93回 地理思想研究部会

200875日(土) 於 新大阪丸ビル新館

場所と記憶の地理学の模索

相澤亮太郎(兵庫大・非)

 まず,発表者による災害地を対象とした場所と記憶の研究枠組みが,目下の記憶論の主流を占めるポストモダン的な議論といかなる点において異なるのかについて確認した。発表者はこれまで,阪神・淡路大震災の被災地である神戸をめぐる場所への愛着についての研究,震災後の地蔵祭祀の再生を場所と記憶の観点から論じた研究,そして災害常習地である輪中地帯に暮らす住民の災害空間の認識をハザードマップや社会科副読本の記述と比較した研究に取り組んできた。そこでは,ローカルなスケールにおける生活の舞台であると同時に社会的な構築物としての場所と,その場所を構成する要素としての記憶の作用に注目してきた。

 阪神・淡路大震災の後,ドラスティックに展開する復興過程において,震災以前の場所の記憶をいかに留めるのかという議論や,震災という出来事をいかに継承するのかという議論がくり返され,被災地には慰霊と記念を目的としたモニュメント等が数多く設置された。しかし,それらの取組みの多くは,記憶を受容する側が不在のまま展開してきた。これは,マリタ・スターケンが「はけ口としてのモニュメント」と述べた状況に通じるものであり,場所に刻まれた記憶が受容され集合化する過程には関心が払われない。このことは,P.ノラが,多様な「場」に現れるフランスの国民意識を掬い上げたことや,ケネス.E.フットが過去の抹消を含めた景観の現れ方を論じる方向性とは別に,場所をめぐる記憶の発信-受容の過程や作用が,場所や社会にいかなる影響を与えるのかという側面に注目する必要があることを示している。

 また発表者による災害常習地域の空間認識に着目した研究では,従来ならば別々に扱われてきたであろうハザードマップ,手書き地図,郷土学習を取り上げ,そこから災害の空間認識を抽出し,災害の記憶と社会空間の変容を関連づけて論じた。哲学者のアンリ・ベルクソンは,過去の記憶が知覚を成り立たせることを示しながら現象学的な認識論の基礎を築いたが,行動や知覚と記憶は極めて密接な関係にある。A.ギデンズのモダニティ論において重視される反省的主体にとっては,記憶は構築されると同時に参照される知の一つであり,場所を構築する実践に強い影響を与える。言い換えれば,記憶に着目することは,過去に眼差すことのみならず,未来に眼差すことでもあると言える。発表者は今後,上述の場所と記憶の地理学の枠組みから,防災や復興による災害地の変容を捉える研究を展開したいと考えている。

 

コメント

米家泰作(京都大)

地理学を含め,人文諸科学のポストモダンな記憶論が置き去りにしてきた日常の場所の「記憶」に向き合う所から,相澤さんの研究は始まる。日常の場所の「記憶」は,容易に再編され,あるいは再帰していくが,それらの「記憶」は明白に対象化ないし客体化されたものではなく,毎日の生活の場所を成り立たせている「記憶」であり続ける。そこには,明示的にポリティカルなものや,自己と他者を峻別するために意図された「過去」の操作を見いだすのは難しい。

 しかし,このような記憶のあり方こそが,毎日の人の生活を支え,他の空間では代替できない「場所」を生み出しているように思える。そこに流れる時間は,特定の時点の「過去」ではなく,いわば循環的に何度も再来し,持続する時間である。また,そこに生きる住民は,「外側」から場所を管理・操作するのではなく,あくまで場所の「内側」に留まり続けようと望む。

 ただし,このような場所と記憶のあり方とは,災害という暴力的な断絶によって,おもてに立ち現れたものである。本来は「記憶」として顕在化しない日常の空間が,暴力的な形で「場所」と化す特異な現象が,災害時には生じると言うことができる。神戸の震災においては,それがなぜ地蔵であったのか,そして場所の「内側」からの記憶論がありえるとすれば,それはどのような形になるのか,ぜひ相澤さんに答えを出して欲しいと思う。

 

■所見

 本研究部会で「記憶」をテーマにするのは,今回がはじめてのことではない。1996年,土居浩さんが「『記憶』の地理学」というタイトルで発表を行っている。それから十余年。記憶,とりわけ集合的記憶をめぐる議論は,アカデミズムのみならず社会においてもますます盛んになっている。その間の議論に対して,発表者,コメンテータ,そして参加者は,各々どのような立ち位置からかかわってきたのか。今回の部会は,そのことを再確認する格好の機会となった。

相澤さんの視点が,これら記憶をめぐる議論の大きな流れと異なっていることは,発表要旨および米家さんによるコメントにも記されているとおりである。ダイナミックなせめぎ合いによって場所に刻み込まれていく記憶のあり様を読み解くというような流れと自らの関係を明確にしつつ,「災害の場所」をどのように捉えていくか,ということに焦点をあてた相澤さんの発表に対して,様々な側面から討論が行われた。米家さんのコメントに続いて,議論されたのは,たとえば次のような点である。(1)場所・記憶・境界の問題について。誰の記憶が選択されるのか,場所との関係を問う時,境界の設定が問題となるのではないか。内部と外部をどのように考えるか。(2)「記憶」というタームを使うこと,そしてその弊害について。(3)地域社会学との親縁性が見られるが,それとの違いはいかなるものか。(4)記憶とつながらない場所をどう考えるのか。記憶も場所もともに研究者が設定するものではないか。(5)フット『記念碑の語るアメリカ』を自身の研究と関連してどのように評価するのか。また,「抹消」,「忘却の装置」という点について,どのように考えるか。

「災害の場所」を考える機会は,部会の場だけでない。私たちの日常生活の中でこそ,それらを考える機会が生じるのであろう。記録者としては,記憶が場所に刻み込まれ,そして場所の記憶を読み取る人々の行為と共に歩んでいこうとする相澤さんが,今後,どのように「災害の場所」とかかわっていくのか,どのような表現形態でアウトプットしていくのか,そして,どのような実践へと結びついていくのか,関心を抱かずにはいられない。 (参加者16名,司会:上杉和央,記録:福田珠己)