113回 地理思想研究部会

2013年6月29日(土) 於:神戸山手大学3号館

 

空っぽの美術館:日本の都道府県立美術館の伝統とこれから

森下正昭(立命館アジア太平洋大学国際経営学部)

「空っぽの美術館」(‘The Empty Museum’)とは,コレクションを持たず,常設展がなく,学芸員がいない美術館のことである。この日本特有の形態の美術館について,本発表では次の3点を論じる。

1.「空っぽの美術館」は実は空っぽではない
2.「空っぽの美術館」をめぐる抗争
3.「空っぽの美術館」の大きな可能性

この特徴は,特に地方自治体によって設立されたものに顕著であるため,本発表の議論は都道府県立美術館を中心に進める。

1. 「空っぽの美術館」は実は空っぽではない

「空っぽの美術館」は文字通り完全に空っぽなわけではない。これらの美術館では通常2つの種類の事業を展開している。ひとつは放送局や新聞社などが出資・企画する「企画展」の開催,もうひとつは日展や二科展などの美術団体による「団体展」の開催である。例えばこの種の美術館の代表例である「東京都美術館」においては,年間4〜5の企画展と250以上の美術団体展が開催され,140万人もの観客が訪れている。2012年の統計では,同館企画展「マウリッツハイス美術館展:オランダ・フランドル絵画の至宝」が,世界で最も入場者数の多かった展覧会に選ばれている(The Art Newspaper,2013年3月28日号)。ではなぜ「空っぽ」であると考えられるのか。

「空っぽの美術館」という概念は,日本内外の博物館・美術館・文化行政の専門家たちによる「欧米における理想の美術館」に当然あるものが,日本の美術館には欠如しているという批判から生まれた。日本の美術館のほとんどは戦後の高度経済成長期に建設されたものだが,それは経済的には欧米に追いついた日本が,今度は文化的な豊かさを追求し始めたということを表している。しかし,全国に林立する美術館のうち特に都道府県・市町村立の施設については,バブル経済を背景に多額の投資により建設されたものの,その後の運営には満足なコレクションも形成されず,常設展も設置せず,学芸員も雇用せず,典型的な「箱もの行政」の産物として専門家による厳しい批判を受けた。

このような「空っぽの美術館」批判のディスコースは,日本の近代化・西洋化という明治維新以来の大きな流れの中で,特に「文化化」というコンテクストにおいて活発となった。高度経済成長を遂げた日本は,経済的には豊かになり先進国の仲間入りを果たしたが,文化的には「後進国」であるという考え方である。その後進性の象徴のひとつが「空っぽの美術館」なのである。欧米の博物館・美術館の概念を誤解・曲解してしまった結果だと評される。

2. 「空っぽの美術館」をめぐる抗争

 しかし,日本全国に建設された「空っぽの美術館」は,決して日本人の誤解や曲解の産物ではない。その建設過程において,日本人は,コレクション・常設展・学芸員を置かない方針を選択したのである。この選択に深くかかわるエージェント(動作主・役者)が,美術団体と学芸員であり,両者の力関係によって美術館の方針が変化するのである。

 20世紀における美術団体と学芸員の抗争のケースを検証すると,その根本には両者の美術史観の違いがあることが見える。美術団体の歴史が個別で停滞的であるのに対し,学芸員の掲げる歴史は普遍的で進化論的である。美術団体は,結成当初は当時の新しい美術の潮流など明確な主張をもっていたものもあったが,長い年月を経て,主張は師弟関係に基づく作風に代わり,家元制度的な組織に成長していった。その歴史観は,それぞれの団体の絶対的な師弟関係の系譜が中心であり,他の団体と相対化されることを嫌った。また,次世代が前世代に挑戦し発展していく歴史ではなく,絶対的な前世代からの作風や技術を継承していくことによって成立する歴史である。一方,学芸員にとって美術史とは,それぞれの美術団体の殻を打ち破ってこそ成立するものであり,また常に進化し続けるものでなければならなかった。次世代が前世代に挑戦し乗り越えて行く前衛芸術(アバンギャルド)が歴史を先へ先へと前進させるのである。したがって,美術団体にとって,学芸員さらには彼らを中心に運営する常設展やコレクションは,それぞれの絶対的な伝統に対する挑戦であり相容れないものである。学芸員にとっては,それぞれの「伝統」を受け継ぎ「前時代的」な作品を発表している美術団体の価値観は,理解しがたいのである。

 したがって,典型的な「空っぽの美術館」は,美術団体の価値観が反映されたものである。この種の美術館第一号である東京都美術館(1926年開館)が典型的な例である。これに対し,学芸員の価値観が反映された美術館は,近代美術館型として建設された。この種の美術館第一号は神奈川県立近代美術館(1951年開館)であり,ニューヨークのMoMAをモデルとしながらも,当時の日本の諸事情をかんがみ,学芸員は採用するが,コレクションと常設展は備えていない美術館として出発している。美術団体展は一切受け入れず,学芸員の自主企画による企画展を実施するという確固たる方針に基づく運営がなされた。

 しかしながら,このような美術団体と学芸員の明確な棲み分けは,多くの場合実現せず,また実現したとしても一時的なものである。現在の美術館で特徴的なのは,美術団体の独占による完全な「空っぽ」状態ではなく,むしろ一つの美術館における両エージェントの共存と緊張関係である。

