいます。興味深いのは、現在の南部の経済形態はもはや牧畜ではないにもかかわらず、同様の行動形態が維持されている点です。この点から、「やられたらやりかえせ」という行動原理を支えていた経済形態が消えてもなおそれが維持されているというのは、その行動原理が「この場面で人はこう行動するだろう」という期待になり、それが法制度や家庭のしつけ等の公的な表象や日常のpracticeに反映されていることを読み取ることができます。(石井敬子) 2009年4月、北大路書房 |
『日本古代王権の支配論理』 古市晃(単著) |
![]() 国家存続のための基本的要素として、国家支配の正統性を説明するための論理が必要であることはいう までもないでしょう。本書は、日本の飛鳥時代における支配論理(君臣統合の論理)について検討を加えたも のです。飛鳥時代における君臣統合の論理については、これまで独自の検討がなされることはほとんどあり ませんでした。しかしこの時代には、仏誕会や孟蘭盆会などの仏教儀礼が国家儀礼の中心を占め、仏事を媒 介として君主への奉仕を誓約する思想が中国から受容されていました。また君臣統合の中枢となる施設とし て、王宮だけでなく寺院も重要な位置を占めたことが確認できます。こうした諸事例から、本書では、飛鳥時代は、仏教を中心とする君臣統合の論理が国家支配の論理として基調を占めていた、独自の段階であること を主張しています。仏教の持つ平等性が支配論理の基軸に組み入れられたことは、天武持統朝に実現する、 天皇の現人神化の直接の前提として大きな意味を持っていると考えているのですが、この点をめぐっては今 後も検討を続けていきたいと考えています。 2009年2月塙書房 8,500円 |
「荘園絵図が語る古代・中世』 藤田裕嗣(単著) |
![]() 書名に挙げられている「荘園絵図」とは、領域を描いた古代・中世の古地図類に対する一般的呼称である。 「古代・中世」にまたがって荘園絵図が残っている数少ない事例として、旧蔵を含め、大和国西大寺所蔵の絵 図、十数点を取り上げた。西大寺は、かつては条坊制が施されていた平城京内に位置し、十四世紀に入ると、 北に隣接していた秋篠寺と周辺の土地に対する支配をめぐって争っており、それに関して残された荘園絵図 3点などを含め、一貫して、西大寺とその周辺を描いている。本書は、西大寺とその周辺の歴史的性格に関 する紹介から始め、これらの荘園絵図に盛り込まれた歴史像を検討した。さらに、歴史地理学の立場を重視 して、荘園絵図を地図として解読することを試みた。その際は、歴史地理学の概説とともに、当時の人々に よる地域の捉え方を探ることに力点を置いた。現存している遺構の現場は、阪神三宮駅まで乗り入れた近 鉄電車に乗って終点奈良駅の二駅手前に広がっている。そのガイドも兼ねており、読者諸兄には本書を持 参した歴史散歩をお勧めしたい。 2009年1月、山川出版社 800円 |
『ポール・ヴァレリー 1871‐1945』 ドニ・ベルトレ著、松田浩則(単独訳) |
![]() 本書は、ジュネーヴ大学のヨーロッパ学院で政治学を講じるドニ・ベルトレによるポール・ヴァレリー(1871‐1945)の伝記である。従来、ヴァレリーはその青春の書『ムッシュ・テストとの一夜』(1896)のインパクトがあまりにも強かったぜいか、「地中海的な知性の人」といった、かなり歪曲されたイメージでもって語られることが多かった。ベルトレは、ヴァレリーの日記『カイエ』や未公刊の資料などにも丹念にあたりながら、ヴァレリーの官能的経験がそのエクリチュールにどのような影響をあたえたのか、さらに、1920年代以降、国際連盟の知的協力委員会やパリの社交界などを舞台にどのような「精神の政治」を推進していったのかを鮮やかな手つきで明らかにすることによって、従来のヴァレリー像を夫いに刷新することに成功している。なお、本書は朝日新聞(2009年1月18日、柄谷行人)、毎日新聞(3月15日、鹿島茂)、図書新聞(3月21日、鈴村和成)などの書評で取り上げられた。 2008年11月法政大学出版局 9,240円 |
『太平記を読む』 市沢 哲(編著) |
![]() 『太平記』は鎌倉幕府滅亡から南北朝内乱を経て、室町幕府体制が安定に向かう激動の14世紀を描いた作 品で、『平家物語』と並ぶ軍記物語の双壁です。本書はこの『太平記』を、東アジアを含めた14世紀の政治的、 思想的、地理的空間軸と、長きにわたる軍記物語の展開という時間軸の交差のなかに位置付けようとする試 みです。具体的には、(1)『太平記』における史実と虚構、(2)『太平記』を支える思想、(3)軍記物語の歴史上に おける『太平記』の特色、の三つの視点を設定し、(1)では政治と戦争、(2)では仏教、儒教、怪異現象、東アジ ア世界との交流、(3)では軍記物の歴史における『太平記』の独自の位置を追究しました。日本史、文学、宗教 史、思想史、対外交流史の気鋭かつ個性的な執筆者が、それぞれの立場から『太平記』を論じ、『太平記』から1 4世紀という時代を語っており、いずれの章も読み応えは十分です(国文専修の樋口大祐先生も執筆して下 さいました)。ある人は本書を『太平記』をリングにした「バトル・ロワイヤル」と評してくれました。とてもうれし い評価でした。 2008年11月、吉川弘文館 2,800円 |
『アジア系アメリカ演劇―マスキュリニティの演劇表象』山本秀行(単著) |
