Oireachtas na Gaeilge

エラハタス・ナ・ゲールゲ



歴史 | オ・リアダ杯 | 補足


アイルランド語詩歌の無伴奏歌唱法をこの百年間規定してきたといっていいエラハタス・ナ・ゲールゲ (アイルランド語の全国祭典)について、ごく基本的な概観をおこなう。

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エラハタス (An tOireachtas, Oireachtas na Gaeilge) とは何かを一言でいえば、アイルランド語詩歌等の最高の表現者をえらぶ最も権威ある大会ということになる。特に シャン・ノース歌唱 の最高の表現者を選ぶ オ・リアダ杯 が著名である。

 主催しているのは コンラ・ナ・ゲールゲ Connradh na Gaeilge [Gaedhilge] (ゲール語連盟、ゲーリック・リーグ、the Gaelic League)で、毎年秋に開催される。アイルランド語話者のための催しゆえ、情報は主としてアイルランド語でしか提供されず、催しで使用される言語はアイルランド語のみ。

エラハタスは 1897 年、コンラ・ナ・ゲールゲによって生み出された。すなわち、コンラ・ナ・ゲールゲが創設された 1893 年から早くも四年後に誕生した催しである。

 以後、今日にいたるまで、エラハタス・ナ・ゲールゲはアイルランド語による文化や文学の最高の祭典である。当初は毎年10月に十日間開催されていたが、最近は10月から11月にかけての木・金・土・日曜日に四日間おこなわれ、土曜日に最終競技種目であるオ・リアダ杯の優勝者を決定したあと、日曜日にアイルランド語のミサがおこなわれて締めくくられる。

 エラハタスを生み出したコンラ・ナ・ゲールゲの歴史について、まず、ごく簡単に見ておく。創設されたのは 1893 年 7 月31日、ダブリンのロアー・オコネル街 9 番地においてであった。創設メンバーは、ダグラス・ハイドDouglas Hyde、会長、アイルランド語名 An Chraoibhín Aoibhinn)のほか、オーィン・マクニール(Eoin MacNeill、幹事)らがいた。

 コンラ・ナ・ゲールゲは歴史の真空に突如出現したわけではなく、その前身ともいえる運動のなかから登場してきた。直前の運動の具体例としては、1880 年にイーンダハト・ナ・ゲールゲ Aondacht na Gaeilge (ゲール語連合、ゲーリック・ユニオン、the Gaelic Union) がアイルランド語の運動家や研究者らにより結成されている。それは、その前身のアイルランド語擁護協会Society for the Preservation of the Irish Language、1876 年創設)の運動方針に不満をもった人々が分派して起こしたものだった。

 そもそも、コンラ・ナ・ゲールゲを創設したダグラス・ハイドはプロテスタントのアングロ・アイリッシュ(17 世紀以降の、イングランド系アイルランド人の [新興貴族の] 系譜につらなる)であった。17 世紀以来、多くのアングロ・アイリッシュの人物がアイルランドの言語や伝統の保持に努めてきた歴史がある。たとえば、アーマー主教ジェームズ・アッシャー (James Ussher [Usher], 1581-1656)、好古家サー・ジェームズ・ウェア (Sir James Ware, 1597-1666)、翻訳家シャーロット・ブルック (Charlotte Brooke, 1740?-1793)、フランス系の好古家チャールズ・ヴァランシー (Charles Vallancey, 1721-1812) といった人物をあげることができる。

 コンラ・ナ・ゲールゲ結成の目的は、生きたことばとしてのアイルランド語の振興にある。同連盟の憲法 (primh-riaghlaca) 第一条にはこうある。

Gnó an Chumainn so an Ghaedhealg do choiméad dá labhairt i n-Éirinn.
(本連盟の務めは、アイルランド語がアイルランドにおいて話される状態を保つことである。)

