第112回 地理思想研究部会

2013年3月31日(日) 於 あすか会議室(東京都中央区八重洲2-2-1)

 

テーマ:地理学と芸術(アート)

 

■地理学を野外に据える―19世紀後半のベルギー王国における地理学者の塑像の出現―

島津俊之(和歌山大学)

近年の人文地理学においては,広義の芸術と地理思想・実践との多様な相互関連性に対する関心が高まりつつある。しかしこれまで,芸術が地理学の歴史的展開のなかで担ってきた役割や機能については,ほとんど注目が払われてこなかった。実のところ,絵画や塑像を含んだ造形芸術は,社会的・文化的価値に加えて様々な地理学的メッセージを伝える言語として,長きにわたって用いられてきた。造形芸術は,「地理学」と呼ばれてきた思想や実践を物質化し可視化するものである。かかる物質性や可視性は,逆に,地理学の意義を公共圏に向けて発信することにおいて,重要な役割を果たしうる。本報告では,地理学史と造形芸術の相互関連について探究してゆく。その際に,19世紀後半のベルギー王国における,地理学者や地理学それ自体を表象する塑像の造立に焦点をあてる。アントウェルペンで開催された最初の国際地理学会議は,ジェラルド・メルカトルの銅像が生誕地のルペルモンデに1871年に造立されることを促した。ブリュッセルでは,彫刻家のアウギュスト・ロダンが1875年から翌年にかけて,コンパスを手に地球を測るキューピッドの石像を制作した。それはアカデミー宮殿の外周壁の上に据えられ,時として「地理学者キューピッド」と呼ばれた。さらに,1890年にオープンしたプティサブロン公園には,16世紀のネーデルラントにおける十名の英雄たちの大理石像が据えられ,ジェラルド・メルカトルとアブラハム・オルテリウスもそこに含まれている。これらの塑像たちは,地理学と,帝国主義・国家主義・地域主義との錯綜した関係性を例証する存在としてある。

 

■18世紀英国における造園芸術と地理学―ピクチャレクスと地主の地所管理をめぐって―

橘 セツ(神戸山手大学)

