第110回 地理思想研究部会

2012年7月28日(土) 於 大阪府立大学中之島サテライト

テーマ:ディープサウスからの都市空間論

■移動と逃亡の地理学に向けて

原口 剛(大阪市立大学)

 「ディープサウス」という用語について、2000年代頃から釜ヶ崎や新世界を指してそれをフィールドとする地理学者が「ディープサウス」と表現していたが、他方で同時期に酒井隆史氏らも、おそらく音楽論的な背景からこの用語を用いていた。「ディープサウス」のルーツは不明な点が多いが、ひとまず地理的な文脈と音楽論的な文脈が交わるところに位置する用語だといえる。酒井隆史『通天閣』(青土社、2011)は、この用語を概念的に用いつつ、そこに生きた人物の足跡や出来事の生成の追跡によって浮き彫りにされる重層的な空間性を示した。本報告では、酒井氏が「ディープサウス」の特質のひとつとして指摘する「逃亡」すなわち「点に収斂しない無軌道な軌道」にヒントを得て、「移動と逃亡の地理学」と呼びうるものを展望する。

寄せ場では、かねてから「逃亡」は「トンコ」と呼びなわされている。固有の呼び名が存在することからもわかるように、「逃亡=トンコ」は、寄せ場労働者のもっとも基本的な実践である。たとえば寄せ場に生きた詩人・寺島珠雄の文章において「定着」とは、寄せ場労働者にとっての死に等しいもの(たとえば暴力飯場での飼い殺し)と表現されており、それゆえ、「トンコ」は彼にとって生き延びるための命がけの実践として表現されている。このように最後の移動の切り札を、つまり移動の自律性を握っていたことが、寄せ場労働者の生存の条件であり、力の根源だったといえるのではないか。

次に、このような視点から寄せ場労働者の人生史を読み直してみると、無軌道でありながら自律的な移動の契機が多様に見出される。たとえば報告者がインタビューしたI氏は、自衛隊からの逃亡など、釜ヶ崎に流入するまでには紆余曲折の軌跡をたどっている。また、I氏は寄せ場労働者として生きた人生史には、全国各地の寄せ場を漂流する経験が強く刻み込まれている。このようにみるならば、「東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町」ではなく「山谷―釜ヶ崎―寿町」と表記されるような、流動する労働者の群れが成す群島的な地理あるいは都市像が見出されるのではないか。以上の観点はあくまで仮説的なものにすぎないが、近年の移民に関する地理学的研究が提示するモビリティの理論的知見ともおおいに共鳴するものであることを強調しておきたい。このような視点にたつとき、探究するべき膨大な民衆世界の領域を見出すことができるのではないか。

■遊歩・逃亡・地図―『通天閣 新・日本資本主義発達史』をめぐって

酒井隆史(大阪府立大学)

 昨年12月公刊の拙著『通天閣???新・日本資本主義発達史』(青土社)について、とりわけ逃亡という視点に力点をおきながら報告した。

1.方法論

まず、本書の方法論として、おおざっぱに三つの軸を想定してみた。

(1)過去、記憶やそれに結びついた習慣、情動、知覚で充満した身体(cf. .P.トムスン『イングランド労働者階級の形成』青弓社)。あたらしい制度や環境、あるいは力の作用(権力関係)が働きかけるのは、白紙の身体や精神ではない。だからこそ、そこではおもわぬ出来事が生まれる。それを、たんなる進歩とか遅れという軸で解釈しないで、こうした身体とあたらしいものの接触のさいの抵抗や生産的ねじ曲げとして捉えること。

(2)「逃亡」「漏出」が先行する。資本主義が解放をもたらすのではなく、解放の動きを資本主義が捕獲する(cf.イタリアのオペライズモ(労働者主義)、ドゥルーズ=ガタリ)。すでに江戸期末期に進行していた、民衆の離脱の動きを、資本主義の導入は水路づけ、封じ込め、階層づけする。このように把握してみること。

(3)迷宮を歩くように書くこと、可能なかぎり目的を前提としないで書くこと、渦巻きであるような原史を書くこと(cf. ヴァルター・ベンヤミン)。つねにあとに起きたこと、成立したものに、すべてが向かっていくかのように歴史を記述することをしないこと。

