第109回地理思想研究部会・第23回地理教育研究部会 合同研究部会

2012年6月23日(土)於 兵庫教育大学神戸サテライト

「郷土台湾」の文化表象とその実践?台湾の郷土教育の展開からみて?

林 初梅(大阪大学)

「郷土台湾」は教育の場においてどのように表象されてきたのか、また時代によってどのような郷土観の差異を生じさせたのか。「郷土」をキーワードとする本報告は、そのような問題意識に基づいて台湾に現れてきた三つの郷土教育の郷土概念を分析し、そして今日、日本統治時代の郷土教育の記憶がなぜ広く語られているのか、ということについて考察した。
台湾には、日本統治時代の1930年代から、1945年以後の中(華民)国化教育の時期を経て、1990年代からの台湾化が進む現在に至るまでの中に、三つの郷土教育が現れた。日本統治時代と中(華民)国化教育時期の郷土教育についていえば、「国土日本」や「祖国中国」という郷土概念の外延的意義が指向されていた側面がある。両者の郷土観には共通する点として日本や中国へと拡大する同心円的構造、つまり郷土の外延的意義が含まれていた。どちらも、日本人アイデンティティや中国人アイデンティティの形成に一定の役割を果たしたと考えられる。

しかし、「郷土台湾」をどう扱うかという点で著しい差異があった。日本統治時代の郷土教育の特徴の一つは、郷土を児童生徒の生活領域として表象することにあった。郷土調査の実施、郷土室の設置や郷土読本の編纂のいずれもが地域色の濃いものであった。その一方、中(華民)国化教育時期の郷土教育論は、生活郷土の地域性に触れず、郷土は広大な中国であり、そのことを前提として全教科を郷土化すると主張するものであった。その結果、今日では「郷土不在」「台湾不在」と批判されている学校教育が進行し、「台湾を知らない台湾人」が育成された。

1990年代に入ると、従来の中国に偏っていた教育内容が是正され、まず郷土科特設形の形による郷土教育が導入された。それに続く郷土教育の推進によって、郷土歴史(台湾史)及び郷土言語(台湾諸言語)の教育内容が整備された。そして、その過程を通して台湾という土地に根ざす郷土観も生まれたが、そればかりでなく、郷土教育は、新しい台湾人アイデンティティの形成を促すものともなった。

「郷土」という概念を理解することによって「私たち(は何人である)」が創出されるといわれるが、台湾の経験によって確認されたのは、異なる教育装置が介在すれば、郷土概念は新たに構築されたり、変容したりするものだということである。そして、それと連動する形で、人々のアイデンティティのあり方も変化してきた。そのことは、郷土教育は単なる郷土理解、生活への接近だけではなく、場合(操作の結果)によってはナショナル・アイデンティティ形成という重要な機能をもつことを示している。

そのような見方に立てば、かつて「郷土台湾」が日本や中華民国の一部であると教えられたことは必然的であって、他の選択肢はあり得なかった。留意したいのは、二つの時代における郷土の内実の違いである。1980年代後半、台湾は、国際的孤立の中でアイデンティティの再確認が必要となり、民主化の過程で過去への探求が可能となった。日本統治時代を知らない戦後世代は、植民地時代の郷土読本をとおして初めて当時の生活郷土と近代化の様子を知り、その驚きが、台湾本位の郷土教育の方向性を定めたのである。1990年代から今日に至るいわば台湾本位教育時期は、そのような郷土観の違いを意識する形で展開しており、それゆえ日本統治時代の郷土教育の記憶が肯定的に語られているということができよう。 

 以上の発表を受けて,大城直樹(神戸大)により,以下のコメントと質問があった。
1)台湾と日本は近くて微妙な関係である。また、私自身が沖縄出身なので、台湾に関心はあったが、戦後の話は伝わりにくかったので、実質的な内容をご教示いただけたのはありがたかった。2)本日のご発表は、3つの政治的レジームの中での郷土教育のあり方についてのご発表であったと思う。3)日本統治時代、台湾では郷土教育に熱心ではなかったと聞いたことがある。日本側にとって、地元の偉人を讃えることは、極端に言うと独立運動にも繋がってしまうことが懸念されたとされているが、この点についてはどうであったか。4)形式的な話になるが、郷土というものは空間的な広がりだけでなく、心の中の思いが含まれるように思う。本土でそのような人々の思いも含まれるような郷土教育が戦前盛んになる。日本ではお金をつけて郷土資料室のようなものを整備し、郷土にまつわるものを収集・展示していた。そのようなことが戦前の台湾でもあったか。5)日本の戦後教育では、知識として郷土は教えるが、戦前のような心の中まで踏み込んだような郷土教育は希薄化していった。もともと日清・日露戦争時に内務省が地方改良運動として、戦時動員によって維持できなくなった地方のコミュニティを存続させるために町村合併を推し進め、その際に合併によって新たに生じた領域に対する愛郷心を涵養するために郷土意識を高めようとした。このときに郷土誌が多く作成された。さらに、高度経済成長期以後の地方社会の崩壊に伴って、郷愁的に郷土意識の見直しが出てくる。台湾での90年代からの郷土意識の見直しは、政治的要因によるものか、それとも経済的要因によるものなのか。6)郷土教育に当たっての予算的にはどのようになっているのか。

