第104回 地理思想研究部会

2011年6月4日(土)於 新大阪丸ビル本館

 

■文化財と現地保存主義をめぐる歴史と課題

高木博志(京都大学)

まず20104月から6月にかけて報道された,エジプトをはじめとする「被害国」諸国が連携した文化財の返還要求や,朝鮮文化財の返還問題をとりあげた。大英博物館のイギリスなどの旧宗主国は,大博物館は世界の諸文明を国際理解を深めるために展示する役割があり,文化財は普遍性をもった人類の共通遺産であるとの立場である。しかし「現地保存」の思想からすると,問題であると私は考える。

一方,日本の国内の実態を考えると東京に集中する文化財の問題がある。国宝・重要文化財で,建造物は全国2378件中,東京都は72件にすぎないが,美術品は全国10363件中,東京都に2097件あり,京都府の2056件,奈良県の1195件をしのぐ。これは明治維新以来の皇室や大名の東京への移住や,益田鈍翁,原六郎などの実業家コレクターの集中,東京帝室博物館・東京帝国大学への考古・美術品・史資料などの集積の歴史があった。加えて,帝室博物館への地方からの寄託制度も東京への集中を促した。

さらに今日の文化財返還問題の理念となる「現地保存」の思想についてのべた。「現地保存」の思想は,20世紀初頭のドイツのHeimatschutz(郷土保護)の思想が,源泉となった。1904年には郷土保護連盟が設立され,ドイツ全土を覆う運動となった。その思想を日本に紹介したのが,歴史学者・黒板勝美や植物学者・三好学であった。1919年の史蹟名勝天然紀念物保存法制定や「朝鮮史」編纂に携わった黒板勝美は 「遺物の中央集権が廃れて,地方々々に遺物を保存するのが,遺物保存上最もよい」,あるいは「史蹟に在つてこそ遺物の価値は最も多く発揮せらるゝ」1917年)と論じた。

報告のまとめとして,@現地保存の思想は,20世紀初頭のドイツの郷土保護思想と一体に日本に紹介されたこと,A文化遺産は本来あった場所において,地域社会の文化とともにあるべきであり,地域の文化の復権や地域の振興策とも関わること。そしてこうした理念は国際社会,国内社会を貫くものとして考察すべきことを論じた。

 

■コメント

上杉和央(京都府立大学)

 現地保存主義に基本的には賛成だが,一方でいくつかの点からさらに考えるべき点があると感じる。一つは,東京への集中が近代からのものであったかという点である。近世の地図収集について考えると,近世から江戸への集中が見られる。また,「恩借」という形での対応もあり,知の広がりには多様性があった。他方,文化財の東京への集中を考えるときに,地域側の思惑がどうであったのかを考える必要もある。中央に献上するというだけでなく,中央のアカデミズムと郷土史家との関わりなども含め,複雑な論理があったのではないか。これに関連して,現地保存主義における「現地」や「地域」がどのような範囲を意図しているのか,例えば,文化財の返却に際し,その返却先にも「中央」と「地方」が存在するのではないか,という点も考える必要があるのではないだろうか。

 

■リプライ・質疑応答および司会所見

 まず上杉氏のコメントに対して,高木氏より,@「恩借」と近世からの連続については,確かに近世から考える必要があり,とくに文書館的なものには19世紀的なものの見方があること,A地域側の思惑について,各時代の中央の学知が,地域にとって望まれるものであった可能性もあったことが指摘された上で,改めて中央としての東京が独占する学知の問題があること,B黒板の現地保存主義における「現地」とは,地方都市レベルが想定されており,「現地」における中央に,適切な施設等が設置され,保存されることが望ましいこと,などが示された。

 その後の質疑応答においては,@黒板の思想を現代の文化財の問題に直結することの問題点,A近代的な博物館の機能との関わり,B中央と地方における評価のズレ,などが指摘された。これに対し,高木氏からは,それぞれ,地域をどう表現するかを黒板の時代と同レベルで論じることの危険性,博物館的機能と社会との関係や役割の黒板らの時代からの変遷,中央と地方で文化財行政の序列化が出来てしまっていることの問題点,などが提示された。

 ほか,デジタルメディアも含むレプリカについての扱いや,歴史系博物館の現状について等の指摘もあった。こうした点も含めて,高木氏によって紹介された黒板勝美や三好学の思想とは,現在における文化財と地域,あるいは博物館の状況を考える上で,重要な示唆を得るものであった。世界遺産や世界無形文化遺産など,国際的な基準による文化財の価値化が当然になってきている現在において,地域アイデンティティなど地理学的な問題を考察する上でも,大変有益な議論が行われた。 

(出席者:20名,司会:濱田琢司,記録:香川雄一)