 このようなコンラ・ナ・ゲールゲが生み出したエラハタス・ナ・ゲールゲは 1924 年にいったん活動を停止し、1939 年に再開する。そこで、ここでは 24 年までの第一期と 39 年以降の第二期とに分けて歴史を概観する。


第一期(1897-1924)

 エラハタス・ナ・ゲールゲのようなものが生まれる背景には、アイルランド伝統音楽における中核がシャン・ノース歌唱 (アイルランド語による伝統的な無伴奏歌唱)であるという了解が形成されてゆく過程がある。この過程は少なくとも18世紀以来ゆっくりと進行していたのが、19世紀になって強められていき、ついに 1893 年にダグラス・ハイドが、もしアイルランドがアイルランド伝統音楽を失うならば、アイルランド語とアイルランド文学につぐ最も重要な文化的財産を失うことになると発言するまでにいたる。

 この、アイルランドのアイデンティティーにとってかけがえのないアイルランド伝統音楽の中核をなすものは であった。なぜかというと、歌は 音楽と言語の両方を体現する ものであったからである。つまり、歌は音楽と言語の架け橋の役目を果たすものであったが、その両者のうちでは言語の伝統遺産、つまり文学のほうが優位におかれていた。

 もともと、民俗学者であったハイドは、アイルランド文化に対しては、青年アイルランド党 (the Young Ireland) などの愛国運動の思想の影響を受けていた。そのようなハイドは、民俗学の収集活動とアイルランド語の運動とを融合させたのである。その成果の一つは、コンラ・ナ・ゲールゲを創設した 1893 年に出版した『コナハトの恋愛歌集(Abhráin Grádh Chúige Connacht, Love Songs of Connacht) である。ハイドが収集したこのアイルランド語歌集は、アイルランド文芸復興の歴史を画すきわめて重要な書物となる。たとえば、W・B・イェーツが「新しい力が言語に到来した」 ('the coming of a new power into language') と述べたのは、同書に付された英語訳に対してであった。イェーツはアイルランド語は解さなかったと一般に言われるが、アイルランド語に触発された英語の力に、言語としての新たな息吹を感じ、大いに影響されたのである。今日、200 万頁を超す膨大な民俗学資料がユニヴァーシティコレッジ・ダブリンのアイルランド民俗学部のアーカイヴで見ることができるが、このコレクションはもとはといえば、ハイドが 1920 年代にアイルランド民俗学協会 (the Folklore of Ireland Society) を設立したときのコレクションが発展したものである。現代のアイルランド語(や英語)詩歌の活動にたずさわる人々にとって、このアイルランド民俗学資料は貴重なインスピレーションの源である。

 コンラ・ナ・ゲールゲが始めた、アイルランド語の保持と活性化というプロジェクトは、そののち、国家のプロジェクトともなり、1926 年には法定アイルランド語使用地域 (Gaeltachtaí) なるものが制定されるにいたる。このゲールタハトという地域は、日常語としてのアイルランド語 を国家が保護する指定地域となった。このことは、国の公用語としてのアイルランド語の地位は、英語の圧倒的優勢の前にそれほどの危機に瀕していたことをも示す。

 このように国家的保護の対象となったアイルランド語であるが、そのころから、いや、それ以前に、1921 年にアイルランド自由国の成立と自治獲得が決定されたころから、アイルランド語の運動に情熱を傾けてきた人々は、自分たちの目標は達成されたと思うようになった。コンラ・ナ・ゲールゲはもはや使命を果たし終えた過去の遺物のようになっていったのである。

 エラハタス・ナ・ゲールゲは、創設時から独自の委員会を有し、文化伝統の振興という使命をコンラ・ナ・ゲールゲから託されていた。なかでも、文学は最優先の課題であり、アイルランド語による創作活動が至上命題であった。そのほかの分野では、公演芸術、語り(ストーリーテリング)、朗誦、音楽、歌、ダンスに力がそそがれた。

