第103回 地理思想研究部会  (共催:経済地理学会関西支部)

2011年2月5日(土) 於 大阪市立大学文化交流センター


■大都市圏外縁地域における人口移動―岐阜県を事例に−

稲垣 稜(奈良大学)

 報告者は,これまでの研究で,就業,通勤行動を指標として,大都市圏郊外の実態について明らかにしてきた。その中で明確になってきた点の一つとして,郊外化が終焉に向かいつつあるという事実である。本報告は,この点について人口移動を指標として検証したものである。

 報告者のこれまでの研究スタイルは,はじめに統計データやアンケートなどの定量的データの分析を行うことで対象事例や対象地域の一般的性格を明確にし,その後にインタビュー調査といった定性的データを用いて詳細にわたる分析を行い,なおかつ定量的データの分析を補うというものであった。本報告は,前者の定量的データの分析に相当する。

 ここで用いるデータは,岐阜県が刊行している岐阜県人口動態統計調査である。この統計には,出生,死亡のほか,人口移動の発着地や移動理由に関する情報も掲載されている。ここでの分析年次は,統計上の制約や市町村合併を考慮し,1981年と2002年としている。

 岐阜市や大垣市は,もともと名古屋市のベッドタウンとしての性格が弱く,「職業上」の理由で岐阜県内の広範囲から人口を集めてきた都市である。しかし2002年になると,地域産業の不振などの影響もあり,岐阜県内の遠隔市町村へ転出超過を示すようになった。

 名古屋大都市圏の郊外に位置づけられてきた岐阜県南東部の市町村では,1981年には愛知県からの転入超過が卓越していたが,2002年には転出超過へと転じる市町村がみられるようになった。移動理由をみても,1981年には「住宅事情」による転入超過が卓越していたが,2002年にはそれが大幅に縮小した。これらの点は,名古屋市のベッドタウンとして転入者を受け入れてきた郊外都市の性格が大きく変化していることを物語る。

 このように,これまでベッドタウンと考えられてきた市町村において,もはやベッドタウン化が進んでいないという点が浮き彫りになった。報告者は,こうした結果のもつ意味をよりいっそう明確にしたいと考えているが,そのためには,統計データからは明らかにできない点に着目する必要がある。冒頭で述べたように,報告者の研究スタイルは,定量的データを定性的データで補うというものである。今後の課題はまさにこの点にあり,郊外居住者の属性に着目した詳細な分析をすすめていきたい。


日本における「感情の地理学」の構築に向けて―北海道浦河町の事例から−

村田陽平(日本学術振興会特別研究員)

感情の地理学(Emotional Geography)とは,「理性(reason)/感情(emotion)」という近代の二元論の再考を射程に入れ,人間の感情と場所や空間との関係性を探求するものである。2002年に第1回「感情の地理学の国際会議」が英国で開催され,2004年に学術誌Social & Cultural Geography(Vol.5-4)やGender, Place & Culture(Vol.11-3)において感情の地理学の特集が組まれたように,21世紀に入って研究が活発化している。2005年に公刊された初の体系的な著書 (Davidson, Bondi and Smith eds. Emotional Geography)では,地理学の「感情的転回」(emotional turn)が示された。2006年には第2回「感情の地理学の国際会議」がカナダで開催され,2008年には学術雑誌Emotion, Space and Society:The Journal of the Society for Study of Emotion, Affect and Spaceが創刊されるに至っている。

日本において「感情の地理学」がいかに地域と感情の問題を扱えるのかを検討するために,北海道浦河町の事例に注目する。浦河町では「べてるの家」という社会福祉施設を中心に,精神障碍者を主体とした地域振興が盛んに行われている。べてるの家の歴史は,1984年に精神障碍者自身によって「商売」として日高昆布の産地直送や紙おむつの宅配をはじめたことに遡る。1993年に「有限会社福祉ショップべてる」が設立され,2002年には全国で初めて当事者が理事長・施設長に就任した「社会福祉法人浦河べてるの家」が設立され,小規模授産施設やグループホームなど多角的な運営が行われている。