![]() 本書は、アジア系アメリ力演劇を論じた本邦初の本格的研究書です。マスキュリニティ(男らしさ、男性性) という点から、「M・バタフライ』で知られるデイヴィッド・ヘンリー・ホワンのほか、フランク・チン、フィリップ・カン・ゴタンダ、チェイ・ユウ、ダン・クワンなど主要なアジア系アメリ力人男性劇作家の作品を論じています。巻末には、「補論:アジア系アメリ力演劇概観」「アジア系アメリ力演劇関係文献案内」「アジア系アメリ力演劇年表」を収録し、この分野になじみがない読者にも、読んでもらえるようにしています。アジア系アメリ力演劇のみならず、アメリ力演劇、文学、文化、社会、そして、ジェンダー論やオリエンタリズムなどに興味を持っている方にもぜひ読んでいただきたい本です。なお、関連文献として、エレイン・キム著『アジア系アメリ力文学―一作品とその社会的枠組』(共訳書、世界思想社)、アジア系アメリ力文学研究会編『アジア系アメリ力文学―一記憶と創造』(共著書、大阪教育図書)も併せてお読みいただくことをお勧めします。 2008年10月、世界思想社 2.520円 |
『ネーミングの言語学―ハリー・ポッターからドラゴンボールまで―』 窪薗晴夫(単著) |
![]() ミッキーマウスはどうして「ミッキー」という名前なのか?クリスマスの「赤鼻のトナカイ」はどうして「ルドルフ」と呼ばれているのか? 「トムとジェリー」ではどうしてトムが猫で、そのトムの名前がネズミのジェリーよりも先に来るのか?このようなキャラクター名は恣意的につけられているように見えて、その背後には言語構造や規則が大きく関わっていることが多い。本書は英語と日本語の人名(キャラクター名、芸名、愛称)や会社名などを題材に、ネーミング(命名)と言語構造規則の関係を考察した本である。ミッキーの秘密が解けると、八リー・ポッターに出てくる「嘆きのマートル」「ほとんど首無しニック」などの人名や、「禁じられた森」「暴れ柳」「魔法省」「忍びの地図」「逆転時計」といった名前の謎も解ける。日本語では、アニメ・ドラゴンボールに登場する「サイヤ人」「魔導師バビディ」「魔人ブウ」「魔界の王ダープラ」などの名前がどのようにして作り出されるか、どうして「魔人プウ」の生まれ変わりが「ウーブ」という名前なのかなどという疑問も氷解するはずである。 2008年10月、開拓社 1,600円 |
『モダン都市の系譜―地図から読み解く社会と空間―』水内 俊雄・加藤 政洋・大城直樹(共著) |
![]() 街を歩けば,その都市独特の景観や雰囲気に接することができます。しかしそれらがどのようにして醸成されてきたかを知る機会はそう多くはないでしょう。本書はそれぞれ来歴の異なる京都・大阪・神戸といった大都市を対象に,近代都市としてそれらがいかに成立し展開していったがを地図をもとに読み解いていくものです。多くの章に「持論」を設け,気軽に読めるよう配慮しています。それによって中心市街地や郊外住宅,バラック・スラム,スプロール,盛り場・花街・繁華街といった場所の系譜、工ス二シティといったトピックが都市計画と社会政策の問題と絡められ,都市の全体的構造と関係づけられながら時代順に明らかにされていきます。 2008年5月 ナカニシャ出版 2,940円 |
『ことばの力を育む』 大津 由紀雄・窪薗 晴夫(共著) |
![]() 新しい小学校学習指導要領では「外国語活動」が必修化され、そこでは、ことばの楽しさ、豊かさに気づき、言語活動を充実させることが強調されている。しかし、ことばの楽しさや豊かさに気づかせるのは、外国語より母語の方がはるかに効果的であると私たちは考える。異文化間コミュニケーションという問題であっても、その原点は日本語の多様性(たとえば方言問の違い)を教えることにあると私たちは考えている。子どもたちは無意識のうちに母語の知識を身につけているが、その豊かさと奥深さには気づいていない。この本は、子どもたちをことばの世界へ誘い、かれらが自らその隠された神秘を探る楽しさと出会うことを目指している。 2008年4月 慶應義塾大学出版会 1,680円 |
『刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ』 宮下 規久朗(単著) |
![]() 本書は、近代の日本人の裸体観や身体観の変容を軸に、風俗としての裸体と芸術としてのヌードとの複雑な関係や、春画や生人形といった伝統的な日本の裸体表現と近代のヌード芸術との相克、刺青とヌードとの関係などについて本格的に考察したものである。私のはじめての日本美術に関する著書であるが、実はこのテーマは私の原点であり、20年近く前に書いた長いデビュー論文が母胎となっている。今回このテーマを改めてじっくり再考し、新たに資料を調査して一冊に書き下ろすことができた。青春時代から背負っていた荷をようやく降ろした心境である。すでに、「今後、研究の底本として機能する内容」(日本経済新聞)という評をはじめ、各新聞雑誌の書評でとりあげられた。 2008年4月 日本放送出版協会 1,019円 |
『モディリアーニ モンパルナスの伝説』 宮下 規久朗(単著) |
![]() 首の長い人物像で知られる画家モディリアーニについて書き下ろしたもの。この画家は近年ますます人気があるが、一般的な人気の割には欧米でもまともな美術史研究の対象となることは少なかった。本書では、モディリアーニの作風の成立過程を追い、絵画と彫刻の代表作を検討しながら、イタリアの伝統美術とのつながりだけでなく、プリミティヴィスムや同時代のバリの前衛美術との関係、さらに従来誰も指摘していなかったジャポニスム的要素について考察した。日本との関係や日本の画家に与えた影響についても紹介している。図版がどれも美しいだけでなく、モディリアーニについてはじめて美術史的にきちんと考察したものであると自負している。 2008年3月 小学館 1,890円 |