 このコメントを受け,活発に質疑が行われた。論点は,郷土の概念について日本・中国・台湾での相違,学校教育以外の観光などの場面での郷土教育の注目,アイデンティティ形成のスケール,マジョリティによるマイノリティ文化への認識の変化,郷土教育の3つの時期による郷土概念の差異,中華民国化教育時代のマルチ・スケールや多元的空間認識という広い範囲での世界観,郷土教育が実践された地域単位の中での文化的な多様性などの同化と表象,日本統治時代の遠隔地ナショナリズムの効果,台湾において反日感情が比較的薄い理由など,多様で収束しなかったが,今後我が国における身近な地域の学習や社会参画を考える際に有効であった。

(参加者28名,司会:吉水裕也,記録:齋藤清嗣)


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【質疑応答】ロング・ヴァージョン

■コメンテーターよりのコメント(大城直樹)

大城: 台湾と日本は近くて微妙な関係である。また、私自身が沖縄出身なので、台湾に関心はあったが、戦後の話は伝わりにくかったので、実質的な内容をご教示いただけたのはありがたかった。本日のご発表は、3つの政治的レジームの中での郷土教育のあり方についてのご発表であったと思う。日本の統治時代、台湾人主体の公学校では、国史(=日本史)と関連しないものは無意味とし、郷土教育に否定的であったが、内地人主体の小学校では郷土教育に肯定的とされている。これを決めていたのは誰になるのか。

林:参考文献より読み取った。

大城:日本統治時代、台湾では郷土教育に熱心ではなかったと聞いたことがある。日本側にとって、地元の偉人を讃えることは、極端に言うと独立運動にも繋がってしまうことが懸念されたとされているが、この点についてはどうであったか。

林:郷土教育は、ある意味で地域主義につながる側面もある。朝鮮における郷土教育に関する最近の研究によれば、朝鮮では郷土教育が盛んであったようである。朝鮮では国史の中に郷土教育が取り上げられていたようである。台湾では国史の中で台湾史は全く扱われていない。台湾人主体の公学校では郷土史をあまり扱わず、現地人主体の小学校で郷土史をとりあげている。

大城:形式的な話になるが、郷土というものは空間的な広がりだけでなく、心の中の思いが含まれるように思う。本土でそのような人々の思いも含まれるような郷土教育が戦前盛んになる。日本ではお金をつけて郷土資料室のようなものを整備し、郷土にまつわるものを収集・展示していた。そのようなことが戦前の台湾でもあったか。

林:かつてあったようだが、高度経済成長期の校舎改築の際などに取り壊され、ほとんど残っていない。

大城:日本の戦後教育では、知識として郷土は教えるが、戦前のような心の中まで踏み込んだような郷土教育は希薄化していった。もともと日清・日露戦争時に内務省が地方改良運動として、戦時動員によって維持できなくなった地方のコミュニティを存続させるために町村合併を推し進め、その際に合併によって新たに生じた領域に対する愛郷心を涵養するために郷土意識を高めようとした。このときに郷土誌が多く作成された。さらに、高度経済成長期以後の地方社会の崩壊に伴って、郷愁的に郷土意識の見直しが出てくる。台湾での90年代からの郷土意識の見直しは、政治的要因によるものか、それとも経済的要因によるものなのか。

林:中国本土ではなく台湾に対する理解を深める必要がある、という政治的側面が大きいと考える。

大城:郷土教育に当たっての予算的にはどのようになっているのか。

林:政府・教育部から助成金が出ている、戦前の日本のように国策的に進められた。

小島泰雄(京都大学):郷土の概念について日本・中国・台湾でどのように共通し、違いがあるのかご意見を伺いたい。具体的には、次の2点について質問したい。1点目は台湾の人にとって「郷土」ということばは、どのようにとらえられているかということ、2点目は中国では「郷土」ということばは「農村」という意味でとらえられているが、日本統治下の台湾での郷土教育と、中国本土から持ち込まれた外省人の郷土教育が出会うことで、どういう変容が見られたかということを知りたい。

