第107回地理思想研究部会 

共催:科学研究費補助金基盤研究
(A)「ローカル・センシティヴなジェンダー地理学とグローバル・ネットワークの構築」(研究代表者:熊谷圭知


2012317日 於 京都私学会館
 

博物館展示室の地政学―国民と文化のポスト帝国主義的エコロジーを「行なう」
 The geo-politics of the museum cabinet: Doing post-Imperial ecologies of nation and culture

ディヴィア・トーリア=ケリー Divya P. Tolia-Kelly(ダラム大学・地理学部)

本発表は植民地主義的な大英博物館を事例にして,その事物の分類と展示・表象がどのようにモラルの地理学,人種,市民性を定義するのか,それがどのような帰属と他者の感情を作動させるのか,そしてそれに対抗する表象実践がどのように展開しながら人種や市民性を再定義しているのかを考える。

大英博物館は文化的分類法における知識の循環と固定を通して,「ネイティヴ」が未開で,理性的感情に基づき知的でない他者として作られ,展示される場の例である。文化的器物に対する博物館の分類と展示は「他の」文化がヨーロッパとは異なる思想的かつ感情的感覚を持つために,境界を持つというある理解によって圧倒的に後押しされている。よって,博物館遺産の情動的エネルギーと感情的力に焦点を当てることは,表象と理性的感情の問題をめぐる分析的アプローチの変化をともなう。

ここで喚起される感情と情動は決して個人的な次元でのみ作用するものではなく,別の個体を横断しながら集合的な空間の経験を生産する。それが市民性の基盤をなす恐れ,帰属,恐怖,そしてモラルの地理をつねに基礎づけている。その帰属の情動が人種化された分断線を引きながら,人種概念を枠づけていく。

たとえば,大英博物館における日本の展示表象を考えよう。大英博物館は考古時代から20世紀のマンガにいたる時間軸において3万点のコレクションを所蔵している。にもかかわらず,多くの場合,日本展示は仏教絵画や刀剣,陶磁器などが日本に関わるものとして展示されている。そして仏教関連の展示物の場合にはインドや中国との関わりが言及される。この物質的展示表象は,日本社会を過去の時間に閉じ込めており,それによって静的な印象を来場者に与える。それは女性的で弱々しいものの形象である。このような西洋中心主義的なまなざしによって,物質的展示をとおして東洋は自己の物語が制限される。

このように大英博物館,あるいは19世紀的な博物館は,展示室や建物によってカテゴリーを空間化し,持ち帰られた器物と国内の器物を固定し,それによって空間的にも時間的にも隔たったものに「他者」の固有性を語らせることで,世界と私たちの場所を描き出した。すなわち他者の特性,文化,そして器物を国民化したのである。

植民地主義的な博物館の分類・展示に対して,批判的な検討が加えられてきた。実際,ミレニアム以降,博物館の「声」において一つの変化が生じている。博物館の表象と展示の実践はより動的になり,それゆえその知識生産の地理が拡大している。そこでは,西洋の声の中心性が取り除かれることで,意味と自己同一性の新しい登記が割り当てられる。

大英博物館における2009年のオセアニア文化の表象実践の変化は,それを端的に示す。ここでのオセアニア表象は誤った解釈と真実の暴力であり,現代のマオリ族の芸術家にとって,「オセアニア」における植民地主義的な介入の暴力を思い出させる情動的な反応を刺激してきた。しかし,この年,マオリ族の土着の芸術家たちによって展示室はマオリの遺産に対する感覚と情緒を彼らの言葉で再考しようとする「感情の構造」を具体化する21世紀のナレーションによって再配置された。それによって参加者すべてに市民権の状況を提示している。固定と距離化は協同的な制作のための共感と可能性の新しい様式をとおして最終的に認識され,また書き直された。このような共感の情動的活力は,普遍的な応答を前提する傾向に対抗するために,個人的かつ集合的な身体の情動的な収容量を用いる一つの契機を,知的にも精神的にも結びつけ,提示するのである。

■質疑応答及び司会所見

ディヴィア・トーリア=ケリー氏は,物質や他者をとおした故郷(ホーム)の感情の喚起の議論で,英語圏人文学において注目されている。本報告は英語で行われたものであるが,報告内容は実質的に『空間・社会・地理思想』誌第15 号所収の森正人訳による報告者の論文「国民,人種,そして情動―国民的遺産の場における感覚と情緒−」に沿って行われた。当日の報告では参加者の興味を引くよう,大英博物館の日本のディスプレイなどについて発問するなど,このともすれば難解と受け取られがちな研究を分かりやすく説明するべく努力されていた。報告後は,なるべく互いに近い距離で顔を合わせながら議論できるように机の配置を変更し,理論と政治的アクチュアリティの関係性や,報告者の考えと非=表象理論との差異など,多岐にわたって活発な議論が交わされた。そこでは,英語圏における情動や物質性の議論の見取り図,非表象理論が持つ矛盾点および(非)政治性など,日本の地理学者が抱いている疑問点が開示され,意見が交換された。議論は夕食会においてもなお引き続き行われ,この分野への研究者の関心の高さを改めて感じさせられた。

(出席者:20名,司会:森 正人,記録:大城直樹)