『モディリアーニの恋人』 橋本 治・宮下 規久朗(共著) |
![]() 画家モディリアーニの恋人ジャンヌ・エビュテルヌは、モディリアーニの晩年の作品に登場する憂いを帯びた美女のモデルとして知られるが、画家が病死した直後、アパートの窓から身を投げて後追い自殺したことでモディリアーニ伝説を完成させた。近年公開された新資料によれば、彼女は従来考えられていたような受身の弱い女性ではなく、強い意志をもった本格的な画家であり、その作品はときにモディリアーニにも影響を与えたということがあきらかになったのである。本書は、画家と恋人とのこうした関係にスポットを当て、モディリアーニ芸術の成り立ちやジャンヌのイメージについて、私の解説と作家の橋本治のエッセイで構成したものである。 2008年3月 新潮社 1,470円 |
『一九三〇年代と接触空間―ディアスポラの思想と文学』 緒形 康 編 |
![]() 本書は、共同研究「接触空間における危機と共生の文化研究――海港都市・神戸と文化混清の諸経験」の研究成果をまとめた学術論文集である。同研究は、平成一七年(二〇〇五年)から一九年(二〇〇七年)にかけて科学研究費補助金(基盤研究(B))の交付を受けた。 研究の総合テーマは、一九一四年から四五年におけるモダニズムと総力戦体制の時代における神戸の文化研究である。この研究を通じて、当該期の神戸の危機と共生の諸経験を検討しながら、「接触空間」(contact Zone)という新しい概念を用いて、そうした文化危機を新しい共生へと止揚するための、より一般的な文化認識の視座を見出すことができたと思っている。 2008年3月 双文社出版 6,500円 |
『 Asymmetries in PhonoIogy: An East-Asian Perspective 』 窪薗 晴夫(編著) |
![]() 人間の体には目や耳、腕のように左右対称になっている器官がいくつもある。これらは一見すると対称的であるように思えるが、実際にはそうでないことも多い。機能まで考えると非対称性(asymmetry)はさらに大きくなる。言語構造にもそのような非対称性が随所に見られ、言語の仕組みを考える上で重要な示唆を与えてくれるものとして注目されている。このような研究動向を踏まえて、本書は日本語や韓国語をはじめとする諸言語における音韻構造の非対称性を分析した論文10編を収録した。分析の対象となる現象や研究のアプローチは多様であるが、いずれの論考も非対称な音韻現象を具体的に記述し、非対称性が生み出される原理を考察している。 2008年2月 くろしお出版 3,990円 |
『日本の家族とライフコース―「家」生成の歴史社会学―』 平井 晶子(単著) |
![]() 日本の家族はその変化が叫ばれて久しい。では、私たちがこれこそ日本的な家族であると思っている家族はどのようなものなのか。それはいつ、なぜ確立したのか。伝統的な家研究と、歴史人口学に基づくライフコース研究を統合するという新しい方法から、この古くて新しい問題を再考したのが本書である。学術的には、家論や家族変動論の再構築をめざすものであるが、本書の意義は狭い専門分野に限定されるものではない。伝統的な家族のあり方や、かつての人々のライフコースの具体的な歩みを知ることは、先の見えない現在にあって、自らの家族イメージやライフコースを考える新たな視点を提供すると思われるからである。 2008年1月 ミネルヴァ書房 5,250円 |
『環境リスクと合理的意思決定―市民参加の哲学』 シュレーダー=フレチェット著、松田 毅 監訳 |
![]() 本書は、アメリカを代表する環境倫理学者による「リスク分析と合理的な意思決定の理論」に関する入門書である。科学哲学、倫理学、経済学、法学、統計学とリスク分析に及ぶ学際的内容の読み応えのある本格的な著作である。「リスク社会」の名の下に食卓で口にする食べ物の安全性など、身の回りに潜む多様なリスクをどう管理するが、という問題が、急速にクローズアップされる中、科学技術の負の側面と環境負荷の被害者に最もなりやすい人々の位置に身を置き、「環境正義」を実現すべきである、と言う筆者のメッセージは明確で力強い。なお神戸大学人文学研究科では2009年前期にシュレーダー=フレチェット教授の集中講義を予定している。 2007年11月 昭和堂 4,515円 |
『カラヴァッジョへの旅』 宮下 規久朗(単著) |
![]() 本書はこの画家についての私の三冊目の著書である。前著以降に出た新資料や学説を多く取り入れ、新知見もいくつかちりばめた。とくに、凶暴で反社会的な人格破綻者だったこの画家に、なぜかくも静謐で感動的な宗教画を生み出すことができ、西洋美術史上最大の巨匠となりえたのか、という問題に自分なりに答えたつもりである。この画家の生涯はイタリアを北から南に縦断するものであり、作品も各地に散らばっている。私自身が長年カラヴァッジョの作品を見て歩いてきた経験から、そのときの印象や思い出も包み隠さずに書いたが、単なる紀行文ではない。各地に印された画家の足跡をたどり、思索しながらその作品世界の深奥に分け入る旅でもある。 2007年9月 角川学芸出版 1,785円 |
『江戸文学』36号 特集「江戸人の「誤読」」 田中 康二 監修 |
