96回 地理思想研究部会

2009110日(土)於 大阪市立大学文化交流センター
共催:大阪市立大学地理学教室



ティム・オークス氏講演会

 2009年の最初の地理思想研究部会は,新年早々の110日(土)の開催となった。この,近年では恐らく異例の早さに属するであろう部会開催日の設定は,コロラド大学の文化地理学者で,中国研究を専門とされるティム・オークスTim Oakes氏の来日に合わせたためであった。オークス氏は大阪市立大学における集中講義のために来日されたのであったが,離日の前日に部会のために講演をして下さったのである。部会開催の準備それ自体は比較的早くから行われ,2008925日(木)には会告原稿が部会代表世話人から人文地理学会事務所に送付され,学会や地理思想研究部会のウェブサイトには早々と会告がアップロードされていた。また,geomlhgといったメーリングリストを通じた告知も何度かなされた。『人文地理』への会告掲載が605号となり,その刊行が結果的に部会開催日に間に合わなかったことは,部会世話人の力の及ぶ範囲を超えた出来事であった。

 さて,当日の参加者はオークス氏を含めて24名となり,部会の参加者数としては一定の水準を確保することができた。氏の演題は,事前に告知されていたものとは若干異なり,“Alchemy of the Ancestors: Rituals of Genealogy in the Service of the Nation in Rural China(祖先の錬金術:中国農村における国家支配下の族譜の儀礼)”であった。オークス氏は事前にA4サイズで21ページに及ぶペーパーを準備され,これはオークス氏招聘の立役者たる山ア孝史氏(大阪市立大学)のウェブサイトから事前にダウンロード可能であった(この情報は,山ア氏よりgeoメーリングリストを通じて告知された)。当日はこれに加えて,山ア氏の指導のもと,植島裕貴・好永麻美・島崎雄貴・尾崎久美子・王 標の諸氏による上記ペーパーの和訳も配布された。講演は英語で行われ,終了後に山ア氏によって講演内容の要約と説明が日本語でなされた。以下では,前述のペーパーや和訳を参照しつつ,オークス氏の講演内容を記録者の言葉で要約したい。

演題の「祖先の錬金術」とはむろん批判的なフレイヴァーを含み込む言辞であって,祖先から受け継いだとされるある種のローカルな芸能を,国家的な芸能の古態を留める「生きた化石」とみなすことで,遥か彼方の祖先と国家的な芸能との夾雑物無き結び付きやストレートな系譜関係を創り出そうとする欲望,さらには時として祖先それ自体を捏造しようとする欲望に対して向けられたものである。ここで問題とされるのは,1980年代に中国の民族誌家や民俗学者によって「地戯dixi」として概念化された,貴州の屯堡人tunpu peopleが演じる仮面劇である。屯堡人とは14世紀後半の明代初期に,元朝の残党狩りのために中国南西部の辺境に派兵された兵士の子孫とされる人々である。地戯は現地では元々「跳神tiaoshen」と呼ばれた魔除けの儀礼で,祖先崇拝と関係があるとされるが,文化大革命当時は迷信として禁止されていた。それが「地戯」として再表象され,マルクス主義に基づく単線的社会進化論の枠組みのなかで漢民族文化の古態,すなわち「生きた化石」として称揚され,今やトゥーリストアトラクションとして地域振興の目玉にまでなっている。ここで目指されるのは,地戯という儀礼の象徴的意味の解読それ自体ではなく,むしろ儀礼を,演じる村人・国家権力・観光産業の三者の現代的な調整=交渉の場site of negotiationとして理解することである。儀礼は,深遠な意味を伝えることより,むしろそれを演じることで,演じ手側の人々の社会における位置付けを再生産したり構築したりする機能をもつからである。むろん,地戯は漢民族文化の「生きた化石」という象徴的意味を担わされているわけだが,かかる意味の付与と解読がセッティングされる情況,すなわち文化が統治や開発政策の有力な手段と化している情況それ自体が俎上に載せられるべきなのである。そして儀礼は,既存の権威の境界線boundaries of authorityを強化するのみならず,今や境界線を不断に調整する役割をも果している。屯堡人は,伸長するトゥーリズム経済における権威の境界線の能動的な調整者でもある。