べてるの家で特徴的なのは,「当事者研究」という独自のセルフヘルプ活動をはじめ,「偏見差別大歓迎」「弱さの情報公開」「安心してサボれる職場づくり」などのユニークな発想で,地域社会から隔離されがちであった精神障碍者が地域の人々と積極的に関わろうとしている点である。このような「社会的弱者」による地域振興は,精神障碍者と地域との新たな関係として精神医療・社会福祉の分野などで注目を集め,年間2〜3千人の見学者や多くの当事者/関係者(家族等)が浦河町を訪問したり,実際に移住したりするという効果を生んでいる。当事者の回復のみならず,過疎の地域社会に貢献しているべてるの家の「場の力」は,旧来の「理性」の枠組みにとらわれることなく,「感情」を肯定的に捉えることで生まれているという点で,感情の地理学の一事例として大きな可能性を有している。

■質疑応答及び司会所見

 経済地理学会関西支部との共催で開催した今回の部会では,「地理学研究における定量的アプローチと定性的アプローチの有効性」というテーマを設定し,2名の方に報告をお願いした。

 まず,稲垣氏の報告に対しては,岐阜県の市町村別の人口移動分析に用いた「岐阜県人口動態統計調査」について,住民基本台帳との違いやこの統計の有用性に関して質問が相次いだ。報告者は,5年に一度実施される国勢調査では人口移動の詳細な把握に限界があることを指摘し,住民異動届提出のさい岐阜県内各市町村で統計用に調査されている「異動理由」の項目を集計した「岐阜県人口動態統計調査」を用いて,岐阜市や大垣市で郊外化・ベッドタウン化がすでに終息していることを実証した。これに対しフロアーから,今回報告者が用いた「岐阜県人口動態統計調査」からでは男女別,年齢階層別の移動に関する情報を引き出せないというデータ利用の限界について,また,地価の動向や就業機会などの移動に関わる要因について,いくつか質問があった。今回は定量的データの分析結果が報告の中心であったため,移動に結びつく要因の特定までは言及されなかった。しかし,フロアーの関心はここにあったと言えよう。

 次に,村田氏の報告に対してまず,2000年代に入って登場してきた「感情の地理学」についての質問が相次いだ。例えば,希望や恐怖も感情の地理学の関心となるのか,感情の地理学とは,英国を中心とする英語圏の地理学における単なる流行ではないのか,感情の地理学自体そもそも地理学なのか等,「感情の地理学」の根幹に関わる質問が集中した。感情に関わるさまざまな地域問題に対して,「感情の地理学」がいかなる貢献を果たすことができるかを検討するため,今回報告者は北海道浦河町の「べてるの家」のさまざまな実践に注目したわけだが,こうした実践が理論面とどのように結びついて報告者の研究に位置づけられるのかという点までは言及されなかった。二元論的思考にもとづいた境界・区分を克服するひとつの可能性としての「感情」,さらに,「場の力」を生み出すものとしての「感情」を扱う地理学の今後に期待したい。

 最後に,今回設定したテーマである,定量的および定性的なアプローチの仕方が地理学研究にどのような有効性をもたらすかについての議論では,フロアーから多くのコメントがあがった。定量的,定性的のどちらからのアプローチも地理学研究にとっては重要であることは言うまでもないが,たとえば,定量化にもいろいろなレベルがあるし,研究対象をなぜ定量化するのか,また定量化されたものをいかに解釈するのか,といった点に留意して取り組むことの必要性がコメントとして出された。何が地理学なのか,また,地理学研究にはどのような手法やアプローチを用いたらよいのかよりも,今日の社会問題をいかに解決していくかを考え,その一助となる研究をすべきときにあるという発表者の一人からの発言をここに紹介して,司会の所見を締めくくりたい。

(出席者:28名,司会:吉田容子,記録:神田孝治)