![]() 日本近世文学の専門誌『江戸文学』を監修する際に「江戸人の「誤読」」というテーマを設定しました。「誤読」というのは作者の意図からはずれた読みと見なされますが、「誤読」の中にこそ創造性があると言えます。また、「誤読」の偏差の大小によって、逆にその時代の思考法が浮き彫りにされることがあります。したがって、「江戸人の「誤読」」とは江戸人の思考法にたどり着く鍵であると言えます。本誌には、漢詩人の注釈書『通俗唐詩解』の解釈上の方法を闡明した田中康二「葛西因是『通俗唐詩解』の解釈戦略」のほかに、樋口大祐氏や佐藤光氏(元神戸大学准教授)等が創造的で意欲的な論文を寄稿しています。 2007年6月 ぺりかん社 2,100円 |
『増補改訂 ハプスブルクの実験』 大津留 厚(単著) |
![]() 10年ほど前に中公新書で刊行した『ハプスブルクの実験―多文化共存を目指して―』の増補改訂版です。多文化、多民族、多言語の共存を巧妙な政治システムによって実現しようとしたハプスブルク帝国は第一次世界大戦を生き抜くことができずに崩壊しました。そのあとに実現した民族国家群はハプスブルク帝国を否定的に捉えることで、自分たちの存在を正当化しました。しかしその後のこの地域の歩みは苦難に満ちたものとなりました。21世紀を迎えて、この地域の多くはEUという政治的統合体に含まれることになりました。その時に当たってかつての政治的統合体としてのハプスブルク国家の有様はもう一度評価されるようになりました。本学人文学研究科が進める地域連携事業の成果を加えてグレードアップした新装『ハプスブルクの実験』、お楽しみください。 2007年6月 春風社 2,310円 |
『歴史家の遠めがね・虫めがね』 髙橋 昌明(著) |
![]() 「六〇話で綴る歴史の面白さ意外性を興味深く語ったエッセー。随所に最新の歴史学の知見を盛り込む」。恥ずかしいながら、編集者が書いてくれた帯の文句である。 タタキやヤキトリの誕生から、帝国憲法制定時の「臣民の権利」をめぐる論争など辛口の話もちゃんとある。日本の合戦の真実あるいは藩政時代の森林資源の保護も。神戸時代の坂本龍馬や、なんと神戸大学文学部も幾度か顔を出す。前身は筆者の郷里である高知新聞紙上で一年三か日続けた連載。ごった煮の雑炊か、話題豊富なグルメの食卓か、一度確かめられてはいかが。 2007年5月 角川学芸出版 1,575円 |
『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』 宮下 規久朗(共著) |
![]() レオナルドの多方面にわたる業績について、美術史だけでなく、解剖学、数学、工学、天文・地理学、建築学、音楽史、演劇史、精神分析学、宗教学、政治・社会史などの面から各専門家がアプローチした本格的な論文集。日本におけるレオナルド学の、現在望みうる最高の成果を示す学術書である。最近レオナルド関係の本の出版があいついでいるが、私は、一般向けにも、やはり最近出版された『ダ・ヴィンチ 天才の真実』(宝島社)という本に、レオナルドやルネサンスについての解説を書いているので、あわせて読んでいただければ幸いである。 2007年5月 東京堂出版 3,990円 |
『風土記からみる古代の播磨』 坂江 渉(編著) |
![]() 『播磨国風土記』は、8世紀の初め頃、中央政府によって作成・提出が命じられた国別の地誌の一つです。そこでは播磨各地の地名の由来を説明する際、地方色豊かな神の話や説話などが引用されています。それによると古代の播磨に暮らす人々の生活や信仰、自然との関わり方などがみえてきます。本書ではそうしたテーマについて、文学部の地域連携事業に関わった8名の執筆者が分析した結果を、合わせて40本以上の論考として提示しました(すべて読み切り)。本書を読んでいただくことを通じ、播磨古代史への理解が深まるともに、風土記に関わる地域遺産を活かしたまちづくりが進めば幸いと考えます。 2007年3月 神戸新聞総合出版センター 1,575円 |
『越境する移動とコミュニティーの再構築』 佐々木 衞(編著) |
![]() トランスナショナルな移動によってエスニシティの認知が変容し、コミュニティが再構築される過程を、東アジアをフィールドに実態的に研究したものである。北東アジア(中国:青島、韓国:ソウル)と東南アジア(タイと近隣諸国の国境地域)とを比較対照し、地域の歴史的文脈の中から分析する理論枠組みを検証している。 2007年3月 東方書店 3,780円 |
『植民都市青島 1914-1931―日・独・中政治経済の結節点―』 ヴォルフガング・バウワ-、大津留 厚 監訳、森 宜人、柳沢のどか訳 |
![]() 本書は本学人文学研究科森紀子教授を中心とした青島に関する総合的研究の成果の一部です。青島は19世紀の末にドイツの植民地になったあと、第一次世界大戦でここを占領した日本の統治下に置かれ、1922年に中国に主権が返還されました。その後も日本で捕虜になっていたドイツ人が戻ってきて経済活動を再開し、日本も経済活動を活発に展開します。日本、ドイツ、中国3者のトライアングルの中におかれた大戦間期の青島の経済発展を、ドイツ語と日本語の史料を駆使して描いた本書はこれまでの研究の空白を埋め、乗アジアの現代史に新たな光を当てるものです。御一読下さい。 2007年2月 昭和堂 4,200円 |
『オペラのイコノロジー3 《魔笛》―〈夜の女王〉の謎』 長野 順子(単著) |
![]() モーツアルト最後のオペラ《魔笛》は、メルヘンのなかに啓蒙主義や神秘思想が含まれる謎の多い作品として、これまでさまざまな解釈が試みられてきた。本書は、イタリア・オペラが隆盛したバロックと、ナショナリズムの台頭する近代との狭間に生まれたドイツ語オペラを、啓蒙思想とその他者のせめぎあう複合空間と捉え、古代神 話やキリスト教との関わり、フリーメイソン的要素、民話や道化劇の継譜、舞台のスペクタクル性等について、独自の解釈を提示した。とくに、冥界からやってきた二人の女性〈夜の女王〉とその娘バミーナを軸にすえて、混沌と闇を含み躍動する多層的なイメージと音の世界を読み解いたユニークな〈魔笛〉論である。 2007年1月 ありな書房 3,780円 |
