97回 地理思想研究部会

200944日(土) 於 京大会館


■文学・記録に記述された平安京

 安藤哲郎(京都大学・院

 本発表では,「文学地理学」がどのように「展開」してきたのかを踏まえ,発表者の研究がこの分野とどのように関わり展開できるかを考察した。

発表者は現在,「平安文学の舞台は,どのような場所に設定されているのか」というテーマについて研究を進めている。文学や記録の記述を手がかりとして,平安京とその周辺を中心とした文学の舞台を整理しているが,これは歴史地理的方向性を基礎としている。そのなかで,文学がどのような舞台を選んだのか,その特徴を考察することは,文学と地理学が交差する研究に当たる。そこで,「文学地理学」という分野の展開を整理し,分野の方向性と発表者の研究とがどのように関わり合うのか考えていくこととした。

「文学地理学」は,文学研究の方面から構想され,万葉集歌の地名考証,景観復原,地名固有の性質などを探求する「万葉地理」の分野をはじめ,源氏物語の背景にある地理的情景や景観を復原する研究などが進められた。一方,地理学からは,『文学の中の地理空間』(1992)と『文学 人 地域 越境する地理学』(1995)という成果が得られている。地理学における文学を用いた研究の可能性を示した点で功績があったが,目指していたであろう「文学地理学」という分野としての展開は,(少なくとも地理学雑誌上では)継続的には見られなかった。分野の確立という段階までは進まなかったことになる。これは,用いることのできる文学作品の数が無数にある点,また,1作品・1人の作家のみを扱って述べたものでも,あるいは複数の作品・作家を対象にしたものでも,それぞれに研究意義がある一方,全体の整理が非常に難しい点から,「文学地理学」が難しい分野であることを反映していると考えられる。

そのなかでも,地理学の立場から研究がいくつか行われてきた。先行研究によって指摘された研究の方向性を整理してみると,@地域の特徴の理解や景観・行動の復原を行う地域地理学・歴史地理学的研究,A地域・空間・場所のイメージを人文主義的に考察する研究,B文学作品や作家について地理的側面を明らかにする研究(社会との関連を視野に入れたものも含む),C地理教育の教材開発,D文学の形式や内容から地理的な深層構造を理解しようとする研究といったものが挙げられる。ひとまとまりの分野と考えることは非常に難しい。ただ,同時代の複数作品を扱い,記述面のほか,地域・景観の特徴や(歴史的な)社会状況に触れるという,複数の方法論を包括した内容にできれば,より文学における舞台の性質を理解でき,分野としての研究の展開も期待できるかもしれない。

本研究では,現実を把握できる史料と文学とを組み合わせ,場所の実際の使われ方・認識を整理し,それと文学の舞台とを比較して考察するという方法を用いる。そして,文学の舞台となった場所が作品の時代にどういった性格を持っていたか整理したうえで,作者がなぜその場所を舞台にしたのか,内容と照らし合わせて考察する。そのためにも,複数作品・複数作者で分析して理解を高めたい。この方向性の場合,「文学地理学」において展開した研究事例の1つとしても位置付けが可能になるのではないかと考えられる。

具体的には,記録である貴族の日記と院政期に編集された説話文学を用い,平安京とその周辺において,説話文学の舞台と内容との間に関連性があるか,史料に記述された場所と説話の舞台の分布に関係性はあるか,という点を,独自の時期区分によって物語上の時代と記録の年代を考慮しながら整理した。そして,「(登場人物にとって)好ましくない内容」が「京内」に,「期待すべき内容」が「京外」に多いという舞台による内容の違いが見られた点,物語上の時代を説話集編纂以前とする説話の舞台が,説話集編纂期の記録に書かれた場所と重なり,説話編纂期の人々が関心をもつ場所が説話の舞台になった可能性がある点を指摘した。

次の段階として,日記に記述された場所と説話文学の舞台について,内容を軸とした分布比較を行った。ここでは,説話文学の「期待すべき内容」と「好ましくない内容」の舞台,日記における行幸・御幸(期待すべき内容)と「焼亡」(好ましくない内容)の場所を比較した。結果,説話文学と日記を比較すると,話の傾向が近いものでは,舞台となる場所も似通っていた。ただ,内容が違えば同じ場所に重ならなかった。これが直ちに内容が同じなら同じ場所であるということにはならないが,少なくともその可能性には近づけた。

