Stories and Songs

アイルランドの物語と歌

| 語りの準備 | ペギーンとパダル | いとしのアイリノール |

| 金髪のモリー | 私の小さな舟 | ロード・ランダル |

アイルランドの伝統歌は歌だけで独立したものでなく、もともとは、その歌にまつわる 物語 をゆっくり語ったうえで、うたったものでした。そういう意味で、歌は歌それじたいというよりも、そこに籠められた物語を「はなす」「かたる」ものといえます。そこで、アイルランドでは、「歌をうたう」という代わりに、「歌をはなし、物語をかたる」 (say a song, tell a story) という表現がつかわれます。アイルランド語では 'abair amhrán, inis scéal' (アバル・アウラーン、イニシュ・シュケール)といいます。(1)

 ただ、歌とふかいむすびつきがある物語については、書かれた資料にとぼしいのが現状です。そこで、ここでは五つの歌をとりあげ、その歌の背景をなす物語を、ショーン・ウィリアムズ博士(民族音楽学)の研究にしたがって紹介します。博士のまとめた物語は、ジョー・ヒーニー(1919-84、アイルランドがうんだ最も偉大なシャン・ノース歌手のひとり)から直接きいたヴァージョンをふくめ、各種の口承伝統資料を独自に調査研究した成果にもとづいています。ここに日本語版として提示するものは、2002 年 6 月 29 日に、京都大学文学部にて博士が講演した内容をまとめたものです。博士の許可は得てあります。

 全体の構成はつぎのようになります。

語りの準備 | Index

物語の本題にはいるまえに、まくらとして使われるきまったせりふがあり、これを「戦闘服(battle dress) といいます。(2) はじめて聞くと抱腹絶倒ものの面白いものですが、実際の語りの場面では相当なスピードでしゃべられるといいます。大意を日本語でのべると、つぎのようになります。もともと、ナンセンスな語りなので、理解しようとする必要はおそらくなく、ただ語りの調子を楽しめばよく、これから語られる物語にある種の存在感(魔法性?)が付与されると考えればよいでしょう。


むかし、ここでのことだが、たしかに、むかしのことだが、そのころ私があそこにいたら、いま私はここにいないだろうが、かりに、私があそこにいて、いまはここにいるのなら、長い話、大きな話、短い話、悪い話、良い話を知っているか、あるいは何の話もまったく知らないかだろう。けれども、私が今晩どんなふうにその話をしようが、明晩にはその半分もうまくしゃべってほしくはない。私が話している時代というのは、家の屋根をバターミルクで葺いていた時代で、小さな豚がナイフやフォークのつきささった状態で通りを行ったものだ、「わたしを食ってくれ、食ってくれ、食ってくれ、」といいながらね。

ペギーンとパダル | Index

「ペギーンとパダル」 (Peigín agus Peadar) はリフレインが親しみやすい歌で、Heaney Irish Traditional Songダーヴィッシュの歌などでも、よく知られています (Dervish: Live in Palma'Pheigín mo Chroi' [sic])。この歌の歌詞をみるだけでは、そこにいたるまでにどんな話があったのか、よく分かりませんが、物語を知っていると、この歌がグンとおもしろくなります。ジョー・ヒーニーによる物語と歌とは Joe Heaney: Irish Traditional Songs in Gaelic and English (Ossian OSSCD 22, 2002) におさめられています。物語は大要、つぎのようなものです。


<三つの忠告>

 ある男が新婚後、すぐに出稼ぎにでた。同じ雇主のもとで七年はたらいてのち、さらにすすめられるままに、男はもう七年はたらいた。そこで、雇主はさらにはたらくことをすすめ、男はもう七年はたらいた。つごう二十一年はたらいてのち、男は妻のもとへ帰ることにした。雇主は男にケーキをもたせ、同時に三つの忠告をさずけた。

一、知っている道は知らない道よりよい。
ニ、老いた男が若い赤毛の女と結婚して暮らしている家には一晩たりと泊まるな。
三、翌朝になって後悔するようなことを夜に決してするな。