『食べる西洋美術史―「最後の晩餐」から読む』 宮下 規久朗(単著) |
![]() 食と美術の関係について考えたわが国ではじめての論考。かつて文学部のホームページに、「これが授業だ!」というコーナーがあり、それに架空の授業の記事を書いたのだが、そのときも食と美術の問題を扱った。本書ではより体系的に、西洋において食事や食材の表現が美術の中心主題であり続けたのはなぜか、という点をめぐり、キリスト教に裏打ちされた西洋特有の思考法、また東洋とは異なる西洋美術のあり方を浮かび上がらせた。美術以上に食べることに興味のある私自身、楽しみながら』気に書いたのだが、今までにない視点の異色の美術史として、朝日・読売・日経など各紙の書評や多くの雑誌に好意的にとりあげられ、予想以上に多くの読者を得ることができた。 2007年1月 光文社新書 924円 |
『地域研究の課題と方法アジア・アフリカ社会研究入門【実証編】』 北原 淳・竹内 隆夫・佐々木 衛・高田 洋子(編著) |
![]() 本書は、現代社会の構造変動を「地域研究」の観点から研究するための課題と方法を体系的に解説した。このために、地域社会(都市と農村)とその構成要因としての家族・エスニシティ・ジェンダーの構造と変動を主題とし、地域社会の枠組みに影響を与える国家的、国際的な経済、政治、文化(とくに教育、宗教)をも検討した。 2006年12月 文化書房博文社 2,835円 |
『カラヴァッジョ』(西洋絵画の巨匠11) 宮下 規久朗(単著) |
![]() 私の研究対象であるイタリアの画家カラヴァッジョの本格的な画集。ほぼすべての真筆作品に、最新の研究成果を踏まえた解説を付し、さらに、画家の波乱の生涯のほか、代表作に秘められた深い意味や、知られざる日本との関係などについても詳述した。世界最高の印刷技術によるカラー図版のほか、本文中の挿絵は、私が撮ったもののほかに、イタリアに依頼して撮ってもらった貴重なものが多い。最近新たに発見された作品も世界ではじめて収録するのに成功した。画集であるにもかかわらず、多くの新聞雑誌で絶賛された。 2006年11月 小学館 3,360円 |
『イタリア・バロック―美術と建築』 宮下 規久朗(単著) |
![]() わが国初のイタリア・バロックの概説書にして、それを現地で味わうための入門書である。ローマ、ヴェネツィア、ジェノヴァ、トリノ、ナポリ、バレルモといった都市別に重要なモニュメントについて解説したほか、際立った天才たちの成果をまとめて紹介し、実際に見て回ることを念頭において編集した。写真の大半を私が撮ったのだが、そのために何度もイタリアに行き、脚を棒にして無数の写真を撮りためた。基本的に出不精で怠惰な私には割に合わぬ難儀な仕事ではあったが、よい経験になった。すでに何人もの人々が本書を手にして実際にイタリアを旅してくれている。 2006年11月 山川出版社 2,940円 |
『都市空間の地理学』 加藤 政洋・大城 直樹(編著) |
![]() 本書はいわゆる「都市地理学」の本ではなく、「都市空間」に関する色々な見方・考え方を紹介する本です。登場するのは地理学者ばかりではありません。シカゴ学派社会学、遊歩の思想家ベンヤミン、都市計画家石川栄耀らは1920~30年代に、19世紀中半以降資本主義の発展と共にとトモノ・カネの流れを加速化させるべく膨張してきた結果生じた空間の矛盾に対して新たな視線を向けました。この都市論の叢生期を起点に、第二次世界大戦後のバリのシテュアシオニスト、ドセルトー、合衆国の地理学者たちによる都市の心理地理学やインナーシティの「探検」、時間地理学の誕生、ルフェーヴルやハーヴェイらの都市空間論、ジェントリフィケーションやゲイテイッド・コミュニティの形成が続きます。これら新たな都市空間の展開に呼応して台頭してきたロサンゼルス学派の都市研究集団についても紹介します。 2006年9月 ミネルヴァ書房 3,150円 |
『「知識人」の誕生 1880-1900』 クリストトフ・シャルル著、白鳥義彦(訳) |
![]() 「知識人」は、どのようにして生まれてきたのだろうか。本書は、フランスにおいて近代的な「知識人」が誕生したドレフュス事件期「1894年~)を中心に詳細に分析を進めることによって、この過程を明らかにする。本書の基本的な視点は、「知識人」を社会的なカテゴリーとしてとらえるところにあり、個別的な知識人の英雄史といった観点とは対置される、構造的な分析が行われている。文学の前衛と政治との交錯、当時進められた高等教育改革による若手教員や学生の増大、あるべき「フランス」の理念をめぐる対立、といったことが、「知識人」の誕生をもたらしたのであった。著者のシャルル氏は近現代史の分野で今日のフランスを代表する研究者であり、社会史、大学史、文化史といった幅広い領域において数多くの著作を公刊している。 2006年6月 藤原書店 4,800円 |
『院政期の内裏・大内裏と院御所』 髙橋 昌明(編著) |