今後は,一つひとつの場所において,詳細に分析していく必要があり,そのためにも日記のデータを積み重ねていく必要があると考えている。


〔質疑〕

Q 日記はどのような性格,内容で,どういう目的で書かれているのか。日記の著者と説話の作者とは重なるのか。

A 日記の情報源は多様で,子孫に伝えるという目的で書かれている。日記を書いている層は三位以上の貴族で,中でも新しく家を立ち上げるような人物,つまり分家の初代である。また,説話の作者は高位の貴族や僧侶である。日記の著者と説話作者とは交流はあるが同じ人物ではない。

Q 今回,出来事と場所が結びつけられる事例が分析されていたが,どれくらいの割合で出来事と場所は結びつけられるのか。また,説話一般についてどういえるのか。

A 漠然と描かれていて地図に落とせない場所の割合は1割から2割弱で,説話全体でもそのくらいである。ただ単に「西の京」と示され位置が特定できない事例が多く,そのこと自体が研究の対象になる。

Q 日記を著した貴族たちが居住した世界は偏っていたはずである。エリートの空間認識が今回の研究対象なのか。

A 今回は日記を限定したきらいがある。貴族たちの行動圏の中心は内裏がある六条の付近で,離宮がある鳥羽のあたりまでが含まれ,西の京で火事が起こったとしても日記に書かれない。また,日記と説話の舞台は変わらない。

Q 文学をどのように理解するのか。地理学では文学がフィクションであるということが強調されており気になる。また,説話は長く語り継がれたものである一方で,短期間で生成された話が昔からのものとして意図的に記載された例もあり,長い間伝わったものとしてとらえることは誤りの可能性もある。

A 『人文地理』の論文で説話の位置づけは日記と物語の間としたが,今回は削除した。説話集は現実を反映しており,日記に書かれた要素と近く,限りなくノンフィクションに近い。ただし内容からみるとそうは言えないところもある。フィクションかノンフィクションかはっきりと言ってしまうのは難しい。また,説話が「創られた伝統」である可能性も当然考えた上で見ていかなければならない。

Q 説話,また文学を研究に用いる理由は何か。

A 説話を使おうと思ったのは,物語文学では切れ目が難しいのに対してある場所の話題がワントピックで書かれており,舞台の設定をしやすいためである。文学にはメッセージが込められており,根元としての舞台は実在しているため,解読可能であると考えた。

Q 説話と日記に出てくる地名を地図化することから両者の特徴は引き出せるのか。

A 日記は細かく説話はあいまいである。地名の範囲どう地図化するかには課題が残る。

Q 『人文地理』の森論文でも示唆されている物質性との関係,すなわち具体的な地理空間との関係をどう考えるか。

A 社会との関係は無視できず人々の考え方とつなげたい。フィクションとノンフィクションの話を述べないわけにはいかない。

 

■歩きて街に言葉を刻み――オースター『ガラスの街』の分析

  成瀬 厚(東京経済大学・法政大学・非)

『ガラスの街』のキーワードの一つである「バベル」はもちろん『旧約聖書』「創世記」におけるバベルの塔と関わりが深いが,本作におけるニューヨークを徘徊する老人を尾行する主人公という図式は,エドガー・アラン・ポーがロンドンを舞台にして書いた短編「群集の人」へのオマージュともいえる。短編「バベルの図書館」の著者,ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した「バベルの図書館」叢書11巻に「群集の人」が収録されているというのは偶然だろうか。そして,この巻にはポーの「盗まれた手紙」も収録されている。

ジャック・ラカンは「盗まれた手紙」における宛先人不明の手紙を浮遊するシニフィアンとして捉える。手紙は場所と関係があり,これは「まわり道をさせられた手紙」ではあるが,結局は必然的に「手紙というものはいつも送り先に届いている」と結論する。それは「主体に対するシニフィアンの優位」を主張するものである。ジャック・デリダはこのラカンのゼミナールに反応する。「文字=手紙(lettre)は常にその固有の場を,一個の丸め込まれた欠如を見出すだろう」と述べ,「まず固有の場,手紙は発送と宛先との場を持つ。それは一つの主体ではなく一つの穴,そこから出発して主体が構成される欠如である」と手紙の物質性を主張する。さらにはこの物語において当の手紙は男性によって女性から盗まれることに関連し,その「欠如」をペニスの欠如としての「去勢」と位置づける。