 これらの忠告を胸に、男は家路についた。そのうちに分かれ道になり、一方は森をぬける近道だったが、知らない道だった。家路へと心がはやる男は思わず近道をいきかけたが、雇主の第一の忠告を思いだし、知っているほうの道を通っていった。翌朝になって、森の近道で追いはぎがあったことを知り、男は胸をなでおろした。つぎに、男は戸口で若い赤毛の女が手招きする屋敷に通りかかった。金持ちの老人の妻だ。ぜひ泊まるようにと女はいう。しかし、男は雇主の第二の忠告を思いだし、物蔭にかくれていた。すると、夜中に女と若い男とが老人の死体を引きずりだし、井戸になげこみ、トランクをもって二人で逃げていった。家に泊まっていたとしたら自分の運命もどうなっていたか分からないと思い、男は胸をなでおろした。さらに歩いていった男は、とうとう、夜にわが家にたどりついた。寝室の妻のもとへといってみると、あろうことか、妻のとなりにはりっぱなひげをたくわえた若い男が寝ていた。逆上した男は、斧で斬殺そうとしたが、雇主の第三の忠告を思いだし、思いとどまった。男は妻にたずねる。 [ここから歌] 「ペギーン、おまえのとなりに寝ている背の高い男はだれだ。」「パダル、これはあなたの赤ちゃんじゃないですか。」「いやな、おれも東や西へ旅をしてきたが、ひげをはやした赤ん坊なぞ、見たこともないぞ。」 [若い男は、じつは二十一年前に生まれた息子であると判明。] 「ペギーン、なにか食うものをくれ。」「パダル、家には食べ物はないわ。」「ペギーン、おれの袋にはケーキがあるんだ。」「パダル、ケーキはあなたの給金でいっぱいよ。」 [二十一年分の賃金がケーキには入っていた。] 「ペギーンよ、息子よ、まあすわれ。おれはもう二度と家を出ないぞ。」

いとしのアイリノール | Index

この歌の詩はカール・オ・ダーリ (Cearbhal Ó Dálaigh) という 17 世紀前半の詩人がつくったといわれています。Heaney Say a Song CD「一目見て以来、あなたは私の恋人です」 (Mo ghrá thú, den chéad fhéachaint) と歌いだすのがアイリノールに初めて会った瞬間のことだとすると、即興詩の天才と言わざるを得ません。ジョー・ヒーニーによる歌は Joe Heaney: Say a Song (Northwest Folklife NWARCD 001, 1996) におさめられています。カールがなぜ、このような才を備えているのかは、つぎの、智慧の鮭とフィン・マックールの話によく似た物語を知れば納得できます。


<魔法の牛の乳>

 カールが道をあるいていると、男に呼びとめられ、牛の番をしてほしいという。きくと、男はもう二週間も何も食わず、この牝牛を見張っていたらしい。もうすぐ仔牛が生まれそうなのだ。カールが引受けると、男は十分だけ見張ってくれないか、その間におれは何か食ってくるから、ただし仔牛が生まれたら、最初の乳には絶対にふれさせるな、と言いのこして家にはいっていった。 [この牛は魔法の牝牛で、仔牛が生まれてすぐの乳をのむものには、智慧の才がさずけられる。] 男が去ってすぐ、仔牛が生まれた。母牛のほうへ乳をのみにいこうとする。カールは、あわてて、乳にふれさせまいと母牛のところに急行したが、その際、乳のしぶきがカールの口にかかり、カールは思わずそれを口にしてしまう。男は出てきて、何がおこったかをさとる。

 智慧の才をさずかったカールがあるいていると、靴屋に出会った。その仕事ぶりを見ていたカールは、自分にもやらせてくれといい、靴をつくると、靴屋が驚くほどのできばえだった。カールがこの靴はだれのためのものかと問うと、美貌で知られる貴族の女性、アイリノール様のための靴だという。それをきいたカールは一計を案じ、靴をとどける役を買ってでる。アイリノールの屋敷についたが、通常、貴族の女性には身分のちがう靴屋ふぜいでは会えない。そこで、カールは、靴はほぼできているが最後の仕上げをしたいといって、アイリノールに面会する。会った瞬間、 [ここから歌] 「一目見て以来、あなたに恋しました、いとしいアイリノールよ」と、カールは智慧の才をいかして、即興の歌をささげる。「あなたはわたしの初めての恋人、アイルランド中のどの女性よりもうつくしい。」「あなたのキスはこのうえなく甘美なものです。」 [今まさに求愛しているところだから、まだキスはしていないが、こう歌うことで、事実上、キスをもとめている。] 「生きているかぎり、わたしのあなたへの愛はかわりません。よろこんで、あなたと仔牛を追いましょう、いとしいアイリノールよ。」 [牛追いには長期間を要するので、その間、男女には仲睦まじくすごす時間がたっぷりできる。]

金髪のモリー | Index

アイルランドでは白鳥を殺すことは違法だとか。その理由はふたつ。最初の理由は、ふるい伝説から。いにしえ、アイルランドの人々がトゥアハ・ジェー・ダナン (Tuatha Dé Danann)、つまり女神アヌ(ダヌ)の人々とよばれていたころ、五人の王がいました。そのうちのひとりがリル (Lir) 王で、王には四人の子どもがありました。(3)


