90回 地理思想研究部会

2007929日(土) 於:京大会館

人文地理学のアイデンティティを考える―都市地理学を中心に―  
阿部和俊(愛知教育大学

 本報告の目的は,都市地理学を中心に人文地理学のアイデンティティを考えることにある。そのために最初に,19452005年の『地理学評論』『人文地理』『経済地理学年報』『東北地理(季刊地理学)』『地理科学』に掲載された都市地理学の論文論説・短報・研究ノート・展望・総説を,(1)都市を点としてとらえる研究(点的分析)と面としてとらえる研究(面的分析),(2)「都市を」分析した研究と「都市で」分析した研究,(3)分析結果の記述スタイルにみられる変化,の3点から検討した。その結果,19452005年の間,都市地理学の研究数は増加してきたことがわかった。さらに,@点的分析の研究の減少,A面的分析の研究の増加,B都市機能研究の増加,C計量的手法を用いた研究の減少,D人間そのものもしくは社会集団に注目した研究の増加,E従来のカテゴリーでは分類されることが難しい論文の増加,F「都市で」研究する論文の増加,といった諸点を指摘できた。分析結果の記述スタイルにみられる変化としては,被調査者の生の声を記述する研究が増加した。これは民俗学や社会学にみられる記述スタイルである。

 続いて,人文地理学と他の人文・社会科学との相互関係を,(1)19711975年(前半)と20012005年(後半)の『地理学評論』『人文地理』『経済地理学年報』に掲載された人文地理学論文における研究文献の引用状況,(2)20032006年の『社会学評論』に掲載された論文における研究文献の引用状況,(3)単行本にみる研究文献の引用状況,の3点から検討した。その結果,@地理学の論文では1論文あたりの引用研究文献数は増加した, A地理学自身からの引用率は低下した,B前半では歴史学と経済学からの引用が多かったが後半では社会学からの引用が増加した,C「その他」つまり多くの分野から引用するようになった,といった諸点を指摘できた。『社会学評論』掲載の論文では,@地理学に比べて社会学自身からの引用率が高いこと,A地理学からの引用は極めて少ないこと,がわかった。単行本における傾向もほぼ同様であった。

以上の事実をどのように考えればよいのであろうか。社会学(に限らないのだが)において地理学からの引用が少ないのは,これらは地理学の研究成果を評価していないことを意味するのだろうか。しかし,あまりにも地理学の成果に無知無頓着であるということも指摘しておかなくてはならない。一方,地理学者自身,自分野からの引用率が低下している事実をどのように考えるべきだろうか。否定的に考えれば,自分野を評価していないことになるし,肯定的に考えれば地理学者は好奇心旺盛で,他分野の成果を労をいとわず渉猟しているということになる。分析結果の記述スタイルの変化とも合わせて,地理学界に身を置くものとして,我々は今一度自己の立脚点と人文地理学のアイデンティティをしっかりと考えるべきであろう。その努力を怠れば,人文地理学は崩壊と消滅の危機すらあるということを肝に銘ずべきと考える。

コメント

石川義孝(京都大学)

「人文地理学のアイデンティティを考える」という発表は,18歳人口の減少に起因する大学教員数の伸び悩み(減少?),さらには既存学問領域間での新たな競合の高まりといった現今の情勢を考えると,時宜にかなっている。発表は日本における都市地理学の動向を主要雑誌での掲載論文数や,周辺分野との間の引用関係に関する具体的データを踏まえてなされ,きわめて説得的であった。評者にとって衝撃だったのは,人文地理学の諸文献が社会学をはじめとする他分野の文献を積極的に引用しているのに,その逆の場合の引用が極端に少ないという知見であった。このような圧倒的なアンバランスは,発表者の力説するように,人文地理学のアイデンティティを危うくするものである。しかし,かかるアンバランスは,各学問分野の規模に関係している可能性があり,大きな分野ほど他分野に目を向ける必要が小さいこと,あるいはそれが国ごとに異なる可能性があることも,念頭に置く必要があろう。とはいえ,発表者の提示された知見をわれわれは率直に受け入れ,各自が今後,積極的な人的交流を通じて,他分野の研究者に地理学の意義に注目させ,地理学的成果の引用が向上するよう,努力すべきである。

〔所見〕

「人文地理学のアイデンティティ」という,人文地理学会大会の特別研究発表でも滅多に議論されることのない大きなテーマを掲げた今回の地理思想研究部会は,5月上旬にはすでに会告が学会のウェブサイトにアップされたことに示されるように,早い時期から準備が進められていた。当日は会誌編集の手違いから『人文地理』59-3に会告が掲載されず,また当部会に縁の深かった故久武哲也氏の追悼集会が同じ日に開かれるという事情も重なったが,結果的には30名の参加者を得て活発な議論が繰り広げられるに至った。説得的かつ軽妙な阿部氏の90分にわたる報告を聞き終え,京大会館における地理思想研究部会の恒例であったコーヒーブレイクを久し振りに愉しんだ後,石川氏からディシプリンの現況を踏まえた丁寧なコメントがなされた(上記参照)。阿部氏は,@「都市で」研究する場合には(都市)地理学的内容が何処にあるのかの意義付けをすべきである,A学問分野の規模の差異を考慮しても地理学における「入超」は度を越している,と返答された。その後は自由討論となり,都市地理学の範囲をどう設定するのか(「都市を」のみならず「都市で」研究することも大事なのでは?)といった意見や,分析結果の記述スタイルの変化(被調査者の生の声やつぶやきの論文本文への挿入)が学問内部の研究者再生産のあり方や外部社会の情況などといかに関連しているのかという問題,都市地理学や文化地理学といった個別分野から人文地理学全体のアイデンティティを語ることの可能性/不可能性,人文地理学のアイデンティティを学校教育の中でも考える必要がありはしないか,といった論点が呈示された。日本史関連の学会に比べて地理学では分野の課題を全体で討議する機会に乏しいという指摘や,(都市)地理学からの引用が減ったのは「面白み」に欠けるからではないのか,既存の地理学は後進の「飢餓感」を満たすことができていないのでは,といった率直な意見も若手研究者から出された。こうした,普段はインフォーマルな場での「つぶやき」としてしか現れない意見が,部会においてオープンな形で表明されたことは重要であり,(人文)地理学の性格や方法についての開かれた議論の場を提供するという当部会の目的は,今回もある程度は達成されたと考える。今更の「地理学論議」にどれほど意味があるのかといった見方もありえるが,様々な局面で(人文)地理学のアイデンティティが問われつつある今だからこそ,かかる議論を一過性のものに終わらせない継続的な努力が求められよう。今後は一個別部会ではなく,学会全体としてこの種の問題を考える場の設定が検討されても良いのではないか。

(参加者30名,司会:島津俊之,記録:島津俊之・神田孝治)