また,デリダは『尖筆とエクリチュール』のなかで,エクリチュールとその物質性について,文体と短剣の双方の意味を持つ仏語styleについて考察をしている。同書はニーチェにおける女性と真理を考察するものであり,「女性とはこの真理の非‐真理の名称である」と述べる。そして,原著のタイトル「eperonは,痕跡(trace)。航跡(sillage),微候(indice),目印(marque)といった意味のドイツ語Spurと《同じ語》である。」としているように,デリダの頻出概念「痕跡」と関係する。「痕跡とは差延作用であり,現われと意味作用とを開始する」。この独語Spurはスキーのシュプールであり,まさに軌跡だ。traceという単語は『ガラスの街』でも用いられる。「メモをじっくり見ながら,スティルマンがある一日でなした動きをペンでたどって(trace)みた」。「為したことをとどめる,いかなる結果も痕跡(no trace to mark)もありはしない」。つまり,文体とは尖筆によって白紙に痕跡を刻むものであり,それは同時に短剣により女性の柔肌に傷を刻み,男根により女性器を突く行為である。

デリダの手紙を介してのこうした女性と去勢の議論から,女性の作中人物が息子スティルマン夫人しか登場しない『ガラスの街』にも女性性を読み取ることが可能であろうか。実際に,本作をオースターは妻シリに対するオマージュだと述べている(『トゥルー・ストーリーズ』)。男根の象徴である摩天楼ひしめくニューヨークを舞台とし,さらには父スティルマンがその都市に毎日1文字ずつ15日で,足跡を刻んで描くのは「THE TOWER OF BABELバベルの塔」。その塔は神話のなかでそそり立ちながらも崩れてしまうし,スティルマンの試みも功を成したとはいいがたい。父スティルマンが,そしてクィンもが記している赤いノートブック。『ガラスの街』では最後に語り手が登場する。この名前を与えられていない人物は作中人物としてのオースターの友人であり,オースターからクィンが残した赤いノートブックを預かり,そこから再現したのが『ガラスの街』の物語だという。つまり,クィンという一人称によって語られた物語はクィンが赤いノートブックに創作したものとも見做せる。『ガラスの街』におけるクィンの赤いノートブックは作品として明らかにされるが,もう一つの赤いノートブック,すなわち父スティルマンのそれはやはり書かれている内容は謎に包まれている。とにかく,これらのものは内容もさることながら,何のために,誰に向けて書かれ,残されたのか。

オースターが『ガラスの街』でポーの作品から引用しているのは,まさに「盗まれた手紙」の一節だ。また,主人公クィンが探偵小説を書いているペンネーム,ウィリアム・ウィルソンはポーの短編のタイトルであり,それは分身の物語だという。『ガラスの街』のクィンとスティルマンを同一視する解釈は可能である。探偵小説は読者として,作者である犯人が残した痕跡から事件の全容を読み解いていくものであり,『ガラスの街』のスティルマンとクィンを作者と読者とみたてるのは自然な発想である。上田麻由子は『ガラスの街』をセルバンテス『ドン・キホーテ』になぞらえて,スティルマンの言動・行動の意味を読み解くクィンを2種類の読者として設定する。一方は構造主義者的探偵としてのドン・キホーテ的読者。もう一方は,「目の前にいる観察対象にコミットしようとするサンチョ・パンサ的読者」。『ガラスの街』のなかでも,作中人物としてのポール・オースターとクィンが初めて対面するシーンで,オースターがまさに『ドン・キホーテ』を題材とする評論集を書いているという設定で『ドン・キホーテ』は登場する。そして,ウンベルト・エーコは「ドン・キホーテが,書物から得た夢想をあれこれめぐらせる場所を捨て去り,波瀾万丈な冒険の人生へと向かうところから始ま」る『ドン・キホーテ』とボルヘスの短編「バベルの図書館」との「深い類似」を論じている。また,野谷文昭はボルヘスに関する対談のなかで,「ポール・オースターもかなりボルヘスを支持していた」と証言している。