<リルの子ら>

 リル王の三人の息子と一人の娘は大変うつくしく、王国中の人々に愛されていた。が、継母のイーファだけは、美しい自分より子らのほうが愛されているので、やきもちをいだいていた。子らをもっとも愛していたのは、父リルだった。ある日のこと、イーファは子らを自分の馬車にのせて、湖に泳ぎにつれていった。子らが湖にはいるやいなや、イーファは彼らを白鳥にかえ、呪いをかけた。それは、これから三百年間、子らは白鳥としてこの湖ですごさねばならぬ。その三百年がおわったなら、子らは今度は荒れて冷たいモイルの海に行って、そこでさらに三百年間すごさねばならぬ。その三百年がおわったなら、子らはつぎに西の海に行って、そこでさらに三百年間すごさねばならぬ。つごう、九百年間を白鳥としてすごさねばならぬという呪いだった。イーファは子らにこういった。「おまえたちは、北の男と南の女とをむすびつけることができないかぎり、その間ずっと白鳥としてすごさねばならぬ。ひとつだけ、人間の声で歌える能力をおまえたちに与えておいてやろう。」こういって、イーファは立去った。

 リルは帰宅して子らがいないことに気づくと、イーファは自分のしたことを話した。ただちに、リルは湖にむかい、子らをさがした。すると、四羽のうつくしい白鳥が涙をながしながら、彼のほうに泳いでくる。子らは人間の声で話すことができるので、「お父さん、あなたの妻がしたことを見てください」といい、リルも涙をながした。おこったリルはイーファの父のところへ行って、事情を話した。すると、彼もいかり、イーファを霊にかえ、この世から追放した。これでイーファはかたづいたが、その呪いは強力なため、とけない。イーファの父とリルとは、ともに湖へと急いだ。娘のフィヌーラが歌いはじめると、皆は涙をながした。王国中の人々が湖にやってきては、子らをなぐさめようとした。リルは毎日、水際にやってきては子らに話しかけた。

 そうやって、百年が立ったが、リルは年をとらない。子らも年をとらない。そこへ、野生の白鳥がおとずれた。子らの歌声を耳にしていたので、話してみたいと思ったのだ。ついに、子らは白鳥のことばをおぼえて、自分たちの身の上におこったことを、野生の白鳥たちに話してきかせた。あまりにも悲しい話に、野生の白鳥たちも涙をながしたが、助けになることはできなかった。二百年が立った。

 つごう三百年が立ったので、暗く危険なモイルの海へと移らねばならぬ時が近づいていた。皆がやってきて、涙を流しながら別れをつげる。そんなある晴れた日に、突然、大きな影が地面をおおった。皆が見上げると、そこには巨大な橋ができていた。野生の白鳥たちが「北の男」という山と「南の女」という山とをつないでいたのだ。これらの山の名前は、白鳥がもちいる特別の名前だった。白鳥たちは、彼らの詩人に北の男と南の女という謎のことをたずねに行っていて、答をききだしていたのだ。こうして、イーファの呪いはとけた。ただちに、子らは人間の姿にもどって、水から出てきて、リルとだきあい、皆は笑いあって、その後は幸せにくらした。その日以来、白鳥を殺すことはアイルランドでは禁じられている。


アイルランドで白鳥を殺してはいけない理由の第二は、金髪のモリーの話からきています。


<金髪のモリー>

 婚約中の娘モリーは白いエプロンをつけて出かけた。すると、暴風雨になったので、エプロンでからだをおおった。そこへ婚約者の男性がとおりかかり、彼女を白鳥とまちがえて撃った。まちがいに気づいた彼は失意のうちに法廷で殺人罪で裁かれようとする。まさにそのときに、モリーの霊があらわれて、悪いのは自分であり、エプロンをかぶっていた自分を彼は白鳥とまちがえたのだと証言して、彼はすくわれる。


この話にもとづく歌は英語版もよく知られており、イングランドや米国やオーストラリアでも歌われています。ジョー・ヒーニーのヴァージョン 'Molly Bawn' (ショーン・ウィリアムズ博士が 6 月 29 日に歌ったヴァージョン)では「銃をもった若い鳥撃ち諸君、日暮れ時には猟に出るなよ、ぼくもむかしは鳥撃ちだったんだが、恋人を白鳥とまちがえて撃ってしまったんだ。」 (Come all you young fowlers who carries [sic] a gun / Don't ever go a-shooting by the setting of the sun / I was once a brave young fowler, as you may understand / And I shot my own true love, I took her for a swan.) と歌いだされます。最後の「白鳥」の語が「子鹿」 (fawn) になっているヴァージョンもあり、その場合は、「鳥撃ち」 (fowler) の語とは合いません。