 このようなさまざまの芸術形態を奨励するために競技会がもうけられたが、なかでも歌と音楽とは人気を博した。その人気は「アイルランド風」 ('Irish style') と呼ばれるものに対する関心と並行していた。つまり、アイルランド的なものは何でも奨励したいという運動(the Gaelic movement とか Irish Ireland と呼ばれる)が同時に存在したのである。このような気運のもと、アイルランド語使用地域の居住者の歌唱法 (=シャン・ノース歌唱)が、あらゆるアイルランド的なるもののなかで、格別にアイルランド的なものとして重視されることとなった。その地域の居住者は、その地域特有の体質 (habitus) とアイルランド語とを田舎で守り続けてきたがゆえに、イングランド的な植民地の言説からは最も遠いところにあると、すなわち 最もアイルランド的 であると、見なされたのである。

 他の文化現象にも同じくアイルランド的と見なされるものは存在したが、この歌唱法は 非イングランド性 の象徴とされ、そこから、純然たるアイルランド性そのものと見なされた。アイルランド対非アイルランドという、この二項対立は他の分野にも適用され、ヨーロッパ大陸の音楽は植民地伝統を、アイルランドの音楽や歌は純然たる、本物のアイルランド性を表すようになった。その結果、ヨーロッパ風のにおいのするものは純粋アイルランドに対する「汚染」と見なされ、あげくの果てはオ・カロランの音楽でさえ批判された。

 全国大会 であるエラハタス・ナ・ゲールゲに対し、コンラ・ナ・ゲールゲの地方支部が開催する地方大会、フェシュ (feis) もおこなわれていた。1910 年ころまでに、「伝統的歌唱」がどういうものであるかについての大体の了解が、フェシュのレベルで、また全国大会のレベルで、まとまり、奨励されていった。その了解のひとつに、合唱をおこなう場合は無伴奏の斉唱(ユニゾン)とすることなどがある。1897-1900 年のフェシュに参加した音楽家たちは職業的音楽家の最後の世代で、その技術とレパートリーは 18 世紀生まれの音楽家から学んだものであったと言われている。なお、1920 年代以降、フェシュはその性格を変え、伝統色は現在ではハープの競技会にのみ残っている。


第二期(1939- )

 伝統的歌唱法(シャン・ノース)は 独唱無伴奏モーダルフリーリズム であるという了解は、植民地主義の「芸術」音楽に対峙する、民族固有のものとして明確化されていく。その了解を強化するにあたって重要な役割を果たしたのがエラハタス・ナ・ゲールゲであった。エラハタスで称揚されたのは、こうした要件をそなえた歌唱であったからである。ある意味では、イングランドとヨーロッパの音楽伝統の美学がつくりだす「内的植民地化」 ('interior colonization') に対抗する音楽伝統を創り出す という、文化的課題をシャン・ノースは担っていた。(1)

 ショーン・オ・リアダ (Seán Ó Riada) のシャン・ノースの説明(1962)はこのような了解の型に合致する。

Sean-nós singing cannot be appreciated except on its own terms. The sean-nós singer is unaccompanied. Sean-nós singing demands great skill and technique and an artistic understanding beyond the demands made on the average European singer. This is because a good deal of each sean-nós song is improvised, and the singer must know how to improvise in the proper style. [...] the singer does not display emotion in the European style; [...] he does not use dynamics, he does not sing loudly and again softly for emotional or dramatic effect. (Our Musical Heritage)

 ただ、この説明中、二つのことは説明が必要である。まず、正しいやりかたの即興歌唱というのは、ある流儀のシャン・ノース歌唱法でよしとされる装飾音のみを用いるということであろう。この装飾音の種類そのものは数種類で、全国でほぼ共通だが、用いられる頻度ないし連結のしかたは地域により流儀が違う。すなわち、後述するように、北部ドネゴールで使われる装飾音の数が少なく、西部のコナマラで多い。つぎに、ダイナミクスを用いないというのは、声を歌の途中で大きくしたり小さくしたりしないということである。つまり、一定の強さ、それもしばしば、傍らにいる人にしか聞こえないくらいの声の大きさで歌われる。