2.博覧会とスラム・クリアランス

以上の方法論をふまえて、拙著で論じたいくつかの事例を紹介した。ここでは、博覧会とスラム・クリアランスについてである。

a) 宮武外骨(『滑稽新聞』の闘争)???博覧会=知覚/知の馴致という観点への距離。博覧会が、人々の知覚や欲望を組織して、あらたな権力や資本制にむけて馴致したという視点をふまえながらも、それに決して還元できない位相を考えてみた。

b )暴動???開発、知覚/知の組織

博覧会の開催中に起きた車夫を中心とする暴動を再考する。従来、一般的な「ラッダイド」的把握によって、新興技術に後れをとった車夫の衝動的な反応といった見方とはべつの視点から捉えた。

c) スラム・クリアランス?

長町スラムのクリアランス、解体から釜ヶ崎の形成、という、従来、一方向の過程として記述されがちだった「ディープサウス」形成の歴史をすこし異なった視点から捉えてみる。その過程は決して、直線的に進行したわけではなく、大いなるジグザグをへており、そのことが地理的に表現されている。

3. 新世界形成史

次に、新世界の形成にまつわるいくつかの事例を紹介した。

a)ジャンジャン町の異例性

ジャンジャン町は、新世界の南に突きだすという形状をなしているが、その形状からみてとれるのは、新世界の計画におけるジャンジャン町の異例性(当初のプランになかった)であり、その自発的で偶然の形成に新世界そのものの歴史的過程の破れ目とさらには都市というものの流動性や偶発性がみてとれる。

b)大土地「謀略」史

新世界を経営した大阪土地建物会社の、初期新世界経営の軌跡について。当時、その経営にまつわる、さまざまな「黒い」噂が報じられている。それを追尾してみると、「理想的娯楽場」として計画された、そして博覧会の跡を継ぐ、この知覚と欲望の装置にはあちらこちらに水漏れがあることがわかる。そして、その水漏れは、経営者たち自身、もくろんでいた場合もある。

c) 飛田の誕生???私娼とその捕獲

新世界の形成は、新世界の南の近隣にあらわれた飛田遊廓と一体のものである。ディープサウス形成期の地勢において、「私娼」の存在は問題であるとして非常に注目されている。すでに私娼の群れがあり、それがことさらに問題視されていたことが重要である。当時、遊廓の設置の一つの口実が、私娼の撲滅であった。遊廓は、私娼という存在の捕獲装置としてももくろまれていた。しかし、私娼という存在とはなんなのか。なぜそれがかくも問題視されていたのか。そこが論点である。

■討論

 「ディープサウスからの都市空間論」というテーマにもとづいた原口氏、酒井氏の互いに関係しあった報告に続き、1時間以上にわたり活発なディスカッションが行われた。大きな論点は、「ディープサウス」及び「逃亡」という概念の明確化と有効性をめぐるものであった。

「ディープサウス」については、報告者、フロア双方の議論の中で、以下のような見解が示された。それは、あくまでも研究者の視点でありながら積み重ねられた歴史から肯定的な契機を見出そうとする姿勢である、歴史的文脈において大阪の市区改正を自由に横断する見方である、土着的に語られがちな「移民都」大阪について流入者の立場からの内在的記述を目指したものである、アメリカのブルースからの連想で地理的な意味を持たない概念である、空間性でくくれない共通性を持った土着性である、国家や都市からコミュニティへと徐々に小さくなる日常的な空間性の限界を乗り越える都市観であるなど。

 「逃亡」についても、報告者、フロア双方から、国家の障壁にもかかわらず「水漏れ」が続く移動の自律性、インフォーマルエコノミーの取り締まりの中で、悲惨であるにもかかわらず止むことのない解放への意思、不安定労働としては共通しながらも携帯番号で把握されるネットカフェ難民とは異なる寄せ場労働者の自律性、「移動」はすでに資本主義に包摂されたものであり、それを拒否して動かない三里塚のようなあり方も「逃亡」に含むなどの議論がなされた。

 全体で4時間の長丁場であったが、新たな都市空間論の可能性をめぐる重要な視角が提示され、またそれを他の事例に適用することも含めて検討された意義ある研究会であった。

(参加者32名  司会:福田珠己、記録:荒又美陽)