林:「郷土」に対する理解は、日中台で共通するものがあると思う。日本にも台湾ほどではないにしろ、「郷土」概念の多義性・あいまいさはみられると思う。台湾における郷土教育の展開を見ると、1945?49年の間は台湾は中国の一部と見なされていたが、これ以降は外省人にとっては仮住まいとなった。この時期の数冊の郷土教育の専門書によると、台湾も中国の一地方として見ている。どれだけそのような内容が実際に学校で教えられていたかは定かではない。中国全体として扱う場合、身近な地域は県や市となり、3・4年で扱う地域は省単位になってしまう。「郷土」概念は台湾でも「地方」というイメージがある。90年代以降、独立派の人たちにとっては、「郷土」ということばを使っていたのでは台湾の主体性は表すことができないのではないかという考えがある。2000年以降の学習指導要領では「郷土言語」は「本土言語」ということばに訂正されている。

福田珠己(大阪府立大):1990年代以降のところで2点質問がある。1点目はメインフィールドとされている宜蘭県は、郷土教育の特殊例といえるかどうかについて。2点目は宜蘭県は90年代以降エコミュージアム活動を積極的に行っていることで日本に知られているが、そういう意味では郷土教育が学校教育以外の観光などの場面で注目されることはなかったのか、についてお聞きしたい。

林:郷土教育の地域差については、90年代初め全国に先駆け、宜蘭県を含む7県が地方政府が動いて郷土教育に取り組み始めた。これを契機として全国的に郷土教育に取り組まれることになった。現在では、郷土学習に地域差があったとしても中央政府が取り組んでいるので均質化されてきている。学校以外での郷土教育に関わる動きとしては、日本統治時代の歴史遺産を探り、それを用いて地域興しをすることが盛んになってきている。

吉水:社会教育との関わりで言うと、日本では町内会という組織があるが、台湾でも同様の組織はあるのか。

林:台湾では無い。ただし、2000年以降自分たちの住む地域を大切にするようになってきたので、町内会とは異なる形での動きが出てきているかもしれない。

矢島巌(神戸学院大学):郷土教育により一般市民の間に「台湾人」という意識が根付いているのかどうか。また、少数原住民の問題は、郷土教育の中ではどのように扱われているのか、そしてその結果良い影響が出ているのか、それとも課題が残されているのか、教えていただきたい。

林:私は、一般の人々への郷土教育の影響は大きいと思っている。90年代の学校の先生は「認識台湾」を教えられなかった。90年代以降は教員養成が充実してきて、今ではその成果があがってきている。大学でも台湾史研究を行う大学院が増えてきている。原住民については、現在少数の原住民に関する組織として、中央政府の組織として原住民の委員会が活動しているが、文化を保存するための活動が中心であり、郷土意識に対する具体的成果は、はっきりとは見えていない

矢島:郷土学習を進める中で、台湾のマジョリティたちの間で、先住民の文化が価値があるものであるという認識に変わりつつあるのか。

林:その影響は確かに見られる。少数原住民の文化は自分たちにとって財産であるという認識が持たれるようになってきている。

島津俊之(和歌山大学):冒頭で説明されたとおり、郷土教育には方法原理、目的原理の2つの側面が考えられるが、台湾の場合各時代においてどちらの側面が強調されてきたか。

林:日本統治時代には両方の側面があった。第2の時期は、いずれ中国に戻るので台湾は一時的な場所であるという意識の中で、中国への愛国心に向かう目的原理の方が重視されていた。この時期台湾のことは、ほとんど教えられていない。

島津:1950年に『台湾郷土教育論』という書籍が出ていて、その内容が教育現場に反映されなかったのはなぜだろうか。

林:私もその点は疑問に思っている。どれくらいこの本が教育現場で使われていたのかはわかっていない。

志賀照明(神戸市立摩耶兵庫高校):私がイメージする「郷土」とは、神戸市くらいのスケールなのだが、台湾は少し大きすぎるような印象を持つ。「郷土」と台湾人アイデンティティの関係についてもう少し詳しく教えていただきたい。また、日系移民が国外で自文化を残しているように、カナダなど国外に移住した人たちの間での台湾の郷土教育は、どのように行われてきたのだろうか。各地の台湾系民族学校でかなり行われているように思われるのだが。