 このシャン・ノースについての説明が全国ラジオで放送された 1962 年はエラハタスの第二期に相当するが、この当時はまだ、このようなシャン・ノース歌唱の了解は Gaelic movement などのごく限られた層に限られており、一般化していなかった。じつは、オ・リアダのこの放送は、そのような大勢をひっくり返し、伝統音楽が、ヨーロッパ音楽とは別の、芸術としての独自性を備えていること、独自の原則を有していることを、一般大衆に広く知らしめる目的があったのである。

 そのようなシャン・ノース歌唱を体現した実例は、特に、エラハタス第二期に優勝した二人のシンガーに見ることができる。ひとりはジョー・ヒーニー (Joe Heaney, 1919-84; Joe Éiniú, Seosamh Ó hÉanaí) であり、いまひとりはイー・オ・ディヴァナ (Aodh Ó Duibheannaigh, 1914-84; Hiúdaí Phadaí Hiúdaí) である。

 カルナ(ゴールウェーのコナマラ・ゲールタハト)出身のヒーニーは、再開したダブリンでのエラハタス・ナ・ゲールゲにおいて 1942 年に第一位の賞を受賞したのち、ふたたびダブリンでのエラハタスにおいて 1955 年に金賞 (Bonn Óir) を受賞している。

 ラナファスト(ドネゴール)出身のオ・ディヴァナは 1958 年のエラハタスにおいて金賞を受賞している。

 この両者はシャン・ノースにおける両極ともいえる唱法を代表する。西部のゴールウェーの歌いかたは最も装飾音が多いとされ、南部のケリーやコークやウォーターフォードではそれよりはやや装飾音が少ない。これに対し、北部のドネゴールの歌いかたは非常に簡素で飾りが少ない。この三つの地域では、アイルランド語も文法と発音の両面で相当に違う。今日でも、話されることばとしてのアイルランド語には標準語がない。あいさつの仕方ですら、三地域で異なっている。

 エラハタスとは、ある意味で、こうしたさまざまの唱法や方言が出会い、競い合う場である。唱法やアイルランド語の発音等において大きなへだたりがあるものを同じコンテストの場で比較するのは難しい。理論的には、各地の唱法は対等なはずであるが、エラハタスの歴史を見ると決してそうではなかった。

 1960 年から 1998 年の 38 年間に、エラハタスにおける最高の栄誉であるオ・リアダ杯を獲得した歌い手を見ると、ゴールウェーが圧倒的に強く、26 回も受賞している。ダブリン出身でありながらゴールウェーの唱法で歌った二人をここに加えるなら、実に 28 回はゴールウェー唱法の歌い手が受賞している。この結果を見れば、エラハタスにおいてゴールウェーの唱法をより高く評価する傾向が存在するのは疑いようがない。その逆に、北部の歌いかたは、シャン・ノースというよりは非伝統的な歌と見なされる傾向があった。つまり、旋律上の装飾音こそが伝統性を体現すると見なすということである。マレード・ニ・ゴーナル (Maighréad Ní Dhomhnaill) などは北部の歌は無視されていると発言している。エラハタスで金賞を受賞したオ・ディヴァナは、ゴールウェーの唱法は逆に引き伸ばし過ぎであると批判している。

 このようなエラハタス・ナ・ゲールゲの支配的傾向に対抗するため、北部の伝統を称揚する別の催しが 1977 年に開始された。ドネゴールの歌い手、故コナル・オ・ファラ (Conaill Ó Fearraigh) を記念する コナル・オ・ファラ記念杯 (Corn Cuimhneacháin Chonaill Uí Fhearraigh) である。これは、シャン・ノースにあらざる無伴奏唱法 (amhránaíocht gan tionlacan nach sean-nós) の大会である。

 こうした動きをへて、1980 年代なかばにはゴールウェー以外の地域の歌い手たちがエラハタスの支配的傾向に挑戦し始めた。さらに、90 年代にはいると、これらの歌い手たちもエラハタスの主要な賞を受賞するようになった。