私の小さな舟 | Index

アイルランドではコニーリー (Conneely) という姓の人はアザラシ (seal、アイルランド語では rón) と関係があると考えられているとか。コナマラ西部ではよくある名前で、バリ・コニーリー (Bally Conneely、アイルランド語では Baile Conaola) という名の村まであります。


<アザラシの女性と結婚した男>

 むかし、結婚相手の女性をさがしている若者がいた。バリ・コニーリーの若者だったという人もあれば、そのちかくの島の若者だったという人もある。そのころ、女性は希少な存在だった。というのも、女性の多くは、夫となる男性をもとめて、または仕事をもとめて、イングランドやアメリカ、ダブリンなどに出ていったからだ。そういうわけで妻となる女性をさがしていたこの若者はある日、自分の小さな黒い舟(カラッハ)にのっていたが、三頭のうつくしいアザラシが浜にあがるところに出会い、岩陰にかくれて見ていた。すると、二分とたたないうちに、三頭とも、アザラシの皮をぬぎ、きちんとたたんで岩におき、泳ぎはじめたではないか。アザラシの皮の下から出てきたのは、若者がそれまで見たこともないほどうつくしい赤毛の娘たちだった。三人は姉妹にちがいない。というのも、三人は順番に、よりうつくしかったのだ。若者は、なかでも、一番下の娘に、目がくぎづけになった。その娘は他の娘より三倍はうつくしい。若者は、いま見ているのはシルキーだとさとった。シルキーは、半分人間で、半分アザラシである。昔からのいい伝えで、皮をかくしてしまえば、シルキーはついてこざるをえなくなると、若者は知っていた。そこで、彼は皮をかくした。シルキーはしかたなく、ついてくるが、何も身につけていなかったので、若者は上着を貸してやり、ふたりはカラッハで家へむかった。

 村では、この不思議なうつくしい娘は、かがやく髪、大きな悲しげな瞳で目をひいた。娘は非常に古いアイルランド語を話したので、村の人々にはことばが分からなかった。しかし、やがて、娘はいまのアイルランド語をおぼえ、魚や海草、エビなどでない食料もつかうようになり、料理もおぼえた。娘は若者に四人のうつくしい子どもをもうけた。四人とも泳ぎが非常に上手で、魚をとることもうまかった。すきなときに魚がとれたので、男にはだんだんと金ができた。人々は、うつくしい妻とうつくしい子どもにめぐまれ、うまくやっている男のことをうらやんだ。

 ある日のこと、一番下の子が、屋根裏にかくされていた、埃をかぶり古ぼけた、いやなにおいのするアザラシの皮を見つけた。母のところへとんでいって「お母さん、上にアザラシの皮があるよ。どうしてお父さんはそんなものをあそこにおいたのかなあ。」ときく。すると、間髪をいれず、母は四人の子全員に別れのキスをし、皮をとり、浜へむかい、皮をかぶって、水にはいっていった。ほかにどうしようもなかった。皮を見つけしだい、夫を愛しているか(実際に愛していたが)、子どもを愛しているかにはかかわらず、ただちに水の世界にもどらねばならぬ定めだったのだ。漁から帰った男は、子どもたちが泣いているのに気づき、お母さんはどこだときく。子らはお母さんはアザラシの皮をかぶって水にとびこんだと答える。男が浜へいくと、妻は水にうかんでこちらを見ていた。男は「お願いだから帰ってきてくれ、帰ってきてくれ」という。妻は「だめ、だめなの。」と答える。「でも、約束するわ。子どもたちはいつでも魚がたっぷりとれるから、あなたは一生お金には困らないわ。それから、もし、あなたがほかのひとと結婚したくなったら、してかまわないわ。わたしは気にしないから。」しかし、男はけっして結婚しなかった。妻を愛していたからだ。そこで、ふたりはその後も、水際のところで会い、話をかわした。 [水際というのは特別な場で、そこではおかの者と海の者とがたがいにコミュニケーションがもてる。] 妻は二度とおかにはあがらず、男も漁は子らにまかせて二度と水には入らなかった。子どもたちが赤ん坊のとき、妻は夫にたのんで舟型のゆりかごをつくってもらった。 [今日でもコナマラでは古い舟型のゆりかごが見られるという。] 赤ん坊に歌って聞かせる歌はかならず舟の歌だった。親は魚やエビや海草などをとって暮らしを立てているので、赤子のときから舟にならす必要があったのだ。