スティルマンはニューヨークを徘徊しながら描く文字は,クィンが尾行をし,赤いノートブックにその詳細を記録して初めて明らかにされる事実であり,さらにいうと,クィンが精確にノートを取り出したのは5日目からであり,なぜか最後の2日間はそのことについて言及しない。最後に残った「EL」という言葉はヘブライ語で神を意味すると記しているが『エル,または最後の書』の作者であるエドモン・ジャベスについてオースターが『空腹の技法』で論じているのも偶然ではない。クィンは「文字が見えたのは俺が文字を見たいと思ったからにすぎない」といいきる。

身体的行為としての書くことと読むことは大きく異なる。その一方で,尾行という形での書き手である父スティルマンとクィンの行為はほぼ等しい。クィンはスティルマンの速度に合わせて尾行を続けるうちにその身体感覚を自らのアイデンティティの一部として身に付けることになってしまい,スティルマンが行方不明になってしまって,クィン自身がそのアイデンティティ喪失感を味わう。しかし,あくまでも身体行為としては類似していても,前方を歩くスティルマンと後方を歩くクィンとでは大きく異なるといえる。また,歩行の軌跡というそれだけでは誰にも何も伝えない書字行為の無意味さを考えると,スティルマンは自らが読者としてのクィンに尾行されていることを承知していたとも思える。クィンは書くことを生業としながら,ニューヨークを散歩するのが好きだった。「散歩に行くたび,あたかも自分自身を置いていくような気分になった。街路の動きに身を委ね,自分を一個の眼に還元することで,考えることの義務から解放された」。ところが,父スティルマンを尾行しながら,その記録をつけるにいたって,冒頭に引用したように,歩きながら書くことの困難に直面し,そして次第にその困難を克服していく。当初は「ぐじゃぐじゃで判読不能の重ね書き」だったという。

オースターはよくポストモダン作家だと称される。それは,書かれた小説のなかに書くことの省察があり,書いている作家のアイデンティティと作中人物のアイデンティティが,単なる自伝的作品という次元を越えて不確定であるということ,さらには作中人物同士や彼の他の作品との間の自律性や,既存の他の作品との独立性などが曖昧な開かれた作品だといえるからである。すなわち,それは極めて間テクスト性を有する作品生産だといえる。そんな作品を論じる批評という実践も,やはり間テクスト性を有するものであることが望ましいと思う。よって,本発表は厳密な作品分析というよりもオースターが作品のなかに込めた自らの生との,あるいは他作品との関連,そして無数に広がる文学世界への関連ネットワークの痕跡に導かれ,それを辿るような実践を目指した。

〔質疑〕

Q スティルマンはフランス語の‘style’につながるか。父と子,三位一体のモチーフ,ユニコーン,尖った物の伝説など,どこまで考えて物語の中で機能しているかどうかよりも,仕掛けだけは作っている感がある。

A その他にダニエル・クィンはドン・キホーテを踏まえている。またボードレールとポーとも関わっている。

Q 歩くように書くこと,書くことの楽しみ,論文ではないような作法を構想中の著書に期待したい。

A 論文というスタイルからもう少し自由にできないかとは考えている。

Q 地理学の立場で,現実には存在しない空間を論じること,リアルなニューヨークとの比較をどう考えるのか。また『ガラスの街』は意図されたものが壊れていく物語なのか。

A 何もない架空のニューヨークではなく,現実のニューヨークとの比較も重要である。作中でなぜニューヨークに来たのか語られるところがある。また,壊れた傘は機能はないが名称は保つ。スティルマンもまた目的を達成されない。

Q 『人文地理』の森論文でも示唆されている物質性との関係,すなわち具体的な地理空間との関係をどう考えるか。

A 物質性を軽視しているわけではない。地図化したい話もある。

Q 本日の2人の研究は言説分析であり表象分析から物質分析に戻る必要もない。物語,日記,説話では表象の次元・レベルが異なり,それと場所との絡みをどう考えていくのかが重要ではないか。現実と表象の関係ではなく表象間の問題として,つまり相互テクスト性として表象を問題にしていくことが必要である。一般に地理屋は一次表象をことさら好むから,そのことを説得的に述べたほうが良い。

(参加者13名,司会:大平晃久,記録:香川雄一)