Gearoidin Bhreathnach  その結果、今日では、依然としてゴールウェーの歌い手たちは強力な存在ではあるものの、他地域の歌い手たちも一定の認知を受けるに至っているといえる。そのことを象徴的に表すのが、ドネゴールはラナファストの歌い手、ガロージーン・ヴラナハ (Gearóidín Bhreathnach) である。彼女は 1996 年のエラハタスで女性の部優勝とオ・リアダ杯獲得を果たしたのみならず、コナル・オ・ファラ記念杯をも獲得し、唱法間にこれまで存した価値序列は無意味であることを身をもって示したのである。ガロージーンのアルバムは Cló Iar-Chonnachta から Ar Fhoscadh na gCnoc (CICD 130, 1997) が出ている。

Gearóidín Bhreathnach

[Tá an eolas seo le fáil sa 'National Identity and Local Ethnicity' le Lillis Ó Laoire, 1999.]

エラハタスの今を知るには、2001年度のエラハタスの実況録音を聞くのが好適。

http://www.rte.ie/radio/av_rnag.html

ここの一覧のなかから、Oireachtas na Gaeilge 2001 - Comórtas Sean-Nós na mBan agus na bhFear か、Oireachtas na Gaeilge 2001 - Comórtas Chorn Uí Riada をえらぶ。

オ・リアダ杯 Corn Uí Riada | Index

エラハタスには数々の部門があるが、なかでも最高の栄誉は大会の最後の競技であるオ・リアダ杯において優勝を勝ち得ることである。歴代の優勝者の顔ぶれを眺める と、全員ゲールタハト(アイルランド語使用地域)の出身者である。どのような歌唱がオ・リアダ杯で最高の栄誉を得てきたかをまとめて知るには、最近 25 年間(1971-1996)の同杯受賞者の歌唱を集めたアルバムが便利である。

Various Artists: Buaiteoirí Chorn Uí Riada (RTE207 CD)

この2枚組 CD は RTÉ (アイルランド国営放送協会)のオンラインショップで入手できる。

 近年の主なオ・リアダ杯獲得者をあげる。

2002Bríd Ní Mhaoilchiaráin (Brid Mulkerrins)
2001Meaití Joe Shéamais Ó Fatharta
2000, 1998Nan Tom Teaimín de Búrca
1996Gearóidín Breathnach
1995Mairéad Ní Oistín
1993, 1989, 1987Nóra Bn. Mhic Dhonnchadha (Nóra Ghriallais)
1991Lillis Ó Laoire
1990Áine Uí Cheallaigh
1988, 1983Máirtín Tom Sheáinín
1986Máirín Uí Chéidigh
1985Seán Mac Donnchadha (Johnny Mháirtín Learaí)
1984Sorcha Bn. Uí Chonghaile (Sarah Ghriallais)
1982, 1978, 1971Seosamh Mac Donnchadha (Josie Sheáin Jeaic)
1981, 1980Tomás Ó Neachtain
1979, 1972Treasa Ní Mhiolláin
1977, 1975Seosamh Mac an Iomaire (Joe John)
1976Micheál Seoighe
1974Áine Ní Dhonnchadha (Nan Chamuis)
1973Áine Bn Uí Fhátharta (Nan Ghriallais)

補足 | Index

エラハタスについて、『オックスフォード・アイルランド文学必携』はつぎのように説明する。

tOireachtas, An (lit. 'an assembly for business or pastime'), is the premier Irish-language literary and cultural festival, held annually for ten days in October. It was founded in 1897 by the Gaelic League on the models of the Welsh Eisteddfod and the Scottish Mod. The literary competition in the early years encouraged modern literature in Irish and motivated Pádraic Ó Conaire to write for a contemporary audience. The festival accommodates all aspects of the Gaelic tradition--story-telling, music, art, drama, and in particular sean-nós singing. An tOireachtas had a major influence on Irish cultural life during the early years of this century but, along with the Gaelic League, went into decline in the years after 1918, becoming defunct in 1924. It was successfully revived in 1939 and became increasingly popular thereafter. The term An tOireachtas is also used to designate the legislature of the modern Irish State. [Robert Welch ed., The Oxford Companion to Irish Literature, 1996, p. 441]

