第105回地理思想研究部会 (共催:和歌山大学観光学会)

2011年7月2日 於 大阪府立大学中之島サテライト

 

■現代マスツーリズムに関する理論的検討

大橋昭一(和歌山大学)

 本報告の基本的問題意識は、一般大衆を対象とするマスツーリズムについて、現代的形態の創始のころから、抑制論ないし否定論と、積極的擁護論ないし促進論とがあり、両者が対峙してきた過程を歴史的に明らかにし、理論的意味を解明するところにある。

 この対抗は、1840年代Thomas Cookが始めたマスツーリズム事業にすでにみられる。そうした事業は旅・旅行の品位を落とすものという批判があり、これに対しCookらが旅・旅行の大衆化・民主化に途を開くものと反論する一幕があった。ちなみに、旅行業者によるパッケージ・ツアーはそれより以前に始まっており、こうしたパッケージ・ツアーなどでは、travelではなく、tourismという用語が使用されたのは1810年代ごろからである。

大衆対象的マスツーリズムが、爆発的増加を見たのは第二次世界大戦後であった。マスツーリズムにより観光地の歴史的文化的社会的環境の破壊が起きているという強い批判が生まれ、環境の持続的保持が重視されるべきことが強調されてきたが、こうしたマスツーリズム抑制論に対して、それは、一般大衆のツーリズム欲求を抑えるものとして強く反対する主張が、2000年代J.Butcherなどによって展開されてきた。

これらを踏まえ、2009年P.O.Ponsらにより、地中海沿岸部の主として英国青年層によるマスツーリズムに対して、それはバナル(banal)マスツーリズムというべきもので、本国(例えば英国)の、やや放縦的な日常的行為の延長であり、資本主義下における疎外された労働からの解放感を求めるものであるとする擁護論が提起されている。

近年のマスツーリズムでは、旧来のような組織性は弱くなっている一方、モビリティ化の一段の進行によってマス・モビリティの性格を強く持つものとなっており、それには、ツーリズムでは、居住地から観光地へのバナル的日常性の移転・輸出といった問題性が含まれている。これら諸点を中軸に、マスツーリズムを含めた現代ツーリズムの基本的性格についての理論的解明が、現代ツーリズム論の目下の重要課題の1つと考えるが、その際基本的には、これを現代資本主義の問題として考究するか、モダン・ポストモダンの枠組みで論じるかの2つの方向がある。

 

■質疑応答および司会所見

 質疑としては,二項対立的な説明ではなく複雑性・複層性に関する認識・議論を求める意見と,欧米中心に紹介された事例の種別性の認識に対する質問がおもに出された。発表者の大橋は、前者については、複雑に論じる必要性を認識している旨を述べてmobilityに見られる複雑性などについて補足説明し、後者については、国ごとに存在する差違について同意すると共に英国人から見た日本の旅の特徴などについて説明することで応答した。

 発表者は、経営学を専門としているが、近著の『観光の思想と理論』(文眞堂, 2010)では、人文社会科学の広範な領域における議論を検討しており、非常に広い視座から観光についての理論的考察を行っている。近年、地理学においても観光が重要なテーマと認識されてしばしば研究の対象になっているが、観光という現象が複合的であるがために、その理解には他分野における研究の視座や成果に関する知識も欠かすことができない。そうした意味で、学問分野にとらわれずに、観光に関するさまざまな議論を多角的に考察する発表者の研究は非常に参考になるものである。

 マスツーリズムに関する部会での発表は、全体としては二項対立的な説明の印象があったが、それは抑制論と擁護論の対立を軸に英語圏の議論を紹介したためであり、発表者自身の認識というわけではない。そうした対立した議論を検討するなかで、マスツーリズムに関する多様な認識が浮き彫りになっており、その研究の意義は大きいと考える。 

(出席者:17名,司会:神田孝治,記録:福田珠己)