3. 「空っぽの美術館」の大きな可能性

 本発表の結論として,美術団体と学芸員の共存によって生まれるであろう新しい文化の可能性について述べたい。すなわち美術館が「コンタクト・ゾーン」としての役割を果たし,美術団体・学芸員の美術史観のトランスカルチャレーションによる新しい美術史観出現の可能性である。両者の共存する空間としての「空っぽの美術館」が,2005年東京六本木に開館した国立新美術館である。この美術館は,国立美術館で初めて常設展もコレクションも持たない方針を定めている。計画当初は学芸員採用の予定もなかったが,「空っぽの美術館」批判を受けて採用を決定した。現在,同館では年間69の美術団体展のほか,学芸員自主企画による展覧会,そして放送局・新聞社等主催の企画展を開催している。

 現在のところ,美術団体と学芸員は,一つの館に共存しながら棲み分けをしている状態である。しかし,21世紀に入り,上記のような美術団体の家元制度に基づく歴史観や,学芸員のモダニスト的芸術観を取り巻く状況も変化している。そのような状況の中で,両者の相互的関係による新しい文化創造(トランスカルチャレーション)を促進し,その場(コンタクト・ゾーン)としての美術館を演出していくことは重要な意義を持つのではないかと考える。

■ コメント 福田珠己(大阪府立大学)

 著書(Masaaki Morishita (2010) The Empty Museum: Western Cultures and the Artistic Field in Modern Japan. Ashgate)を元に再構成された当日の発表は,著書と同じタイトル「空っぽの美術館」が示す通り刺激的なものであった。その内容は,近代的装置であるミュージアムに関心をいだく者だけでなく,近代日本美術史を解き明かそうという立場の者にも,再考の機会を提供するものであった。それは,20世紀日本で発達した特異な美術館のスタイル―バリエーションを有しながらも,コレクション無,常設展示無,学芸員無といった特徴を部分的に兼ね備える―について,ミュージアムという装置やそこにおける表象の問題だけでなく,発展のプロセスに大きな役割を果たした美術団体に注目した報告者のオリジナリティが,双方に強くアピールする可能性を秘めているからである。

 同じく近代日本のミュージアムに関心を持つ者として,質疑応答の口火を切る形で,以下の2点について疑問を提示した。1つは,美術団体との関係が「空っぽの美術館」という日本的なスタイルを築いたということであるが,そのような関係性は現代に至る人々の美術館経験をも形成したのではないか,という点である。英国のミュージアム・スタディーズにはオーディエンス研究の豊かな蓄積があり,また,近年の文化地理学研究においても,表象を超えた側面への関心が強く行為や経験に注目した研究が多くなされていることと関連して発した疑問である。もう1つは,西洋の美術館を近代化のなかで「輸入」した他の国々では,日本とは異なる独自の美術館の展開は見られるのだろうか,という点である。

■ 討論・司会所見

第113回の地理思想研究部会は,社会学の分野から森下正昭氏を迎えて研究会を行った。森下氏は,1990年代から2000年代にかけて10数年間にわたって英国を拠点に,英文学,カルチュラル・スタディーズ,社会学と学問分野を横断的に学び,英国のオープン・ユニヴァーシティ(Open University)にて博士論文を提出した。この博士論文から発展したのが,本発表のタイトルともなっている著書『空っぽの美術館The Empty Museum: Western Cultures and the Artistic Field in Modern Japan』(2010, Ashgate)である。

 本発表の内容は,文化・社会地理学の視点からみても非常に刺激的である。森下氏の定義する「空っぽの美術館」とは,コレクションを持たず,常設展がなく,学芸員がいない美術館のことであり,この日本特有の形態の美術館の空間を,森下氏は,美術団体と学芸員という2つのエージェントがせめぎあっているコンタクト・ゾーンであると読み解く。森下氏は,コンタクト・ゾーンにおける,この2つのエージェントの棲み分け,あるいは,両者のコンタクトによる文化創造の可能性を示唆している。これらの分析は,美術館という近代の文化・社会的空間の動態を読み解いた美術館の地理学ともいえるのではないだろうか。

 ディスカッションでは,近代日本では西欧から受容した美術という概念をどのようにとらえたのか,美術館の概念についての欧米と日本との違い,東京芸術大学の果たしてきた役割,本発表の理論の枠組みであるトランスカルチャレーションに関する質問としてプラットとクリフォードの定義するコンタクト・ゾーンの違いについて(具体的には,異文化とのコンタクト・ゾーンと本発表のように自文化の中でのコンタクト・ゾーンの違いについて),美術団体と学芸員とのコンタクトのありかたの諸相と今後のコンタクトによる新たな文化創造の可能性への期待についてなど,多岐にわたるテーマで議論が行われた。

 森下氏によると,著書『空っぽの美術館The Empty Museum』の内容についての発表を日本語で日本人の聴衆を前に行うのは今回の研究会が初めてだという。同著書,およびその前段階の英文で執筆された博士論文は,欧米人の読者にむけて,日本の近代化の過程において,どのように西欧文化の一端である美術館を日本が受容し,さらに日本化の過程をたどったのかというトランスカルチャレーションを説明するスタンスで執筆されている。森下氏は質疑応答のなかで,つぎのような興味深いエピソードについて話した。森下氏が英国で本発表と同じ内容の研究発表を行ったとき,英国のある美術愛好家が「私も日本の美術団体に入ると私の描いた絵を権威ある美術館の展示室で発表することができるのですか?」と森下氏に問いかけた。日本のような美術団体の存在しない英国の立場からみると,自分の描いた絵を美術館という権威ある展示室で発表することを可能にする美術団体という非常に日本的なエージェントは,夢のようなしくみでもあるという。

(参加者12名,司会・記録:橘 セツ)