18世紀の英国は造園についての変革と論争の時代であった。本報告では18世紀の歴史,文化,社会,経済,政治といった分野と深く関わる造園芸術について地理学からの研究の一端をピクチャレスクに焦点をあてながら紹介した。18世紀の英国では,貴族のように大土地を保有する地主のあいだで地所をどのように改良(improvement)すればよいのかが問題となっていた。18世紀には農業革命によって土地の生産性が大きく向上した一方,風景式庭園という新しい造園方法が英国で考案された。当時の地主,造園家,知識人たちによる造園方法についての議論の展開は,単に美的な価値観にとどまらない。かれらは,地主の地所の風景管理をとおして,品位やモラルがどのように実践されるのかを問題とした。18世紀半ばの英国では造園家ランスロット・ブラウン(1715-1783)がつくる風景式庭園が富裕な貴族のあいだで流行した。ブラウンは,貴族の住む邸宅を中心とした牧歌的な自然の風景のひろがりを理想の風景と考え,邸宅からの美しい眺めと邸宅が美しく遠望されることが同時にかなうように地所をデザインした。かれは,美しい眺めを求めて,湖を人工的に造成し,ときには眺めを遮るという理由で村を移転させて理想の風景を実現することもあった。ブラウンの風景式庭園には,美しい風景を造るためには,政治的,経済的な絶大な力を行使することをおしまない貴族たちのモラルが基底にある。このようなブラウンの風景式庭園にたいして18世紀の後半に批判がおこった。ピクチャレスク派からの批判である。かれらはブラウンの造成するような大規模な風景式庭園は,その場所独特の特徴(character)を壊してしまい,土地の持つ自然の特徴をじゅうぶんに引き出せていないと疑問を投げかけた。かれらは地所の改良には偉大な芸術家が描くような絵画を手本にしなければならないと主張した。ピクチャレスクはグランドツアーにおける風景の体験に基づいていた。グランドツアーに出かけた英国の貴族たちは,目的地のローマで古代遺跡の廃墟に夢中になった。かれらは廃墟のある風景に美しさを発見した。一方,英国の貴族たちがグランドツアーで出会い,発見した風景は,イタリアの実際の風景だけではなかった。かれらは,クロード・ロランなどの芸術家が描くヨーロッパ大陸の風景や聖書や古代の神話世界を題材とした作品にひきよせられ,購入した。そしてそれらの絵画に描かれた芸術家の目でとらえた風景を理想として,絵画を邸宅の壁に飾った。なかには,絵画を室内に飾るだけにとどまらず,廃墟のような装飾的建造物など絵画に描かれている風景を実際にあらたに地所に造った人びともいた。グランドツアーの風景の体験に源流をもつピクチャレスクは,エドモンド・バーグ(1729-97)が『崇高と美の観念の起原』(1757)で提示した崇高(サブライム)と美(ビューティフル)に続く,第3の風景の見方としてとらえられた。ユヴェデイル・プライス(1747-1829)は『ピクチャレスク論』(1794)において,ピクチャレスクは「荒々しさ,複雑さ,不規則性を特徴とする小規模な風景で,鋭い対照と多様なる色合いに満ちたもの」と定義した。プライスは,英国西部に位置するヘレフォードシャーの地方地主だった。かれは地主として自らの地所フォクスレー(Foxley)の風景管理の実践をとおして,ピクチャレスクの思想についての理解を深めた。ピクチャレスクの思想とは,土地の自然の繊細な特徴を読み解き,芸術的に再創造する技法であった。ピクチャレスクな風景管理は,小規模な地主にも好まれ実践された。邸宅を広大な地所の中でこれみよがしに誇るようなブラウンによる風景式庭園に対して,邸宅をクロード・ロランの描く風景画にあるような暗い樹木林の中に隠して,遠望できないようにするピクチャレスクな風景管理もプライスやリチャード・ペイン・ナイトなどから提案された。18世紀後半の英国の造園芸術は地主の地所管理のモラルと実践と結びついていた。ピクチャレスクの実践は,行き過ぎた地所の改良をいましめ,同時に美とモラルの実践の結合であった。地所管理には政治・経済的な次元だけでなく,美やモラルという次元もかかわっている。ピクチャレスクは,地所管理という視点から,あらためて読み解くことがもとめられている。この夏(2013年)の京都国際地理学会議では,ユヴェデイル・プライスの伝記を2012年に刊行した地理学者チャールズ・ワトキンズ教授(英国ノッティンガム大学)を招いて「自然の地理学再考」(人文地理学会とのジョイント・セッション)においてパネルセッション“Picturesque, natures, and landscape management: cross-cultural perspectives”を開催する。[参考文献]Watkins, C. and Cowell, B. (2012) Uvedale Price (1747-1829): Decoding the Picturesque. Boydell Press.

■討論

 第112回の地理思想研究部会は,美術史の研究者を迎えて都市景観や観光に関する研究会を行う予定でいたが,報告者の急な都合により実施できなかった。そこで,地理学と芸術(アート)の接合という観点から,部会世話人である島津俊之(和歌山大学)と橘 セツ(神戸山手大学)の両氏が話題提供を行い,集まったメンバーでディスカッションを行った。ディスカッションでは,イギリスの「ピクチャレスク」概念に対するフランスの影響の可能性,メルカトルやオルテリウスを「地理学者」とする場合のgeography概念の広がりと日本語の「地理学」の構築性,銅像を設置する場と思想の関係性,保存の対象となる時代の設定の問題,インスタレーションやパフォーマンスによる空間実践の解釈,「地理博覧会」の内容についてなど,多岐にわたるテーマで議論が行われた。

 内容の急な変更にもかかわらず,参加し,熱心に議論をしてくださった会員の皆様に感謝したい。中止になった内容の研究会についても別の機会に実現したいと考えている。

(参加者17名,司会・記録:荒又美陽)