![]() 平安京・京都研究会は、一九九四年以来、平安京や京都にかかわる文献史学・考古学・建築史学の先端研究を結集する研究集会を開催してきた。本書は、そのうち王宮や院御所にかかわる四度の研究集会における研究成果を、髙橋昌明が編者となって学術論文集の形に再構成したもの。16人の第一線研究者の執筆になるもの である。 扱う主な時期は、これまでの院政研究では比較的手薄であり、しかも現在学界の関心が集まりつつある後白河院政期で、主たる対象は同期の内裏・大内裏、開院内裏、法住寺殿・六条殿などである。後白河院政期の前提もしくは起点という位置づけのもとに、白河・鳥羽両院政期の白河地区や鳥羽殿についても取り上げた。 2006年6月 文理閣 6,300円 |
『パリ モダニティの首都』 デヴィッド・ハーヴェイ著(大城直樹・遠城明雄訳) |
![]() 著者のハーヴェイは今日最も著名な地理学者であり、マルクスの創造的読解を通じて独自の史的=地理的唯物論を展開しているユニークな研究者ですが、本書はその手法による、都市史の様相を呈したバリの歴史地理学的研究です。19世紀のパリは、都市騒擾と帝国の祝祭、革命と万国博覧会そして大衆消費、手工業的職人世界と地方からの大量移住者と機械化の進展に伴う単純労働化、こうした相反するものが騒々しく括抗するまさにその渦中にありました。ハーヴェイは、バルザックやゾラらのバリ表象や、不動産資本の特権化、抽象的な労働の浸透、女性の置かれた状況、スペクタクルなものの前景化、自然意識の変容等々、実に多様な視角から、パリにおけるモダニティと資本主義の連動性について説得的に論じ、パリの都市景観が「創造的破壊」を通じて今日見られるような景観となっていくその根底に、ヒト・モノ・カネの循環・流通を加速化するためのインフラ整備があったことを暴きだしていきます。 2006年5月 青土社 4,800円(税別) |
『アクセントの法則』(岩波科学ライブラリー118) 窪薗 晴夫(単著) |
![]() どんな言語や方言にも、それぞれに美しい規則の体系がそなわっています。私たちは幼いとき、造作もなくその体系を身につけ、大人になった今は、無意識にそれを操ってことばを話しているのです。本書では標準語や鹿児島弁のアクセントを例に、一見混沌とした言語現象に潜む法則を見つけだし、私たちの頭の中で起こっていることを探ってみました。私たちが日常的に使っている言葉の中に―そして私たち自身の頭の中に―美しい規則の体系が存在していることを解説した本です。 2006年4月 岩波書店 1,200円 |
『西洋美術史』 宮下 規久朗(共著) |
![]() 西洋美術史の概説書はあまたありますが、本書は、最新の研究成果に基づき、簡潔でありながら必要な事項を網羅した通史です。あまりに詳しい概説書は辞書のように使われはしても通読されないものであり、かといって教科書のように簡潔すぎるのも味気ないのですが、本書はちょうどよい分量で、短時間で通読できます。比較的若い研究者がそれぞれ得意とする分野を分担執筆しており、いずれの章も高水準の内容で充実しています。私は16世紀のルネサンスから18世紀半ばにいたる長い箇所を担当しました。十数年前、別の本に近現代美術の通史を執筆したことがあるので、いずれ古代と中世の部分も書いて、私なりの通史をまとめたいと思っております。 2006年4月 武蔵野美術大学出版局 2,200円 |
『列島の古代史5 専門技能と技術』「絵画と絵師」(PP.11-52) 百橋 明穂(共著) |
![]() まず古墳時代の装飾古墳壁画と、仏教美術に導入に始まる飛鳥時代の古代絵画との質的な相違を明確にし、日本の古代絵画が東アジア世界の絵画技術や画材・画題の水準に達していたことを作例を通して解説した。また最近発掘された白鳳・奈良時代の寺院跡からの壁画断片と法隆寺金堂壁画との比較検討を行い、飛鳥朝における百済・高句麗との交流を再検討した。高松塚古墳壁画やキトラ古墳壁画の壁画技術と画題が中国・朝鮮半島と密接な関係をゆうすることを明らかにした。正倉院文書などを駆使して画工司や造東大寺司の絵師達の系譜と作画機関の時代による変貌を解析し、彼らの画業の実態を詳細に分析した。 2006年2月 岩波書店 2,900円 |
『中央ヨーロッパの可能性』 大津留 厚(単著) |
![]() 冷戦構造の中で分断されていた東西ヨーロッパは、1989年のベルリンの壁の崩壊以降、統合の度合いを強めています。それは具体的にはEUやNATOの拡大という形をとっていますが、人や物の動きが自由になって、統合ヨーロッパは、もっと深く人びとの意識に根ざすものになっていると言えるでしょう。しかし他方でヨーロッパの統合が進むほど、逆に歴史や言語や文化に根ざす個々の集団の個性も強く自覚されることになりました。特に中央ヨーロッパに住む人びとは、東西ヨーロッパの分裂の時代には、東西どちらかの陣営に属することを求められ、あるいは「中立」を標模することが求められました。東西分断の解消は中央ヨーロッパの人びとの交流を再開させました。しかしもともと「中央ヨーロッパ」という概念が明確に存在していたわけではありません。地理的にヨーロッパ中部に属する多様な人びとの集団というのが実態でしょう。この本は、そうした多様な人びとの集団がそれぞれの個性を保持しながら共通の歴史を作り上げてきた経験の総体として中央ヨーロッパを再構成しようとするものです。その意味で実験的な作品ですので、皆さまに読んでいただき、ご批判をいただければ、と思っています。 2006年2月 昭和堂 3,300円 |
『フランス・ルネサンス王政と都市社会―リヨンを中心として―』 小山 啓子(単著) |
