第102回 地理思想研究部会(2010年人文地理学会部会アワー)

2010年11月20日(土)於 奈良教育大学

 

■地政学的想像力から逃れるために

―イタリアにおける政治空間論の現在性―

北川 眞也(大阪市立大学都市研究プラザGCOE特別研究員(博士研究員))

 

 発表の目的は,生政治という着想を手がかりにして,近代地政学的想像力から逃れていくような地理の生成過程を把握することである。近代地政学的想像力は,大地を国家・国民が独占することを真理とする。生政治は,人間を生命体として対象化し,その生の生産・再生産の過程が,程よく正常に行われるよう取り計らう。しかし,生それ自体は,存在/世界/地球自体の本源的潜勢力でもあり,あらゆる対象化よりも過剰なものでもある。こうした生政治をめぐる問題系は,イタリアの思想家ジョルジョ・アガンベンAgamben, G.とアントニオ・ネグリNegri, A.によって,昨今では精力的に取り組まれてきた。

 アガンベンに言及する地理学者クラウディオ・ミンカMinca, C.とルイーザ・ビアラジービッチBialasiewicz, L.は,「対テロ戦争」という文脈において,国家への領土化=秩序化から逃れゆく地理を,「恐怖」や「無秩序」として位置づける。そして,近代地政学的想像力を危機に曝す,この不可視かつ未確定な地理の展開を閉止するべく用意されるのが,アガンベンの言う「収容所」である。国家へと領土化できずに徘徊する「危険」な生が,収容所へ閉じ込められることで,近代地政学的想像力の正当性が維持されるというわけである。

 他方,ネグリとマイケル・ハートHardt, M.は,脱領土化=脱秩序化する生を,「無秩序」として処理するのではなく,それ自体が自律的・内在的に世界そのものを産出していると説く。それは,移動・労働・協働などの社会的生産を通して顕在化する,生の潜勢力によって生み出されている。それゆえに,(福祉)国家の瓦解は,ただ世界を死の恐怖へと陥れるわけではなく,この脱領土化する生の統治を押し進める地球規模の生権力,すなわち〈帝国〉を出現させる。ネグリとハートは,近代地政学的想像力を媒介とはせずに,そこから逃れてゆく地理の生成を直接論じうるような言葉を探究するのである。

 ここにおいて収容所は,グローバルな生権力の一部として,この脱領土化過程に介入する可動的なネットワークとして理解される。数々の収容所は,移動・運動の速度や量を制御するべく,連結しコミュニケートする。ただし,このような連結は,生権力によってのみならず,脱領土化する生の運動によってもまた頻繁に実現されているのである。

 こうした空間は,もはや収容所というよりも,「乗り継ぎ地点」として定義できよう。乗り継ぎ地点とは,脱領土の渦中にある領土,無数の領土である。それは,国家領土の存立を維持するための孤絶した「ブラックホール」ではなく,脱領土化自体によって創出・連結され,雑多な人々が集う「群島(多島海)」のごとく存在する。

 生政治から地政学を照射することで,国家・国民を経由せずとも,人々が直に世界政治と関わっていること,その空間を構成していることを例証できるのではないだろうか。

 

■質疑応答及び司会所見

 質疑応答では,まず,「収容所」「群島(多島海)」といった用語の,訳語および概念規定について,質問がなされ,より妥当な用語・用法の検討も要求された。ついで,移民をめぐる状況に関して,移民あるいは移動が抑圧的なものとなる可能性の存在と,世帯という観点の必要性とが指摘された。他方,今回の発表で提示された議論が,例えば「生活世界」や「管理による制約」など既存の人文主義地理学や時間地理学で提示された概念によって捉えることはできないのかという質問も出された。

 最後の点について北川氏からは,本発表が,第一に知覚や行動という既存の地理学が対象としてきた事象に比し,より「生」そのものを扱おうとしていること,そして第二に,秩序化されたものからこぼれ落ちるもの,すなわち既存の地理学的な発想では捉えられないものを捉えようとするものであり,それゆえに旧来の地理学的な概念の使用を避けた旨の説明があった。

 こうした説明にもみられるように,本発表は,現代的な「生」の有り様という,少なくとも日本の地理学ではあまり議論されてこなかった事象を扱い,かつ,既存の地理学的主題が自明視してきた,近代地政学的想像力を乗り越えようとする野心的な試みである。具体的な事例について多くは提示されず,また「収容所」や「群島(多島海)」も,あくまでシンボリックな場としての側面が強いが,しかし,議論が閉じているわけではない。例えば,質疑応答の最後において,ソマリアの難民キャンプを「収容所」の一例としてみることの有効性についてやり取りがなされたように,本発表での議論は,現在的な「生」をめぐる具体的状況へ繋がっていく可能性も,十分に含んだものであった。今後の展開が大いに期待されるだろう。

(出席者:39名,司会:濱田琢司,記録:今里悟之)