第111回地理思想研究部会
2012年11月17日(土) 於 立命館大学(衣笠)〔人文地理学会大会・部会アワー〕

 

■20世紀初頭の地体構造論をめぐって
 ――山崎直方と小川琢治における地理学と地質学――

 山田 俊弘

地球科学は19世紀終わりから20世紀初頭にかけて大きな変動を被ったと言われる。地球の構造発達を記述する地体構造論(ジオテクトニクス)の分野の変化はとりわけ注目されよう。2012年は,構造論の解釈に多大な影響を与えることになる,ウェゲナーの大陸移動説の発表からちょうど百年にあたる。演者は,地理学史のうえで並び称される山崎直方 (1870?1929) と小川琢治 (1870?1941) が,生涯関心を失わなかったこの分野の動向を,2人の平行的人生を追いつつふり返ってみることで,地学史に新しい光を当てようと試みた。なお発表の主要部分は第34回万国地質学会議における講演内容による (Yamada, 2012)。

すでに17世紀西欧では,それまでに蓄積された地理情報を与件として,地理学と自然学を統合する試みが始まっており,そのなかに構造発達史の初歩的な記述も見出すことができる (山田, 2004; ステノ, 2004)。19世紀を通じた地質学の発展の結果,世紀転換期にはオーストリアのジュース (Eduard Suess, 1831?1914) による世界地質の集成が行われるようになっていた。ちょうどこの時期に山崎と小川は相継いで渡欧し当時の研究動向を吸収するとともに,日本における地質研究の成果を伝えた。

山崎と小川はともに,地理学研究を行った,初期の地質学者の系譜に位置づけられる (山田, 2006)。両者とも濃尾地震を体験して地質学の道を志し,東西の大学の地理学教室を創立,関東地震に際して調査研究を指導し,地学関係の学会を発足させるなど,その生涯は対比的な軌跡を描いた。氷河地形や,活断層と地塊のブロック運動による変動地形研究,海洋学研究などを推し進めた山崎に対し,小川は,歴史地理学を開拓,「深発地震」の認知から地下深部の岩漿貫入による構造論の提起に至った (山田, 2008; 2010)。

両者の攻究は,東アジアの地でいわばポスト・ジュースの構造論を目指す二つの動向を胚胎していたと考えられる。ウェゲナー説に対する評価と関連させて言えば,山崎は当初の前向きの姿勢から態度保留へと転換し,小川はウェゲナーを支持したアルガンの説を批評することによって火成論的な独自の道を切り開こうとした。さらに,同じ時期に京都帝大で小川とともに地学系諸講座の立ち上げに携わった宇宙物理学者の新城新蔵が,惑星の構造論に絡めてウェゲナー説を論じていたことは,より広い観点から当時の「地学思想」とでも言うべきものを点検する必要を示唆する。

文献

ステノ 『プロドロムス――固体論』, 山田俊弘 訳, 東海大学出版会, 2004年, 208頁.
山田俊弘 「ウァレニウス『一般地理学』 (1650) と17世紀地球論」, 科学史研究, 43巻, 2004年, 1?12頁.
山田俊弘 「地質学者,地誌を書く――日本地理学の近代化,1888年?1925年」, 科学史研究, 45巻, 2006年, 64?66頁.
山田俊弘 「自然地理学の開拓者 山崎直方――火山地質調査から変動地形研究まで」, 地球科学, 62巻, 2008年, 345?354頁.
山田俊弘 「ダーウィンとフンボルト――20世紀における東アジアの一地学者の視点」, 生物学史研究, 84号, 2010年, 89?98頁.

Toshihiro Yamada, “Quakes and queries: two Japanese geologists/geographers constructing geotectonic theories 1891?1929”, 34th International Geological Congress, Brisbane, 8 August 2012 (33.2 ? Session 1 ? The early history of Continental Drift and associated subjects, #2575).