![]() 本書は、近世初期フランスの王権と「良き都市」の間で結ばれていた協調的な関係、そして宗教戦争を経てその関係のあり方が変容していく過程を、王国第2の都市リヨンの側から照射したものです。大きな問題関心としては、「共同体」の秩序と「国家」の秩序、伝統的価値観と新しい価値観が複雑に交差する時代において、そこに生きる人々がどのような選択をしていったのかということを明らかにしたいと考えていました。そこで、この時期特有の諸権力の構造、合意形成のあり方、王権と都市の「対話」の場であった儀礼・祝祭における多元的なアイデンティティの主張行為、都市エリート層の再編に関する分析を通じて、広域権力と都市社会の具体相に接近することを試みました。 2006年1月 九州大学出版会 5,400円 |
『本居宣長の思考法』 田中 康二(単著) |
![]() 国学の大成者である本居宣長(1730~1801)については、数多くの著書が書かれ、実に多くのことが論じられてきた。だが、それらのほとんどは、近代以降に細分化された研究ジャンル内から成された一面的な見方であり、いまだ宣長学の全容を解明する視座を持ち得ていない、というのが実状である。そこで本書では、そのようなジャンルの細分化により分断された宣長学の全貌に迫るべく、「思考法」という観点によるアプローチを採った。「思考法」とは、「思考」と「言語」との密接不可分な関係を熟知していた宣長が、古典作品に注釈を施す際に実践した思考の様式のことである。宣長学には、近代的知の枠組みを先取りすると同時に、それを乗り越えるヒントが隠されていることを確信する。 2005年12月 ぺりかん社 4,800円(税別) |
『軍事奴隷・官僚・民衆:アッパース朝解体期のイラク社会』 清水 和裕(単著) |
![]() イスラーム帝国として知られるアッパース朝は、8世紀中頃に北アフリカから中央アジアに及ぶ巨大帝国を創りあげた。しかし、9世紀半ばになると、この帝国も内部的な変質を遂げ、徐々に解体への道を歩み始める。本書は、500年間にわたって中東・西アジア世界に多大な影響を与え、また今日の「イスラーム世界」を生み出す母体となったアッパース朝の解体過程を、アラビア語史料に基づいて、軍事制度の変質、土地所有体制の変動とそれに対する官僚の対応、そしてそれらの変化が民衆社会に与えた影響といった諸側面から検討し、その世界史的意味を考察したしたものである。 2005年11月 山川出版社 5,000円(税別) |
『統語構造と文法関係』 岸本 秀樹(単著) |
![]() 日本語と英語の統語構造と文法関係に焦点を当てて、日英語に共通する特性は何かを考察しています。現代言語学、特に、生成文法の視点から、文の統語構造および意味関係(文法関係)について、日英語の共通の基盤は何かということを考えています。取り上げているテーマは、日英語の階層構造、非能格性と非対格性、存在・所有構文、およびその拡張、状態述語の他動性。英語において観察されている言語現象やその一般化が、基本的には日本語においても観察できるということを言語データの考察を中心にしながら論じています。 2005年2月 くろしお出版 4200円 |
『転換期における中国儒教運動』 森 紀子(単著) |
![]() 近年の中国において、儒教思想の復活、再評価にはめざましいものがあります。本書は、明末そして清末民初という、中国近世、近代の二大転換期に焦点を当て、講学活動や孔教運動などを対象として、動乱期における儒教思想の変容と社会的役割、さらには時代を通底して継承される思想要素を考察し、儒教思想の本質およびその蘇生力にせまろうとするものです。 2005年2月 京都大学学術出版会 4200円(税別) |
『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 陶淵明』 釜谷 武志(単著) |
![]() 六朝期の詩人、陶淵明の作品から40篇を選び、平易な訳と解釈をほどこしたものです。俗世間から離れ、隠遁生活を送る陶淵明は、田園での生活体験を通してさまざまな感慨を詠みました。その親しみやすい詩文は、人々の共感をよぶとともに、日本人の生き方にも大きな影響を与えてきました。「帰去来辞」「桃花源記」をわたしがどう読んだが、本書を手にとってご覧ください。 2004年12月 角川書店 660円(税別) |
『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』 宮下 規久朗(単著) |
![]() イタリアの画家カラヴァッジョについてのわが国初の研究書。イタリア美術最大の巨匠といわれるこの画家は、バロック美術および近代的写実主義の先駆者であり、殺人を犯して逃亡しながら鬼気迫る宗教画を残したことで知られています。本書は、「聖性とヴィジョン」という概念によってその芸術の本質を解き明かそうとしたものです。私は長年この画家を研究してきましたが、いまだ不十分ながら自分の研究に一区切りをつけるために、本書をまとめて上梓しました。幸い各新聞の書評欄で好意的にとりあげられ、専門書にしては売れ行きも好調、「地中海学会ヘレンド賞」という賞もいただくことができました。本誌前号に前著『バロック美術の成立』(山川出版社)が「宮下規久朗への最良の入門書」といわれていると述べましたが、本書は私の集大成となりました。 2004年11月 名古屋大学出版会 5040円 |
『美学とジェンダー―女性の旅行記と美の言説』 長野 順子訳 |
![]() 18世紀、大英帝国の揺藍期にトルコ、西インド諸島、革命期のフランス、北欧などを旅した女性たち。本書は、彼女らの旅行記におけるオリエンタリズム、崇高、ピクチャレスク、ゴシック趣味などの美的言説に焦点を当てて、それらに共通する一種逸脱した風景描写から逆に、「近代美学」の政治的・社会的論理をジェンダー的観点から抉り出した批判的考察である。著者はオレゴン州立大学のエリザベス・ボールズ(英文学・女性学)。 2004年7月 ありな書房 5040円 |