林:台湾人アイデンティティについては、台湾の教育の中で、台湾人でもあり中国人でもあるということを教えてきたので、台湾人としての意識ははっきりしなかった。移民先でも中国人集団の中で活動することが多いので、台湾人アイデンティティというものは、はっきりしない。また、台湾では「郷土」とは狭い地域を指すものだとイメージしている人が多い一方で、90年代の社会状況の中では「台湾史」「台湾地理」といった「台湾」を関する名称は使えなかったので、台湾意識を強く持つ人たちの間で、「台湾」に代わる用語として「郷土」が使われ出したようである。

永田成文(三重大学):本発表で3期に区分された時期によって、台湾人の郷土概念に差異があるのか。レジュメでは2001年から社会科教育という語句が出ているが、各時期で社会科教育に関連するような内容はどのように行われていたのだろうか。90年代に始まった「郷土教学活動」と「認識台湾」の地域を扱う部分はかなり地理教育に近い内容と思われるのだが。

林:2001年から「社会学習論」になり、その中に歴史、地理、公民が含まれている。90年代は、それまでの学習指導要領を変えず、郷土教育3教科を付け加えることで、台湾のことや自分の住む地域のことをこの中で学ばそうとした。ただし、その成果はあまり見られなかった。

永田忠道(広島大学):発表者は90年代以降の郷土教育を評価されているが、その前の時期の方がカリキュラムに多元性があったのではないか。中華民国化教育時代には、マルチスケールや多元的空間認識という観点において、広い範囲の中で子どもたちに世界を示しているのに対し、90年代以降の教育では、閉じたスケールの中に子どもたちを閉じ込めてしまう恐れがあるのではないか。中華民国化時代の子どもたちは、必要に迫られてのことではあるが、外向けの視線が養われていたのではないか。

林:国の主体性に関わる問題であると思う。中国に対する台湾の立場をはっきりさせなければならないという政治的問題が無ければ、永田先生がご指摘のような広い視点から、教育内容を考えていけたのではないか思う。

永田:今後自分たちの住んでいる台湾をしっかり学ばせるという教育が続けられたとして、10年後20年後の台湾社会はどうなっていくのであろうか。

林:中国と自分たちは違う、という台湾人意識は変わらないのではないかと予測される。

森正人(三重大学):90年代以降、郷土としての台湾またはその下位の地域単位である県を対象として、郷土教育が展開されているようだが、それぞれの地域単位の中での文化的な多様性などをどのように同化して表象しているのだろうか。また、最近台湾で観光資源として注目されているローカル線の駅弁など、地域文化が見直されている動きと、郷土教育との関係はあるのだろうか。

林:各県や市の郷土教育では、ローカルな文化が取り上げられている。それらの多くは日本統治時代にルーツが求められるものである。また、歌仔劇、布袋劇などの地域に伝わる芸能が取り上げられることもある。ただし、受験勉強への圧力の中で十分に時間が確保されていないようでもある。

久保哲成(兵庫県立柏原高校):3点について質問したい。1つ目に、49年頃から90年代の間は台湾が扱われず、身近に感じられない中国大陸を学んだことについて、生徒たちにとって違和感は無かったのだろうか。2つ目に、郷土教育が自発的に7県で先行されたという報告があったが、その地域的分布はどうなっていたか。3つ目に、民進党時代に出された「認識台湾」が、馬政権以後抑えられているようであるが、郷土教育を巡って本省人と外省人の軋轢は見られるのだろうか。

林:本省人と外省人の軋轢については、今はあまりない。90年代頃は双方で就く職業が異なっていたので、対立は大きかった。「認識台湾」の教科書作成にあたっても歴史観の違いもあり論争があったが、今は日本と同様の検定制度で教科書が作られており、出版各社の主張も統一されている。先行的に郷土教育を取り組んだ7県の首長は、いずれも本省人であった。また、私自身子どもの時に中国大陸のことを教わっても、その内容を素直に受け入れ、違和感を感じることはなかった。

荒又美陽(恵泉女学園大学):日本統治時代に、内地人小学生向け郷土教育が行われていたが、そこに遠隔地ナショナリズムのような効果はあったのだろうか。また、台湾において反日感情が比較的薄いのは、90年代以後の親日的な教育の効果によるものなのか、それとも90年代以前に行われていた反日的教育が浸透しなかったことによるのか、どうとらえればよいのだろうか。

林:90年代以前の反日教育の影響は大きかった。しかし、今の親日的雰囲気は90年代以後に、日本統治時代のことを孫たちに話すようになったことの影響ではないか。このような学校教育以外の場面での影響は大きいと考えられる。日本統治時代の内地人教育については、日本人という意識は持っていたが、台湾が故郷という意識も強く持っていたようである。