 国家の辺境が,真正とされる儀礼的実践や文化的権威の確立にとって重要な空間となってきている。辺境の漢民族文化への包摂過程は,歴史的にみると暴力的な制圧が支配的であった。現代中国文明の生きた化石の残存という,過去の暴力を覆い隠す「文明の神話myth of civilization」が適用されることで,辺境は文化統治の空間としてクローズアップされ,それが2000年に始まる中国の「西部大開発Open Up the West」のキャンペーンに力を与えている。しかし屯堡人(この呼び方自体元々自称ではなく知識人が与えた他称である)にとっては,明代初期に中央から派兵された兵士の子孫というアイデンティティこそが真正性の拠り所なのであって,現今の観光用に再創造された屯堡の石造景観や,600年間に亘る不変性を装った地戯の儀礼は,辺境の暴力的征服という語りをも具現せざるをえない。また,屯堡文化の純粋性や真正性の強調は,つまるところ,その末裔としての現代中国文明の非純粋性や非真正性を論理的に帰結することにもつながってしまう。

 こうした矛盾や両義性を孕みつつ,屯堡人の族譜genealogyは書き直され捏造され,「都合の良い祖先たちexpedient ancestors」が創出され,結果として国家遺産とされる屯堡文化は古態性と近代性の双方を含み込むことになる。しかし,そもそも明代の記録に現れない跳神の現代的形態たる地戯や,都合よく捏造された族譜,そして再想像/再創造された石造景観を核とした「屯堡らしさtunpuness」とは,完璧にモダンなアイデンティティの表徴に他ならない。元々漢民族の異族制圧の儀礼として,他民族には忌避されていた地戯は今や,その儀礼の仮想敵と暗黙裡に想定されてきた苗族においても演じられるまでになっている。暴力的制圧の語りは後景に退き,中国文明への同化の語りが前景化している。漢民族文化の生きた化石という地戯の表象的価値は,今やそれを演じる村人にとって「学習」の対象でさえある。観光客に向けて演じられる地戯の儀礼は,村人を国家に結びつける族譜を媒介として,誰が屯堡人で誰がそうでないか,誰が真正で誰がそうでないか,誰が漢民族で誰がそうでないかを画定する権威の境界線を絶えず調整し構築し続けている。このプロセスには,トゥーリズムが大きく関与している。トゥーリズムは村人にとって,地戯を現在進行形の儀礼として活性化させる力をもつ。そして,地戯を国家支配のもとで「リサイクル」する力をもつのもトゥーリズムなのである。

 講演終了後,マルクス主義理論を持ち出すことの妥当性や米国の事例との関連,屯堡人の真正性の主張をめぐる問題,中国におけるルーツ探しの開始時期をめぐる問題,国家の文化政策との関連,いかなる観光が好まれるのかという問題,他者の消費をめぐる問題などについて質疑が行われた。部会終了後の懇親会でも,オークス氏に対する個別の質疑がなされ,有意義な時間を過ごすことができた。一知半解の輸入言葉の難解さと異なり,オークス氏のペーパーはconsistentかつgroundedな理解しやすい内容であった。文化統治や神話創出の片棒を担いでいるのが他ならぬ研究者や知識人たちであるというcriticalな自己言及的洞察は,我が国の情況に照らしてみても思い当たる節が大いにあろう。と同時にオークス氏のペーパーは,表象からパフォーマンス(演示)へとシフトしている近年の文化地理学の動向にも棹さす,方法論的にも興味深いtheoreticalな内容であったといわねばならない。当日の参加者の多くは若手研究者というべき人々であったが,ぜひともオークス氏のペーパーの精神を汲み取っていただき,consistentかつgroundedな,そしてcriticalかつtheoreticalな意欲的研究を公表してほしいと思わずにはいられない。

(出席者24名,司会:福田珠己,記録:島津俊之)