『痕跡の光学―ヴァルター・ベンヤミンの「視覚的無意識」について』 前川 修 |
![]() 本書は、1930年代のドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンの思考を貫いていた「痕跡」の論理を探索し、その迷宮的な軌道をつなぎ合わせていた「装置的」力学を、19世紀以降の視覚装置(パノラマ、ステレオ、写真)などを手がかりに照らし出す非‐光学的な「光学」の試みである。 2004年2月 晃洋書房 6300円 |
『小野市史 第三巻 本編Ⅲ』別冊 『AONOGAHARA捕虜兵の世界 Kriegsgefangenen-lager Aonogahara』 大津留厚編・監訳、福島幸宏編 |
兵庫県の小野市と加西市の境界に位置する青野ヶ原には第一次世界大戦時、捕虜収容所が設置され、中国におけるドイツの租借地だった青島で捕虜になったドイツ兵、オーストリア=ハンガリー兵が収容されていました。『AONOGAHARA捕虜兵の世界』は青野ヶ原に収容されていた捕虜兵に関するドイツ語資料を邦訳し、それに解説と日本側の関連資料を付したものです。青野ヶ原の収容所は日本の捕虜収容所体系の中ではオーストリア=ハンガリー兵の比率が高いという特徴がありましたが、同時に日本の捕虜収容所自体ユーラシアに点在する協商側捕虜収容所体系の東端を形成するものでありました。本書は青野ヶ原の捕虜兵たちの豊かな生活が世界史の中で展開されていることを如実に伝えています。ご一読下さい。(大津留厚) 2004年2月 兵庫県小野市 7000円 |
『ライプニッツの認識論―懐疑主義との対決―』 松田 毅 |
![]() この著作で私が試みたことは、「モナド」、「予定調和」などで知られるライプニッツの哲学を「認識論」として読解することです。二〇世紀のライプニッツ解釈は「論理学」を中心に動いてきた歴史がありますが、これまで見逃されていた切り口を設定したわけです。本書が西洋の精神史研究への刺激になると同時に、知識に関する哲学の「永遠の問い」へのささやかな橋渡しとなることを願っています。(なおこの著作は、日本学術振興会、平成15年度科学研究費補助金、研究成果公開促進費による出版です。) 2003年12月 創文社 5775円 |
『シリーズ 世界の社会学・日本の社会学 費孝通―民族自省の社会学』 佐々木 衞 |
![]() 本書は、アジアを代表する社会学者である費孝通の理論構築と実践の営為を論じたものである。費孝通は革命以前の混迷期、社会主義革命とこれに続く文革時代、そしてめざましい経済的発展を見せた80/90年代と、60年間にわたって激動する中国社会を実践的に解読した。本書は、費孝通の学的営為と実践を、マリノフスキーの機能主義人類学、アメリカの文化人類学とシカゴ社会学の継承と批判の中に検証している。 2003年10月 東信堂 1890円 |
『バロック美術の成立 世界史リブレット』 宮下 規久朗 |
![]() ルネサンスのヒューマニズムと合理主義を経た16、17世紀の芸術家たちは、さらなる美の追求に何を求めたのか。バロック美術の生成から終焉にいたる過程を説き明かす、単なる概説を越えた画期的な書である(以上、出版社による紹介文)。ある同業者が、「宮下規久朗への最適の入門書」と評してくれたのが嬉しかったです。 2003年10月 山川出版社 765円 |
『認知意味論』(シリーズ認知言語学入門 第3巻) 松本 曜(編) |
![]() 言語の意味の問題を人間の世界認識の問題としてとらえる「認知意味論」を概観する。プロトタイプ、フレーム、イメージスキーマなどの概念を用いた語の意味論、メタファー、メトニミーなどに基づく意味の拡張と語の多義性、認知意味論的メタファー論、語の意味の普遍性と相対性などの問題を論じている。1章、2章、及び6章の一部を松本が執筆。 2003年7月 大修館書店 2520円 |
『ポストモダン地理学』 エドワード W.ソジヤ著:大城 直樹、その他訳 |
![]() 1989年に出版され今日の人文・社会科学における「空間論的転回」の契機となった本書を昨年ようやく翻訳出版いたしました。フランスの哲学者(ルフェーブル、プーランザス、フーコー)らの空間論を丹念にたどり直す議論は、わたしが所属する地理学のみならず都市社会学や文化・都市研究にも大きな刺激を与えることと思います。 2003年6月 青土社 4410円 |
『類別詞の対照』(シリーズ言語対照3) 西光 義弘・水口 志乃扶(編) |
![]() 編者の一人である西光は、長年日英語対照を研究テーマとしていました。その中で従来日本語と英語だけを比較対照することによって、ともすれば日本語と英語が両極に分かれた特質を持つと見がちであることに、うすうす疑問を感じていました。世界の言語における相対的な日本語と英語の占める位置を確かめれば、必ずしも英語と日本語が両極端に位置しているということはいえないのではないでしょうか。そこで言語類型論的な研究を行わなければならないと感じていました。幸い神戸大学の大学院には各国からの留学生と諸外国語を専門とする日本人の院生が多く在籍しています。そこで西光ゼミでは、3年くらい、あるテーマを一貫して追求するシステムをとることにしました。 その最初の課題として選んだのが類別詞でした。本書は全体の序論および理論的な考察を行っている第1部。日本語の類別詞を認知意味論に基づいて考察した第2部。ビルマ語とネウール語の類別詞を考察した第3部よりなっています。 2003年7月 大修館書店 2520円 |