 エラハタスについて、『アイルランド伝統音楽j必携』はつぎのように説明する。

Oireachtas, An t-. Annual competitive, celebratory and social festival run by Conradh na Gaeilge to celebrate the arts among the Irish-speaking communities and within the Irish language movement. Begun in 1897, as part of this it promotes competitions in music and song, most prestigious of which today are those in sean-nós singing, these involving separate male (corn na bhfear) and female (corn na mbean) categories, and also, the prestigious Corn Uí Riada, open to men and women. The solo music and group competitions have declined in popularity and competitive significance with the rise of the fleadhanna ceoil since the early1950s, but the piping event still carries prestige. An tOireachtas was wound down in 1924 due to a lack of funding and a fall-off in interest in the Gaelic cultural movement in the distressing early days of the Irish state. It was revived in 1939, and has been heavily promoted in recent years. As with the All-Ireland fleadh An tOireachtas involves many people, and rotates its venue between the Irish speaking areas from year to year. The music and song competitions are held in late October. [Fintan Vallely ed., The Companion to Irish Traditional Music, Cork University Press, 1999, p. 279]

 エラハタスの元になったアイラハト(自由民の集会)について、『オックスフォード・アイルランド歴史必携』はつぎのように説明する。

oireacht (O. Ir. airecht), perhaps originally an assembly of every freeman (aire), signified a law court in Old Irish law tracts. In 11th- and 12th-century annals it figures as a territorial council under the regional king, involved in treaties and depositions. In the 13th century oireacht (Anglo-Irish 'eraght') is applied to the body of vassal nobles in receipt of a chief's tuarastal, or wages of submission, while the more abstract derivative oireachtas described the council meeting itself, a term that was to be revived in the 20th century both for the festive gatherings of the Gaelic League and for the Irish legislature. From the 14th century onwards aireachta ('urraghts') described the leading nobles of any district ruled by an Irish chief, while in the 15th and 16th centuries oireacht was also used of the chief's territory. [Katharine Simms. S. J. Connolly ed., The Oxford Companion to Irish History, 2nd ed., 2002, pp. 427-428]

 エラハタスに関連する参考文献としてはつぎのようなものがある。

- Donncha Ó Súilleabháin, Scéal an Oireachtais 1897-1924 (1984)
- Proinsias Mac Aonghusa, Ar Son na Gaeilge: Conradh na Gaeilge 1893-1993: Stair Sheanchais (1993)
- Ó Canainn agus Mac an Bhua, Seán Ó Riada: A Shaol agus a Shaothar (1993)


 エラハタス・ナ・ゲールゲの公式情報は次のところにある。2002年度は10月31日から11月3日まで Gaoth Dobhair で開かれ、2003年度はケリー県トラリーで10月30日から11月2日まで開かれた。

http://www.antoireachtas.ie/


文責: 菱川 英一 Copyright © 2003 Eiichi Hishikawa (except where noted)



(1) 'interior colonization': 'At the heart of the European space, two or three centuries have sufficed to corrode, folklorize, and annihilate at least in part the old local cultures, thanks to the irresistible instruments of interior colonization that are perpetrated by means of massive literacy drives and a pervasive press.' (Paul Zumthor, Oral Poetry, 1990, p. 48; emphasis mine) これに関連する問題として、近年、'What does it mean to sing or listen to music in a colonial language?' というような問いはますます鮮烈に人々に意識されるようになっている。たとえば、Lillis Ó Laoire による こちら の論文抜粋を参照。

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Leasaithe: 27 Samhain 2006