「私の小さな舟」 (Óró Mo Bháidín) という歌は、シルキーがバリ・コニーリーの人々に教えた歌だという人もあれば、単に舟にかかわる子守唄だという人もあります。いずれにしても、歌詞には舟をこぐようなリズムがあります。たとえば、二番にでてくる 'ag tarraingt' (ひっぱる)ということばのくりかえしには、たとえ、赤子は舟型のゆりかごでゆれているだけであっても、舟のゆれのようなリズムを感じるでしょう。なお、似た話を子どもにも分るように語りと歌(カラン・ケーシーなど)とでつづった (Music for Little People R2 79858, 2000) と聞き比べてみるのも興味深いだろう。

ロード・ランダル | Index

ランダルという名前はアイルランドの名前ではありません。Heaney Connemara CDおそらく、二百年ほどまえに、イングランドからやってきた物語歌でしょう。ですが、アイルランドにはいってから、まったく新しい、シャン・ノース風の曲がつけられて、「ア・チアルナ・ランダル」 'An Tighearna Randal' という歌になりました。シャン・ノースのレパートリーのなかでは、その複雑な装飾音とあいまって、大曲として知られています。ジョー・ヒーニーの歌うヴァージョンは Joe Heaney: The Road from Connemara (Topic TSCD518D, 2000) におさめられています。


<ウナギの毒で殺された男>

 立ち寄った息子に元気がないので、母はたずねる。「どこへ行っていたの。」すると、息子は「魚とりをして、鳥撃ちにいっていた。胸がいたい。」と答える。母が夕食に何を食べたのかときくと、身のよじれたウナギだと息子は答える。 [ウナギはイングランドというよりは、アイルランドの食べ物という。] ウナギの毒で死期が近いとさとった母は、息子に遺言をきく。弟には何を残してやるつもりかと。すると、馬屋の鍵と馬を、との答。おまえの父親には何をときくと、トランクの鍵と千ポンドという。おまえの妻には何を残してやるのかときくと、息子は「地獄へいく定めとなるように、天の門は彼女には閉ざされるように」と答えた。 [妻に毒殺されたことを彼は知っていたのだ。] おまえの子どもたちには何をときくと、「あちこちへ、毎晩ちがう場所へと、さまよい行くように。」と答えた。 [アイルランドの古い呪いかた。子らは妻から出たものゆえ、彼は呪った。] 最後に、わたしには何を残すつもりだと母が問うと、息子は「悲しみと絶望とです。」と答えた。 [これはアイルランドのカトリックに特徴的で、英米のヴァージョンではまず見られないという。]

文責: 菱川 英一 Copyright © 2003 Eiichi Hishikawa (except where noted)

(1) say a song について: 歌は話すものといっても、特別なジャンルの歌には、語りとはちがう部分があらわれることがある。たとえば、嘆き歌 (caoineadh) では、「オホーン」 (ochón) という、感嘆詞というよりは、嘆きの感情そのものの噴出であるかのような叫び声が歌詞の重要な一部となっていることがある。ジョー・ヒーニーの例では、Joe Heaney: Irish Traditional Songs in Gaelic and English (Ossian OSSCD 22, 2002)Joe Heaney: Say a Song (Northwest Folklife NWARCD 001, 1996) に収録されている「三人のマリアのなげき」 'Caoineadh na dTrí Muire' がそのような歌といえる。

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(2) 戦闘服について:ジョー・ヒーニーによる英訳が James R. Cowdery: The Melodic Tradition of Ireland (Kent State UP, 1990) の 40 頁にあり。

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(3) リルの子らについて:この話の別のヴァージョンでは、白鳥にかえられた子らは 900 年後、アイルランドへのキリスト教布教後に、洗礼をうけてすくわれる。ジョー・ヒーニーもそのようなヴァージョンを伝えていた。『たのしいゲール語読本U リア王の子たち』(カハル・オー・ガルホール、前田真利子、安達信明、三橋敦子著、1988)には、アイルランドの小学校教材と思われるものを脚色したアイルランド語ヴァージョンがおさめられている。このように、今日この話が知られているのは、原物語のさまざまな語りなおしによるところが大きい。なかでも、もっともよく知られているのは 19 世紀に人気を博した P. W. JoyceOld Celtic Romances (1879) などの英語版のものである。この本は現在でもリプリントで出ている。1500 年ころの中世後期ロマンスとしては、通常 Oidheadh (Oidhe) Chlainne Lir (The Tragic Story of the Children of Lir [Lear]) という題で知られる。なお、LirLear (OIr. Ler) の属格。ShakespeareKing Lear の起源とされる。

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Leasaithe: 27 Samhain 2006